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仙石が朝のTBSで武村と一緒に『マニフェストを最初に破ったのは小沢さんですからね!』と言ってたらしい。
http://www.asyura2.com/12/senkyo133/msg/291.html
投稿者 アサマタロー 日時 2012 年 7 月 20 日 08:00:29: UiY46YlCu.Moc
 

信州では【TBSの休日朝の下らん老人クラブの愚痴】は放映されていない?!と思うが、掲題のビデオを埼玉で見た。その前後が判らないが、所詮、三宅久之と同じマスコミ指令所ネタだろう。特に高速無料と暫定税率廃止は地方庶民貧乏人には民主政権への願望だったから、必ずTV新聞を見ていた。イサンのノロン派の妨害と同じ事が行われた。
三宅さん用に書いたのを準用したい。仙石は悪知恵が働くので偏差値は高いだろうから、無知ではなく、悪意での発言だが、武村は東大教育=文3から経済に学士入学と判明。何浪して自治省に入ったのか???大越似の東大教授御厨?は聞くだけか?

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【僭越ながら愚妻並み偏差値50以下の理解力レベルの三宅久之さんに暫定税率鶴の一声の訳をお教え致します!】
http://www.asyura2.com/12/senkyo129/msg/757.html
投稿者 アサマタロー 日時 2012 年 5 月 06 日 16:11:24: UiY46YlCu.Moc

たがじんのそこまで言って委員会2012.5.6 13:30〜を13:50から見た。丁度、また三宅先生が言ってくれた。やはり、視聴者の期待を決して裏切らないのが芸能界に上手く生きる売れるキャラなのだろう。

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【三宅:小沢さんは選挙前は暫定税率を廃止すると言ったのに、官邸に乗り込んで来て、廃止を中止させたではないですか!!!】
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愚妻も同じことを言っていた。暫定税率廃止してないじゃない!!高速無料や千円高速も全部だめじゃないの。ETCは買うなとお父さんが言うから我慢したのに、民主政権が怪しくなってETC買ったら、今度は千円も中止で騙された。高いものに付いたじゃない。

私は愚妻と同じ高校で知能レベルは安心していたら、子供の公立高校失敗で初めて分かった。私の普通科は妻の時には乙で愚妻は普通科甲=私の頃の家政科出だった。だから、こんこんと諭したが理解力不足で理解出来なさそうだった。

その愚妻とソックリ同じことを三宅さんも言ってくれた。やはり、偏差値が問題で人の話が理解出来ないのだ。三宅さんの場合、誰も怖くて、芸能番組や報道番組の出番を邪魔されると恐れ、遠慮して、三宅欠落知識を訂正させないのだと確信した。諭す人が居ないのだ!ちなみに甲乙間の偏差値格差は15〜20あった。【フォークダンスの人数調整?】人の話を聞いても解からない事が多くなり、沸騰ヤカンの蓋の様な暴言になるのだ!

『暫定税率廃止の中止、160円越えたら引き下げ』は窮余の一策のアイディアマンの知恵だ。官僚サボタージュや旧自公政権の謀略・業界が怨嗟の声演出=イサンのノロン派のサボタージュ・妨害工作を見ればヘブライ系渡来人の意地悪さが解かるでしょ!意地悪出来る人は渡来人系子孫です。【中丸薫・古代天皇家と日本正史】【金容雲・日本=百済説】を是非、お爺ちゃんの年金をお小遣いに貰っているお孫さんは、買って来て読んで差し上げて下さい!!目から鱗の知る喜びを体感頂き、誤解を解いておいて頂きたい。

これは、丁度、小学生の学級会が紛糾してまとまりが着かず、PTA参観日直前、先生が乗り込んで老練政治家目線で落とし所を示しただけです。だから、国民にも希望を持たせ様と、高騰時の暫定税率引き下げ・中止を入れさせたのです。

高速無料も公明妻の前原が筋肉マン主導に嫉妬して、潰した様なものです。料簡が狭く、口先言うだけ番長は国民皆分かった所です。小沢さんは幹事長時代、それら全て飲み込み、民主政権の存続に注力して授けた政治の知恵でしたが、それらを旧自公勢力・マスコミ旧御用崩れにヤラレタのです。

それは国民の生活が第一に現れています。旧自公は【こども手当】を【児童手当】に字句で拘ったのです。意地・メンツの張り合いです。国民も理解しました。如何に低レベルの政治家とマスコミだったかと!!!

もう、本当に引退して世界旅行でもして下さい。東京の放射能も酷く、咳息切れも多いようです。お金はあの世に持っていけません。是非使って行って下さい。消費増税は悪税であり、国民政権なら今後相続増税もあり得ます。子孫に美田を残す先生クラスの国士は知りません。消費税の高額な好きな国に行き、一杯消費して下さい。高率物品税や相続税は絶対嫌いでしたね!外国でのご自愛を切に望みます!

