http://www.asyura2.com/12/senkyo133/msg/291.html
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信州では【TBSの休日朝の下らん老人クラブの愚痴】は放映されていない?!と思うが、掲題のビデオを埼玉で見た。その前後が判らないが、所詮、三宅久之と同じマスコミ指令所ネタだろう。特に高速無料と暫定税率廃止は地方庶民貧乏人には民主政権への願望だったから、必ずTV新聞を見ていた。イサンのノロン派の妨害と同じ事が行われた。
三宅さん用に書いたのを準用したい。仙石は悪知恵が働くので偏差値は高いだろうから、無知ではなく、悪意での発言だが、武村は東大教育=文3から経済に学士入学と判明。何浪して自治省に入ったのか???大越似の東大教授御厨?は聞くだけか?
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【僭越ながら愚妻並み偏差値50以下の理解力レベルの三宅久之さんに暫定税率鶴の一声の訳をお教え致します!】
http://www.asyura2.com/12/senkyo129/msg/757.html
投稿者 アサマタロー 日時 2012 年 5 月 06 日 16:11:24: UiY46YlCu.Moc
たがじんのそこまで言って委員会2012.5.6 13:30〜を13:50から見た。丁度、また三宅先生が言ってくれた。やはり、視聴者の期待を決して裏切らないのが芸能界に上手く生きる売れるキャラなのだろう。
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【三宅:小沢さんは選挙前は暫定税率を廃止すると言ったのに、官邸に乗り込んで来て、廃止を中止させたではないですか!!!】
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愚妻も同じことを言っていた。暫定税率廃止してないじゃない!!高速無料や千円高速も全部だめじゃないの。ETCは買うなとお父さんが言うから我慢したのに、民主政権が怪しくなってETC買ったら、今度は千円も中止で騙された。高いものに付いたじゃない。
私は愚妻と同じ高校で知能レベルは安心していたら、子供の公立高校失敗で初めて分かった。私の普通科は妻の時には乙で愚妻は普通科甲=私の頃の家政科出だった。だから、こんこんと諭したが理解力不足で理解出来なさそうだった。
その愚妻とソックリ同じことを三宅さんも言ってくれた。やはり、偏差値が問題で人の話が理解出来ないのだ。三宅さんの場合、誰も怖くて、芸能番組や報道番組の出番を邪魔されると恐れ、遠慮して、三宅欠落知識を訂正させないのだと確信した。諭す人が居ないのだ!ちなみに甲乙間の偏差値格差は15〜20あった。【フォークダンスの人数調整?】人の話を聞いても解からない事が多くなり、沸騰ヤカンの蓋の様な暴言になるのだ!
『暫定税率廃止の中止、160円越えたら引き下げ』は窮余の一策のアイディアマンの知恵だ。官僚サボタージュや旧自公政権の謀略・業界が怨嗟の声演出=イサンのノロン派のサボタージュ・妨害工作を見ればヘブライ系渡来人の意地悪さが解かるでしょ!意地悪出来る人は渡来人系子孫です。【中丸薫・古代天皇家と日本正史】【金容雲・日本=百済説】を是非、お爺ちゃんの年金をお小遣いに貰っているお孫さんは、買って来て読んで差し上げて下さい!!目から鱗の知る喜びを体感頂き、誤解を解いておいて頂きたい。
これは、丁度、小学生の学級会が紛糾してまとまりが着かず、PTA参観日直前、先生が乗り込んで老練政治家目線で落とし所を示しただけです。だから、国民にも希望を持たせ様と、高騰時の暫定税率引き下げ・中止を入れさせたのです。
高速無料も公明妻の前原が筋肉マン主導に嫉妬して、潰した様なものです。料簡が狭く、口先言うだけ番長は国民皆分かった所です。小沢さんは幹事長時代、それら全て飲み込み、民主政権の存続に注力して授けた政治の知恵でしたが、それらを旧自公勢力・マスコミ旧御用崩れにヤラレタのです。
それは国民の生活が第一に現れています。旧自公は【こども手当】を【児童手当】に字句で拘ったのです。意地・メンツの張り合いです。国民も理解しました。如何に低レベルの政治家とマスコミだったかと!!!
もう、本当に引退して世界旅行でもして下さい。東京の放射能も酷く、咳息切れも多いようです。お金はあの世に持っていけません。是非使って行って下さい。消費増税は悪税であり、国民政権なら今後相続増税もあり得ます。子孫に美田を残す先生クラスの国士は知りません。消費税の高額な好きな国に行き、一杯消費して下さい。高率物品税や相続税は絶対嫌いでしたね!外国でのご自愛を切に望みます!
