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元韓国空軍大佐 崔三然氏講演会  慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていたのだ。
http://www.asyura2.com/12/senkyo134/msg/770.html
投稿者 TORA 日時 2012 年 8 月 24 日 15:37:33: CP1Vgnax47n1s
 

(回答先: 首相の親書を送り返してくるということが外交的に持つ意味は、日本国家と日本国民に対する侮辱以外の何ものでもない。佐藤優 投稿者 TORA 日時 2012 年 8 月 24 日 13:44:24)

http://www.sns-freejapan.jp/2012/06/01/1552/

※崔三然氏プロフィール
1928年、朝鮮半島生まれ
1943年、少年兵として大日本帝国陸軍幼年学校に入校
終戦後、半島に戻り韓国空軍に入隊
空軍大佐として退役、以後は工業関係の会社顧問などを歴任

【リポート】元韓国空軍大佐 崔三然氏講演会

☆日本の安全保障問題は、まず朝鮮半島に始まる。朝鮮半島の安定は日本の安定である。

<はじめに>
・日本は「シャングリラ」(桃源郷)である。

 私は昭和18年、少年兵として志願し、陸軍幼年学校に入校した。
 当時朝鮮半島から来て見ると、東京立川の様子は朝鮮半島とさほど大差は無かった。逆に言えば、当時の朝鮮半島は相当インフラ整備が進んでいた、ということである。

 戦後60年、日本は安定した成長で経済大国となった。一方、朝鮮半島には一時も静かな環境は無く、朝鮮半島の精神文化面には半島のこの不安定さが大きく影響していると思われる。
 私の娘は東京の大学を卒業し日本で20数年暮らしているが、いつも日本に関する鋭い指摘をしてくれる。私が日本と韓国を比較して、現在のインフラの差異やマナーの差異を嘆くたび、娘は「お父さんは比較できない物をわざわざ比較しては嘆いている」と言って私を笑う。

・なぜ、日本人は日本を誇りに思わないのか。

 日本人はいまだ敗戦による自虐史観等に影響されている。
 伝統文化、精神文化の発達した立派な国であると、まず自覚せよ。
 かつて、他の外国人、例えば英国人のイザベラ・バードなども、一様に日本の国民性や文化を誉めている。
 日本人の感性は世界でもずば抜けており、だからこそ物造りの匠の国となり、様々な商品を生み出しているのだ。

 昨今の円高についてであるが、日本では円高を嘆く声ばかりが聞かれる。 しかしこれは日本に対する世界の信用の現われでもあることを忘れてはならない。誇りに思うべきではないだろうか。
 ちなみに韓国のウォンなどは逆に暴落し、ウォン:円がかつては10:1だったものが、今や16:1である。私の韓国軍人年金の300万ウォンも、日本に持ってくれば30万円だったものが20万円弱となり、随分使いでが悪くなった(笑)。


・日本の法治、順法精神、社会正義

 日本には他国では見られない、法治・順法精神・社会正義を好む姿勢がある。水戸黄門のドラマなどが大人気であるのもこのためだ。
 「日本の精神文化は世界遺産に登録すべき」というのが、私の持論である。
 いつも「朝鮮半島」というと、(反日的な言動を思い浮かべて)みんな「ああ、もう結構!」と思うかもしれないが(笑)、実際には良心的な朝鮮人は日本を評価している。

 日本こそは誇りを取り戻し、復活すべき国である。

<日本と朝鮮の歴史: 日本統治時代の朝鮮、大東亜戦争、朝鮮戦争>
・戦前の半島について

 私が3歳〜5歳の頃(1931年〜1933年頃)、朝鮮半島では目ざましい勢いでインフラ整備がなされていった。
 漢江(かんこう・ハンガン)は従業員(労働者?)も日本人1.5万人朝鮮人5万人の計6万人、当時半島で最も活気に満ちた都市であった。

 私は日本人・朝鮮人が半々の学校に通った。現在でも同窓会が開かれている。
 そこで差別を受けて喧嘩したなどの記憶は無い。社会が非常に安定しており、これは(日本人も朝鮮人も)法的に平等であったことが大きいと思う。
 人種間の多少の感情的なものがあっても、制度上の差別が無いというのは(社会として)上等である。

 例えばインドと比較してみればよい。インドは朝鮮半島と違って、インフラ整備も遅れ、識字率も低いままだ。

 大変な金額を投じて、日本は朝鮮半島を整備したのだ。


・半島における日本の統治

 半島における日本の統治の特徴としては、
「日本には誠実な統治の姿勢があった」
「日本軍の軍紀が厳正であった」
 この2点が大きい。

 当時の世界情勢から見れば、外国人から見ても日本の統治は非常に誠実なものであった。
 また当時の軍隊の教育を受けた者は、その事を今も誇りに思っている。
 私の同期は皆、今や武士のように立派な紳士ばかりである。

 リットン調査団が、報告書を作るのに大変苦労したという逸話がある。調べてみると、日本の植民地統治が完璧であったので、慌てたのだ。

 当時、白人国家の植民地統治とは、殺人・略奪・強制的混血による民族「浄化」といった野蛮なもの。白人は、日本の完璧で誠実な統治を恐れたのである。

☆しかし、日本人が自虐史観に陥れば、共産主義がそこに付け入ってくる。アメリカが敢えてその状況を許していることを忘れてはならない。


・大東亜戦争

 私は少年兵として終戦を迎えた。
 戦争末期には、アメリカの物量作戦に対抗するため、日本は空襲があっても戦力温存のためにただ飛行機を別の飛行場に退避させるだけ、という事も続いた。
 水戸にいる時、1000機の艦載機が飛来した。東京大空襲だった。

