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平和ボケの産物の大友涼介です。
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『次の選挙は圧勝する』と断言した小沢一郎の『自信の根拠』週刊ポスト2012/08/03号
<書き起こし開始→ (※注1関連記事参考)及びそのリンクはブログ主が勝手に追加しました。
今回ばかりは小沢はダメだろう。そんな空気が今の永田町には充満している。それでも小沢氏は「選挙は近い。絶対勝つ」と断言し、その不敵な姿勢が「またも奴にやられるのか」と、”小沢切り”を果たしたはずの野田政権を怯えさせている。小沢氏の自信はどこから来るのか。
◆民主党執行部の焦り
民主、自民、公明の増税連合は衆参国会議員の8割以上を占める。それに対して「反増税」を掲げる小沢新党「国民の生活が第一」は衆院37人、参院12人に過ぎない。数の上では風車に挑むドン・キホーテか、蟷螂の斧だろう。
小沢嫌いの大新聞5紙は、今度こそ小沢一郎は再起不能になったという論調で足並みを揃えた。
<孤立深める船出>(毎日)
<多難な船出>(日経)
<展望なき船出>(産経)
<小沢王国分裂>(朝日)
<大衆迎合の色濃い「生活第一」>(読売)
民主党執行部は、全国幹事長会議で小沢氏ら離党組の選挙区に刺客候補を立てる方針を打ち出し、野田首相側近は、「小沢を証人喚問して国会で晒し首にする」と息巻いている。
だがそうした行動が逆に民主党の「焦り」を露呈しているのだから皮肉である。
そもそも、増税派の数を背景にすれば、小沢新党などものの数ではなく、増税法案成立には歯牙にかける必要もない存在だろう。それなのに、「刺客」や「証人喚問」といった民主党の恫喝や<小沢新党「人気取り」がにおう>(朝日)といった各紙の社説からは、とても”勝者の余裕”は感じられない。
そんな戸惑いを象徴するのが岡田克也・副総理が思わずこぼした次の言葉だ。
「もうちょっと内閣の支持率が上がってもいいのにと思ったのだが・・・」
実は、首相官邸では、「小沢を切れば支持率は最低でも4ポイントは上がる」(総理補佐官の1人)と分析していた。ところが、野田内閣の支持率は過去最低の21・3%を付け、民主党の政党支持率も6・7%まで落ち込んだ(時事通信)。国民から見れば、大増税や原発再稼働に突き進んできた野田内閣が支持を失うのは当然だが、本人たちは「小沢を切っても支持が上向かないのはなぜだ」という、言い知れぬ不安と焦り感じているのである。
増税連合を組む自民党の長老議員は官邸以上に警戒している。
「われわれは小沢に何度も煮え湯を飲まされてきた。政権に小沢を除名させるように仕向けたのは、小沢の選挙ノウハウと民主党の豊富な選挙資金を切り離すのも狙いだったが、野に放たれた小沢が次に何を仕掛けてくるか油断はできない」
対照的なのが小沢氏の言動だ。小沢氏が新党結成を最終的に決意したのは、民主党執行部が両院議員懇談会を開いた翌日の6月21日とされる。まだ法案の衆院採決前だった。
この日、増税反対派が拠点を置く都内のホテルに集まったグループ議員を前に小沢氏はこう語った。
「選挙になれば、オリーブの木で圧勝する」
議員たちは、小沢氏がすでに新党結成や選挙戦略まで視野に入れていることと、「圧勝する」という言葉の強さに驚いたという。
選挙への自信は、地元・岩手にも伝わっている。
小沢氏は離党前の7月1日、岩手入りして達増拓也岩手県知事や県議らと会談した。その時の様子を佐々木順一岩手県議が語る。
「先生は『近く選挙はある。絶対勝つよ』と話してくれた。あんなに自信に満ちた先生を見たことがない」
そうした発言を「根拠のない強がり」と片付けるのは簡単な話だが、自民党離党以来、小沢氏と行動を共にして「知恵袋」と呼ばれた平野貞夫元参院議員の話は興味深い。
「小沢が選挙に強いのは、国民の意識の変化についての分析が正確だからです。東日本大震災後、小沢はこの震災が必ず日本のあり様を変えるという問題意識を持った。明治維新の13年前にも安政の大地震が起き、江戸幕府の崩壊につながった。だから輿石(東・民主党)幹事長には、時間を掛けて『消費税増税を棚上げして、震災復興を機に日本の資本主義社会のあり方を見直すべきだ』と説得してきたわけです。しかし、説得は失敗した。野田総理は一層、原発再稼働と消費税増税に走ったが、小沢は官邸への反原発デモの広がりに注目し、そこから国民の意識を読み取ろうとした。あれは再稼働反対だけではなく、増税反対、国民の倒閣運動だと。そこで反原発と増税反対勢力を結集する政界再編を構想した」
