http://www.asyura2.com/12/senkyo134/msg/359.html
Tweet |
谷岡くにこと「みどりの風」の仲間たち(2012/8/7) 参議院議員 谷岡郁子
参議院議員 谷岡郁子(タニオカクニコ)
谷岡チャンネル.com
http://www.taniokachannel.com/katudou.html
8月7日、新会派「みどりの風」のメンバーが名古屋に集まり、街頭演説と意見交換会を行いました。
集まっていただいた方々に感謝いたします。
国会では、内閣不信任や問責が出されたため、参加予定であったこうだ邦子さんが急遽東京に残ることとなり、亀井亜紀子さんと舟山やすえさんとの3人での開催となりました。
名古屋駅前で街宣活動を行った後、名古屋駅近くの貸会議室で「谷岡くにこと『みどりの風』の仲間たち」と題した意見交換会を開催、約250名の方々に集まっていただきました。
2時間という限られた時間の中でしたが、「みどりの風」の基本的な考え方を紹介し、
参加者の方々と有意義な意見交換ができましたが、それでも、まだまだ言い足りない方も多いかと思います。
手を上げていただきながら、発言できたなかった方には申し訳なく思います。
谷岡くにこもみどりの風のメンバーも、今後とも皆さんといっしょに歩んでいきますので、よろしくお願いいたします。
離党ならびに新会派結成について(一部略)2012/7/17参議院議員 谷岡郁子
・・・・なぜ今、新会派なのか
昨年の東日本大震災、とりわけ東電福島第一発電所の原発事故は、日本人の中に新たな政治的意識の変化をもたらしました。
政府や東電に翻弄されてきた被災者のみなさんをはじめ、多くの国民が政府や大企業を中心とする既存勢力の情報隠しや操作を目の当たりにし、これまで持たなかった疑問を感じると共にソーシャル・ネットワークを通じて繋がってきました。
この国民の覚醒は1年余りで国民自身の当事者意識、すなわち主権者意識に育ってきていると思います。
今、毎週金曜日の夕方に官邸前を目指して、10万分の1になろうと集まってきている人々は、その大半が無党派と呼ばれる人々であり、これまでは「政治的」であることを避けてきた人々だと言われています。
人々は、今の政治に怒っています。しかし、ただ怒っているのではありません。今、政治を求めているからこそ官邸前に集まるのであり、声を上げているのです。そして、政治が変わることを主権者として要求しているのです。
私は、この新たに巻き起こって来た国民による民主主義の流れの中に身を投じたいと思います。この新たな目覚めを真正面から受け止め、政治家として日本の新たな政治のあり方を模索し、人々と共に真の国民主権、そして民主主義を創っていきたいと思うのです。
大それた願望かもしれません。でも、皆さんの応援を得て政治家になったものとして、真っ直ぐに理想を追求したいと思います。・・・・
残念ながら、既存の政党の枠組みや、党利党略を主体とした永田町のあり方からは、生まれつつある国民の動きに呼応していくことはできません。
これからの時代の政治の然るべき形は、新たな動きの中に政治家自身が飛び込んで、人々と対話し、共に行動していくことの延長線上に創られていくのだろうと考えます。その為に、これまでの永田町的な伝統文化の延長上にはない、会派を創ろうと考えたのです。
3.11以来のこの国の状況の中で、そして原発をめぐる政治状況の中で、志を共有する同僚が互いを必然的に見つけ合い、話をするようになりました。
そして、ほぼ同時に新たな会派の必要性を確かめ合うことになりました。
参加する4人の議員がそれぞれ自分一人で静かに考え続けてきたことが、ある日、時が熟したということだと思います。全員が女性だったのは偶然なのですが、ひょっとすると、より生命にこだわるという意味では偶然ではないのかもしれません。
私たち4人は基本的に日本が目指すべき社会像の理念や政治的な姿勢等、政治家としての基本的なところで一致しています。
共に2007年初当選の同期生として同じ会派に属し、共通の体験をしてきた仲間でもあります。この1年余り、私自身は東電原発事故の影響と対策を中心に仕事をしてきました。
全く法的にも予算的にも、また体制的にも準備のなかった事故に対し、やるべきことは膨大であり、いくら勉強しても追いつかない状況でしたが、とりわけ被災者の方々の置かれた状況を改善するための仕事には心を砕いてきました。
私の地元秘書の一人は、この1年、地元よりも福島にいることの方が多いのですが、現場で私の目になり、耳になってくれて、この情報をもとに仕事を進めてきました。