 戦時中、昭和12年から、朝鮮半島でも志願の士官学校制度が始まった。400名の募集に対し、20倍の志願があった。自分は学校で募集を聞くや否や、真っ先に手を挙げた。日本人にさえ先駆けて最初に志願した朝鮮人の2人の内の一人で、それがとても自慢だった。

 当時、半島も本土も、間違いなく一体だったのである。

 戦後マッカーサーが、「日本の戦争は自衛戦争であった」と言ったが、この証言に尽きる。資源の無い国日本が、封鎖されてやむを得ずの戦争だったのだ。

 現在日本では、2億トンもの原油を輸入し、5千万トンを備蓄している。
 昭和16年当時、日本には850万トンの原油備蓄があり、その中から1年で750万トンを消費した。
 終戦時はどうであったか。日本にはわずか36万トンの備蓄しか残されていなかったのである。
 日本がどれだけ困窮した中で戦っていたかがわかるだろう。

☆しかし、日本は戦争では負けたが、地球上の陸地の85%にも及んでいた植民地支配を終わらせた。白人優位社会の世界から、有色人種を無視できない世界へと変わったのだ。
 アフリカとアジアを比較すれば、アジアは日本があったからこそ向上したのだとわかる。

 私が戦時中を思い出して心が痛むのは、軍人のみならず一般人の犠牲者が非常に多かったことである。
 終戦時、35万人もの日本人が居住していたが、その10%にあたる3万5千人が引き揚げ時に被害にあったとされている。
 特に……ロシア兵による略奪強姦被害など、本当に心が痛む。

・朝鮮戦争の時代

 朝鮮戦争は金日成とロシアの赤化戦略によって起きた。
 金日成はただの匪賊であり、そんなものがロシアの傀儡で北朝鮮の指導者を気取っていた。
 当時朝鮮半島は、釜山の橋頭堡を残して全て一気に北に占領された。ソウルはたった3日で陥落した。まともな橋は1本しか残らず、…(聞き取れず) から北はそのまま虜にされてしまった。人々は3ヶ月間地下や屋根裏に潜み、やがてマッカーサーが上陸。15日間でこれを奪還した。

 この時の朝鮮半島は、正に阿鼻叫喚の地獄絵図であった。

<現代の日韓関係と北からの工作>

・現在の朝鮮半島情勢

 韓国では現在、韓国を内部から乗っ取ろうとする勢力が暗躍している。言うまでもなく、北の息のかかった勢力である。韓国の左派は金正日(※講演会当時は存命)の手下であると言っていい。その影には当然中国がいる。

 金大中の時代、3千万ドルが韓国から北に流れた。北は韓国を赤化して、取り込もうとしている。

 先ごろソウル市長選で左派が勝利を収めた。韓国においては、日本の東京とは比べ物にならないほど、全てが首都ソウルに集中している。そのソウルの市長が左派になったということは大変な「政変」を意味するのだ。

 李明博は、我々韓国の右派が懸命に後押しをして大統領に就けた。しかし、どんどん左派に取り込まれている。
 金大中・盧武鉉の頃には保守派7:左派(親北朝鮮)3だったのに、今や教育と言論の分野に北の勢力が入り込む状態になっている。

 したがって、我々親日保守派がどんなに意見を発信しても、マスコミは全く報じない。日本もそうでしょう?

 日本は地理的状況にも恵まれて、素晴らしい独自の文化を作り上げてきた。対するに朝鮮民族の場合は周囲から侵略を受け続けながら、何千年も続いてきたが、それもまた粘り強さであり能力と言える。

 日米韓同盟とまでは言わなくとも、新しい関係の構築を切に望む。


・従軍慰安婦問題

 韓国の日本大使館の前に、慰安婦の石像を建てる話などが持ち上がっている。(※講演時、未完成)

 とんでもない、慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていたのだ。(※この言い回しが、崔氏と同い年の実家の父と全く同じで、何だか驚いた)

 もしも皆さんが、中国や韓国が本当に事実を知らずに南京大虐殺や従軍慰安婦問題を言っているのだと思ったら、それは大間違いだ。
 彼らはわかって言っているのだ。そうして日本の反応を引き出し、それをまた材料にして騒ごうと思っているのだ。日本はそんな手に乗ってしまってはいけない。
 日本人はあまりにも良心的で素直過ぎる。

 こういった問題には、別の方角からのアプローチ(アナザーアングル)が必要だ。国際協調など他国を味方につける等考えるべき。
 蒋介石の手口、他国に働きかけ、ついにはアメリカやロシアを取り込んでしまったやり方も参考になるだろう。

(※参考までに、崔氏と同い年の実家の父の証言も。

「従軍慰安婦の碑?何言ってんだか…。あの女性たちは、大変結構なお給料をいただいておってだねえ、当時は日本からもその筋の女性たちが大挙して働きに行ったんだよ?朝鮮で、嫌だと言う女性をぎりぎり(無理やり)捕まえる必要なんか、全然無かったんだから。 そもそも当時は同じ日本で、日本国民で、同じ法律ですよ?そんな事をしたら大騒ぎになるだろうが(笑)」

「ただ、当時の本土と同様、親のために泣く泣く売られていった娘もいただろうし、女衒(ぜげん)に騙された女性もいただろう。そういう話は聞いた事がある。そういう女性は大変気の毒だとは思うが、日本が国としてそういうことをやったか、と言えば、それは絶対無い。これは断言できる」

今は韓国人と日本人。しかし育った場所に半島と本土の違いはあっても、生まれてから10代まで同じ日本人として日本の教育を受けた、84歳同い年の二人の男性の証言である。)

・半島が赤化すれば日本はどうなるか

 かつて先達がなぜ韓国を併合したのか考えてほしい。
 朝鮮半島は未だに日本にとって緩衝地帯なのだ。

 日本は誇りを取り戻し、先達のやってきた事の検証をし、英霊達の検証をし、世界のリーダーとして再び立ち上がるべきだ。
 現在の世界には、モラル面において国連なども全くその機能を果たしていない。世界には正義が必要であり、それを取り戻すのは日本だ。