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御厨 貴(みくりや たかし、1951年4月27日 - )は、日本の政治学者(東京大学博士)。放送大学教授、東京大学・東京都立大学名誉教授。専門は近代日本政治史、オーラル・ヒストリー。復興庁復興推進委員会委員長代理。国土審議会委員。
目次1 人物1.1 メディアでの発言2 略歴3 著書3.1 単著3.2 共著3.3 編著3.4 共編著
3.5 共同での聞き書き3.6 編纂資料4 主なテレビ出演5 注6 外部リンク
[編集] 人物東京都生まれ。文京区立第六中学校、東京都立小石川高等学校、駿台予備校を経て、東京大学法学部卒業。東京大学法学部助手、東京都立大学法学部助教授、教授、名誉教授、政策研究大学院大学教授、東京大学先端科学技術研究センター教授、2012年退任、名誉教授。放送大学教授。2010年「明治国家をつくる 地方経営と首都計画」で東大博士 (学術)。
高校時代に「平沼騏一郎と国本社」という論文を校友誌に発表したところ、「朝日新聞」文化面のコラムで紹介され、政治史研究者への道を強く意識した[1]。
1980年、『明治国家と地方経営』で東京市政調査会藤田賞、1996年、『政策の総合と権力』でサントリー学芸賞、1997年に『馬場恒吾の面目』で吉野作造賞を受賞。祖父は戦前の貴族院議員で、司法大臣[2]にも就いた、父は裁判官。趣味はボウリングと自宅でのワイン会。
東京大学では三谷太一郎、伊藤隆、佐藤誠三郎らの指導を受け、明治国家中期の政治史、とりわけ首都を含めた各地方の都市計画・開発を巡る政治過程の分析からスタートし、戦後の東京都政や国土開発など現代政治の分析にも手を広げた。政治学の観点から考察する建築学、都市計画学にも造形が深い。アメリカ流のオーラル・ヒストリーの手法を日本に持ち込み、多くの政治家や関係者の聞き取り調査を行っている。
1990年代後半からは論壇でも盛んに同時代の政治を論じ、書評家としても知られる。近年はジャーナリズムの分野での活動が多く、テレビのコメンテーターや解説、週刊誌などにも多く登場する。2007年4月からは政治評論家の岩見隆夫の後任として、TBSテレビ「時事放談」の司会者を務めている。2010年7月、内閣府公文書管理委員会委員長に就任。東北地方太平洋沖地震を受け、2011年4月に発足した「東日本大震災復興構想会議」の議長代理に就任。2012年2月、復興庁復興推進委員会委員長代理に就任。定年前の60歳で東大を辞め、放送大学に移ったが、その理由について「学問、夢のある研究をするためには、無駄や余裕が必要。かつての東大はそういうものを大切にしていたのに、今はあくせくしていて、まったくなくなった」と述べている[3]。
[編集] メディアでの発言2009年8月5日付け産経新聞に掲載のインタビューおいて、民主党による政権交代の必要性について問われ、「民主党の政策がまとまっていないという指摘があるが、政権を獲ったことがないから仕方がない面もある。」、外交や安全保障問題については「現実路線を踏まえて軌道修正すればいい。わからない問題に無理やり答えを出す必要はない。」と発言[4]。民主党への政権交代が果たされた後の2011年、中央公論紙上での対談においては、「安全保障上の危機が発生したときには、今の民主党政権では対応不能。尖閣や米軍基地の問題で頭をのぞかせたように、外国を巻き込んだ案件は、内向き学級会主義では乗り越えられない可能性が高い。」「自民党ならば「危ない」と騒ぎ立てているうちに、誰かが何かやって形をつけるかもしれない。しかし民主党は、みんなが横一線に並んで「あ〜」と言っている間に、深刻な事態に陥るような気がする。」と述べた[5]。
2011年10月13日付け毎日新聞に掲載のインタビューおいて、大阪市長選候補(当時)の橋下徹について、「彼はある種のポピュリストの典型で、鬱屈した気持ちの人たちに夢を見せている」と分析。さらに「吉本新喜劇のドタバタを好む大阪の風土にうまく乗っかった、『小泉劇場』の大阪版」と語った[6]。
[編集] 略歴1970年(昭和45年)3月 東京都立小石川高等学校卒業
1971年(昭和46年)4月 東京大学教養学部入学
1975年(昭和50年)
3月 東京大学法学部卒業
4月 東京大学法学部助手
1978年(昭和53年)10月 東京都立大学法学部助教授
1988年(昭和63年)10月 東京都立大学法学部教授
1989年(平成元年)5月 ハーバード・イェンチン研究所客員研究員(- 1991年5月)
1997年(平成9年)10月 政策研究大学院大学客員教授
1999年(平成11年)4月 政策研究大学院大学教授
2002年(平成14年)12月 東京大学先端科学技術研究センター教授
2003年(平成19年)4月 放送大学客員教授(- 2012年3月)
2010年(平成22年)
5月20日 東京大学より博士 (学術)の学位を取得(博士論文「明治国家をつくる -- 地方経営と首都計画 -- 」)
7月 内閣府公文書管理委員会委員長(現職)
2011年(平成23年)4月 東日本大震災復興構想会議議長代理(- 2012年2月)
2012年(平成24年)
2月 復興庁復興推進委員会委員長代理(現職)
