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2012.7.31参議院特別委員会:自民:赤石清美は何様?勘違い!それより民主:桜井充に質問時間を分けてやれ!
http://www.asyura2.com/12/senkyo133/msg/702.html
投稿者 アサマタロー 日時 2012 年 7 月 31 日 14:55:10: UiY46YlCu.Moc
 

オリンピックでTVもろくに政治をやらず。新聞止めて、昔なら国会質疑が楽しみだが、この赤石清美議員は何だ?!

熱中症・日射病・川越・熊谷?こんな人が参議院議員?民主も酷いが国民の生活苦・消費増税の特別委員会か?????????????こんなレベルの質疑で良いのか!!

それぐらいに質問が出来ないなら、民主の桜井に質問時間をやってくれ!!
住宅の消費財・原価償却で20年で無価値化!縦割り行政で負担と給付の逆転現象の未把握!イギリス・フランス・ドイツの方がアメリカより国民は良いに決まっている。等等。

今の民主党で唯一マトモな桜井ほど、野党的に鋭い質問を、出来る議員は居ない。彼に時
間配分がなくて貴重な質問を端折るのは国民的に無駄だ。勿体無い。
岡田も右から左で自分で考えられず。資料も見れず。

それぐらいなら、桜井も真の反民主党の野党に質問事項を提供し、質問させよ!それが国民の代表の議員の義務だ!

赤石議員は今後引退すべき人間だ!既得権益集団の一員だろう。医療費毎年1兆円自然増に巣くう施設長・理事長・園長と同じだろう。

三原順子議員:古川大臣が国有化企業JALの第三者株主構成を公開できない!?何故!民主党政府に不正があるのか!!これが国民が望む国会質疑だ!


東電もJAL並みにすべきなのに、JALの株主構成も公開しない!可笑しい。これこそ質疑だ!!!野田民主党は早く潰して下さい!自民党三原じゅん子さん!!良いぞ!

参議院の委員長はだめだね〜!心得が悪い。野党側に立ち、審議は出来る!


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赤石清美:参議院議員
生年月日 1948年4月12日(64歳)
出身地 青森県南部町
出身校 京浜学園衛生技術学科
学位・資格 臨床検査技師
前職 臨床検査技師
所属委員会 全国比例区
世襲 無
選出選挙区 -
当選回数 1回
所属党派 自民党(町村派)
党役職 無
会館部屋番号 -
ウェブサイト あかいし清美 公式ホームページ
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赤石 清美(あかいし きよみ、1948年〈昭和23年〉4月12日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)。
概要 [編集]

1967年(昭和42年)に青森県立八戸工業高等学校を卒業。1970年(昭和45年)に京浜学園衛生技術学科を卒業。臨床検査技師として活動。
2010年(平成22年)に医療技術者団体協議会などの支持団体を背景に、第22回参議院議員通常選挙に比例区で自民党候補として立候補し、当選。
少子化で教育の重視が叫ばれているにもかかわらず、公立高校の無償化には反対している。
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コメント
 