小沢氏が新党結成直前、特に注目したデータがある。7月12日のYahoo!ニュースのネット世論調査では、約12万人の全体調査で小沢氏らの離党支持が約55%、不支持が40%だった。
「ネット調査の内容を詳細に見ると、民主党支持層の74%をはじめ、自民、公明、みんなの党などの既成政党の支持層が軒並み離党を支持していた。それは既成政党の支持層は潜在的に政界再編を望んでいることを示している。小沢は国民の意識を読み間違っていないと意を強くした」(平野氏)
岡田氏の不安と小沢氏の自信の対比は、国民の意識を読み取る力の違いに起因しているのではないか。
◆1人で600万票を持つ男
それは小沢氏の「選挙不敗神話」と深く関係する。
過去、最大の窮地に立たされたのは1997年末の旧新進党解党の時だった。自民党に対抗する2大政党の一角として小沢氏がつくった新進党は党内抗争が相次ぎ、結党わずか3年で6党に分裂。小沢氏は54人(衆院42人、参院12人)で自由党を旗揚げし、このとき「小沢は終わった」と言われた。
ところが、自由党は1998年の参院選では大メディアの惨敗予想を覆して比例で520万票を獲得、1議席を増やした。
その自由党も2年後に分裂する。衆参50人の所属議員のうち半数以上が保守党を結成、小沢氏に従ったのはわずか衆院18人、参院6人の24人に過ぎず、野党第4党に転落した。現在の「国民の生活が第一」よりも規模の小さい”ミニ政党”に転落し、その年(2000年)の総選挙はまさに崖っぷちの戦いだったが、小沢自由党は「日本一新」を掲げて比例で660万票を獲得して衆院22議席に躍進した。永田町では「小沢は1人で600万票を持つ」と驚愕された。
そうした個人票は依然、健在だというデータがある。小沢新党の政党支持率は産経新聞とFNNの合同世論調査で3・7%(比例の投票先6・5%)、共同通信の調査では4・8%(同5・6%)だった。各紙は小沢新党に「期待しない」という回答が8割を超えたことを強調して報じているが、実は自由党時代の政党支持率はもっと低く、平均3〜3・5%で、2000年総選挙直前に実施された投票先世論調査でも自由党は3・2%(時事通信)に過ぎない。それでも総選挙では660万票を獲得した。現在の小沢新党の支持は当時より高いのだ。
それには理由がある。
元秘書の石川知裕代議士が語る。
「新進党解党でそれまで小沢の支持基盤だった財界、業界団体、宗教団体などが離れたが、その代わりに一般有権者から小沢事務所に大量の激励の手紙やFAX、Eメールが送られてくるようになった。その1人1人に連絡を取り、秘書が直接会いに行くと、相手は感激してくれる。そうした人々が今も小沢支持層の中核になっている」
何度も絶体絶命の危機を乗り切った小沢氏は「選挙の神様」と呼ばれる。その選挙戦略は前述のように国民の意識の変化を汲み上げた「旗」の揚げ方と、計算された集票作戦だ。
自由党では「日本一新」で小沢氏が殴られても前に進むCMが改革者のイメージをつくり、民主党の政権交代選挙は「国民の生活が第一。」と生活再建を訴えた。そして今回は官邸デモの盛り上がりの中で、大連立に対抗する反増税と原発再稼働反対の「オリーブの木」という政界再結集を旗印に掲げようとしている。
もうひとつが「川上から川下へ」の集票戦略だ。
2004年の参院選で小沢氏は時の小泉純一郎首相を相手にそれを実践した。1人区の大分選挙区は自民党前職と民主党新人が激しく競り合っていた。小沢氏は応援に入る前、秘書を通じて地元選対に、「演説場所は後ろに農村風景が広がっているところを選んでおけ」と指示を出した。周囲はその意図をはかりかねた。
狙いは当たった。人気絶頂の小泉首相は大分市内の街頭演説で約5000人を集め、同じ日に地元入りした小沢氏は農村地帯で300人の前でマイクを握った。地元のテレビ局は田舎の小沢氏と都会の小泉氏を対比してニュースで放映した。結果は「小沢さんが来てくれた」と300人の農村票が川下の都市部の親戚などへと伝わって大きな票となり、民主党候補が自民党候補を破った。
「小沢先生は小泉政治で疲弊した農村に立つことで、有権者に小泉氏の新自由主義路線へのアンチテーゼを映像で見せた。次の選挙は消費税増税が争点となる。あくまで想像ですが、小沢先生は増税で経営を直撃される町工場や商店街から遊説をスタートさせ、反増税のうねりを起こしていくのではないでしょうか」(石川氏)
◆故人がばら撒く「夫人の手紙」
