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株式日記と経済展望
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http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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内閣総理大臣、さらには遺族会の声に出さない悲願である天皇陛下の
参拝ができないのは政治の怠慢に他ならない。 上杉隆
2012年8月19日 日曜日
◆結局何も変わっていない、進歩を止めた日本――靖国神社で迎えた67回目の終戦記念日 8月16日 上杉隆
http://diamond.jp/articles/-/23336
終戦記念日、今年も靖国神社には多くの参拝客が訪れた。67回目の夏、筆者にとっても1999年以来、13回目となる靖国参拝であった。
直前には、李明博韓国大統領の「竹島上陸」や、きのう15日には、中国の活動家たちが尖閣諸島への上陸を企て逮捕されるなど、日本を取り巻く環境は、俄然、騒々しくなっている。
そうした中での終戦記念日、だが、靖国神社の風景そのものは、例年とさほど変わらないものだった。
午前中には、到着殿から入った古賀誠遺族会会長以下「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバー55人が今年も参拝を行なった。
その中には、羽田雄一郎国土交通大臣も含まれ、民主党政権になって初の現職閣僚の靖国参拝がようやく実現した。
確かにそこは少しばかりの変化といえる。だがそれでも、小泉純一郎元内閣総理大臣の参拝時のような熱狂はなかった。
安倍首相も、野田首相も
政治家はみなこうなのか
さて、筆者自身も例年と同じく、参拝後に、第二鳥居脇、大手水舎横で恒例となっている「チャンネル桜」のインタビューに答えた。
「内閣総理大臣、さらには遺族会の声に出さない悲願である天皇陛下の参拝ができないのは政治の怠慢に他ならない。麻生元首相が『日本を考える夏』と宣言してから何年経ったのか。そもそも、小泉政権時代の2005年、野田首相自身が政府への質問主意書の中で、『靖国問題で戦争犯罪人はいない』と宣言し、参拝を迫ったではないか」
野田首相は靖国問題の解決に目を向けるどころか、他の首相と同じように逃げる姿勢に転じたのだ。結局、政治家はみなこうなのか。
首相就任前、靖国参拝に対して勇ましかった安倍首相も、野田首相も、政治家としての信条はその程度なのだろう。
さて、靖国神社でその後、筆者は何人かの参拝客の声を集めた後、境内の木陰に移動し涼をとった。携帯のワンセグでテレビをつけると、ロンドンオリンピックの日本選手団の解団式の映像が飛び込んできた。(後略)
◆東日本大震災が起きたのも靖国神社のたたりであり、300万の英霊が、天皇陛下および総理が参拝してくれないことに怒っているのだ。 2011年6月5日 株式日記
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/653.html
(私のコメント)
靖国神社は、麻生氏が記事に書かれているように神社と名前が付けられていますが、「元来靖国は、記紀伝承の神々を祀る本来の神社ではない。伊勢神宮以下約8万の神社を束ねる神社本庁にも属したことがない。」と指摘していますが、そのとおりだと思う。つまり靖国神社と名乗るから問題がこじれるのであり、『戦死者を祀る「東京招魂社」として生まれた創建時の趣旨に復する』ような国家追悼施設とすればいい。
そもそも長年続いた自民党政権が野党に転落した原因は、時の総理の麻生太郎が8月15日に私人の形でも靖国神社を参拝しなかったためであり、もし麻生総理が8月15日に靖国参拝していれば、8月30日の総選挙では麻生内閣の自民党は大敗することはなく、なんとか政権を維持することが出来たのではないかと思う。株式日記では2009年8月13日に次のように書いた。
私自身は先祖崇拝するものであり、天皇崇拝するものではない。本来ならば先祖を祀る主催者であるべき天皇陛下が靖国神社の行幸されないと言うことはあってはならない。毎年8月15日に武道館で行なわれる追悼式に天皇及び総理大臣が「偽りの儀式」をすることに私は強い怒りを覚える。300万の英霊は「靖国で逢おう」と言って死んでいったのであり、「天皇陛下万歳」と言って死んでいったのだ。
天皇家は日本人の祖先を祀る主催者であり神ではない。それを大東亜戦争では天皇陛下を神としてみなしたから負けたのであり、大東亜戦争に負けたのは天皇を神格化させたことが原因なのだ。だから戦前の軍服を着た天皇の姿にも違和感を感じるし、神社でお払いをする総本家が天皇家のはずだ。
厳密に言えば、皇室神道と神社神道の二つの流れがあるのですが、明治時代に二つの神道が合流して国家神道になった。「国家によって神社が管理され、天皇縁の神社や国家の要になる神社を神宮と定め、神社にランクをつけた。」 神道は日本国の歴史と共にあるから、神道の御神体は「アマテラス」と言うように太陽が御神体であり、太陽神の一種である。
