24. 2012年8月21日 23:11:50
: H7ErBtOOq6
●今回の消費税増税、サッカーで言えば、オウンゴールを「決めた」ようなものだ。南米だったら大騒動だ。 投票賛否リストの個人名は、既にネットに拡がっている。次回の選挙はこれを参考にする人が増えるであろう。●消費税の目的を「社会保障のため」と聞こえのよいことを言うが、今までの経緯を検証してみれば、 何のことはない、一般消費者が負担した消費税収入、毎年10兆円が、社会保障に使われることなく、法人税等の減税の財源になっているだけである。 今回の消費税増税も同じことになろう。更に税収に依存している各種利権業界も狙っているのであろう。「原子力ムラ」もその中にあるわけだ。 まず、日本の政治家、経営者をはじめとする「指導層」には、社会における全体最適という思考が定着していない。 一企業、業界のみの利権、一時期(自分の任期のみ、或いは生存期間のみ)の利害のみにしか関心がない。 「原子力ムラ」にも、それは言える。元敦賀市長の「原発誘致により、発電所の事故や放射能漏れの影響で、子孫に片端が出るかもしれないが、 そんなのは関係ない。」と発言したことにも端的に表れていよう。こうした低質な思考が、殊に原子力ムラ内に蔓延しており、 それが、今回の福島原発事故の災厄につながったとも考えられる。事前の事故対策の甘さの背景の根本原因がこのような意識の低さにある。 今問題になっている消費税増税も、原発事故も、日本社会の歪みが根本的には原因にあるということだ。根は同じだ。 ◎さて、ここで更に消費税の話を突っ込んで考えてみることにしよう。 日本では消費税課税を食品や日常品にもしているが、これは世界でも珍しい。 1億人の継続的な毎日の生活に対する消費マイナスの級数的波及・乗数効果は大変大きい。 ◎この1億人、毎日(年間365日)、継続ということから、負の乗数係数が、相当なものになるであろうことは容易に想像がつく。 例えば、年間200万円を消費する人は、税込200万円では、内約10万円が消費税(税率5%)になる。実質の消費額は190万円である。消費税がなければ まるまる200万円使えたわけだ。差額の10万円は、知らず知らずのうちに無くなっているようなものだ。この10万円で、何ができただろうか? 消費税がないときには何に使っていただろうか?外食かもしれないし、娯楽や教養に使っていたかもしれない。あるいは電化製品か・・・。 人により消費額は異なるが、赤ん坊から、お年寄りまで均して、1人年間10万円として、1億人に乗じれば、10兆円になる。ぴったり年間の消費税徴収額だ。 ●これを各事業者の立場から見れば、消費税分は売上減になってしまうということだ。先の例で言えば190万円の売上で、10万円は売上減となる。 (10万円の消費税は、仮受消費税として、いわば納税まで預ることになる。) また、今度は、各事業者は仕入額も売上減に対応して、減らすことになる。例えばスーパならば、食品メーカーへの発注も減ることになる。するとメーカーは、 マイナスの生産調整をする。これが恒常的に続くと、設備投資も減らす、人も削減することになる。 食品は、生活の根本であるからまだしも、文化・教養・娯楽関連の消費額の減少はより顕著であろう。 これが、日本のあちこちで波及的に起きた訳だ。需要の縮小、収縮である。 ◎つまり、10兆円の消費税額=本来は消費することが出来た額=本来は売上となった額 だ。 この10兆円は、一人一人の生活のための資金だったということだ。それだけでなく実需であった。この需要によって、生産財の製造業者から流通業者、 あるいは、まず節約の対象となるであろう娯楽や教養関連の事業者等々の収入源になっていたわけだ。それが消滅してしまったわけだ。 結局、消費税によって、自由な、溌剌とした民間経済が犠牲になってしまったということだ。 ◎このように、根本的な問題は、消費者の消費活動が殺がれ、殊に生活関連産業における需要基盤が損なわれることにあるのである。 (結局これはすべての産業に最終的には影響を及ぼす。) すなわちこれが、デフレスパイラルの主因である。「失われた20年」の要因でもある。社会の歪み、不安の原因にも関係する。 消費税が導入され、その需要に対する負の低減乗数効果により、どれだけの企業が倒産したか。企業の業績悪化でリストラが増えたか。 景気低迷が引き金となった犯罪が増えただろうか。 ◎思い返せば、消費税導入時は、国民各層の強烈な反対にあい、範囲を縮小、或いは部分的に繰延実施となったが、この点の時期的ズレを補正してみれば、 消費税と経済環境や指標の低迷との相関関係を確認できるであろう。 ゴンドラチェフの波にあるように景況は波を打つ。しかし、生活をする人がいて、そこからの需要が底堅い場合は、必ず回復局面に向かう。 ところが、生活者の消費を削いだ状態が、継続していれば、国内需要が減っているのであるから回復局面に向かわないのは道理であろう。 10兆円の消費税を毎年毎年ピンハネされているようなものだ。この分の自由な消費がないのだから景況に与える影響は大きい。 しかも価格弾力性の高い食品や日常品への課税であるから、経済への負の乗数効果が一層大きくなる。 ●このように原因と結果を考えれば、景況を元に戻すためには、消費税課税を廃止することが道理であり、日本の復活につながるカギであるということは簡単にわかるであろう。 