http://www.asyura2.com/12/senkyo133/msg/412.html
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NHKの「メルトダウン 連鎖の真相」という福島第一原発事故の検証番組についてあれこれ考えていることで関連してきた投稿である。
※ 「「SR弁」・「配管漏れ」・「物資調達」を持ち出したNHK「メルトダウン連鎖の真相」のマヤカシ度やデタラメ度を検証(前編)」
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/781.html
「意見聴取会」は、2030年の発電方式別電力供給比率とりわけ原発による電力供給の比率を策定する前段階として、国民からも公開で意見を聞こうという催しである。
この意見聴取の過程で、東北電力や中部電力の従業員が意見表明を行う機会を与えられたことが問題視され、野田首相は、電力会社関係者からの意見表明を断るよう指示した。(その後も、中国電力が組織的動員で意見表明の機会を得ようとしていたことが発覚している)
橋下大阪市長は、このような政府の動きに異を唱えたわけである。
前にも書いたが、橋下氏は相変わらず、ある層についてだが、気持ちの“つかみどころ”をよく知っているなあと思わせる対応をしている。
未曾有の放射能放出事故を起こしたことだけでなく、電力会社が経産省(通産省)と一体で組織的に“原発安全神話”創造に関与していたことが知れ渡っている今では、政府が主催する「意見聴取会」なるもので電力会社の関係者が意見を表明することに強い怒りや違和感を抱く人が多いのは当然であろう。
その一方で、民主主義や平等の観点に照らせば、橋下氏のような論も成り立つ。
橋下氏は、電力会社の関係者に意見を述べさせることに多数が反対であろうという認識のもと、民主主義や平等という理念を支えに、「電力会社の意見も一つの意見。公正な手続きで選ばれたなら、どういう意見だったとしても聞かないといけない」(産経新聞記事)と異を唱えたのである。
橋下氏がどこまで認識しているかはわからないが、ときとして独裁も辞さないと表明している自分が民主主義の擁護者のように振る舞い、大方が声高に民主主義を叫ぶ人でありながら「意見聴取会」から電力会社関係者の排除を求める“自己矛盾”を際立たせようとしたワケである。
橋下氏の考え方に強く反対する立場として、その理由を述べたい。
● 「意見聴取会」は電力会社が意見を表明する場なのか?
橋下氏は、電力会社の従業員も国民の一員であるという観点ではなく、「電力会社の意見も一つの意見。公正な手続きで選ばれたなら、どういう意見だったとしても聞かないといけない」というレベルで論を立てたことで大きくしくってしまったと思う。
電力会社は、公共性が高い認可事業者として、毎年提出しなければならない電力供給計画の提出から料金の決定まで、政府との“一体性”が求められている事業者である。
この電力供給問題関連で言えば、電力会社は、ことさら「意見聴取会」なるもので意見を述べずとも、「意見聴取会」の聴き取る主体である政府にいくらでも意見を具申できる立場である。
原発の建設・運営そのものが、政府の主導で電力会社がやらされてきた事業と言える。その結果が、“原発依存症体質”の電力会社を生んだのである。
総括原価方式で原発施設もそれを建設するための借入金債務履行も、“権利”としての利益に上乗せできるネタであり、原発建設に伴う地元の反対も、電力料金に転嫁されている国費を使った懐柔策で乗り切れ、最低でも19兆円まじめに試算すれば70兆円とも言われている「核燃料サイクル」(原発の後始末)のコストは、“未来任せ”や“政府任せ”で知らん顔ができるのが電力会社である。
「意見聴取会」のテーマである「2030年の日本の方式別電力供給比率」は、そのまま、公共性の高さを認められ地域独占構造も認められている電力会社の経営の在り方を決めるものでもある。
そして、「意見聴取会」なるものを開催したのは、それについて、放射能の害に怯えることのない生活の安寧のみならず、電力料金を支払う立場として電力料金の高低で影響を受ける一般国民からも意見をうかがいたいため(建前だが)であろう。
電力会社は、ダイレクトの利害関係者である。
さらに言えば、電力会社は、どのような発電方式を求められるようになっても、中期的にはしかるべき利益が得られる仕組みと権益を与えられている。(但し、使用済み核燃料まで資産になる原発のほうが利益額は大きい)
原発を廃炉にするにしても、その費用を負担するのは電力料金を支払う一般需要家とされている。
「意見聴取会」は、電力会社の事業活動に否応なく影響を受ける一般国民(需要者)から意見を聴取する場であり、電力会社が政府に意見を述べる機会があってもいいとする橋下氏の論は成立しないのである。
いわゆる有識者や研究者も、政府の諮問会議・テレビ番組・新聞に掲載される論考記事などを通じて、自分の考え方を公表しひとに影響を与える機会を一般国民よりは有していると言えるだろう。
「意見聴取会」は、意見を公表する場がほとんどない人への“場の提供”が基本的な役割だと考えるべきであろう。
このような意味で、当初から、「意見聴取会」で意見を表明できる範囲に、電力会社関係者(子会社や一定比率の取引先・生計を共にする家族を含む)や電力事業にかかわる研究活動を含めない手続きが必要だったのである。
このようなことから、橋下氏が電力会社の従業員も国民の一員であるという観点で異を唱えていても、受け容れることはできない。
政府が、どうしても、そのような機会が必要だと思うのなら、別の場を設定すれば済むことである。
● 意見表明者の公平な選出とは
橋下氏は、「電力会社の意見も一つの意見。公正な手続きで選ばれたなら、どういう意見だったとしても聞かないといけない」と主張したが、このような「意見聴取会」で意見を述べる人をどのように選べば公正と言えるのだろうか。
ざっと考えると、二つほどあると思える。
