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“政治主権のボール”は国民の手に戻る 入念に似非代理人の汚れを拭い、紐付きで渡してやろう
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2012年08月11日 世相を斬る あいば達也
取り敢えず「社会保障と税の一体改革」法案が、民自公3党の意味不明な合意で昨日成立した。そもそも、日本の財政赤字の公正公平な分析もないまま、財務省とマスメディアの既成事実化誘導に、政治が呑まれたと云う事だろう。 このような法案が通過してしまうこと自体が奇怪だが、これが民自公と云う既成政党の実態と云うことなのだろう。
野田佳彦は、財務省にしてみれば“飛んで火にいる夏の虫”だったのだろう。財務省は当初、野田佳彦が政権与党民主党の代表になれる玉だとは思っていなかった。ところが、最も力のある小沢一郎は党員資格停止で動きは取れない。小沢に纏わる一連の捏造事件、法務検察と財務省が組織だって、全体のシナリオを描いたかどうかは、判然としない。ことの発端は、法務検察による小沢事件捏造だが、その一連のシナリオに初めから財務省が絡んでいたと云う陰謀論は壮大過ぎるような気がする。あくまで便乗なのだと思う。
まぁその辺は、闇の中で歴史が事実を詳らかにするかどうかの問題である。ただ霞が関の縦割り行政は驚くほど明確なもので、同じ省庁でも“局”が異なるだけで、アンタッチャブルな掟があり、霞が関省庁全体を取り仕切る組織は存在しないと考えるのが妥当だ。陰謀論だと、そのような組織が存在する方が面白いが、フィクションの世界だろう。霞が関の各省庁は“阿吽の呼吸”と云うよりも政局や事象に“便乗”することで、省益を確保乃至は拡張しようすると解釈するのが妥当だ。
おそらく、あの無能者の塊りのような政党(民主党)において、末席の閣僚にさえなれなかった男・野田佳彦と云う大酒のみ男に目をつけたのが財務省官僚と鳩山内閣の藤井裕久財務大臣だったのだろう。不遇の男には不遇になるだけの多くの欠点があるわけだが、疑惑だらけの政治家ほど御しやすい人間はいないわけである。財務官僚が藤井に依頼し、野田を無理やり財務省の副大臣に引き上げた時点から、この消費増税計画は始まったとみるべきだろう。1997年橋本政権によって3%から5%に引き上げられて以来のことだから、理屈抜きに財務省は消費税を上げるとが命題となっていた。
消費税と云う投網集金機能は手も暇もかからずに増収になるので(実態が増収になるとは限らない)、実効性よりも消費増税と云う命題を解決することが、その時の財務官僚にとっての宿題のようなものであった。この様な経緯で財務副大臣のポストを得た野田佳彦は、藤井に感謝し、財務省にも感謝した。そもそもがアホな上に、大酒飲みで脇が甘い男が、実は権力志向が異様に強いことに気づき、入念に野田洗脳が財務省によって行われた。鳩山が潰され、菅内閣に変わった途端、あれよあれよと云う間に、財務大臣に就任した。
もうこの時点で、野田洗脳は完結しており、後はどうやって神輿に祭り上げるかと云う勝負になった。ここで重要な役割を果たすのが仙谷由人だった。菅の辞任を契機に、野田祭り上げ計画は拍車がかかった。最も怖れている小沢一郎は党員資格停止で代表選自体に立候補出来ない。一時は前原グループは野田で纏まり、仙谷が財務省と事前のシナリオに着手した。しかし、前原が翻意、突然立候補を表明し、話は複雑になったようだが、小沢鳩山傀儡の海江田に過半数を取らせない財務省の知恵だったようである。