その成果が、最終的に与野党の協議でまとめた「子ども・被災者支援法」であったと思います。
これをつくる過程で常に私が考えていたのは、被災者のみなさんにこの国の主権者であり、自らの生活の主体であることをお返ししたいということであり、子どもたちに子どもらしさを返したいということでした。
同時に、50機も原発がある国で、これは誰にでも起こりえることだということでした。与党の議員であるが故に、政府が、官僚が国民の生命や主権よりも責任回避や体面を重んじることもつぶさに見て来ました。
事故発災の当初から、子どもたちを避難させるべきであることや、飯館村には速やかな避難が必要なことを知りながら、与党の議員としての政府との関係の中で、私は、党内、政府に働きかけることはしても、知る権利のあった人々にその情報を伝える事はしませんでした。そのことを深く悔いています。
何よりも、国民の代表としての立場を重んじるべきことで、与党だからという理由で、不合理なこと、非常識なことがまかり通っていく事実は、この1年余りの私につきまとい続けた問題でした。
今、この国で起きているのは、わが民主党の政府によって、原子力「安全神話」の第2幕が始まったということだと思います。
科学的な冷温停止とは似ても似つかない「冷温停止状態」や何が収束したのか不明のままの事故収束宣言、そして事故の反省の無いまま強行された大飯原発の再稼働における「安全」は、危険な被ばくを受けながら現場で作業し続ける人々や、困難な生活を強いられている被災者、そして避難途中で亡くなられた人々への冒涜であると思います。
しかし、党内で仲間の議員たちとどれほど頑張っても再稼働を止めることはできませんでした。
このまま自らを偽り続けることなく、真っ直ぐに意見を同じくする仲間たちと共にこの問題に取り組みたいと思います。
民主党について思うこと
多くの先輩たちが、政治に足を踏み入れた時には別の党に所属していました。しかし、今回離党することになった私たち3人の女性議員は全員が2007年当選組で、最初から民主党の議員でした。民主党だから、出馬を決意しました。
共に政権交代を目指して働き、野党から与党になりました。第一歩から、先輩議員たちに手取り足取り指導を受けて、国会の仕組み、議員の仕事を学んできました。
そして、それは5年間に亘る日本の政治の激動の時代でもありました。
本当に様々な経験をさせていただいて、やりがいのある仕事をさせていただいて、幸せでした。
尊敬する先輩や同僚議員のたくさんいる党として愛着もあります。
何より、地元で民主党を支援してくださる、本当に多くのすばらしく善良ですばらしく誠実な皆さんと知り合うことができました。
いくつもの選挙等を通じて共に活動させていただきました。感謝しています。
この思いは、ずっと変わらないと思います。
その一方、民主党は、政権交代の後、これを支援してくださり、投票してくださった国民の期待に応える与党にはなれなかったという思いが強くあります。
圧倒的な無党派の人々の支持を得て政権を得たにも関わらず、これらの人々と然るべく繋がり、この人々の期待に応える党の仕組みやマネジメントを構築することには成功しなかったと考えています。
微力ながら、中から変えるための努力はそれなりにやってきましたが、変えるための力にはなれませんでした。
優れた才能、善良な政治家が多くいるにも拘らず、その多様性が生かされないで、互いに相殺し合っている状況から今日の民主党の状態が生まれたと感じます。
現在の民主党は、その名にも拘らず、民主的だとは思えません。とても残念です。
そしてこの民主党が税と社会保障の一体改革において自公との三党合意を行い、実質的な連立体制を組んでいることは、「政権交代」の旗を降ろしたに等しいことだと思います。
なぜ、今行動を起こすのか
渦のただ中にいる者が、正しい時を判断することはとても難しいことだと痛感しています。
しかし、今回の行動とタイミングについては、共に新会派を組む仲間と相談の上、決めました。
「一体改革」の採決前に態度を明らかにすることに決めたのは、7月9日の予算委員会と7月10日に始まった本会議質疑において、野田総理が衆院採決で大量造反者を出したことを野党から責められ、参院では、同じ事が起きないという約束を迫られ続けたことが最終的な決意をうながしました。
離党してから反対する方が党に対する迷惑は少ないと考えました。
私は、「一体改革」法案に賛成することはできません。
理由は大きく分けて2つあります。
第一に、税収が伸びないのは労働分配率が下がり続け内需が伸びないからであり、必要な構造改革ができていないこと、