01. 2012年7月31日 15:47:00 : opuSlfFAh2
大島 理森
おおしま ただもり
生年月日 1946年9月6日(65歳)
出生地 青森県八戸市
出身校 慶應義塾大学法学部
前職 毎日新聞社社員
現職 副総裁
青森県支部連合会会長
所属政党 自由民主党
称号 衆議院永年在職議員
法学士(慶應義塾大学・1970年)
親族 父・大島勇太郎
叔父・夏堀源三郎
公式サイト 自民党 衆議院議員 大島 理森(おおしま ただもり)WEBサイト
第34代 農林水産大臣
内閣 第1次小泉第1次改造内閣
任期 2002年9月30日 - 2003年4月1日
第128代 文部大臣
第61代 科学技術庁長官
内閣 第2次森内閣
任期 2000年7月4日 - 2000年12月5日
第32代 環境庁長官
内閣 村山改造内閣
任期 1995年8月8日 - 1996年1月11日
衆議院議員
選挙区 (青森県第1区→)
青森県第3区
当選回数 9回
任期 1983年12月19日 - (現職)
青森県議会議員
選挙区 八戸市選挙区
当選回数 2回
任期 1975年4月23日 - 1980年6月
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大島 理森(おおしま ただもり、1946年9月6日 ‐ )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(9期)。自由民主党副総裁(第12代)。
青森県議会議員(2期)、衆議院議院運営委員長(第57代)、衆議院予算委員長、環境庁長官(第32代)、文部大臣(第128代)、科学技術庁長官(第61代)、農林水産大臣(第34代)、自由民主党国会対策委員長(第45・49代)、自由民主党幹事長(第44代)を歴任した。
目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政界入り1.3 小泉政権1.4 安倍政権
1.5 福田政権1.6 麻生政権1.7 野党転落と谷垣執行部入り2 政策2.1 外国人参政権
3 不祥事3.1 政策秘書の公共工事口利き疑惑3.2 想定問答作成依頼4 人物5 略歴
6 主な所属議員連盟7 脚注8 関連項目9 外部リンク来歴 [編集]
生い立ち [編集]
青森県八戸市出身。衆議院議員などを歴任した夏堀源三郎は叔父にあたる。青森県立八戸高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業し、法学士号を持つ。大学卒業後は、毎日新聞社に勤務した。
政界入り [編集]
青森県議会議員を経て1983年の第37回衆議院議員総選挙で初当選し、以降9回連続当選。
河本敏夫の側近として知られた。一方で、田名部匡省元農林水産大臣(2010年引退)・衆議院議員の田名部匡代親子との「八戸戦争」で地元・八戸市の政界を二分している。
自由民主党国会対策委員長を2度務め、通算での在任記録は歴代1位。国対委員長時代に築いたパイプにより、党内外に幅広い人脈を持つ。野中広務、古賀誠との交流で知られたが、清和政策研究会にも太いパイプを持つ。高村派誕生時には河本系の議員を率いて大島グループ独立(及び他派との合流)も噂されたが、高村正彦への派閥移譲に尽力し、名実ともに派のナンバー2となる。
小泉政権 [編集]
国対委員長としての働きも評価されて小泉内閣では農林水産大臣として再入閣したが、2002年10月の就任後、様々な疑惑が取りざたされたため、2003年4月1日に辞任した[1]。
具体的には、以下の疑惑が問題とされた。
政策秘書が、公共工事などに絡み、口利き料を得ていたとされる疑惑(下記参照)。
医療技術専門学校設立をめぐる口利き疑惑。====赤石清美???===
国会答弁に際し衆議院法制局に想定問答集の作成を依頼したとされる疑惑。
安倍政権 [編集]
安倍改造内閣に絡み、麻生太郎幹事長との人脈から、自民党国会対策委員長に就任。安倍総理退任後の自民党総裁選では、明確な意思表示を避けながらも麻生への支持を匂わせた。
福田政権 [編集]
福田康夫内閣組閣、党人事刷新に当たり、国対委員長としての力量を買われ留任、参議院で野党過半数というねじれ国会に臨むことになった。テロ新法審議の最中に守屋武昌防衛事務次官に絡む山田洋行事件が発覚。11月15日の参議院外交防衛委員会の証人喚問で山田洋行の宮ア元伸との宴席に額賀福志郎財務大臣(当時)が同席していたと答弁し、額賀に疑惑が浮上した際には党として額賀の行動を調査し、民主党の追及に対して、額賀と宮崎が宴席に同席していない証拠を提示するなどして反論した。
2008年初頭の、ガソリン国会に絡み与党内で検討された「つなぎ法案」については、つなぎ法案に慎重な福田康夫首相の意を汲み、アジア・アフリカ問題研究会結成以来、親交の深い河野洋平衆議院議長に斡旋を要請。両院議長斡旋案による与野党合意に至ったが、この合意でガソリン暫定税率維持法案が期限までに可決できず、1ヶ月間ガソリン税が下がり、ガソリン料金が乱高下する事態を招いた。
麻生政権 [編集]
2008年11月、麻生総理大臣の「ホッケの煮付け」発言に対して、「そのようなものは存在しない」と指摘した(ホッケの煮付けは実在はするが一般的なものではない)[2][3]。12月1日、自民党国対委員長としての通算在職日数が1128日となり、中川秀直を抜いて歴代1位となった(連続在職日数は中川が1位である)。
2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に青森3区から出馬。青森県建設業協会の推薦を受け[4]、次点の民主党元職・田名部匡代との票差が367票という大接戦を制し、辛くも9回目の当選を果たした。なお、テレビ朝日系と日本テレビ系の選挙速報では、大島の選挙区での落選が伝えられており、大島はこれを受けて支持者に対するお詫び会見まで行ったが、後に誤報だったことが判明した。
野党転落と谷垣執行部入り [編集]
2009年9月29日、前日に自民党総裁に就任した谷垣禎一の下で国対委員長から転じて幹事長に就任した(後任の国対委員長には谷垣と同派閥の川崎二郎が就いた)。就任当初は鳩山政権の高支持率の前に国会運営でも押され気味で、与党の強行採決を許し、審議拒否戦術も結局は空振りに終わり、平将明ら中堅・若手議員からはテレビ出演時の大島の顔が「怖い」などと苦言を呈され[5]、執行部の人心一新を求める声が絶えないなど苦境が続いたが、翌年にかけて民主党の支持率が低下していく一方、自民党は地方選挙で地道に勝利を収めていったため、求心力を維持した。7月11日、菅内閣の下で行われた第22回参議院議員通常選挙では、参議院一人区に的を絞った選挙戦術や公明党との選挙協力が奏功し、自民党が改選第1党となりねじれ国会をもたらす勝利を成し遂げた。
2010年9月9日に副総裁への就任が決定。参院選で勝利した大島の交代には異論があったが、若手からの世代交代論とのバランスを取る形で、副総裁への昇格という形が取られた(後任の幹事長は石原伸晃)。このため、選挙対策や国会対策の実務においては、引き続き大島の意向が強く働くとみられ、実際選挙準備や与野党協議を巡って大島の動きが報じられることが多い[6]。
政策 [編集]