もっとも、すぐに廃止できないのであれば、あくまでも廃止に向けた一里塚として、まずは税率1.5%、課税範囲の縮小(これはそもそも平成2年3月の政府修正案にあった話である。但し衆議院可決、参議院審議未了廃案) を行ってもよい。とにかく日本における「消費税」は性質が悪い。縮小しつつ最終的には止めるべきである。 ●消費税の縮小・段階的な廃止によって、基盤となる消費が回復し、需要の増加が企業の業績向上、設備投資に回り、ひいては雇用にもつながる。 結局、所得税、法人税が伸び、消費税減税の分を上回ることになろう。 経済状況の好転により、社会不安やそれへの対応としての社会的な経費の減少もあろう。 最終的には、総合的な財政収支は、消費税導入時に較べて、プラスとなる可能性が高い。(まったく消費税は意味のない制度だったということである) 年金を始めとする高齢化社会向けの経費は、この余剰を備えとして積み足していけばよい。 (もちろん資金の流用、不正が起きないよう透明な制度・管理が不可欠なことは言うまでもない) ●また、基礎となる需要の回復に伴い、良い意味での競争が促進され、より新しい商品、技術が増え、社会全般の生活の質が向上することになろう。 文化、教養、娯楽への出費も増えよう。このような望ましい連関が経常的に続くようになれば、それは社会意識の変革にも影響を及ぼそう。 例えば、更なる発展と新しいものに挑戦する風土、それを称賛するような気風が醸し出されてこよう。 ◎文化の話が出たが、これについて言えば、中世では音楽家は貴族というパトロンが支えていた。 しかし、この大衆時代では、その役割は、一般大衆(Ordinary people)ということになろう。 芸術、芸能、学芸等々すべて支えるのはOrdinary peopleなのである。 当たり前と言えば当たり前だが、問題は、一般消費者の自由な消費活動に課税をすることは、まわりまわって文化の育成にもブレーキになるということである。 ●世界中を見ても消費税がない国の方が、民衆にとって結局まともな経済運営になるのである。USAしかりスイスしかり。 また、一般大衆の需要を最大限に引き上げることは、良い意味での供給サイドの努力、競争を引き出す。i-phopne,などもそのような背景から生まれたと言える。 面白い芸術、芸能、音楽なども拡がる。それが民衆の広範な実需を基に支えられているからだ。 結局、消費税の本質は、一般大衆にとっての文化や科学技術の発展を削ぎ落し、結果的に国富を減らし、ごくごく一部の、 何の創造性も発揮していない、単に制度にしがみつく層のみにとっての益としてその大部分が浪費されるしかないのである。社会資源の非効率配分を助長するとともに 、つまらない社会を生み出すだけである。 ◎繰り返すが、消費税は、実需要を削ぐため、マイナスの乗数効果を生む。そうすると法人の業績が下がり、「法人税を下げよ」との合唱がされ、それをやる。 しかし、根本の実需が消費税課税の影響で落ちているのであるから、本質的な解決にはならない。これが消費税の持つマイナスの乗数効果の恐ろしいところである。 結局、安泰なのは、公共セクター位なものである。また、公共セクターは「お役所仕事」に代表されるように効率がとかく悪いのは事実である。地方自治から、国の機関まで 日本の場合、政治との癒着による公共事業を狙う輩もいる。また日本ほど特殊法人を含めて、行政経費のかかる(主に人件費)国も珍しいだろう。 その財源を確保したいと言うのが、推進者にとって、隠された消費税増税の本願なのであろう。 残念ながらこの関係をチェックするメディアや仕組みも実質的に機能していない。消費税は、「国民の生活が台無し」になるだけである。最終的には廃止すべきである。 ◎少なくとも、まずは選挙により、議員を入れ替え、消費税増税法案を撤廃する。これは当り前であろう。次に、食品や日常品等の課税をなくすこと。 日常の実支出に課税されているのだから、消費税減税分の限界消費性向は限りなく1、乗数効果は、ほぼ100%であろう。 10兆円が呼び水になり、効果は文字通り「乗数的」に大きい。 そもそも消費税導入からの税収累計分とほぼ同額が、法人税減税、一時的には所得税減税にも回されていたのだから、何の痛みも伴わない。実質、即収支プラスである。 当然これで確実に景況が上がる。個人消費が増えれば、企業の業績も伸び、そうすれば株価にも反映されよう。外国からの投資も増えよう。 設備投資や雇用、賃金増にもなろう。まわりまわって所得税・法人税も上がる。現在の「負の循環」から「正の循環」への転換である。 ここで更に大事なのは、同時に公共セクターの効率化にメスを入れ、使途の透明化も図り、従来のばらまきを阻止することを併行して行うことだ。 バブル期の「ふるさと創生」というばらまき(余談だがこの時の余剰を金塊の購入にでも充てていれば、現在は5倍以上の価値になっている)や、都庁の「バブルの塔」 に象徴されるような愚行は回避することだ。過去から学習をするのが人間だ。 このような「正の循環」により、はじめて所得税・法人税減税や、年金原資も確保できる。 また科学技術や芸術など創造的分野に投資をし、更なる発展に資することも今以上に出来よう。 (勿論、単にお金を投資すればよいというわけではない。これにアイデアが加わらないとならない。) |