 そのためにも、中国に効果的に対応すべく、準備が必要だ。

<その他、講演後の質問タイムに語られた話など>

・「それでも日本は大丈夫」

「韓国はもう、本当に崖っぷちですよ!それでも日本は大丈夫。まだまだ絶対に大丈夫。」
「なぜなら…日本は女性がしっかりしているから。日本の女性を見てみればわかる、日本女性の淑やかさ、それでいて芯の強さ。」

このあたりで思わず目をそらす筆者(女性)。 思うに、崔氏は本当は「大丈夫だと、日本を信じたい」方が先んじてしまい、実は確たる理由など無いのかもしれない、と感じました。そこで、理由を述べるに最も無難な落としどころとして「日本女性」を持ち出したのかもしれませんw

 これに対して、崔氏のご友人が補足。

「日本が女性のお陰で大丈夫だというのはね、例えば、家庭経済でも日本は女性がしっかり財布を握っているでしょう?そして、しっかり貯めている。日本国債に信用があるのも、結果的に女性のお陰なんですよ」

「日本の女性は、お金を持っていても『いえいえ、とんでもない』と言って持っていない振りをする」
「ところがね、韓国では逆なんです。韓国では、金を持ってもいない者が、目一杯見栄を張って金持ちのように見せかけている。女も、祖母・母・娘が街中を揃ってこれ見よがしに華美な服装で歩いていたりしている」

 このあたりを聞いて、韓国経済では個人負債が日本などと比較しても異常に多い、ということを思い出しました。

「このままでは北に取り込まれる。李明博(とその後継者)を引き摺り下ろさなくては」というのに対し、「軍事的な行動などは可能性があるのだろうか?」といった質問をした人がいました。

 崔氏は「私の後輩がまだ軍にいて、随分偉くなっていますからねw」とだけ答えました。

 引揚者の悲惨な被害について語った時、崔氏は少し言い淀み、数少ない女性参加者の方を気にするようなそぶりを見せ、「ロシア兵のね…」と口を濁したように思えました。何とも言えない、痛ましげな表情でした。

 これはあくまでも勝手な憶測になりますが…崔氏は引揚者が朝鮮半島において朝鮮人からの略奪や強姦被害にあっていたことを、もちろんわかっているのだろうと思いました。本当はそのことを言いたかったのではないか、とも。

 崔氏の言葉からは終始一貫、帝国陸軍の少年兵であったこと、日本の教育を受けたことを、心から誇りに思っている、という気持ちが伝わって来まし た。そうであれば、終戦後自分の同胞が自分の郷里で、敗走する日本人に惨い仕打ちをしたと知った時、さぞ恥ずかしく暗澹とした思いであったことでしょう。

<感想とまとめ>

 全体を通しての講演の感想は、「戦前戦中の日韓関係に関する崔氏の全ての言葉が、そのまま、ネット上の保守層が共有している情報の裏づけになっている」ということです。

 或いは、ネットの情報がそもそも、崔氏をはじめ親日保守の韓国人の裏づけをもって喧伝され始めたものなのかもしれない、と思うほどでしたw
「ええ、それ、知ってます」と相槌を打ちたくなるような事がたくさん語られました。


 

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コメント
 
01. 2012年8月24日 16:11:04 : NMH25dkZgY

貴重な投稿をありがとうございます。


02. 2012年8月24日 16:21:56 : xiDl6ZrNYg
慰安婦は高級だったので、日本では、
貧しい農家の子女が家族を救うために慰安婦に応募しても、
当時合法であった赤線地域の職業娼婦が優先的に採用された。
韓国は世界に慰安婦の碑を建てているが、
多くの日本人慰安婦も居たことを忘れてはならない。

03. 2012年8月24日 17:03:25 : EeF8fVV93g
あのね〜従軍慰安婦と言うから恰も日本軍が強制的に置屋を造った様に言われるが、当時の実態はまるで違う。

何処の戦場に於いても置屋業はボロ儲けの商売であった。その中には親元から売られてきた小娘もいただろうし、スカウトされた小娘もいた。
日に何十人もの男の相手をせざるを得ず、多くの娘たちはSex依存症に落ち得ることになる。それらの弊害が今騒いでいる婆さん達だ。ムチンで事をさせられたらのではなく、兵隊さんの使い道のない給料から払われた代償は決して小さくない。稼いだ金がなくなってしまったのは自己責任だろ、、、

サッサと第三の人生を送ってくれ!!!


04. 2012年8月24日 17:12:47 : s3vzXhnNp2
> 「ただ、当時の本土と同様、親のために泣く泣く売られていった娘もいただろうし、女衒(ぜげん)に騙された女性もいただろう。そういう話は聞いた事がある。そういう女性は大変気の毒だとは思うが、日本が国としてそういうことをやったか、と言えば、それは絶対無い。これは断言できる」


貴重な証言だ。

そして池田信夫などが調査して主張している内容とも合致している。

慰安婦は基本的には、高給売春婦だった。
当時は世界では慰安婦制度は一般的で、日本軍だけでなく、韓国軍にも、米軍にも、国連軍にさえあったのだ。

中にはこの証言のように親に売られた悲しいケースもあっただろう。
だが、日本軍が朝鮮女性を強制連行、拉致して慰安婦にしたなどというのは完全な捏造。

そのような証拠はないのである。
阿修羅でもそれは既に明らかになっている。
http://www.asyura2.com/12/senkyo134/msg/310.html
  


05. 2012年8月24日 18:00:57 : poRxZgP8CY
>当時は世界では慰安婦制度は一般的

今でも軍隊の居る所、必ず慰安婦(売春婦)は居ます。
世界には人身売買紛いで強制的に従事させられている売春婦も居ます。
今日の日本にも、法律的には無くなったハズの人身売買に近い形が残っています。
韓国軍人が清僧のような生活を送っているとは思えません。
何らかの形で性欲を処理しているはずで、それが合法的なモノだけとは思えません。

勿論自衛隊員もです。


06. 2012年8月24日 18:16:41 : csEGlAWO9Y
>慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていたのだ

あそう、お金払ってたからそれでいいわけ?
何があってもお金払ってればそれでいいわけ?

