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消費税論議もまともにできない幼稚なエリート層を持った日本社会の不幸
http://diamond.jp/articles/-/22273
2012年7月27日 週刊 上杉隆 :ダイヤモンド・オンライン
ゴルフダイジェストの取材で英国に行ってきたため先週はお休みをもらった。
全英オープンの会場であるロイヤルリザム&セントアンズには一日5万人以上の観客が世界中から訪れる。マンチェスターの北西70キロ、アイリッシュ海沿いの田舎町は一気にお祭り騒ぎに包まれた。
英国経済は絶好調とは言い難いもののかといって不景気とも言えない。確かに、市民生活はインフレで圧迫されているものの、2012年、国内各地で続く多種多様なイベントが、なんとはなしに国民の中に盛り上がりの空気を作っている。
ロンドンでのオリンピックは言うに及ばず、エリザベス女王即位60周年、リバプールでのビートルズ誕生50周年、そして例年開かれるウィンブルドンでの全英オープンテニスなどもそうだ。もちろん、英国各地を移動する全英オープンゴルフもその例に漏れない。
こうした伝統と文化を継続させるイベントコンテンツを持っている国は強い。住民参加のみならず、世界中から人を集めることで、地域経済の活性化や雇用の創出なども見込め、さらには税収増も期待できる。
実際、ロンドンオリンピックの開催費用は、当初見込みの3倍が見込まれ、ロンドン市にとって財政的な負担になっている。住宅費や公共交通が上昇し、市民の不満も頂点に達しているが、それをオリンピックによる景気刺激策によって、ある程度まかなおうとしているのだろう。
英国にはそうした武器となる文化があるのがうらやましい。いや、米国ほどではないがそれを活かすのがうまいのかもしれない。
そのためには、官・民、そしてメディアも一体となって、それぞれの「祭典」を盛り上がるのに一役買っていることが大きい。
翻って日本はどうか?
■この国のエリート層はいったいどこを向いているのか?
日本に帰国して、最初に接したニュースをみて筆者はがっくりきてしまった。それは、英国で見たシステムとまったく逆行するものを見せつけられたからだったかもしれない。
文楽をめぐる橋下徹大阪市長と世論との不毛な戦いをみて、いったいこの国のエリート層、とくにマスメディアの幹部たちはどこを向いているのだろうと嘆息してしまったからだ。
文楽が、市長の言うようにエンターテインメントであろうと、あるいは協会の言うように伝統芸能であろうと、要は人が見なければ無意味なのであるから、そのための方針や政策を遂行すればいいだけの話ではないか。
ところが、現在の議論を見ていると、補助金の是非や技芸員の給与の多寡に焦点が当たり、その点で論争になっている。もはや、文化や伝統の中身の問題ではなく、またなぜ文楽が必要かという議論が欠落しているのである。
これは芸能文化分野だけにとどまらない。極めて日本的なマスメディアによる極めて日本的な議題設定のおかげで、日本のあらゆる分野に広がってしまっている。
たとえば、現在、消費税(増税)については参議院で審議中だが、もはやその根底となる増税の前提や必要性の議論が抜け落ちて、あさっての方向に進んで行ってしまっている。
というのも、消費税を導入する必要性については、当初、国の財政にとって必要不可欠であり、増税がないと日本経済は破たんするという脅しにも似た前提があったはずだ。
ところが、竹下政権での導入、橋本政権での引き上げを調べると、その後、財政状況が改善したという事実はなく、いまなお国の「借金」は増え続けているというのが現状だ。
政治に対してそのウソを突きつけるメディアはなく、その代わり、そうしたプロパガンダにやすやすと乗り、議論を増税の中身よりも政局における法案の可否をめぐる権力闘争に焦点を置いて報道を始めてしまっている。
民主党VS小沢新党の対立報道がその最たる例だろう。
■英ブレア政権での増税時にはメディアで徹底的にディベート
本来ならば、新党結成や解散総選挙の日付など国民生活にとってどうでもいいことだ。そんなことを報じる暇があるのならば、民主党の2009年マニフェストで約束したことだけを報じていればいいのだ。
3年前の公約では、増税の前に、国会議員の歳費や定数、あるいは国・地方を問わず公務員の数の削減などを行い、さらに一般、特別会計を合わせた全予算の総組み替えを行って財政支出を抑えた上で、最後の最後に国民に増税などをお願いするとなっていたのだ。
それは菅元首相の言葉を借りれば、「鼻血が出なくなるまで」であるし、野田首相でいえば、いわゆる「シロアリ発言」への検証を行うことにつながる。
ところが、日本のエリート層には健忘症が蔓延っているのか、あるいは自らのつまらない利権に関わるとでもいうのだろう、そうした議論を避けて、信じがたいほど幼稚な「論争」に埋没することで思考停止している者が多いのだ。
ブレア政権時の英国では、増税の前に徹底した歳出削減と無駄遣いの見直しを行なった。公務員の数を約17%削減したのを皮切りに、議員も給与削減によってみずから身を削った。その上で、謝罪とともに増税を国民にお願いしたのである。
その過程では党首討論などの議会での討論、なんといってもメディアでの徹底したディベートが繰り返されたのだ。
確かに、増税の是非と増税派、反対派などというような単純二元論に陥る議論もないことはなかったという。だが、それはあくまでタブロイド紙などの報道レベルにすぎず、タイムズ紙などエリート層を読者に抱えるディベートがそこまで堕ちてしまうことはまれであったというのだ。
日本は文化芸能のみならず、政治の分野においても「継承」が不得意で、結果、検証をおろそかにしてしまう。だからこそ、目の前の事象にのみ近視眼的に飛びつき、そしてそこで議論して自ら混乱、結果として、本質を見失うということを繰り返してきたのだ。
このような幼稚なエリート層を持った社会は不幸である。それは消費税議論どころか、文楽のような自前の芸能文化すら論じることができないことからも明らかだ。
全英オープンゴルフは今年で141回目を迎える。19世紀期に始まったイベントを継承する営みは、結果として英国という国家の財産となり、力となっている。それは王室でも、ビートルズでも同様だ。
そうした文化を育て、いまなお守っているからこそ、国家としての力になっているのだ。
日本に「ビートルズ」が生まれないのはこうしたわけだろう。
それは、英語という言語の優位性とは別に、消費税論議すらできない幼い社会性にある。そうしたシステムと慣習の奴隷から、いったい日本はいつ脱却できるのだろうか。
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