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私たちは「侮辱」の中に生きている 呼びかけ人:大江健三郎さん(作家)
さようなら原発1000万人アクション2012年7月16日
http://sayonara-nukes.org/2012/07/120716hatugen/
私たちは「侮辱」の中に生きている 大江健三郎さん(作家)
大江健三郎です。小説を書いて生きてきた、七七歳の人間ですが、昨年九月、明治公園の集会に参加して、はじめての経験をしました。
六万人を越える市民が集まりました。しかし、それは群集という印象ではありませんでした。ひとりひとりの、注意深い市民の、個人の意志による集会だと感じました。
そのしるしに、今日も出て来ていられる大勢の方がたが記憶していられるでしょう。
東北からのひとりの女性が、静かな声で話されるいちいちが、私らの胸に、私らの魂の深みに、しっかりとしみこみました。
私は、さようなら原発の運動は勝つ、と信じました。
そして私は、七百五十万を超える署名を持って首相官邸に行く一行について行ったのです。それを受け取っての、官房長官の返答は、「首相のいうことを聞いてください」というものでした。そして翌週、私は首相の、大飯原発を再稼働するという決定を聞き、原発は再稼働されました。
正直、私は落ち込みました。こういう時、私には文学しかありません。
落ち込みは長くなりそうで、私は中野重治という、自分のいまの年齢まで生きて、大きい仕事を残した作家の、全集を読み始めました。中野さんの初期の短篇に、『春さきの風』があります。
戦前の、民主主義のカケラもなかった時代の小説です。
中野さん自身がモデルですが、若い作家が勇敢な仕事をする。かれは逮捕され、奥さんも留置場にいれられます。生まれて八ヵ月の赤ん坊を見てくれる人はなく、奥さんはその子を連れて、保護檻という所に入ります。寒い盛りで赤ん坊は病気になり、死んでしまいました。
冬の続く間、ずっと留置されたままの夫に、ひとり家に帰った奥さんは手紙を書きます。小説を引用します。
もはや春かぜであった。
それは連日連夜大東京の空へ砂と煤煙とを捲きあげた。
風の音のなかで母親は死んだ赤ん坊のことを考えた。
それはケシ粒のように小さく見えた。
母親は最後の行を書いた。
「わたしらは侮辱のなかに生きています。」
それから母親は眠った。
なによりこの母親の言葉が私を打つのは、原発大事故のなお続くなかで、大飯原発を再稼働させた政府に、さらに再稼働をひろげて行こうとする政府に、私はいま自分らが侮辱されていると感じるからです。
私らは侮辱のなかに生きています。
いま、まさにその思いを抱いて私らはここに集まっています。
私ら十数万人は、このまま侮辱のなかに生きてゆくのか? あるいはもっと悪く、このまま次の原発事故によって、侮辱のなかに殺されるのか?
そういうことがあってはならない。そういう体制は打ち破らなければならない。
私らは政府のもくろみを打ち倒さねばなりません。それは確実に打ち倒しうるし、私らは原発体制の恐怖と侮辱のそとに出て、自由に生きていくことができるはずです。
そのことを私はいま、みなさんを前にして心から信じます。しっかり、やりつづけましょう。
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