http://www.asyura2.com/12/senkyo133/msg/773.html
Tweet |
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-2065.html
2012.08.01 「反原発」デモと「反ハシズム」デモをジョイントできないか、(ハシズムの分析、その28)
〜関西から(71)〜
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
首相官邸前の「反原発」デモがますます勢いを増すにつれて、関西でも遅ればせながら関電本社前での「反原発」デモがはじまった。7月27日(金)夕方のことだ。この日はまた、大阪市議会で悪名高い「職員の政治的行為の制限に関する条例」(職員規制条例)や「市政改革プラン」が維新の会と公明党の手で強行採決されるとあって、市役所前の中之島公園は昼間から抗議行動の人たちで溢れていた。
関電本社と大阪市役所は歩いて10分足らずの至近距離にある。しかし開催時間や集会目的が異なることもあって、当然のことながら関電本社前デモの参加者と市役所前抗議集会の人たちとの間には何の交流もみられなかった。
私自身は、恥ずかしながらこれらの集会に参加していたわけではない。中之島公園近くの会議室で、東北の復興まちづくり計画を策定している在京コンサルタント会社の幹部を講師とする勉強会に出席していたのである。しかし両会場とも近くなので、勉強会の前には大阪市役所前へ散歩に行き、終わってからは関電本社前まで足を伸ばして現場の様子を見に行った。いわゆる「野次馬」レベルの行動だ。
両集会の様子や雰囲気はかなり異なるものだった。それは「異質」といってもよいが、前者は思い思いのプラカードを手にした自然発生的な三々五々の行動、後者は労働組合や団体の旗が林立する組織的な抗議集会とはっきり性格が分かれていた。でも思いがけないことに、関電前の集会では私の目前で主催側スタッフと労働組合の幟旗をもった参加者との間で若干の「トラブル」(論争)があった。
主催側スタッフの言い分は、「この市民運動は原発再稼働反対の一点(シングルイッシュー)で集まっている」、「特定の政治目的や政治的テーマを掲げる団体が組織的に参加するとみんなの足が遠ざかってしまう」、「組合旗はそのシンボルなので旗を降ろしてほしい」、「無用なトラブルを避けて、参加者の安全で安心な行動を守っていきたい」などというものだった。
スタッフの言い分はごく常識的な主張のようにも聞こえるが、組合の幟旗を持った当の参加者はそのまま引き下がらなかった。「自分たちも市民の一員として整然と行動している」、「マイクを持って演説するとか、旗を立ててデモ行進するとか、組合としての行動をしているわけではない」、「労働組合は特定の政治目的や政治的テーマを掲げる団体ではなく、労働者の権利を守る組織だ」、「市民のプラカードと組合の幟旗のどこが違うのか」などなど、その主張はなかなか筋が通っていた。
私も含めて周囲の人びとは冷静にそのやり取りを聞いていたが、たまたまこの日に起こった出来事は、「反原発」デモをどう評価するかという目下の政治情勢と密接に関連しているだけに、帰宅途中の電車内でもいっこうに頭から離れなかった。私自身は市民運動と労働運動や政治運動がどこかで結びつかない限り日本の政治変革は不可能だと思っているが、現在のマスメディア論調は、むしろ「脱政治的」であるところに「反原発」デモの評価ポイントを見出しているように思える。
「反原発」デモが生まれた頃は、マスメディアは一貫してこの動きを黙殺してきた。その後ついに無視できなくなって報道を始めたが、その後付けの理由は、「当初報道しなかったのは、特定の政治団体によって組織された集会やデモだとみていたから」というものだった。ナチスのようなファッシスト団体ならまだしも、日本国憲法のもとで合法的に活動している政治団体や労働組合運動がどうして報道の対象にならないのか不思議でならないが、これまでの現実がそうであったのだから仕方がない。
しかしこの“報道スタンス”をよく考えてみると、報道するのは「市民が原発再稼働反対の一点で集まっているから」、「特定の政治目的や政治的テーマを掲げる団体が組織的に参加していないから」ということになり、関電前の主催側スタッフの主張とよく響き合う。官邸前デモがどのような方針のもとに開催されているかはよく知らないが、もしそうであるとするなら「反原発」デモの行方はアメリカの「99%運動」と同じく、いつかは消えていく運命をたどるのではないか。
私がこのような感想を抱くのは、大阪では「反ハシズム」デモと「反原発」デモがいまだにジョイントできていないからだ。周知のごとく、大阪では「公務員バッシング」の風が極めて強い。橋下市長が職員の政治行動を規制する「職員規制条例」の制定に踏み切っても、市民の間からは反対デモすら起こらない。部落解放同盟と癒着した大阪市労連(幹部)の行動が目に余るからであり、現在においてすら労働組合としての自己批判ひとつ行われていないからだ。心ある市民の多くが「こんな連中と一緒にやれるか!」と思っているのだから、「反ハシズム」デモが盛り上がるわけがない。
しかし、大阪市労連の自己批判など待っていても「夢のまた夢」なのだから、私は取りあえず毎週金曜日の夕方に大阪市役所前で「反ハシズム」デモを企画してみたら、と思う。ひょっとすると、関電前の「反原発」デモと流れ解散のなかで自然に合流する可能性(偶然)が生まれるかもしれないし、大阪の寝苦しい夜を中之島公園一帯の「反ハシズム」デモで過ごしてみるのもまた風流なものだと思うからだ。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK133掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。