小沢氏は前回総選挙で大量のチルドレンを当選させた。
その原動力がざっと50人といわれる秘書軍団だ。新人候補に1人ずつ秘書軍団を貼り付け、候補者には徹底したドブ板を踏むことを命じた。
「都会の街頭演説で政策を語るのではなく、ミニ集会と地元回りで直接有権者の声を聞き、顔と名前を覚えてもらう。1日100軒訪ね、何十キロ動いたかを定期的に小沢先生に報告を上げる」(軍団の1人)
とはいえ、新人がいくらドブ板を踏んでも簡単に票が集まるほど、選挙は甘くない。
その間、秘書軍団は候補者とは別に隠密で選挙区を回る。自民党時代に地域ごとにできた小沢後援会の財界人を訪ねたり、小沢事務所への手紙やFAXをきっかけにシンパとなった支持者に会って応援を依頼する。300小選挙区にいる600万の小沢個人票を掘り起こす作業だ。
秘書軍団はそうした小沢票開拓の状況まで逐一、報告する。そうすると小沢氏の鞄が開き、「具体的にどこに行け」との指示が出る。
小沢氏が「選挙の神様」と呼ばれるようになったのは、自民党総務局長時代の1982年に統一地方選、参院選、総選挙と3回の選挙実務を仕切ったときに全国を回り、各選挙区の情報を身に付けたことに遡る。小沢氏の秘書の鞄には今も300小選挙区の得票率、政党支持率、後援会人脈などが最新データとともに整理され、暇があればその資料を眺めることで知られている。
秘書軍団の1人が言う。
「敵の敵は味方。中選挙区時代は自民党議員同士が同じ選挙区で争った。小沢先生には当時の人脈が頭に入っているから、新人候補を立てたとき、自民党の対立候補の敵方だった元議員やその後援会幹部を味方に付ける。そうすれば落下傘候補でも一定の支持基盤ができる」
ポット出の新人を当選させる小沢選挙マジックの秘密は、小沢個人票の分配と票田の引き抜きにある。
そうした選挙ノウハウを握っているのは小沢氏本人であり、民主党にも新人議員にもない。いわば小沢氏はチルドレンに票田と個人票を貸している関係とみればわかりやすい。「オリーブの木で圧勝する」と語ったのは、仮に、大阪維新の会などの地方政党が小沢新党と連携するなら、集票マシンを選挙基盤がない地方政党の新人候補に乗せ替え、十分に勝たせることができるという選挙戦略に自信があるからではないか。
平野氏が語る。
「選挙になれば小沢新党と新党きづな、それに民主党に残っている造反組の約80人は同じ勢力と考えている。小沢政治塾出身者など出馬希望者は多いから、小沢は新人を合わせて最低でも150選挙区くらいに候補者を立てるつもりではないか。残りは新党大地や減税日本、大阪維新の会との棲み分けになる。オリーブの木とはそれぞれの勢力が独自に選挙を戦うやり方で、選挙の結果によってどんな政権をつくるかの枠組みが変わってくる」
しかし、次の選挙では小沢氏のこれまでにない障害が立ちはだかっている。資金不足と、小沢批判が綴られた「夫人の手紙」問題である。
選挙資金について、旧自由党の政治団体「改革国民会議」の代表を務める前出の平野氏はこう語る。
「『新党結成には議員1人1億円かかる』というが、それは自民党政権時代の発想だ。反原発、反増税を掲げる新党で、カネがかかると考える方がおかしい」
一方、夫人の手紙(※注1関連記事参考)は地元後援者などに広く送られ、「小沢王国」も動揺し、小沢氏本人さえも苦戦必至という報道もある。
=== 関連記事 =====
「小沢一郎 妻からの『離縁状』全文公開」(松田賢弥+本誌取材班)週刊文春2012/06/21号http://amba.to/NFdnxo
「小沢家の悲劇 『妻・和子の手紙』の真相」週刊ポスト2012/07/06号 http://amba.to/NFdIAk
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地元の反応はどうなのか。水沢の古い後援者が言う。
「和子夫人はもう10数年前から来なくなってね。手紙は最初はたまげたけど、手書きでなくコピーが別々の郵便局の消印で1人に何通も送られたり、差出人がとうの昔に亡くなった人だったりと、支持者はあれはおかしいなと思っている。自民党を離党した時から小沢への悪口には慣れているからね。若い人は知らないが、昔からの支持者は変わりませんよ」
皮肉なことに、この手紙自体、小沢氏が離党後もまだ政治的影響力を失ってはおらず、民自公の増税連合にとって脅威の存在であり続けていることの証左でもある。
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