なんとも下品な理屈だな
その理屈が国際世論につうじるかな?
お金はらってたという理屈が国際世論につうじるのか?


07. 2012年8月24日 19:22:42 : HNPlrBDYLM

慰安婦で実際に給料を貰った人は一人も居ないというのが定説だけどねwwwwww

08. 2012年8月24日 19:30:04 : HNPlrBDYLM

従軍慰安婦の給料は高給だったのか ?


lunakkoさん

私の主張は、「慰安婦が高給取りであった」の一点です。 そして、ni0615さんが自分の説を補強?、私の説を否定するために軍票の話を持ち出してきただけです。


zames_makiさん

ですが、それはありえません。結論として0円でしょう、
理由は慰安所経営者が騙し取っていたからです。

現在の元慰安婦の証言でお金を貰ったとしている人はほぼ0です。

文玉珠の26145円は給料ではなく、チップです。

給料は貰っていたか否か?については、証言の中で明確に述べていませんが、朝鮮人慰安婦43人の証言を統一的に調べた研究者、尹明淑はもらっていないと判断しています。従って今ある資料から言える文玉珠の「給料」は不明です。


lunakkoさん

そうですね。文玉珠さんの場合はチップです。私も文玉珠さんがそう証言している。と書いてから気付きましたが、そこを指摘するあなたに感謝します。


>現在の元慰安婦の証言でお金を貰ったとしている人はほぼ0です。

証言は証拠にならないのはよくご存知のはずです。証拠がない限り、給料がいくらだったかはわからないのではないですか?では、

http://ameblo.jp/scopedog/entry-10030549652.html


「多くの楼主は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしたため、彼女たちは生活困難に陥っていた」(日本人捕虜尋問報告)

と書かれている資料について、説明していただけますか?

多額の請求とは、どれくらいでしょうか?

給料が0円ならば、多額の請求をされても払えないと思うのですが。

また、多額と書いてあるし、「食料、その他の物品の代金として」と書かれていますので、絶対に払われているはずです。たとえ、それが「付け」であってもです。
また、文玉珠さんは、二回慰安婦をされたといっておられますが、何故ですか?二回強制連行されたのですか?

最後に、あなたは、文玉珠さんは その「労働」でなんらかのお金を得ていたことは確かでしょうね。と書いておられるのに、その証拠が「実力者に気に入られるようにした」と書いてあります。

その場合、もらえるのは「チップ」ですよね?「労働」はどういう意味ですか?

noharaさん

>>>証言は証拠にならないのはよくご存知のはずです。

何故でしょうか?


lunakkoさん

証言は証拠になるのですか?

もしそうであるのならば、「私があなたに貸した1億円を返してください。」
私が証言しているのです。これが証拠です。

crescent2007さん

>>私が証言しているのです。これが証拠です。

当たり前です。証拠になります。あなたの証言も証拠になりますよ。しかし、補強証拠がないので誰も信用してくれないでしょう。信用するかしないか、の問題です。

「元慰安婦の証言は証拠にならない」という主張は、「元慰安婦の証言は信用できない」と言ってるのと同じだということをまず理解してください。


しかしこの三段論法には唖然としますが、このコミュニティでさえこのレベルでこうやって切り込まれてくるのですから、逆に言えば、その論法がそれだけ蔓延していることの証左ともいえるのでしょう。

議論の前提になる知識すら欠如している、と突き放してはいけないのでしょうが、次から次へと同じ論者がどうせ現れるのは確実です。そのレベルでの議論は軽くいなしつつ、このコミュニティはその存在意義を果たしていただければと思います。僭越ながら。

115: zames_maki

ステップ2:慰安婦は給料をもらったのか?

私が掲げた検討ステップは以下です


@考える上で資料は何か?(慰安婦の受領書はあるのか?証言は信用できるのか?)

A慰安婦には毎月、性交の代価として金が渡されたのか?

B慰安婦は、いつまで働き、慰安所を離れる時、金は渡されたのか?

C慰安婦に渡された金の種類は何か?(軍票?日本円?現地通貨?)

D渡された金は幾らなのか?

Eその金の実質的な価値はどの程度なのか?

F朝鮮人慰安婦は朝鮮に帰国したが、渡されたその金は使えたのか?


ステップ@考える上で資料は何か?

(慰安婦の受領書はあるのか?証言は信用できるのか?)


結論:慰安婦の受領印のある受取証は存在せず、慰安婦の証言が参考になる。少なくとも研究者の調査した慰安婦の証言は信用でき、重要な資料である。


ステップA慰安婦には毎月、性交の代償として金が渡されたのか?

