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野田総理の地元(船橋市)で超ローカルな超インパクトある集会デモ――選挙民は黙っていられない(レイバーネット日本)
私邸前 大声で誘導する警官家の前は私服が固めている。こげ茶の家が野田邸 右は会場の公園
生活を根本から変えなければと語る
野田総理(写真)を前に
(左)デモ出発 (右)新京成線のわきを通って
7月22日に、野田総理の地元つまり私の選挙区で「原発さよなら千葉」主催の集会デモに参加した。野田氏の自宅は総武線の津田沼から新京成線に乗り換えて4分、薬園台にある。
会場の樫の木公園は、小さな児童公園である。3時40分、警察の車が続々、といっても小さいのが4台が到着しても、主催者以外ちらほら。なんかいい雰囲気で少しずつ増えてくる。開会の4時には数十人が。最終、200人くらいか。
堅苦しい挨拶抜きではじまり、マイクを向けられるとだれもが自分の言葉で話し始める。
「野田も、若いときは金権に異を唱え、駅前で訴えていた。マニフェストも……」と変節を嘆き「愚挙をやめさせたい」と。
「家庭菜園に精出していたが、群馬や栃木の家庭菜園の作物を食べるなと……」と栃木から来た人。「使用済み核燃料プールが心配でたまらない」女性。
30分歩いて来たという若い女性は、「長崎出身の母の話を聞き、小さいころから原子力に疑問を持っていた」と話し始め、北欧で見た波力発電は、日本の技術だと知り驚いた経験、根本的に生活の仕方を変えなければならないと思ったことなどをとつとつと語った。 いつの間にか、鉄棒にもたれてこちらを見ている制服姿。声を掛けると中学生だという。「人が集まっているから、なにをしているのかと思って……」ということだった。大事なことといいつつも、デモには参加せず帰って行った。
さて、デモ出発である。踏切を渡るとこの町の繁華街。といってもスーパーを中心に数百メートルのみ。沿道では、横目で見ていく人、店から出てきて見物している主人、手を振る人も。なんといっても公安警察と県警写真班が多い。写真班は官邸前でも目立ってきたが、なにかあったら撮ると言っていた。なくても撮っていたけどね。
警備の警官のうるさいこと。耳元で「前を開けないで詰めて、ゆっくり歩いてください」とコールより大声で叫んでる。思わず「幼稚園の遠足じゃないんだから、そんな大声出さなくても大丈夫よ。のど痛めるし、疲れちゃう」と声をかけると静かになった。ところが今度は、そんなことは言わせないという勢いで全員が叫びだす。後で気づいたが、そういう声を必死であげていたところが事務所と自宅だった。
流れ解散後すぐに引き返し、野田邸前へ。大きな県警の輸送車と、警官、私服が数人で守っている。郵便受けは閉じられ、事務所へと張り紙が。塀には民主党議員の立て看板が数枚立ててある。家は普通の家といわれていたけど、本当に普通の、プレハブ工法のような家だったが、シャッターがぴっちりと閉じられていた。
事務所は、スーパーの駐車場に隣接して小さなビルの2階。そこの駐車場にも若い警察官が待機している。「みなさん、福島へ行ったでしょう」「ええ、20キロ圏にも行きました」「大変だったわね」「業務ですから……」「断れないしね。そういうのが私は我慢が出来ないの。また被曝するところに行かないで済むように、私たち頑張るからね。私たちを守ってね」頷く人もいれば、一生懸命無表情の人も。「そんなに肩に力入れなくて大丈夫よ。制服着ていたって、心は個人よ。自分の想いを大切にね。被曝したくないでしょ」と声を掛けて、今日のデモは終わり。
ところで「野田はやめろ」というコールには、唱和できなかった。野田が辞めても、この体質は変わらない。もっと根本を変えなければならないと思うから。
枯れ木も山のにぎわいだから、29日の国会包囲に行こう。
(左)私邸前の立看 (右)野田邸郵便受け
野田事務所の窓
(文と写真:笠原眞弓)
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