http://www.asyura2.com/12/senkyo133/msg/752.html
Tweet |
故郷の友人に捧げる英国五輪
昨年の震災で親族ならず友人を失った方々は数少なくない。
オリンピック選手も例外ない。
今、オリンピックで励む若人に、
私達は今、生きている方々、亡くなった方々、共に応援して行きたいと思います。
頑張れ、日本!!!
#############################
東日本大震災の記憶を胸に五輪に臨む日本代表
2012年07月24日 16:06 発信地:東京
http://www.afpbb.com/article/london2012/london2012-news/2890891/9266485
フェンシング世界選手権(World Championships in Fencing 2009)の男子団体準々決勝で米国に勝利し、歓喜する千田健太(Kenta Chida、2009年10月6日撮影)。(c)AFP/DIMITAR DILKOFF
関連写真1/1ページ全3枚
【7月23日 AFP】ロンドン五輪に出場するフェンシングの千田健太(Kenta Chida)は津波で友人を亡くし、自転車の渡辺一成(Kazunari Watanabe)は福島第1原発事故により家族がばらばらになった。射撃の松田知幸(Tomoyuki Matsuda)は、大惨事をともに生き延びた人たちに恩義を感じている。
このような体験は、東日本大震災によって破壊された東北に勇気を与えたいと願う彼らの気持ちを後押しするものになるかもしれない。
被災地の人々が復興していく姿は、多くの日本人選手の心を突き動かし、彼らは世界の舞台で全力を出し尽くした。
2011年7月に行われた女子サッカーW杯ドイツ大会(FIFA Women's World Cup 2011)で優勝した日本代表は、試合前に佐々木則夫(Norio Sasaki)監督から被災地の様子を映したビデオを見せられ、「自分たちにできることは何だろう」と問われたという。
ロンドン五輪でW杯との2冠を目指す女子日本代表の一員で、東北出身の岩清水梓(Azusa Iwashimizu)は、メディアの取材の中で「自分だけのためでなく、東北のみんなのために戦う」と誓っている。
■射撃の松田は練習中に被災
ロンドン五輪に出場する日本代表293人の中で約10分の1の選手が、東北が生まれ故郷だったり、学生時代を東北で過ごすなど、なんらかの形で関わっている。
2010年に行われた世界射撃選手権(ISSF World Shooting Championships)の50メートル・ピストルと10メートル・エアピストルで優勝した松田は、東北と直接的な関わりはないものの、現地で震災を経験した。
神奈川県警の警察官で、2008年の北京五輪では50メートル・ピストルで8位入賞している松田は、「被災地が復興していく様子に力をもらった。メダルを取って被災地に力を与えたい」と語っている。
2011年3月11日、太平洋に面した宮城県石巻市で国体に向けた練習中にマグニチュード9.0の大地震に遭った松田は、老人ホームに避難し、電気も暖房設備もない中で眠れぬ夜を過ごした。
石巻市は地震直後に発生した津波の被害を受け、死者行方不明者は4000人に上り、被災地全体では約1万9000人が命を落としている。
400キロメートル離れた自宅へ戻りながらテレビに映る恐ろしい光景を観ていた松田は、「自分もどうなっていたか分からない」と当時を振り返った。
その数週間後に行われた射撃のW杯シドニー大会で50メートルピストルと10メートルエアピストルの2種目で優勝した松田は、報道陣に対し「自分の職務は射撃」とコメントしている。
■親友のためにメダル獲得を目指す千田
漁業が盛んな宮城県気仙沼市の出身であるフェンシング・フルーレの千田は、ドイツへ向かっている途中に津波のニュースを知り、ショックを受けた。幼少期からの親友であった小野寺諭(Satoru Onodera)さんは津波に巻き込まれ、帰らぬ人となった。
北京五輪で太田雄貴(Yuki Ota)が銀メダルを獲得した一方で、11位に終わった千田を帰省時に酒を交えて励ましたのは、小野寺さんだった。
小野寺さんの「ロンドンはお前の番だろ。次は絶対メダルを取れよ」という言葉を胸に刻んでいることをメディアに明かした千田は、震災から4か月後の2011年7月に行われたフェンシングのアジア選手権に出場し、男子フルーレ個人で準優勝した。
報道によると、千田は「親友への感謝の気持ちや故郷への思いを解き放つのは、ロンドンでメダルを手にした時」と心に決めていると伝えている。
■家族が離散した渡辺、「双葉町に金メダルを」
北京五輪のケイリン・個人スプリントで12位に終わった渡辺は、妻と両親、祖母と姉の家族とともに福島第1原発から3.5キロメートルのところにある福島県双葉町に住んでいた。
地震と津波が原発の冷却システムを破壊し、メルトダウンが起こった当時、渡辺は東京でUCIトラック・サイクリング世界選手権(UCI Track Cycling World Championships)に向けた強化合宿に参加していた。
震災後も飛散する放射性物質の影響で、大勢の人が原発から20キロメートル以上の地域への避難を余儀なくされており、現在も家に帰れるめどはたっていない。
渡辺の大家族は震災以降、日本各地に避難している約7000人の双葉町民と同様に、3か所に別れて生活している。
2012年4月に行われた世界選手権の男子ケイリンで5位、チームスプリントで4位に入り、五輪での金メダル獲得が視野に入った渡辺は、地元のための新たな役割を見つけたと話している。
双葉町の住人が150人ほど集まった壮行会で渡辺は、「今回はメダルを持ち帰り、みんなで祝勝会がしたい」と語っている。
双葉町の井戸川克隆(Katsutaka Idogawa)町長は、「渡辺選手には、さまざまな形で分断されている町が一つになる原動力となってくれていることに感謝したい」とコメントした。(c)AFP/Shigemi Sato
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK133掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。