そして証券取引税の優遇措置や所得税、輸出する大企業にのみ有利に働く消費税の還付などが見直されずに消費税の増税に踏み切る事になることです。
第二に一体改革といいながら、社会保障については「国民会議」に丸投げされて中身が決まっていないということです。
私は、国会こそ、国民が直接委員を任命した国民会議だと考えます。
国民の任命した代表が決めるべきことを他者に丸投げすることは、責任放棄であり、自己否定、国民主権の否定だと考えます。
本来であれば、三党のみの合意によるのではなく、少数党も参加した与野党協議で丁寧な合意形成を図ることが憲法の理念だとも思います。
繋ぐ政治を目指したい
どの党にも素晴らしい人がいる。どの党にも耳を傾けるべき意見がある。
これが、この5年間の私の結論です。この1年間近くをかけて、私は民主党の原発事故収束対策プロジェクトチームを通じていくつかの新たな法律づくりに携わってきました。
放射能ガレキへの対応、国会の原発事故調査委員会の設立とそのための立法、そして私自身が中心的な役割を果たした原発事故被災者のための子ども・被災者支援法。
どれも超党派の協議、協力が無ければ実現しなかっただろうと考えます。うまく繋げることができるとき、国会は有効に機能し得るのだということを、身をもって学びました。
同時にこれは、少数の例外的な例であって、大半の政策については、党利党略の駆け引きで本質が見失われることが多いこともまた事実です。
連携し協力することと、徒党を組み密室で談合することは、似ていますが、まったく違うものだと私は考えます。
これからは、小さな会派として、有機的に情報や人々を繋げ、党派間の連携や協議のために働きたいと思います。
国会の、新たな合意形成のために働く所存です。何よりも、国会が本来担うべき役割とその手法を考えるという意味で、良識の府たる参議院の改革を提言していきたいと考えます。
どうか、以上に述べました私の思いをご理解いただきますようにお願い申し上げます。
皆様のこれまでのご支援に心から感謝申し上げると共に、私の考えに賛同していただける皆様には、今後ともより一層のご支援をお願い申し上げます。
参議院議員 谷岡 郁子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B2%A1%E9%83%81%E5%AD%90
1954年5月1日(58歳)
出身地大阪府出身校神戸芸術工科大学大学院 修了
学位・資格博士(芸術工学)
前職 至学館大学学長
所属委員会文教科学委員会委員
選出選挙区愛知県選挙区
当選回数1回
所属党派民主党→ 無所属(みどりの風)
党役職 愛知県参議院選挙区第4総支部長
ウェブサイト谷岡チャンネル.com http://www.taniokachannel.com/katudou.html
略歴 [編集]
祖父は大阪商業大学創設者の谷岡登、父は元谷岡学園総長・元大阪商業大学学長・神戸芸術工科大学創設者の谷岡太郎。弟は谷岡学園理事長・大阪商業大学学長の谷岡一郎。
1979年、オンタリオ州立トロント大学文理学部卒業。1986年、中京女子大学学長に就任。1998年、神戸芸術工科大学大学院芸術工学研究科修了。
2007年7月29日、第21回参議院議員通常選挙に、民主党公認(国民新党推薦)で愛知県選挙区から出馬し、初当選。
2012年7月17日、亀井亜紀子、民主党を離党した行田邦子、舟山康江各参議院議員と共に、新会派「みどりの風」を結成することを発表した。新会派の方針として、「原発ゼロ社会」「反TPP」「本当の意味での一体改革」「国会改革」を進めていくとした[1]。
小沢一郎との関係 [編集]
2006年6月6日、小沢一郎と国会で面談し、出馬の意向を打診されるが、民主党県連が希望者を広く募る選考方法を決めたことに反発。「応募しない」とする記者会見を開いた[3]。しかし、小沢の説得により、8月24日に小沢同伴の記者会見を開き、民主党から出馬することを表明した。
2009年3月12日、いわゆる「西松建設献金事件」で小沢一郎の公設秘書が逮捕されると、党本部に駆け付けて小沢を激励し、民主党の代表を続投するよう直訴した[4]。
2010年2月12日、収支報告書への誤記事件でマスコミの厳しい批判を受けていた小沢一郎幹事長を激励するため、バレンタインチョコレートを手渡した[5]。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK134掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。