外国人参政権 [編集]
2010年1月12日、民主党が成立を目指す外国人参政権について「各県の議会などで反対の意見書が数多く出ている[7]。今の時点で明確な結論は出ていないが、そういう声を尊重しながら議論したい」と述べ、慎重な姿勢を示した[8]。なお、大島は2009年の時点で外国人参政権について「主権にかかわる問題だから党議拘束なしには抵抗感を持つ」と述べており、外国人参政権については党議拘束をかける可能性を示唆している[9]。
2010年4月17日、永住外国人への地方選挙権付与(外国人参政権)に反対する集会に出席し、「(外国人参政権に)断固反対し、(法案成立)阻止を約束する[10]」「日本の主権、国民固有の権利を守るために我が党は断固反対だ[11]」「外国人参政権に反対し、皆さんとともに戦うことを誓う」と述べた[12]。
不祥事 [編集]

政策秘書の公共工事口利き疑惑 [編集]
2002年に、政策秘書が公共工事などに絡み数千万円の口利き料を得ていたとの疑惑が浮上した。政策秘書は八戸市民病院や八戸赤十字病院、JR八戸駅駅舎のほか町村などの工事にも絡み、「営業手数料」などの名目で口利き料を得ていたとされる[13]。事務所は「本人からは『心配ない。きちっと対応したい』という連絡があった。事務所としての対応もこれから詰めていく」とコメントしていたが、2003年3月の農林水産大臣辞任へと繋がった[14]。
想定問答作成依頼 [編集]
元秘書による資金流用疑惑に関して、大島が答弁に備え衆院法制局に想定問答の作成を依頼したとされる[13][14][15]。大島は協力を求めたことは認めたものの、「答弁作成の依頼はしていない」と否定。衆院法制局は「国会答弁で使われると認識していなかった」と釈明している。野党からは「法制局の公正中立や三権分立に反する」と批判された[15]。
人物 [編集]

血液型はB型。
父の大島勇太郎は、長年にわたり青森県議会議員を務め、青森県議会議長などを歴任した。また、叔父の夏堀源三郎も衆議院議員として活動した。
2003年の第43回衆議院議員総選挙直前に公共事業受注企業から1300万円の献金を受けていた[16]。
河本直系として三木派の流れを汲み、番町政策研究所に所属しているが(幹事長就任後は形式的に離脱)、外交・安全保障政策ではタカ派色が比較的強い高村正彦会長を支え、町村派や麻生太郎、安倍晋三などの党内保守派との関係も総じて良好である一方、公明党や創価学会とも蜜月関係にある。
八戸市議会議員の藤川優里の参院選出馬が取り沙汰された際、八戸市を地盤に持つ大島も積極的に擁立に向けて動いたが、結局藤川は立候補しなかった[17][18]。
前述の副総裁就任後、大島の部屋を訪ねた河野太郎に対し、大島は「君が早くやめろやめろというものだから、今度は陽も当たらない部屋に押し込められることになったぞ。オレと一緒に悪役商会にでも入ったらどうだ。」と軽口を叩いたという[19]。
略歴 [編集]

