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投稿者関口博之
http://d.hatena.ne.jp/msehi/
各小党はネガティブに思案するより、新しい挑戦をポジティブに開始すべきである。
(注2)脱ダム宣言
(注3)私自身もブログで述べているように農地収得で何度も田中県政以前の長野県庁にでかけたが、そこは黒澤映画の「生きる」に見るような役所であり、職員も上から目線でものを言っていた。田中県政では、まるでホテルのフロントのように、職員が下から目線に変化するだけでなく、丁重な応対に市民に奉仕する公僕であることを感じたものであった。
(注4)ようこそ知事室
(注5)車座集会
(注6)5直し8宣言
(注7)県出資等外郭団体見直し専門委員会
(注8)財政改革
(注9)脱ダム宣言
新しい自公民原子力ムラ管理人たちの圧倒的な資金力、組織力に対して、各小党が入り乱れて300の小選挙区でどのように健闘しても、ほぼ全敗することは初めから判り切っている。
メディアの世論調査によれば、「国民の生活が第一」の激減、国会議員のほぼ9割が自公民となりかねない。
それは談合政治による恐ろしい翼賛体制を意味し、デモの自由さえ奪われる監視社会の始まりでもある。
しかし小党が、現在の国民六割の脱原発、脱増税、TPP慎重議論継続という民意に沿って「オリーブの木」に集い、300という魔物の小選挙区で統一候補を立てれれば、逆に9割の勝利も可能である。
しかし小沢一郎が「オリーブの木」の提案をして以来、各小党はほとんど無視し続けている。
それは既成小党に余りにも危機意識がなく、無責任さを感じざるを得ない。
何故なら今回の選挙はこれまで社民主義を掲げてきた民主党が、綱領を180度転換させ、消費税増税、TPP推進、原発稼動、法人税削減などで自公同様に大本営官僚支配政府側の新自由主義推進に立ち、国民の民意無視を鮮明にさせているからである。
しかもそれは、自公民談合の消費税増税決議に見られるように議会政治の危機を迎えているにもかかわらず、各小党が自らの非力を認めず、従来通り自らの正当性を主張しするだけで選挙を戦おうとしているからだ。
世論調査でその正当性が評価される兆しあるならまだしも、そうでないにもかかわらず力を合わせないのは、国民の不幸以外の何物でもない。
小沢一郎は山猫宣言以来国民の生活が第一という社民主義を一貫して貫き、今回の民主党離党によって退路を断って、民意に従って脱増税(脱利権構造)、脱原発、TPPの慎重論(事実上の棚上げ)で「オリーブの木」を提案しているのである。
何故なら。それ以外に打開の途はないからだ。
今必要なのは、「オリーブの木」に鈴をかけるコーディネーターであり、適任者は小党の中にいる。
すなわち長野県の役人支配の県政を解体し、県民利益最優先で借金王国長野県を健全財政で黒字化させた日本新党の田中康夫である。
田中康夫を適任者と思う理由は、小沢一郎をマキャべりストとして長野知事就任以来高く評価しており、信頼関係も深いが、言うべきことは全く遠慮せずに言ってきたからだ。
しかも彼ほど、大本営官僚支配政府の解体方法に精通している国会議員はいないからである。
また福島代表や志位代表とも原発デモ仲間であり、みんなの党とも川田龍平などのパイプを持っており、少なくとも彼が「オリーブの木」に鈴をかければ、舞台は自ずと開幕する筈だ。
確かに小沢一郎には先見の明と粘り強さがあり、田中康夫も絶賛するマキャべりストゆえに、戦後の長い長い自民党政治に風穴を開け、細川政権、鳩山政権を誕生させた。
しかし二度も政権を誕生させて来たにもかかわらず、彼の公約してきた官僚支配政府の解体が全くできなかっただけでなく、小沢一郎自らが解体させられたと言っても過言ではない。
それは戦略的詰の甘さであり、イーハトーブで育った温和な朴訥的性格からくるものであり、官僚支配政府解体という過激な言葉を使っているが、本当は最初から解体のための徹底抗戦ではなく、飴と鞭による懐柔策であるからだ。
すなわち鳩山政権で見られたように、官僚を国会から締め出し、「仕分け」による特別会計の無駄遣いを抑制すると言った懐柔策では、全く歯が立たなかったことは既に国民の知るところである。
