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領土問題の悩ましさ “日本が敗戦国”であると云う歴史的事実を噛みしめ思うこと
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/c17196d026a62f0431fec48746b9dc9f
2012年08月20日 世相を斬る あいば達也
永田町が恒例の盆休み中で、筆者もご相伴にあずかり盆休みを取っている。考えてみると、政治はカオスの世界に突入する寸前だと云うのに、よくもまぁ休みなど取れるものであるが、その程度の認識で“主権者の代理人”を行っていると云うことなのだろう。直近の韓国大統領の所業にせよ、尖閣上陸の台湾香港活動家の所業、そして中韓両国のナショナリズムの噴き上がりにせよ、筆者は幾分醒めた目で眺めている。勿論、国内における多くの保守派の人々の言動にも、白々しい目が向くだけである。
日本に対する、中台香港の尖閣への所業はあくまで一部活動家とそれに呼応するネット空間で噴き上がった人々の話であり、実害が大きいとは現時点で判断できない。彼らの政府が自発的に行った行為とは言えないので、大きな外交防衛問題として捉えても大きな意味は持たない。逮捕・強制送還が外交上は妥当な処理方法なのである。石破が外野で毅然たる態度で起訴すべき等と勝手なことをほざいているが、中国船長事件同様、米国務省から“即時釈放せよ!”と命じられるのがオチである。であれば、即時強制送還が妥当なのである。正義の使者ぶる行司役に舞台を与えてはいけない。
拙コラム「米国と云う国は凄い国だ ここ数日連続的に起きる中韓の“反日言動”は米国のヤラセ」で記述した推測が事実とすれば、韓国の李明博大統領 の所業も米国戦争屋勢力の煽りと自己利益が一致した結果の言動だったと推測出来る。これら様々なかたちで起きる周辺諸国との領土を巡る諸問題は、個別の問題として諸説紛々しても、あまり意味はないのだ。一々そこいらに転がっている物質のように、予期出来る化学反応を起こしているようでは知能がない。中韓のネット人の噴き上がりを見て、湧き上がる感情と、化学反応を起こす日本の政治家や活動家にも、筆者は同様の感情を抱いてしまう。領土問題は、そんな事じゃ一歩も解決しないよと。丁度こんな時期、気になるコラムを見つけたので、掲載しておく。必ずしも北尾氏の考えと同じではないが、根本的部分に同意するからだ。ただ、氏が書いてあるように、日本人の気概だけで事が済みとは到底思えない。
≪『日本の領土問題に思う』
http://www.sbi-com.jp/kitao_diary/archives/201208175371.html
これまで本ブログで幾度も指摘してきた通り、所謂「領土問題」に当たっては日本はある種の覚悟を持たねばならないというふうに思います。 例えば竹島問題について言うと、韓国はそこを実効支配するために警備隊を派遣し灯台を設置するなどしていますが、島根県の一部であるとあれだけ主張する日本は何故そうした状況を放置してきたのでしょうか(※1)。 日本の国民と日本の国土を守るのが正に自衛隊の役目というものかと思いますが、日本の国土が占領されているにも拘らず、自衛隊の出勤が為されないというのは如何なるものかと思います。
そして、何故そうした問題を起こす国と通貨協定を結ぶ必要があるのかというわけで、実効支配を取り除き得ず当該協定すら破棄出来ずに、負け犬の遠吠えのようなことを続けることに一体何の意味があるというのでしょうか(※2)。 そういう意味では、今回「尖閣諸島(中国名・釣魚島)の魚釣島に中国籍の活動家が上陸するなど」した事件で計14人を「入管難民法違反容疑で逮捕」したというのは結構なことではないかと思います(※3)。
一昨年10月、私は「尖閣問題」に関し下記のように呟きましたが、何れにしても自らの国土と自らの国民を自らの軍隊で守るという意識が、日本においては余りにも欠落しているのではないかと思います。
【「尖閣問題」に関する報道を見ていて「一剣を持して起つ」という言葉を思い出しました。こうした宮本武蔵の境涯に到って、人間は初めて真に卓立し、絶対の主体が立つという事で、要は甘え心やもたれ心があっては駄目だという事です。言葉を変えれば「独立自尊」という事だと思います。】(※4)
【これは国の場合でも勿論同じで、一国の安全や防衛を他国に依存しているが故に、阿たり、諂ったり、媚びたりするのです。そのような甘え心やもたれ心を人においても、国においても一切無くす事が非常に大事であると思います。いずれ憲法改正も必要になってくるでしょう。】(※5)
沖縄県を巡る基地問題についても、日本国民がそうした意識を持ち自らの足で立つという真の覚悟があるならば、自らの力で基地建設を行わねばならないわけで、そもそも米国に依存するような話ではないのです。
例えば、同じ敗戦国のドイツは独立後自らの憲法を主体的に創ったわけで、戦後様々な日本弱体化政策を実施してきたマッカーサーによって押し付けられた現行 憲法を、日本は何時まで後生大事に守り続け、日本人が日本人の主体性を発揮し得ない状況を続けて行くのかということです(※6)。