1975年4月:青森県県議会議員選挙で当選。
1983年12月:第37回衆議院議員総選挙に立候補、初当選。
1990年2月28日:内閣官房副長官に就任。(-1991年11月5日)
1995年8月8日:環境庁長官に就任。(-1996年1月11日)
1999年10月:衆議院議院運営委員長に就任。(-2000年6月)
2000年7月4日:文部大臣・科学技術庁長官に就任。(-12月5日)
2000年12月:自民党国会対策委員長に就任。(-2002年9月)
2002年9月30日:農林水産大臣に就任。(-2003年4月1日)
2005年11月1日:衆議院予算委員長に就任。
2007年8月27日:自民党国会対策委員長に就任。
2009年9月29日:自民党幹事長に就任。
2010年9月9日:自民党副総裁に就任。
主な所属議員連盟 [編集]

北京オリンピックを支援する議員の会幹事長代理
日韓議員連盟幹事
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八戸市(はちのへし)は、青森県東南部に位置し、太平洋に面する特例市で、県下第2の都市である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%88%B8%E5%B8%82
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南部地方(なんぶちほう)は、青森県東部を指して言う地域呼称。江戸時代に南部氏が支配した領域(盛岡藩・七戸藩・八戸藩の領域)の青森県内部分に相当する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%83%A8%E5%9C%B0%E6%96%B9_(%E9%9D%92%E6%A3%AE%E7%9C%8C)


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02. 2012年7月31日 15:52:38 : opuSlfFAh2
大島副総裁の八戸の隣町の赤石さん!
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南部町 (青森県)
なんぶちょう
南部町
国 日本
地方 東北地方
都道府県 青森県
郡 三戸郡
団体コード 02445-7
面積 153.15km²
総人口 19,252人
(推計人口、2012年6月1日)
人口密度 126人/km²
隣接自治体 青森県三戸町、新郷村、五戸町、八戸市
岩手県二戸市、軽米町
町の木 赤松
町の花 ぼたん
町の鳥 うぐいす
南部町役場
所在地 〒039-0802
青森県三戸郡南部町大字苫米地字下宿23-1
外部リンク 南部町の公式サイト


■ ― 市 / ■ ― 町・村
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南部町役場 本庁舎(2007年(平成19年)5月撮影)
合併前は福地村役場だった。


名川分庁舎(2007年(平成19年)5月撮影)
合併前は名川町役場だった。


南部分庁舎(2007年(平成19年)5月撮影)
合併前は南部町(なんぶまち)役場だった。
南部町(なんぶちょう)は、青森県三戸郡内の中央部に位置する町である。 2006年(平成18年)1月1日に旧南部町(なんぶまち)と名川町、福地村が新設合併し南部町(なんぶちょう)となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%83%A8%E7%94%BA

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03. 2012年7月31日 16:35:53 : opuSlfFAh2
真の野党から質疑をすべきだ!!裏切り民主党は質疑は禁止せよ!!