全く歯が立たない理由は、官僚たちの背には全国何百万人もの公務員、そして公益法人やファミリー企業の甘い汁を吸う輩の利権が背負われており、それを守るためにはサボタージュ、リークなど、何でも命がけでやるからだ。
田中康夫はそのような命がけの役人たちの抵抗に、県知事就任時の企業局長の名刺折り曲げ事件(注1)、脱ダム宣言(注2)に対する建設下請けなどからの脅し、右腕ともいうべき特別秘書の辞任などにもかかわらず、怯むことなく強かに役人支配の長野県政を解体した。
すなわち司令塔ともいうべき国土交通省出向の光家土木部長を更迭を契機に、県政の役人幹部を辞任させ、県民益を最優先する田中康夫の改革を支持する若手職員を幹部に登用し、名実ともに県民に奉仕する公僕に解体したのであった(注3)。
また一般県民との対話を求めた田中知事は、県庁一階に外から丸見えのガラス張り「ようこそ知事室(注4)」を設け、県民の誰もが知事と抽選で面談することができ、さらに長野県の各地区で開催される「車座集会(注5)」や「どこでも知事室」では、知事と向かい合って真剣な議論がなされていた。
また財政改革でも安易に県民に負担を求めることなく、自らの報酬を30パーセントカットし、県職員も5パーセントから10パーセントカットすることから開始した。
そこではダム開発が見直されると同時に、県支出のネックになっている国からの箱物行政を林業再生や教育、介護などの人を最優先する事業へ転換した(注6)。
また長野県の利権支配構造の温床となってきた57の外郭団体(長年県職員幹部が天下り、当時300人もの現職県職員が派遣されていた)にも、徹底したメスが入れられた(注7)。
さらに県発注の公共事業入札をガラス張りに開き支出を大幅に減らすだけでなく、政策形成過程の透明化や、審議会をガラス張りに透明化するだけでなく、委員人選から議事録をネットで公表した。
このような徹底した取り組みで初年度から借金王国のプライマリーバランスを退任まで連続黒字化させ、6年間で長野県の借金を923億円減少させた(注8)。
その実績は大いに評価されるべきである。
しかし田中康夫が既得権益の象徴でもある長野県の記者クラブを解体したこともあって(注9)、メディアは田中康夫県政を利権支配を受ける県議員の言葉を引用して、独裁政治と書きたて、本当の実績が国民に伝わっていない。
そして2006年の3度目の知事選挙では、中央政府、既成大政党、連合など現在の利権構造を甘受するあらゆる組織が反田中で結束し、接戦で田中康夫を追い落としたのであった。
当選した新しい村井知事は、田中県政を独裁行政と批判し、ガラス張りの知事室を取り壊すだけでなく、田中康夫の全政策を完全否定、完全清算したのであった。
その際の無念さが彼を国政へ駆り立てたのであり、今こそ彼が「オリーブの木」に鈴をかける時である。
そして小沢一郎は田中康夫を活用することで、現在の追い込まれている状況を打開するだけでなく、全てにおいて逆転も可能である。
(注1)「長野県庁、知事名刺折り曲げ事件」を考える
http://www2.dwc.doshisha.ac.jp/mmurase/janome/jyanome3.htm
http://yassy.system-a.org/keiei/seisakut/model/dam.htm
http://www.shinmai.co.jp/kensei/2001/01012002.htm
http://www.cnet-kiso.ne.jp/h/harahiro/topics/010118/010118.html
http://yassy.system-a.org/keiei/seisakut/model/5re8de.htm
http://www.pref.nagano.lg.jp/soumu/gyoukaku/gai-sen/senmon.htm
http://yassy.system-a.org/keiei/zaiseit/kaikaku/program/seika.pdf
http://yassy.system-a.org/keiei/seisakut/model/dam.htm
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