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ネット社会の国民は、まずは「国民の生活が第一」の下に結集せよ!!かっちの言い分
かっちの言い分
http://31634308.at.webry.info/201207/article_22.html<< 作成日時 : 2012/07/21 23:03
ネット社会の国民は、まずは「国民の生活が第一」の下に結集せよ!!かっちの言い分
今、政治評論家の中で一番考えが近く、常識と正論を述べる一人として、
東京新聞・中日新聞論説副主幹である長谷川幸洋氏である。
長谷川氏の「ニュースの深層」に『復興半ばの石巻、そして官邸前抗議行動の現場から考える「政治はだれのものか」。
国民が政治課題の受け手から発信元になる時代http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33062』に今の政治の行き場の無く、鬱屈した政治状況がよく書かれている。
詳細は本文を読んでほしいが、この主張のポイントを上げて見た。
今、官邸前に抗議に来ている国民は、60年、70年安保のときの学生運動家や学生ではなく、また労働組合が音頭をとって集まってきた労働者でもない。
それこそ、自然発生的に、今の政治状態をそのままにしていたら、この先どうなるかわからないと不安になり、
居てもたってもいられない一般の老若男女が集まってきていることが本質的に違うということが、この記事の根源的なベースである。
長谷川氏は、『野田のデタラメと自公の矛盾』において、民主党、自民党、公明党のそれぞれの党内事情による打算の上に成り立った3党合意のデタラメを看過している。
国民は野田のデタラメに呆れているが、野党だって辻つまが合っていない点を見抜いている。
石巻の被災者たちにすれば「消費税を上げる算段をする前に、
復興の枠組みをしっかり合理的に整えてほしい」という思いであるに違いない。
さらに、本来社会の規範となるべき、マスコミ、教師も信用できなくなってきた述べている。
「政府もマスコミも教師も信用できない」
官邸や国会議事堂前に集まる人々は「原発反対」で声をそろえている。
だが、本質的なメッセージは「政治を国民の手に取り戻そう」という点にあるように思える。
ようするに、なにもかもが信用できない。そういう不信の連鎖が起きている。
前回コラムで紹介した女性の「長いモノには巻かれろではなく、
大事なのは個人の1人1人なんです」という発言はそういう空気を背景にしている。
今、国会に集まって来て声を上げる国民は、明の部分の活動であるが、
実際は国会にも行けず、しかし、何とかしなければならないと思っている陰の部分の国民は何十万倍、何千万倍もいる。
そこでは、地球のマグマのように、いつ、いかなる条件でも爆発するマグマが吹き出す
ルートを目指していがみ合うほど時間はない。
もう政治の主役は国民になったと述べている。
政治の主役は政党・政治家から国民に
官邸前の抗議行動は、そんな従来の「政治の構造」を問い直す萌芽なのかもしれない。
それは、こういうことだ。
政治課題を設定していたのは政党や政治家だった。
だが、これからは個人が課題を設定する。たとえば原発反対なら、その1点で投票行動を決める。
国民は政治課題の受け手ではなく発信元になる。
1人1人が明確な課題を設定して、政策の実行を政党・グループ・議員に迫る。
つまり、政治の主役が政党・政治家から国民に交代する。
会社や家庭から街頭に出てきた抗議行動の参加者たちは、
そんなパラダイム転換を政党や政治家に迫っているのではないか。
「再稼働反対」のシュプレヒコールを聞きながら、私はそんな思いを強めた。
「国民の生活が第一」のスローガンは、正に国民主在という理念を基盤として、
上記の国民の声を吸収出来るはずである。自立した国民は、政党を逆に育てなければなない。
ネット社会の仲間は「生活」党に結集すべきである。
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