これを示す書類資料は存在しない。従って研究者の調査した慰安婦の証言を参考とする。


尹明淑(日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦 明石書店 2003:一橋大学社会学博士論文を出版したもの)は十分な証言の得られた42人の証言を様々な項目について、横断的にまとめている。そこで、性交の代償に金を受け取ったとしているのは7人である。

『軍直営の軍隊慰安所にいた軍隊慰安婦(10人)の場合、料金の支払方法はさておいて一人も軍隊慰安所からの給料はなかったのである。

また軍専属および軍利用の軍隊慰安婦の場合、(略)29名(証言しなかった3名を除く)のうち約76%の22名が全く給料を支給されていない。しかも食事や衣類などを軍が支給していた軍直営を除き、軍専属や軍利用軍隊慰安婦の場合は、経営者が食事や衣類の他、化粧品や日常品を調達して与え、その代金は帳簿上の収入から差し引かれて軍隊慰安婦の借金になる仕組みになっていた。』


また朱徳蘭(台湾総督府と慰安婦 明石書店 2005:台湾中央研究院、九大文学博士)は同様に台湾人慰安婦約60人を調査し多くについては自分で直接面接している。慰安婦になった経緯や給料を調査している。

そこでは前借金を受け取ったものは数人いるが、性交の代償に金を受け取ったとしているのは少ない、報告書に具体的に面接内容が記載された18人中では体の代償に金を受け取ったのは3人である。


 更に現在名乗り出ている、中国人、インドネシア人、フィリピン人、オランダ人の元慰安婦で金を受け取ったとしているものは、ほぼいないと言って良い。

これらの事をあわせると、日本人以外の慰安婦については性交の代償に金を受け取ったものは全体の内のごく僅かであり、多くはまったく金は受け取っていないとまとめられよう。

これは、これら外国人慰安婦の多くが、徴募過程はともかく、慰安所では暴力的に無理に慰安婦をやらされており、日本軍兵士の相手をする代償に金を受け取るというような取引や契約といった関係ではなかった為であろう。簡単に言えば、一部を除けば、ほとんどはただ何もわからずただ毎日無理に性交を強いられていた、とまとめられるからである。

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/10


従軍慰安婦問題・慰安婦高額報酬説のトリック


「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日」に次のような記載がある。


「これは、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。」


この前半部分から、慰安婦の月収は平均750円で、当時の陸軍大将の月収500円〜600円より多かった、という主張がある。


しかし、これにはトリックがある。


まず、この日本人捕虜尋問報告にある内容は1944年のビルマにおけるものである。1943年のマンダレー駐屯地慰安所規定によれば、慰安所の利用には軍票を使用することになっているため、ここでも軍票が使用されていたことは間違いなかろう。

ビルマ方面で使用された軍票は、太平洋戦争開戦当初は海峡ドル軍票、後にルピー軍票が加わり、1943年からは南方開発金庫券、通称:南発券(厳密には軍票ではないが、軍票同様に使用された)に代わっていく。
ちなみにビルマでの軍票は基本的にルピー表示(一部ドル)だが、1942年12月16日の東京朝日新聞の記事「最初は少し混乱したものの今ではすっかり慣れ市場の売子も『ハイ、お釣りを三十銭』とお客の兵隊さんに日本式にやってのけているのは微笑ましい風景である 」に見られるように、公式には1ルピー1円の固定相場であるため、「円」「銭」という表現は現地でも使われている。
つまり、日本人捕虜尋問報告にある料金制度の「兵 1円50銭、下士官 3円、将校 5円」は、南発券での支払いであることが考えられる。

この南発券、実は1943年後半から急速にその発行高を増やしている(19421943年2月9日(2007/6/4訂正)の日本産業経済新聞に賀屋蔵相の「南方券の発行について今その最高限度をきめる考えはない」と言う発言がある)。林博史氏の「「大東亜共栄圏」の実態」 によると、1942年12月に4億6326万円、1944年末に106億2296万円、1945年8月に194億6822万円、と明らかに急増している。なお、日本の占領地域は1942年後半以降は基本的に縮小する一方だったので、占領地拡大に伴う増発でないことは明らか。1944年には戦局は悪化しており南方占領地内の流通が悪化、つまり物不足となっていく。こうした中、日本軍が物資を調達する目的で軍票が増刷され、その結果インフレが生じたわけである。


かといって、駐屯部隊に支給される給料が上がったわけではないと考えられるので、慰安所利用を従来のまま行うには軍が価格統制せざるを得なかったのだろう。
しかし、この場合、被害者は慰安所である。インフレになっているのに価格を固定されていては実質的な減収となるからだ。そう考えれば「多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。」(日本人捕虜尋問報告)の部分が理解できる。


ここで反論として考えられるのは、インフレは戦後になってから起こっており戦時中ではない、という異見。
確かに南発券を大量発行してインフレが生じたなら、固定レートとなっている日本円にも影響が出たはずである。しかし、ここにトリックの肝がある。


1942年5月1日の大阪朝日新聞の記事「南方送金方法大蔵省より指示」に「一、南方占領地に渡航するものの旅費その他の費用は現地に銀行ある場合は原則として信用状、送金為替などの方法によるが銀行がない場合は現地で使用される軍票を内地から携行出来るようにし円札の携行は原則として認められず、円札と軍票との交換比率は近く大蔵省において決定、交換事務は近く日銀本店、一定の支店、代理店などで取扱を開始する 二、南方占領地居住者のうち現地で自活し得ぬものにたいする仕送金は審査の上許可を与える方針で、この場合は銀行経由送金の方法による 」
とあるように、基本的に占領地から内地への金銭送金は許可制で規制されていた。

(訂正2007/4/24:上記は日本から南方への送金に関する記事だったので参照記事を以下に差し替える)「これ等の軍票は何れも在来の現地通貨と等価で流通せしめているが、日本円とこれ等軍票並に各地域の軍票相互間の関係は差当り日本と南方諸地域間並に諸地域相互間の自由な資金交流を認めぬ建前であるため、一般的な交換比率は決定していない」(中外商業新報 1942.4.18)

とあるように、基本的に占領地から内地への金銭送金は規制されていた。

つまり、占領地でだぶついた通貨を内地に入らないようにして、終戦間際まで内地のインフレを食い止めていたと言える。
これを実施するため、「預け合い」というからくりを使っている。