16時ころから、国民生活第一党の森ゆうこ議員が出てきた。楽しみな議員だ。

高齢者の負担は消費増税でなく相続増税だ!
高額年金者の高額分のカットだ!
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みんなの党
桜内 文城(さくらうち ふみき、旧姓谷岡、1965年10月21日 - )は、日本の財務官僚、会計学者、政治家。参議院議員(1期)。愛媛県北宇和郡吉田町(現在の宇和島市)出身。
剣道三段。ハーバード大学院留学中には、同大学剣道部の創設に関わり、初代部長を務めた。
妻・友子は櫻内義雄の孫で養子に入った。
目次 [非表示]
1 経歴1.1 学歴1.2 職歴1.3 役職歴1.4 受賞歴1.5 政歴2 政策3 著書3.1 論文・記事4 外部リンク経歴 [編集]
学歴 [編集]
1984年 - 愛媛県立宇和島東高等学校理数科卒業
1988年 - 東京大学法学部第1類卒業
1992年 - ハーバード大学J.F.ケネディ政治大学院修士課程修了(MPP: Master in Public Policy)
1999年 - マラヤ大学政治経済学系大学院博士課程修了(Ph.D. in Economics and Administration)
職歴 [編集]
大蔵省→財務省(1988年 - 2002年)
新潟大学経済学部・大学院経済学研究科准教授(2002年 - 2007年)
役職歴 [編集]
財務省財政制度等審議会専門委員(2002年-2007年 )
日本公認会計士協会準会員(2005年 - )
内閣府経済財政諮問会議専門委員(2006年-2007年 )
総務省新地方公会計制度研究会委員(2006年-2007年 )
国際公会計基準審議会(IPSASB)テクニカルアドバイザー(2012年 - )
受賞歴 [編集]
第34回日本公認会計士協会学術賞 - 『公会計 - 国家の意思決定とガバナンス』(NTT出版、2004年)により。
政歴 [編集]
2009年 - 第45回衆議院議員総選挙愛媛県第4区に無所属(みんなの党推薦)で立候補するも落選(44,777票)
2010年 - 第22回参議院議員通常選挙みんなの党の比例代表に出馬。当選。
政策 [編集]

議員立法として以下の3法案の成立を目指すとしている。
最低医療保障法案
最低限の救急医療体制を国が保証
地域間での医師の配置・雇用体制の弾力化
政党法案
政党に対し上場企業並の財務情報開示を義務付け
政党内の意思決定プロセスの開示を義務付け
選挙公約以外の法案について党議拘束を禁止
候補者選定のための政党内予備選挙を義務付け
財政会計改革基本法案
内閣の予算編成に関する権限を強化
内閣の財政運営に関する説明・情報開示を強化
著書 [編集]

『公会計革命』(講談社、2004年)
『公会計 - 国家の意思決定とガバナンス』(NTT出版、2004年)
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マトモナ人材がまだいるではないか!!やはり婿養子か!その道しか、貧乏人の秀才息子は立身出世ができない世界最古の世襲身贔屓縁故資本主義国家だと宇和島の田舎出身の彼が証明した。


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04. 2012年7月31日 16:40:17 : opuSlfFAh2
大門 実紀史(だいもん みきし、1956年1月10日 - )は日本共産党所属の参議院議員。政治・選挙活動では大門 みきしと名前を平仮名にする。
目次 [非表示]
1 略歴2 政治的主張2.1 消費者行政3 テレビ出演4 著書5 脚注6 外部リンク
略歴 [編集]

京都府京都市生まれ。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒業、神戸大学経済学部中退。
1984年から東京土建一般労働組合の専従書記局員として勤務。
1996年同本部書記長に就任、全国建設労働組合総連合(全建総連)中央執行委員、建設労働組合首都圏共闘会議初代議長を歴任。
1998年に参院選に比例代表で立候補したが落選。
2001年1月に繰り上げ当選。以後、予算委員会理事、財政金融委員、災害対策特別委員を歴任。
2004年参院選で再選。
2010年参院選で再選。
かつて国会議員にもかかわらず党中央委員ではない時期があったが、25回党大会で中央委員に選出された。
政治的主張 [編集]