鳩山の馬鹿が最悪の海江田を統一候補に祭り上げた事で、小沢・鳩山グループは戦意喪失、財務省の鹿野らの説得(恫喝)も功を奏し、めでたく仁徳なき無能松下政経塾出身の野田佳彦が政権与党民主党の代表におさまった。小泉政権時代に丸々2年間財務大臣の地位におり、消費税の引き上げは財源確保上、絶対必要論者になっており、2010年参議院選では政権公約として消費増税10%を掲げ、抱きついてきた俄か消費増税の菅直人の民主党を惨敗させた。つまり、財務の走狗として、野田の大先輩であり、野田以上の洗脳組であった。
このように、財務省にとって消費税増税は千載一遇の機会を得たのである。アメリカがどの程度、この内政に関与していたか明確ではないが、IMF・世界銀行等からの、日本の財政の健全化の姿勢を強く支持するメッセージは、強く発信されていた。その意味では、アメリカの意を汲んだ総論忖度行政でもあるが、それ以上に霞が関官僚の組織強化と云う各論的権益確保と側面が強いのだろう。これで、シロアリの餌は充分恒久的に確保された。勝栄二郎財務次官も恒久に、財務省の名次官の冠を得たことになる。(後々、政治を操った最悪の官僚と呼ばせよう)勝次官は、今月早々にも退任する方向らしく、或る意味で“与野党政治家を丸ごと騙した名次官”と云う、官僚対政治家の関係性を明確し、“飛ぶ鳥がタップリ糞を残していった”と言えるのだろう。
まぁ此処から先、霞が関は支配を一時的に解くので、民主・自民は心おきなく政争に明け暮れなさい、と云う按配。どこまで霞が関に愚弄されれば、真の怒りを持つのか判らんが、もう国民が彼らの代理人として、負託を受けた政策は行わず、負託を受けていない政策、“これが国益だ”等と言い募る政治を許しておくのか。それこそが民主主義における、国政選挙の意味である。反原発集会の動きは治まることもなく、先週末も行われていた。このような動きには、単に反原発だけの怒りで市民が集まっていると云う考えは表層的。参加している人々の心の怒りには、それ以外の諸々の政治家への“不信”が共存していると考えるのが妥当だ。
財務省と云うアジテータ兼仲介人を失った民主・自民の殴り合いは続くだろう。おそらく特例公債法案を通過させたら、谷垣の命運は尽きるから、絶対に通過させない。野田の“近いうち解散”を代表選、総裁選終了後の9月末か10月に設定、大攻勢をかけてくるだろう。多分、野田も堪え切らず解散と言いそうな按配だ。(公明党の寝返りと云うリスクは残る)いずれにせよ、年内に解散が起きる可能性は高い。つまり、“政治主権のボール”が、永田町の腰抜けどもから一時的に離れ、国民の側に渡される。この“政治主権のボール”と云うものが、昨今の霞が関支配政治から、政治を主権者である国民の手の取り戻す唯一の機会なのである。
人それぞれ考えがあるので、どの政党を選ぶかは自由だが、このように代理人が、「負託されたものはせず、負託されないものをする」この様な民主主義を愚弄し、国民をあざ笑うような政治をさせない意志表示が、今まさに我々の前に提示されようとしている。これこそが千載一遇の機会なのである。“政治主権のボール”が近々国民の手に戻る。この機会に、“政治主権のボール”の視界を遮る悉くの汚れを綺麗に洗い流す絶好のチャンスだ。“政治主権のボール”は常に国民の民意が球体の中心から後光が射す程、磨きこまれていなければならない。
あまり多くの守備範囲で政党を選択するのも大変だ。「消費増税の是非、原発含むエネルギー政策、霞が関支配政治 の是非」これらのような問題を、個々人が出来る範囲で、情報を得、自分で考え、自分の選択を決定出来る準備をして貰いたいものである。年内にも起こり得る、次期衆議院選挙は大袈裟ではなく、“政治主権のボール”を単に投げ返すのではなく、汚れを取り去りブラッシュアップして、そのボールを代理人に“紐付き”で渡すくらいの心根が必要なのである。似非代理政党は何処か、似非代理人は誰か、すべては賢明な国民の手に戻ること、肝に銘じよう。
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