からくりはこうだ。

例えば、財源の裏付けのない状況で日本が軍事費100億円(内地換算)を必要とする場合、通貨の発行数を増やすしかない。

しかし、これをやると物資量に対し通貨流通量が100億円(内地換算)分だぶつきインフレとなる。

そこで、国内の通貨流通量をふやさないように、必要な軍事費100億円(占領地通貨)分だけ日本の銀行が占領地の銀行(この場合、南方開発金庫)に預金をする。これに対し、南方開発金庫も100億円(内地通貨)を日本の銀行に預金する。

預金と言っても実際に現金が動くことはなく、固定レートのためそれぞれの銀行の帳簿に記載されるだけである。


その結果、こうなる。

南方開発金庫に日本の銀行の預金100億円(占領地通貨)

日本の銀行に南方開発金庫の預金100億円(内地通貨)


南方に展開する日本軍は、必要に応じ、南方開発金庫から100億円分の引き出しを行い、占領地に流通させる一方、南方開発金庫には日本の銀行にある預金を引き出させない。

こうすることで内地での通貨流通量は変わらずインフレを防ぐことができた。

しかし当然占領地内ではインフレが進むことになる。(参照:日本軍政下のアジア―「大東亜共栄圏」と軍票/小林 英夫 、p158(2007/4/25追記:参照先では、中国戦線での儲備券を例にしている))


これが、内地と占領地における円の価値の格差のトリックの正体である。


したがって、内地での陸軍大将の月収500円〜600円と占領地での慰安婦の月収平均750円を比較すること自体ナンセンスと言える。


では実際に占領地での750円とはどの程度の価値だったのか?

南方占領地の中心シンガポールでの物価指数は、1941年12月開戦時を100として、1942年12月に352、1944年12月に10766、1945年8月に35000と実に350倍になっている(前掲「「大東亜共栄圏」の実態」による)。1944年初頭のデータはないが、物価上昇率を月11〜14%として指数モデルで考えると、

1941年12月( 0ヶ月): 100
1942年12月(12ヶ月): 350〜 482(実際352)
1943年12月(24ヶ月): 1224〜 2320
1944年12月(36ヶ月): 4282〜11183(実際10766)
1945年 8月(44ヶ月): 9868〜31901(実際35000)

となる。ちなみに言うまでもないが、地域や品目によって物価上昇率は異なっており、例えば米60キロについては1941年12月に5ドルだったのが1945年6月には5000ドルと1000倍(物価指数で言えば10万)になっている。シンガポールのような人口稠密地域では米の需要が高いためであろうが、他の地域は他の地域でそこで産出しない物資が上がったであろうと想像できる。

シンガポールとビルマの物価が同レベル、内地の物価は変化していないと仮定すると、大雑把に1944年初頭のビルマの物価指数は1941年12月を100とした場合、およそ2000程度であると考えられる(1944年は既に各占領地間の流通に支障をきたしており、この仮定が正しいとは言えないが、シンガポールとビルマを比較した場合、ビルマの方がより状態は悪化していると推定できるため、最低限の予測は可能と考える)。

実際、

日本軍政下のアジア―「大東亜共栄圏」と軍票/小林 英夫

のp179によるとビルマの物価指数のグラフが表示されており、プロットがないため正確ではないが、1941年12月を100として1943年12月がおよそ2000程度である。


つまり慰安婦の月収750円とは1944年初頭の内地換算で38円となる。当時の下士官の月収が約30円で大体これと同レベル(この内地換算38円から「食料、その他の物品の代金」をとられていたことを考えれば実質はさらに下回るかも)と言える。ただし、これにさらに労働条件を考慮する必要がある。単純に売上げ月1500円を上げるには、下士官を相手にしたとして月500人、一月25日として1日に20人に売春しなければならない。一人30分としても10時間の労働であって、かなりきつい労働条件なのは容易に想像できよう。
ここまで過重な労働を強いた背景としては、やはりインフレが考えられる。慰安婦一人月1500円、20人いたとして、慰安婦に渡す分を差し引くと「慰安所の楼主」の1ヶ月の収入は15000円となる。これを上記レートで内地の円に換算すると750円程度になる。結構な金額には違いないが月10%で物価が上昇することを考えると、経営上の不安はぬぐえない(軍人と違い、「慰安所の楼主」は生活物資の購入を市場で行う必要がある)。軍の規定によって料金が据え置かれている以上、「慰安所の楼主」の取れる手段は慰安婦をとにかく働かせることしかなかったろう。もし完全に慰安所が民間で運営されていたなら、金額を上げることや対価としてインフレ軍票ではなく物資を求めることなど現実的な対応ができただろう。


日本の占領政策の無能さと慰安所の軍管理が慰安婦の悲劇を倍化したと言えよう。


ところで、「慰安婦の月収は平均750円で、当時の陸軍大将の月収500円〜600円より多かった」という主張は、当時の前借金が500〜1000円程度であったことを考えると理屈では2ヶ月で返済できる金額なわけだが、その時点でおかしいと思わないのかね?それとも、返済が終わった後も慰安婦を続けた、とでも考えているかな?「朝鮮人は欲深い」というような差別意識がなければ出てこない発想だけど。

http://ameblo.jp/scopedog/entry-10030549652.html

2012-03-23
従軍慰安婦高収入説は誤り・1(再掲)
従軍慰安婦, 日本史

2007年にアメーバ版で以下のエントリを挙げましたが、文章に手を入れて再掲します。

従軍慰安婦問題・慰安婦高額報酬説のトリック|誰かの妄想

従軍慰安婦否定論者の主張のひとつに「従軍慰安婦は高額な収入を得ていた」というものがあります。この主張は日本政府・軍による売春強要を免罪するための根幹として使用されることが多いです。