一つは、会場別に意見表明を求めた人から抽選で決めるというもので、もう一つは、@からCの電力供給方式比率の“支持割合”に応じて、会場別に選択肢ごとの意見表明数を決め、誰が意見を表明するかは抽選で決めるというものである。
最初の抽選方式であれば、意見表明申し込みに組織的動員をかけるところがあると、その組織の意向を代弁する人が意見を述べる確率が高まり、公正さが損なわれるとも言えるだろう。
二つ目は、選択肢別支持状況を知るために、国民投票的手続きが最初の段階で必要となる。
私は、1ヶ月という極超短期の意見を聴いて済ますという態度は受け容れがたいので、まずは世論調査的国民投票を行い、その結果をベースに議論する機会をつくることが公正さを担保するものと考えている。
せっかくの機会なので、橋下氏の発言からは少しずれるが、「意見聴取会」について思うところを述べたい。
● 「意見聴取会」は政策決定に意味を持たないイベントである
「意見聴取会」という名称でわかるように、このイベントは、あくまでも、政府が国民の声を聞くということでしかない。
政府が1ヶ月間で数百人、数千人の声を聞いたとしても、国民の意向を知ることにはならない
「意見聴取会」という得体のしれないものを、1ヶ月という短い期間に限って開催し意見を聞くというくらいなら、その結果が政策を縛られないという条件の“世論調査”レベルでかまわないから、国民投票的方法で国民の意向を探るべきである。
さらに、「意見聴取会」のテーマが、「脱原発」の是非ではなく、「2030年の日本の方式別電力供給比率」というのもおかしなものである。
まずは、福島第一原発の事故を踏まえ、原発をやめるか続けるかが問われなければならない。
「日本の方式別電力供給比率」は、その次の段階で議論されるべきテーマだと考える。
3.11以降の日本にとって、原発問題は、たんなるコストでどうこう言えない生存様式をめぐるテーマなのである。
「2030年の日本の方式別電力供給比率」の選択肢として示されている3つ自体が、茶番なのである。
@原発ゼロ:再生エネルギー35%:火力65%
A原発15%:再生エネルギー30%:火力55%
B原発20〜25%:再生エネルギー25〜30%;火力50%
まず、この比率の分母になっている年間1兆Kwhという電力需要の構造がまじめに議論されなければならない。
総需要は仮にそうであっても、電力供給活動は、ピーク需要に合わせなければならないという隘路があり、夏場のある期間のある時間帯の電力需要に応えるためだけで全国で3千万Kwhの超過的発電が必要になるという構造になっている。
これまでほとんど“蓄蔵”できなかった電力を電気自動車や大型蓄電池を活用して蓄蔵することでピークカットを行えば、最大発電能力を20%は優に引き下げることができる。
供給が不安定な発電方式である風力や太陽光も、蓄電と絡めば活用法ががらりと変わってくる。
また、石炭から天然ガスまでと幅広い火力を一括りで考えることもできないし、「原発がゼロ」だから「再生エネルギー35%:火力65%」だとか、「原発20〜25%」だから、「再生エネルギー25〜30%;火力50%」だというわけでもない。
「原発0:火力65%」・「原発20〜25%:火力50%」といった選択肢の提示は、「火力=二酸化炭素排出→地球温暖化」という潜在意識に働きかける意図があると推測できる。
「原発0:火力50%」で「原発20〜25%:火力65%」という比率もあり得る。
だからこそ、まずは、原発を維持するのか廃止にするのかという選択がなされなければならないのである。
● 「意見聴取会」は新たな“世論操作”手法の一環
これも米国発のものだが、世論操作テクニックとして、今もてはやされているのは、議論の場を通じて考え方を変えていく手法である。
これまでのように受け身的な相手をある方向に誘導するのではなく、主体的に議論に参加させるなかで、考え方をある方向に誘導しようという手法である。
概要を言えば、企業や権力機構が望ましいと思っている方向を共有する有識者(口先がうまい人)を“仕切り屋”とした1泊2日ほどの議論の場に参加した人は、けっこうな割合で望む方向に意見を変えるという実験から導き出された手法である。
実を言うと、この仕掛けは、つい最近、NHKが大々的に“社会実験”を行った。
NHKは、7月14日夜に「激論 ニッポンのエネルギー」という視聴者参加型の討論番組を生で放送した。
視聴者は、FAXやインターネットで意見を表明することができ、番組が提示する設問に答えることもできる。
“社会実験”というのは、番組が、番組冒頭と番組最後に同じ設問で意向を調査したからである。
設問は、前述した2030年に望む電力供給方式の比率である。
@原発ゼロ:再生エネルギー35%:火力65%
A原発15%:再生エネルギー30%:火力55%
B原発20〜25%:再生エネルギー25〜30%;火力50%
C その他・わからない
[番組冒頭]
@51%A30%B18%C3%
[番組最後]
@44%A35%B17%C4%
むろん、これらの値が視聴者の選択結果を素直に示したものなのかもわからないが、NHK関係者は“生”のデータを持っているのは間違いないから、番組のような手法が、“世論誘導”により効果があるかどうかはわかる。
放送された内容によれば、参加者の絶対値は変わっているのだろうが、1時間20分ほどの討論番組に参加した人の7%は、原発ゼロから意見を変え、原発15%(5%増)や判断できず(1%増)に移ったと言える。
原発20〜25%も18%から17%に減少しているから、“生データ”である可能性もある。
とにかく、権力機構やその報道機関であるNHK(その他の主要メディアもだが)は、常人には計り知れないほどえぐいのである。
私も含めて、あれこれ言う人のことをうかつに信じてしまえば地獄に引き連れられてしまう。いつまでもと言うわけにはいかないが、ものごとの正否はぎりぎりまで考え抜いて判断しなければならないと思っている。
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