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「松下政経塾」出身の野田は、「松下村塾」の志士とは月とスポン雲泥の差だ!
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2012.07/22 ハイヒール女の痛快日記
はじめまして!東京ルミックスです。
幕末維新ではハイカラさんの履物ハイヒールが人気の的だった?!
松下政経塾出身の政治家が政界を跋扈している。商売の神様・松下幸之助が次代の国家指導者を育成すべく私費を設立したことで有名だが、公的には松下政経塾として、政治思想や立場に置いて特定の指導がされたり、一定の思想が排除されることはないという?
今や政界きってのブランド!なんと松下政経塾出身の国会議員は40人近くに上る。
しかし、結果として卒塾生の多くがインチキろくでなしクズ政治家になり下がっている。野田を筆頭に前原誠司、玄葉光一郎、松原仁、樽床伸二、原口一博など「次期落選候補」が目白押しだ。崇高な思想など一切捨て去り、既得権益の走狗に走った連中だ。
日本を滅ぼす松下政経塾出身の政治家どもは要らない!
私は「松下政経塾」出身という名前だけ紛らわしい言葉を見るたびに、まったく格上の吉田松陰の「松下村塾」を思い出す。しかし、高杉晋作などの「松下村塾生」に比較して野田ら「松下政経塾生」は、
月とスッポンくらい人間としての差がある。これこそ似て非なるモノだ?
松下村塾は長州藩の私塾で、藩校明倫館の塾頭を務めた吉田松陰が引き継ぎ、明治維新の原動力になった数々の英雄を生み出した。高杉晋作、久坂玄瑞は「識の高杉、才の久坂」と称され、「松下村塾の双璧」と呼ばれた。
そして、その後、彼らの末弟の伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、松本鼎、岡部富太郎らが、明治政府の最高指導者を担った。松下村塾の塾生たちは、藩の仕事を与えられ、次々と江戸や京都に散って行った。松陰は彼らを「志士」と呼んだ。国を憂え、現状を変革しようという気概を持った志のある人という意味だ。
間違いなく、松下村塾の志士たちは近代日本の魁を担った人物ばかりだ。
野田が政治生命を懸けて消費税を上げ、自身の責任で原発の再稼働を行うというが、何れもまやかしだ。政治生命を懸けてもないし、責任も取れるはずはない。自らが既得権益者にならんがため、国民の民意を無視した政治を行っているだけだ。
現在の政界を眺めても「志士」にふさわしい政治家は小沢ただ一人だ。
吉田松陰が使った言葉に「草莽崛起」がある。もともとは「草莽」の意味は一般大衆で「崛起」とは山のようにわきたつという意味で、いっせいに立ち上がるということだ。
「松下村塾」の志士たちが一斉に「草莽崛起」して明治維新に繋がった。これって、何か思い起こさない。ほらっ、まさしく150年以上前の松陰の言葉が平成の世に甦ってるでしょ。
そう!毎週金曜日に行われている官邸前の反原発デモに似てないかい?
原発問題は日本人の存続だけで無く、世界の存亡にも直結した大きな問題だ。原発の安全性が担保されていないことは福島原発事故で証明されている。野田如きが軽々しく責任を取れる問題ではない。責任転嫁するのは目に見えている。
万が一の場合は、野田は腹を掻っ切って死ぬくらいの覚悟があるのか!
図らずも、初代総理大臣の伊藤博文が「松下村塾」の志士たらんとして、日本の近代国家の礎を築いた。方や「松下政経塾」出身の第95代野田総理大臣は、天下国家を論ずることもなく、ぶっちゃけ「政治=資本主義」的イズムで既得権益の走狗になった。
言い換えれば、自民等の金権政治を引き継いだのは、何を隠そう民主党の野田だったのだ。
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