つまり、「ただの商行為」「むしろ儲けていた」→「自分の意思で売春したくせに」という被害者蔑視・排斥につながっています。

この流れは、現在日本でも性犯罪被害者に対するセカンドレイプが行われている構造と同じです。

そもそも、仮に高額な報酬を得ていたとしても意に反する売春を強要されたのであれば、それだけでも免責されるものではありません*1。

しかし、従軍慰安婦が高給取りであったという都市伝説は、否定論者による従軍慰安婦問題軽視・元慰安婦被害者に対する蔑視を助長し、ひいては日本社会の人権レベルの低下をもたらす悪質なプロパガンダとして機能しています。

そのため改めて従軍慰安婦高収入説は根拠のない都市伝説の類であることを指摘しておきたいと思います*2。


高収入説再検証・根拠資料「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日」

否定論者が慰安婦高収入・好待遇であったと主張する際に極めてよく用いられる資料ですが、元は吉見教授ら従軍慰安婦問題の研究者によって提示された資料です。もちろん否定論者のような歪んだ解釈はされていませんが。

これは、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。

否定論者の主張

「慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていた」

→「慰安婦の月収は平均750円」

→「当時の陸軍大将の月収500円〜600円より多かった」

しかし、これは間違っています。

事実
尋問報告では「総額1500円程度の稼ぎ」と書いてありますが、これは日本円ではなくビルマ方面で使用されたルピー軍票での売上を指しています。日本と占領地間の公式レートでは1ルピー=1円となっていたため、戦地で日本兵に支給される日本円はそのままルピー軍票で支給されました。また、正式にはルピーでも、公式レートから生じた慣行上、円と呼ぶことが多かったため、尋問報告では「円」表記となっているに過ぎません。

そのビルマルピーですが、公式レートでは1円=1ルピーでありながら現地における物価指数で見ると尋問報告が作成された1944年時点で激しいインフレが起きていることがわかります。

時期 ラングーンにおける物価指数*3

1943.12 1718
1944.3 2629
1944.6 3635
1944.9 5765
1944.12 8707
1945.3 12700
1945.6 30629
1945.8 185648

(日本銀行外事局調査)*4

尋問報告で語られている従軍慰安婦たちは1942年8月にラングーンに到着し、1943年1月までにミッチナで慰安所が開設されています*5。慰安婦たちの収入がまだマシと言えるレベルだったのはせいぜい1943年中盤までのわずかな期間に過ぎず、1943年末には既に太平洋戦争開戦時の20倍近い物価となっていました。

物価が上がっているにも関らず、慰安所の利用料金は軍に規定されているため値上げはできず、従軍慰安婦たちは実質的に薄給での売春を強要されたわけです。


「総額1500円(ルピー)程度」の価値

従軍慰安婦らが連合軍の捕虜になる直前の1944年6月時点で、東京では1941年12月を100とした物価指数は121に達していました。太平洋戦争開戦から2年半で東京での物価は2割上昇していたわけですが、同じ頃のラングーンでは物価指数は3635、実に36倍に達していたのです。

これを考慮すると、1944年6月のビルマにおける慰安婦の1ヶ月の収入750ルピーの価値は同時期の東京における25円程度となります*6。

「陸軍、海軍の階級別 月収・年収一覧表(1943年) - Transnational History」によれば、月25円程度は下級の下士官の給料程度*7、巡査の初任給45円の半分程度に過ぎません。

判定
「日本人捕虜尋問報告 第49号」を根拠とした慰安婦高給説は、現地におけるインフレを無視しない限り成立しない空論と言えます。


*1:金持ちが貧しい女性を強姦しても、後で金を払えば合法、という世の中が理想ならば別でしょうが。

*2:この内容が否定論者に届くとは思っていません。彼らは否定したいという自らの欲求を満たすために都合のいい情報選別や歪んだ論理構築を意図的に行っていますから、指摘しても無駄だと思っています。声の大きい彼らのプロパガンダに新たに騙される一般人が少しでも減ればと思っての再掲です

*3:1941年12月を100とした場合

*4:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10030549652.html のコメント欄で林博史教授から御教示いただいたもの

*5:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10034024891.html

*6:750÷3635×121=25.0

*7:加俸を考慮すれば、それ以下
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10030549652.html


09. 無生物 2012年8月25日 03:45:23 : ce0Ar6eaeTZ7w : 8cmLjyQH4H
>>08 さんの丁寧な論考に敬意を表します。

親日保守の韓国人と紹介される方の真摯な言葉をつまみ食いし、下劣なタイトルをつけるTORAさんの神経を疑う。
竹島の領土問題に従軍慰安婦を結びつけることは逆効果だろうに。


10. 2012年8月25日 03:50:44 : sUpHQ8Q75g
>>08

そのコメント欄に出てくる「否定論者の主張」は決して間違ってない
オレが友人の両親から直接聞いた話とも符合する

友人の両親は当時共に東京銀行大阪支店に勤務してた
東京銀行つうのは三菱と合併するまでは日本唯一の政府公認為替両替商だ

戦地に派遣されてる慰安婦たちから実家への仕送りを中継し
円に替えて実家へ届ける仕事をしてたとのこと
送金元は軍票でも実家へ送り届ける時には円に交換されてたノダ
一般の家庭じゃ軍票は文字通りただの紙切れなんで当然だ罠w

流石に敗戦間際の混乱期は除外せざるを得ないだろうが
軍票で支払われたからいくらだったとか
ルピーに換算するといくらつう
半ば思い付きのような主張こそが
トリックなノダ


11. 2012年8月25日 03:59:12 : dOqG9A5Aqs
金を受け取った人と受け取らなかった人がいるのは、前借金の有無の違いじゃないかな。
親に売られた人は前借金多額だろうし、街で家出不良少女やっててスカウトされた
人は前借金なんか少なかったと思われる。

軍票の無効化の補償は日韓条約でされているはず
売春婦の郵便貯金のインフレ無価値化については近年裁判があったがおそらく敗訴?