2003年、静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[1]。
2007年11月、国会審議において防衛省の軍需利権や日米平和・文化交流協会‎などについて追及した。また、この影響かどうかは不明だが時を同じくして日米平和・文化交流協会‎に所属する複数の国会議員が協会の理事を辞任したり、退会する動きが見られた。
出版されている著書はいずれも経済関連のものであり、一連の著書の中で大門は一貫して新自由主義やグローバリズムを批判し、「社会的公正」の必要性を説いている。
消費者行政 [編集]
消費者行政、消費者問題に詳しく、政治家と業界団体との癒着の問題などをしばしば国会で取り上げ追及している。
2008年5月、民主党の前田雄吉が行ったマルチ商法を擁護する質問をとりあげて追及した。また同年10月には消費者担当大臣野田聖子が1996年にマルチ商法を擁護する質問をしたことを追及。野田氏から「12年前の私の知識では、消費者側からの推察が足りなかった」との答弁を引き出し、自民党、民主党の二大政党とマルチ業界の癒着を告発した[2][3]。
2011年、与党民主党とパチンコ業界の癒着を追及。当時野田内閣にいた山岡賢次、前田武志、中川正春、鹿野道彦、古川元久が、業界団体であるパチンコチェーンストア協会に「政治アドバイザー」として名を連ねていることを国会で明らかにし、さらにパチンコ業界から民主党や民主党国会議員への多額の献金やパーティー券購入が行われていることを追及した。パチンコが数多くのギャンブル依存症患者を生み出し、多重債務や家庭崩壊など、消費者の生活に多くの問題を生じさせている現状があり、また様々な犯罪を誘発していること、そしてそのパチンコ業界が賭博の合法化を目指そうとしていることを指摘し、その業界団体と政府内部の癒着を問題視した。また、山岡賢次は当時消費者担当大臣及び国家公安委員会委員長の地位にあり、消費者を保護する立場にある消費者行政の長として、そして公共の秩序を維持する立場にある警察庁の監督者として、その姿勢を問い質した。その後、山岡賢次をはじめ五人の閣僚は相次いで「政治アドバイザー」を辞任している。[4][5]
同じく2011年、パチンコ業界からの献金を受ける国会議員が「カジノ議員連盟」(国際観光産業振興議員連盟)として結び、パチンコ業界からの要望を受け、カジノ(賭博)合法化やパチンコ玉の換金合法化を推進しようとしていること、さらには復興のためと称して東日本大震災の被災地である仙台空港周辺にカジノを誘致しようと動いていることを国会で明らかにし、射幸性が高く犯罪を誘発し公序良俗を乱すとされるために現行刑法上禁止されている賭博の合法化を推進して剰え被災地にカジノを誘致しようとするカジノ議員連盟の問題性を追及した。[6][7][8][9][10]
テレビ出演 [編集]

放送日 番組名 局
2010年12月25日 西部邁ゼミナール〜戦後タブーをけっとばせ〜 東京MXテレビ
2011年1月8日 西部邁ゼミナール〜戦後タブーをけっとばせ〜 東京MXテレビ
著書 [編集]

『「属国ニッポン」経済版―アメリカン・グローバリズムと日本』新日本出版社、2003年6月
『新自由主義の犯罪―「属国ニッポン」経済版2』新日本出版社、2007年10月
『ルールある経済って、なに?―社会的公正(ソーシャル・ジャスティス)と日本国憲法』新日本出版社、2010年4月
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与党民主党に人材なしが今日も証明された。


[削除理由]:意味のない投稿
05. 2012年8月01日 08:38:32 : bfiHqt1iFQ
馬鹿は最初から解っている。自民党だもの。相手にするな。桜井もいい加減な議員だよ。3か月前まではテレビに出て、これからの日本はアメリカ追従か否かで政変が決まる。自分は否だと言ったいたのに、3か月たった今は民主党の弁者になって消費税増税賛成側にまわった。増税は地元の評判が悪い事に気づいて言い訳しているようなもの。最近桜井は政権側についた。

06. 2012年8月01日 14:57:04 : uuH8GaXKkI

自民が参院で、多数派になったら


もう、どうしようもなくなる


07. 2012年8月04日 19:38:47 : opuSlfFAh2
住宅が20年で資産価値0になる。桜井議員も不満だった。私もだ。これが日本人労働者が豊かになれない奴隷的被支配性だ。外国は償却ももっと長い。

何故、三井文庫長由井常彦さんが江戸は20年に1度は火事になる。商品は蔵に入れ逃げた。家は引き倒されても良い様に作った。これって伊勢神宮の20年遷宮と同じだ。

三井家は藤原氏で六角氏が織田に追われ、伊勢に逃げた。要は古代ヘブライだ。

ヘブライのペースで原日本人は使役されている。国民が幸せそうな国の制度を入れて日本人も幸せにさせたい。私も幸せになりたい。日本という人を不幸にする仕組みの国だ!OECD比較しよう!!!!


08. 医師 2013年4月11日 19:37:52 : qT691AWz6yQAg : b1BsgvbDgY
こいつバカだもの。
議員としての仕事はなにもしてないだろ。

次は落選させた方が国の為でもあるし、本人の為でもある。


9. 2016年7月12日 03:31:12 : 0sy6sf3MDk : c8A_0kOLP38[1]
今年も当選してしまった。
これだから、比例区はどうしようもない。

某検査センターの専務だったが、その某検査センター自体がセクハラ、不倫でどうしようもない企業文化、もしかしたら当人がこの企業文化をつくったのかもしれない。

いずれにしても、比例区反対。
比例区がなくなったら選挙に行く



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