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週刊ポストは、私は以前は良く買っていました。近頃はほとんど買っていませんが、ふと、今週号(8月31日号)を買ってみました。以前、買っていたときから、絶対に読まない、曽野綾子氏の連載をふと読んでしまいました。
曽野綾子氏の「昼寝するお化け」という連載。なんと「好評連載○ESSAY−−−492」。なんと492!私からすれば、右翼・左翼ともキライではないが、下記の様な、意味不明、支離滅裂、論理飛躍、牽強付会なエッセイを492回とは!(私の頭が悪いせいもあるのでしょうが)まずは読んでみてください。(原文は2ページですが、理解に苦しみ、書き起こしがつらく、大幅に省略致しまた。※は筆者注)
「次善を選ぶ」
オスプレイ(ミサゴ)という名の、初めて見るスタイルの軍用輸送機について……』・・・・(中略)政府側も、受け入れなければならない立場の人たちも、共に、この世ではなかなかあり得ない状況を要求しているのであるそれは「安全を確認した上で」ということである。
地上を移動するものは落ちないが、空中を飛ぶもので落ちないものはない。飛行機に乗りさえしなければ、飛行機に乗っていて死ぬことはない。
しかしその危険を負担しないと、私のように世界百二十数ヶ国を見るという人生の贅沢はできない。
百パーセントという確率を支配できるのは、神か悪魔だけなのである。 国家は本来、国土を自分の力で守るほかはない。
原発の存在も同じようなものだ。
(※唐突にこのフレーズが出てくるが100%安全なものは無いから、原発も必要だと言い、次の話しに繋げているのか?)
東日本大震災の起きる前、地球温暖化を防ぐために人間の道義上の義務のようなものが声高にうたい上げられ続けてきた。
焚き火もC02を出すからダメ。しかし私の旅した広大なアジア大陸でもアフリカ大陸でも、何十億という人が電気もガスもない土地で、薪を燃してずっと日々の食事を作り続けているのだ。長い間水力発電所もやり玉に上がっていた。「もうダムは要らない」「八ッ場ダム建設中止」が聞かれたのはつい先頃のことだ。
ここのところ、週末毎に行われている総理官邸周辺のデモに私は行かないが、教えてほしいことがある。
「焚き火も、化石燃料も、原発もダメならば、明日からどうしたらいいのか」ということだ。
(※3つを並列にする、ここに論理の飛躍というか、支離滅裂というか、読むほうも、訳がわからなくなってくる)
デモの指導者の一人、坂本龍一氏は「たかが電気」と言われた。
(※代々木公園で「たかが電気のために、なんで命を危険にさらさなければいけないのか?」の発言)
氏の音楽が大衆の耳に届くのは、エレキバンドを通してではないのか。
しかし電気は偉大だ。
(※幼児並みの論理というか、難癖というか・・・がここから延々始まる)
医療の世界では、電気は命そのものだ。手術室は必ず予備の電源を備え、救急車は電話によって出動する。人工呼吸器も停電になったら終わりだ。 金融システムも交通網も、電気によって死命を握られている。もっとはっきりしているのは、民主主義も電気によって守られていることだ。電気のない国で民主主義を完成し、継続している国は世界中に一国もない。最善ではなく賢く次善を選ぶことに我々は馴れなくてはならない。
(※結局最後にタイトルにした、これを言いたかったのだろうが、彼女の思考回路が良くわからない)
以上
※コメント
曽野綾子氏は大江健三郎氏の『沖縄ノート』批判というより、誤読で山崎行太郎氏から、完膚なきまで、誤りを指摘され「耄碌したのか」とまで言われている。
文藝評論家・山崎行太郎の政治ブログ「毒蛇山荘日記」
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071118/p1 2007-11-18
曽野綾子の「誤読」から始まった。大江健三郎の『沖縄ノート』裁判をめぐる悲喜劇。
曽野綾子誤字誤読事件(以下略)
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