12. 2012年8月25日 04:09:05 : usfkU1Ib6E
どんなにカネを払い、どんなに謝罪したとしても
何かあるたびに慰安婦問題は永遠に言われるだろうな
多分本人が亡くなったあとも違反婦の遺族がまた謝罪と賠償を要求する

ただし、日本が今後もたかれる程の国力を持つかどうかは疑問だ


13. 2012年8月25日 08:13:39 : vtaXSg5Mqs
 韓国はベトナム戦争へ派遣した韓国兵士による現地婦女子に対する強姦・暴行により大量出産した戦争混血児を放置したままだが、ベトナムに韓国政府が調査員を派遣して賠償責任を果たそうとしているとも聞いたことがない。
 かたや慰安婦は「売春」を生業とする婦女子たちだ。彼女たちは合法的な職業人として働いていた。そのことをあげつらって日本を非難する非合理さを韓国民は悟るべきだ。それが悲惨な日本の戦争犯罪なら東京裁判でも当然問題視されたはずだ。そうした裁判は東京裁判で一件もなかった事実からしても「従軍慰安婦」なるものはフィクションだということは明白だ。

14. 2012年8月25日 08:46:32 : LWcJ2Rp8kk
さて、竹島を奪還しなければならん。

15. 2012年8月25日 19:20:11 : kkxW3C9LRc
プロ童貞が多いのか?

ソープへ通って取材しなさい。
デリヘル通って取材しなさい、

古代から現代未来永劫 「慰安婦」は存在する。

マグダラのマリアも「慰安婦」だった。

いろんな姉ちゃんやおばさんと肉体の会話をしてから出直しな。


16. 2012年8月25日 20:29:15 : AVtPGJomX2
慰安婦は韓国だけでなく、日本にもいたはずよ。米国に対しての、慰安婦の様な職業の人がいたはず。貧しかったから、家を助けるため、その様な職業に就いていた、人がいたはず。ただ日本の女性はプライドが高くその事を恥ずかしいと感じていた。だからその様な職業が廃止に成った時、皆それを忘れる様に、静かに一般人に成ったのでは?混血人がこの頃、多く生まれていたと思うけど?

17. 2012年8月25日 23:11:44 : dOqG9A5Aqs
>>16
日本でも一度パンパンやると一生近所の人に陰口を聞かれるよ。
野村サチヨ(これは後半はオンリーさんか?)でも言われていたし。

韓国だと本人が秘密にしていてもその差別がもっと凄いだろうから、
元売春婦は自分が被害者だったということにしたくて必死で訴えているのでしょう。
(議会証言などを聞くと、家に売られた事情とか家出して女衒に引っ掛かって
 堕落したこととがわかるから、本人はあまり嘘を言っているとは見えないけど
 =ただし利用している連中は大嘘をついている)


18. 2012年8月26日 17:34:07 : Q3V6f0zWRw
元韓国空軍大佐 崔三然氏講演会  慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていたのだ。
http://www.asyura2.com/12/senkyo134/msg/770.html
新たに学んだこと
1.     リットン調査団の報告書は「公正なもの」と思わされていた。
2.     南京大虐殺・従軍慰安婦問題を取り上げるのは、日本のお金が目的だった。

・半島における日本の統治
 当時の世界情勢から見れば、外国人から見ても日本の統治は非常に誠実なものであった。
※リットン調査団が、報告書を作るのに大変苦労したという逸話がある。
調べてみると、日本の植民地統治が完璧であったので、慌てた。白人国家の植民地統治とは、殺人・略奪・強制的混血による民族「浄化」といった野蛮なもの。   

・従軍慰安婦問題
 慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていたのだ。
 南京大虐殺や従軍慰安婦問題を言っているは、それを材料にして騒ごうとしている。
 日本人はあまりにも良心的で素直過ぎる。
※こういった問題には、国際協調など他国を味方につける等歴史に学ぶべき。蒋介石の手口、他国に働きかけ、ついにはアメリカやロシアを取り込んでしまったやり方に。


19. 2012年8月27日 01:57:05 : dzERZxdKJw
本当は当時の日本人慰安婦が名乗り上げて実情を話せばいいのだろうが、
金にならないそんなことをする人がいるわけないな

20. 2013年5月15日 21:54:35 : TrnG4U1CJs
ビルマでインフレが起こっていて尚且つ固定相場だったとしても
日本の郵便貯金に毎月5000円以上が振り込まれていた理由にならない
と思うの。
内地で流通させる事が可能な(または後天的に可能になった)通帳に
陸軍大将の給与より高額な振込があったのは何故でしょうか。
そもそもルピー軍票で給与支払いをしていたのだとすればどうして円
で預金振込されていたのでしょうか。

21. 子孫のため正直が一番 2013年12月08日 09:45:45 : cB/gHEYW4inb6 : fHUdbBliSI
調べればすぐ判明する事実なのに、慰安婦高給取説に対しインフレで内地相場で38円説のプロパガンダがたくさんヒットする。
「彼ら」は非常に巧妙に次から次へと論調を変えて事実をねつ造するから、必ず彼らの嘘は精査すべき。

明治生まれの日本人から、「朝鮮人」をことごとく嫌悪する生の声を聞いた人間は非常に多い。戦後生まれの戦争史観、自虐史観、反日史観、で育った人間は人種差別と感じ違和感を持つが、調べれば調べるほどそれは日本国民の体験に基づく悲鳴であったことがわかる。
日韓が国際社会で共に成長し共存たいのならば、お互いに公正に歴史の真実をさらけだして上で、民族の特性を学習し改善していかなければ永遠の事大主義民族から脱却することはできないだろう。


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