私見を述べるならば、戦後67年を経た今、日本人が日本人の主体性を発揮すべく憲法改正に踏み切って、自らの力で自らの国を守るという国民意識の高揚を図るべき時が来ているのではないかと思っています。
例えば、共産主義国としての東欧諸国が崩壊に至るまで大体70年掛かったように、昔から物事の移り変わりというものは、一世代あるいは二世代ぐらいであるものです。一世代は約30年ですから60〜70年ぐらいで一つの区切りを迎えるのは当然のことだと思います(※7)。
『北アフリカのチュニジアで発生した反政府デモに端を発し,中東・北アフリカ諸国に拡大した「アラブの春」』を例に考えてみても、エジプトのムバラクは一代目、シリアのアサドは二代目、そしてリビアのカダフィについても1969年にクーデターで政権掌握を果たした後、約40年で終焉を迎えているわけです (※7)。
やはり60〜70年程度を一つの区切りとして世の中は大きく変わって行くのであろうと思いますし、その変わり方というのは何れの国においても主体性を取り戻すということなのであろうと私は考えています。≫(北尾吉孝日記)
北尾氏の云う「独立自尊」筆者がよく使う「自主独立」国体として見た場合は似たような意味合いである。筆者は、戦後の敗戦国・日独伊の歴史的経緯をざっくりと俯瞰しているのだが、絶対的違いがふたつ、日本と独伊を対比した場合とでの相違点を認識している。ひとつは直に戦った相手が、日本はアメリカであり、独伊はイギリス・フランス等々であったこと。もう一つが、日本人がアジア人であると云うことだ。この二つの事実は、戦争の経緯を観察すれば驚くほど歴然としている。野蛮で狡猾で物質文明以外の文明を持たない人工国家アメリカには、自然国家にはない独特の精神と云うか、“作られた魂構造”が存在し、その構造は一定のメカニズムで作動する精緻にして危ういなにがしかを有していると云う点だ。
このようなアメリカと云う国家と戦を行い、B29の無差別殺戮絨毯爆撃を行われ、挙句に、原爆投下でボコボコにやられ、無条件降伏でひれ伏したのだ。そうして、アメリカに直接占領支配されたのだ。この事実を我々は強く確実に認識したうえで、対米と云う問題を考えなければならないのだと思う。何も米国に刃向かえと主張はしていない。歴史的事実認識抜きに、展望などあるわけがないと言っているだけだ。人工国家と云うのは、感覚的な答えだが、危険な国家なのだろうと思う。アメリカ、豪州、イスラエル等々である。国家が存在する、その地において営々たる民族の歴史がなく、歴史を自ら作り出した国家には、本来民族が持つ、血が通う矜持やイキザマがあるのだが、それが貧弱だ。ここが怖い。
戦後、中韓及びロシアと日本の関係には、常にアメリカが介在していた。如何にも正義の使者・ホワイトエンジェルの如き面構えで、我々を猫なで声と恫喝で行司役として登場した。勿論、今もその関係は変わっていない。むしろ強化されているみるべきだろう。これが“敗戦国の運命”と達観すれば、それまでなのだ。 この戦勝国、敗戦国の支配関係を狂わせたのが”東西冷戦構造”なのだが、この構造が日本の経済発展に大きく寄与し、日本と云う国体及び国民に、一時の幻想の繁栄を与えてしまった歴史上の現象の副作用のようなものが、国家国民の原点を暈してしまったという歴史の皮肉も加わる。ゆえに、日本人の独立意識は彷徨っているのではないのか?
筆者の理性は、国際外交の筋道から行けば、その通りなのだろうと理解する。第三次世界大戦が起き、日本が戦勝国にでもならない限り、永遠に続くのかもしれない。否、もう一つ、素晴らしき道はある。米国が自ら没落していくのを待つと云う、消極的だが穏便な方法もあることはある。しかし、今夜のコラムでは、敗戦国は何時までも、戦勝国の支配が及ぶのだなと理解する。
それに対して、心情は一切この考えを拒否する。此処が悩ましいのだ。自主独立と云うものには、相当の覚悟が必要だ。穏便な方法を選択しても、経緯は陰険なものになる。噴き上がる右翼系保守の人々、その勢いを利用しようと云う政治家も、戦勝国アメリカの支配枠の中で騒乱している趣きだ。彼らが、真に独立自尊の精神を持つのであれば、“アメリカはだけは別だ”は成り立たない。
敗戦後60有余年が過ぎ、北尾氏のいう通り、権力の支配構造が崩壊しても良い時期が来ているのだが、なかなか、歴史的見地から予想できる支配構造の崩壊が起きそうにない。我が国では、例外的に起きない国と云うことかもしれない。もしかすると、敗戦と戦後統治の中で、日本人が変質したのかもしれない。現時点では、あくまで勘に頼るのだが、米国の戦略的支配のメカニズムが、彼らの予想を遥かに上回って働き、何ひとつ手出しをしなくても、勝手に被支配国が“戦略的支配のメカニズム”の中に飛び込み、且つ、心身ともに馴染み切ったのではないのだろうか。今夜のコラムは、思いつくままのものなので、読み流して頂いて結構だ。それでは、オヤスミナサイ!
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