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国難の危機に、皆全員で、決意を新たに、立ち上がろう!! 国民の生活が第一 参議院議員会長 広野ただし
参議院議員広野ただし公式ホームページhttp://www.hirono-tadashi.com/
国難の危機に、皆全員で、決意を新たに、立ち上がろう!!
昨年の東日本大震災・福島原発事故から約1年4ヶ月がたちました。
被災地の皆さんの懸命な努力にもかかわらず、全体的には、ガレキ処理や除染、原発のメルトダウン対策等、復旧・復興は遅れに遅れています。
復旧・復興に、ある程度のめどがたつのは、皆で全力を尽くしても3年以上は、必要なのではないでしょうか。
ところが、野田政権は、2年後の4月1日から消費税増税を強行しようとしています。
古来、徳のある為政者は、天災や飢饉の時は、農民の年貢を軽くしたり、つまり税金を軽くして庶民を助けたものです。
また、2009年の政権交代時には、民主党は、「消費税は上げない。まず徹底的に行政改革、政治改革をする!!」と国民に約束しました。 現在の民主党は、自民・公明と三党合意するなど野合を組み、「消費増税」で国民を苦しめるばかりでなく、国民との約束を全て反故にする、政権交代当時の民主党では、もはや、ありません。
この他、現在の日本は、欧州の信用不安への対応、長引くデフレ不況、少子高齢化、教育の立て直し、北朝鮮問題、北東アジアの平和と安定の問題等々、「国難」とも言うべき、重大な局面にあります。
このような「国難の時代」にあたって、私「広野ただし」は、小沢一郎さんをはじめ同志とともに、7月11日、新党「国民の生活が第一」を立ち上げることといたしました。
新しい政党「国民の生活が第一」は、小沢一郎代表のもと、衆37名、参12名、計49名の国会議員でスタートしました。
我々の一歩は、小さな一歩かもしれませんが、「消費増税反対!!」「増税の前にやるべきことがある!!」の波は、国民の運動となって、必ずや、大きな、うねりとなるものと確信しています。(来るべき、衆院総選挙で、友党との連携によって、必ず、政権に復帰するとの強い予感がします。)
私たちの理念は、党綱領にもあるとおり、「自立と共生」であり、「国民の生活が第一」の原則にのっとり、「日本の政治、行政、経済、社会の仕組み」を一新し、「安心、安全、かつ安定した生活を送り、自らの将来に、夢と希望を持ち、誇り高く暮らす」ことを実現することであります。
以上のような理念と政策を実現するため、私「広野ただし」、全身全霊を捧げる覚悟ですので、今後とも、皆々様の倍旧のご支援ご協力をお願い申し上げる次第です。
皆様のご健勝、ご多幸を祈念いたしております。
党本部事務所開き
掲載日: 2012年08月01日
8月1日午前10時より、国会近くのビルにて、「国民の生活が第一」党本部の事務所開きが行われました。
谷亮子参議院議員の司会のもと、東祥三幹事長、小沢一郎代表、来賓の方々(新党大地・真民主 鈴木宗男代表、達増拓也岩手県知事、新党きづな 三輪信昭副代表、落語家の三遊亭円楽師匠)のあいさつの後、広野ただしが、乾杯の発声を行いました。
この小さな城を拠点として、政権奪取に向け邁進することを皆で誓いました。
また、16時30分には「3つの緊急課題」を発表しました。
1.いのちを守る「原発ゼロ」へ!!
2.生活を直撃する 消費税増税は廃止!!
3.地域のことは地域で決める 地域が主役の社会を!!
広野 允士(ひろの ただし)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E9%87%8E%E5%85%81%E5%A3%AB
1943年1月1日(69歳)
富山県富山市
東京大学工学部卒業
前職
通商産業省電気機器課課長
所属政党
(無所属→)
(新生党→)
(新進党→)
(自由党→)
(民主党→)
国民の生活が第一
参議院議員
選挙区
比例区
当選回数2回
任期
2001年7月29日 - 2007年7月28日
2009年8月 - 現職
(衆議院議員のときは中選挙区 富山県第1区)
(富山市 魚津市 滑川市 黒部市 上新川郡 中新川郡 下新川郡 婦負郡)
日本の通産官僚、政治家。参議院議員(2期)、国民の生活が第一副代表・参議院議員会長。選挙など政治活動の際には、
衆議院議員(1期)、参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、民主党筆頭副幹事長などを歴任した。
富山県富山市出身。富山県立富山中部高等学校、東京大学工学部卒業後に通商産業省に技官で入省。大臣官房企画官、電気機器課長を歴任。
衆議院議員として1990年、第39回衆議院議員総選挙に無所属で立候補するが落選。
第40回衆議院議員総選挙に新生党公認で旧富山県第1区から出馬し、初当選。
1994年の新進党結成に参加するが、1996年の第41回衆議院議員総選挙では落選。
新進党の解党により、小沢一郎党首の下で自由党結党に参加。
2000年の第42回衆議院議員総選挙にも自由党公認で出馬するが、落選した。
参議院議員として
2001年、第19回参議院議員通常選挙に自由党公認で比例区から出馬し、参院で初当選する。
2003年の民由合併により、民主党に入党。小沢グループに属する。
北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会委員長在任中、北朝鮮人権法案の成立に尽力。
2007年7月の第21回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区から出馬するが、次々点で落選。
同年12月、山本孝史参議院議員が議員在職のまま癌で死去したため次点の大石尚子が繰上当選したあと、
2009年8月、青木愛参議院議員が第45回衆議院議員総選挙に出馬して自動失職した[2]ことをうけ、繰上当選により国政復帰を果たした。
2009年10月、小沢一郎幹事長のもとで民主党副幹事長に就任。
2011年9月、民主党広報委員長に就任。2012年2月、消費増税に反対して広報委員長を辞任。
2012年7月3日に民主党を離党[3]。それにともない、党富山県総支部連合会の代表も辞職した。
しかし、前任の県連代表である村井宗明も社会保障・税一体改革関連法案の採決で造反するなど状況が混乱していたことから、
代表を当面空席とする措置が採られた
2012年7月11日の国民の生活が第一の結党に参加した[6]。党副代表兼参議院議員会長に就任。
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