東日本大震災と言う大地震とそれに続く大津波は、御神体である太陽の怒りであり、太陽の怒りが地球の電磁波に影響をもたらして三陸沖の地盤が動いたのだ。アマテラスの怒りを納めるには300万人の英霊を祀る靖国神社に行幸されることが天皇陛下の役割であり、総理大臣も日本国民を代表して靖国神社を参拝しなければ、国民の不安も収まらないだろう。
国家の成り立ちと神事とは深い関係があり、古代の卑弥呼の時代から変わってはいない。中曽根総理以降の総理大臣で、8月15日に靖国神社参拝した総理大臣は小泉純一郎ただ一人しかいない。これでは日本の先祖の霊もやすまらないし300万の英霊もやすまらないし、たたりを恐れる心が日本国民に生じてしまって東日本大震災が起きたのだ。
だからこそ天皇陛下が靖国神社に行幸されて、先祖の霊とアマテラスの神の怒りを静めなければならない。
(本日の私のコメント)
上杉隆氏は、日頃の言動から左翼かリベラル派のジャ−ナリストかと思っていたのですが、1999年以来、13回目となる靖国参拝してるそうです。靖国神社は300万の英霊が祀られた神社であり、アメリカにあるアーリントン墓地のような慰霊施設なのですが、そこに総理大臣も天皇陛下も参拝されないと言う事は、300万英霊に対する侮辱だろう。
私自身は先祖を崇拝するものであり天皇陛下を神と崇拝するものではない。ところが戦前のいては天皇が現人神として神格化されて来た。その結果、天皇を神として統帥権を振りかざした軍部の暴走で大東亜戦争に敗れた。天皇は現人神ではなく、本来ならば先祖を祀る主催者であるべき天皇陛下が靖国神社への行幸されないと言うことはあってはならない。
靖国問題の根本は、靖国神社を宗教施設と見ているから一部のキリスト教団体などから批判も出ていますが、靖国神社には位牌も遺骨もあるわけではなく単なる慰霊施設であり、日本には88,000社もの神社がありますが、宗教施設と言うよりも先祖の霊を祀る文化施設と見るべきだろう。つまり慰霊塔のようなものであり、神道には教祖がいるわけではなく経典も無い。御神体も鏡だったり山だったり太陽だったりと様々でありいわゆる「宗教」では無い。
確かに天皇が軍服を着て白馬にまたがって軍隊を閲兵するような事は、神道からして逸脱行為であり大戦の敗北と言う天罰を受けた。しかし戦後における靖国神社への行幸をなされなくなり総理大臣も参拝は小泉総理を最後にされていない。安部総理や麻生総理すら靖国参拝をされないから自民党は天罰で野党に転落したのであり、東日本大震災や福島第一原発災害も、天皇も首相も参拝されない事に対する靖国の300万人の英霊の祟りなのだろう。
野田総理も8月15日の靖国参拝をされなかったが、上杉氏は取材に対して、「そもそも、小泉政権時代の2005年、野田首相自身が政府への質問主意書の中で、『靖国問題で戦争犯罪人はいない』と宣言し、参拝を迫ったではないか」と批判しているように、なぜ参拝しないのか理解に苦しむ。中国や韓国が批判するからといって思想信条の自由はあるのであり、遠慮する事は間違っている。今度は300万員の英霊の祟りは東京直下型の大地震によってもたらされるだろう。
◆靖国神社って「戦場で非業の死を遂げた軍人」が祀られている神社ですよね。ってこ...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q117847936
靖国神社って「戦場で非業の死を遂げた軍人」が祀られている神社ですよね。
ってことは、遺族会や自民党の人たちが言っているのとは別の意味で
祀っておかなければマズい神社なんじゃないですか?
典型的な「祟り神」候補ですよね?
日本の国家に祟るか、何に祟るかは判りませんが、とりあえず数万人単位の
祟り神を野放しにしておくのはマズいと、神道的にはそういうことに
なりませんかね?
ベストアンサー
まあ、確かにそういう側面はあるみたいですね。
菅原道真にしろ平将門にしろ、非業の死を遂げた人が祟り神として呪いを振りまいたため宮に封じて祀り善神へと転化させる。
神社が非業の死を遂げた人々を祀っている場合、大概はそのパターンです。
靖国神社も、非業の死を遂げた人々を国が感謝を認定し護国の神として祀ることで祟り神になる事を防ごうという側面があるらしい。
おぞましいのは、この祟り神防止施設である靖国神社を否定し、祟り神を祟り神として晒し者にしようとする人間が存在するということです。
無実の罪で裁かれた戦犯の方々を、今頃になって犯罪者としてあげつらい晒し者に仕立て上げようとする。
正直言って、私には彼らが人間として大切なモノを欠落してしまっているとしか思えません。
自分自身の一時の利益のために、死人に口なしとうそぶいて死者に区鞭打とうとしているのです。
感謝の心を売り払って、彼らは何を得ようというのでしょう。
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