3月 東京大学を辞職[7]
4月 放送大学教養学部教授(現職)
4月 東京大学先端科学技術研究センター客員教授(現職、非常勤)
4月 国際日本文化研究センター客員教授(現職、非常勤)
[編集] 著書[編集] 単著『明治国家形成と地方経営――1881-1890年』(東京大学出版会、1980年)
『首都計画の政治――形成期明治国家の実像』(山川出版社、1984年)
『政策の総合と権力――日本政治の戦前と戦後』(東京大学出版会、1996年)
『東京――首都は国家を超えるか』(読売新聞社、1996年)
『馬場恒吾の面目――危機の時代のリベラリスト』(中央公論社、1997年)
『本に映る時代』(読売新聞社、1997年)
『明治国家の完成 1890-1905』(中央公論新社、2001年)
『オーラル・ヒストリー――現代史のための口述記録』(中央公論新社[中公新書]、2002年)
『「保守」の終わり』(毎日新聞社、2004年)
『ニヒリズムの宰相―小泉純一郎論』(PHP研究所[PHP新書]、2006年)
『天皇と政治――近代日本のダイナミズム』(藤原書店、2006年)
『明治国家をつくる――地方経営と首都計画』(藤原書店、2007年)
『表象の戦後人物誌』(千倉書房、2008年)
『政治の終わり、政治の始まり―ポスト小泉から政権交代まで』(藤原書店、2009年)
『後藤田正晴と矢口洪一の統率力』(朝日新聞出版、2010年3月)
『権力の館を歩く』(毎日新聞社、2010年7月)
『知と情―宮澤喜一と竹下登の政治観』(朝日新聞出版、2011年3月)
『「質問力」の教科書 』(講談社、2011年3月)
[編集] 共著(小塩和人)『忘れられた日米関係――ヘレン・ミアーズの問い』(筑摩書房[ちくま新書]、1996年)
(天川晃)『日本政治史――20世紀の日本政治』(放送大学教育振興会、2003年)
(天川晃・牧原出)『日本政治外交史――転換期の政治指導』(放送大学教育振興会、2007年)
(半藤一利・原武史)『卜部日記・富田メモで読む人間・昭和天皇』(朝日新聞社、2008年)
[編集] 編著『シリーズ東京を考える (1) 都政の50年』(都市出版、1994年)
『シリーズ東京を考える (3) 都庁のしくみ』(都市出版、1995年)
『歴代首相物語』(新書館、2003年)
『時代の先覚者・後藤新平 1857-1929』(藤原書店、2004年)
『正伝・後藤新平別巻 後藤新平大全――後藤新平の全仕事』(藤原書店、2007年)
『宰相たちのデッサン――幻の伝記で読む日本のリ−ダー』(ゆまに書房、2007年)
『オーラル・ヒストリー入門』(岩波書店、2007年)
『東大先端研物語−東京大学先端科学技術研究センター20年のあゆみ』(中央公論事業出版、2008年)
『変貌する日本政治――90年代以後「変革の時代」を読みとく』(勁草書房、 2009年)
『近現代日本を史料で読む』 (中公新書、2011年4月)、「大久保利通日記」から「富田メモ」まで四十余りの史料紹介
[編集] 共編著(北岡伸一・猪木武徳)『20世紀の日本 (全12巻)』(読売新聞社、1995年-1997年)
(青木保・山折哲雄・川本三郎・筒井清忠)『近代日本文化論 (全11巻)』(岩波書店、1999年-2000年)
(北岡伸一)『戦争・復興・発展―昭和政治史における権力と構想』(東京大学出版会、2000年)
(中内潤)『中内功―生涯を流通革命に献げた男』(千倉書房、2009年)
[編集] 共同での聞き書き※オーラル・ヒストリーでの回想
(渡辺昭夫)『首相官邸の決断―内閣官房副長官石原信雄の2600日』(中央公論社、1997年/中公文庫、2002年)
(伊藤隆)『情と理―後藤田正晴回顧録(上・下)』(講談社、1998年/講談社+α文庫、2006年)
(伊藤隆)『政治とは何か―竹下登回顧録』(講談社、2001年)
(中村隆英)『聞き書 宮沢喜一回顧録』(岩波書店、2005年)
(伊藤隆)『渡邉恒雄回顧録』(中央公論新社、2000年/中公文庫、2007年)
(伊藤隆)『表舞台 裏舞台─福本邦雄回顧録』(講談社、2007年)
(飯尾潤)『地方自治に生きる−宮澤弘回顧録』(第一法規、2007年)
(牧原出)『聞き書 武村正義回顧録』 (岩波書店、2011年2月)
[編集] 編纂資料『歴代総理大臣伝記叢書(全32巻・別巻)』(監修、ゆまに書房、2005年-2007年)
(岩井克己)『卜部亮吾侍従日記――昭和天皇最後の側近(全5巻)』(朝日新聞社、2007年)
[編集] 主なテレビ出演時事放談(2007年4月〜)
爆笑問題のニッポンの教養(2010年2月9日)
課外授業 ようこそ先輩(2010年10月31日)
歌うコンシェルジュ(2011年6月8日)
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1951年4月生まれ、駿台予備校、 東大文1、法学部1975年3月卒業。助手採用、立派!!な経歴!!もっとまともにやってくれ!!
1951年9月生まれ、早稲田政治経由、東大文1、法学部1975年3月卒業。企業就職
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