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御厨 貴(みくりや たかし、1951年4月27日 - )は、日本の政治学者(東京大学博士)。放送大学教授、東京大学・東京都立大学名誉教授。専門は近代日本政治史、オーラル・ヒストリー。復興庁復興推進委員会委員長代理。国土審議会委員。

目次1 人物1.1 メディアでの発言2 略歴3 著書3.1 単著3.2 共著3.3 編著3.4 共編著
3.5 共同での聞き書き3.6 編纂資料4 主なテレビ出演5 注6 外部リンク

[編集] 人物東京都生まれ。文京区立第六中学校、東京都立小石川高等学校、駿台予備校を経て、東京大学法学部卒業。東京大学法学部助手、東京都立大学法学部助教授、教授、名誉教授、政策研究大学院大学教授、東京大学先端科学技術研究センター教授、2012年退任、名誉教授。放送大学教授。2010年「明治国家をつくる 地方経営と首都計画」で東大博士 (学術)。

高校時代に「平沼騏一郎と国本社」という論文を校友誌に発表したところ、「朝日新聞」文化面のコラムで紹介され、政治史研究者への道を強く意識した[1]。

1980年、『明治国家と地方経営』で東京市政調査会藤田賞、1996年、『政策の総合と権力』でサントリー学芸賞、1997年に『馬場恒吾の面目』で吉野作造賞を受賞。祖父は戦前の貴族院議員で、司法大臣[2]にも就いた、父は裁判官。趣味はボウリングと自宅でのワイン会。

東京大学では三谷太一郎、伊藤隆、佐藤誠三郎らの指導を受け、明治国家中期の政治史、とりわけ首都を含めた各地方の都市計画・開発を巡る政治過程の分析からスタートし、戦後の東京都政や国土開発など現代政治の分析にも手を広げた。政治学の観点から考察する建築学、都市計画学にも造形が深い。アメリカ流のオーラル・ヒストリーの手法を日本に持ち込み、多くの政治家や関係者の聞き取り調査を行っている。

1990年代後半からは論壇でも盛んに同時代の政治を論じ、書評家としても知られる。近年はジャーナリズムの分野での活動が多く、テレビのコメンテーターや解説、週刊誌などにも多く登場する。2007年4月からは政治評論家の岩見隆夫の後任として、TBSテレビ「時事放談」の司会者を務めている。2010年7月、内閣府公文書管理委員会委員長に就任。東北地方太平洋沖地震を受け、2011年4月に発足した「東日本大震災復興構想会議」の議長代理に就任。2012年2月、復興庁復興推進委員会委員長代理に就任。定年前の60歳で東大を辞め、放送大学に移ったが、その理由について「学問、夢のある研究をするためには、無駄や余裕が必要。かつての東大はそういうものを大切にしていたのに、今はあくせくしていて、まったくなくなった」と述べている[3]。

[編集] メディアでの発言2009年8月5日付け産経新聞に掲載のインタビューおいて、民主党による政権交代の必要性について問われ、「民主党の政策がまとまっていないという指摘があるが、政権を獲ったことがないから仕方がない面もある。」、外交や安全保障問題については「現実路線を踏まえて軌道修正すればいい。わからない問題に無理やり答えを出す必要はない。」と発言[4]。民主党への政権交代が果たされた後の2011年、中央公論紙上での対談においては、「安全保障上の危機が発生したときには、今の民主党政権では対応不能。尖閣や米軍基地の問題で頭をのぞかせたように、外国を巻き込んだ案件は、内向き学級会主義では乗り越えられない可能性が高い。」「自民党ならば「危ない」と騒ぎ立てているうちに、誰かが何かやって形をつけるかもしれない。しかし民主党は、みんなが横一線に並んで「あ〜」と言っている間に、深刻な事態に陥るような気がする。」と述べた[5]。

2011年10月13日付け毎日新聞に掲載のインタビューおいて、大阪市長選候補(当時)の橋下徹について、「彼はある種のポピュリストの典型で、鬱屈した気持ちの人たちに夢を見せている」と分析。さらに「吉本新喜劇のドタバタを好む大阪の風土にうまく乗っかった、『小泉劇場』の大阪版」と語った[6]。

[編集] 略歴1970年(昭和45年)3月 東京都立小石川高等学校卒業
1971年(昭和46年)4月 東京大学教養学部入学
1975年(昭和50年)
3月 東京大学法学部卒業
4月 東京大学法学部助手
1978年(昭和53年)10月 東京都立大学法学部助教授
1988年(昭和63年)10月 東京都立大学法学部教授
1989年(平成元年)5月 ハーバード・イェンチン研究所客員研究員(- 1991年5月)
1997年(平成9年)10月 政策研究大学院大学客員教授
1999年(平成11年)4月 政策研究大学院大学教授
2002年(平成14年)12月 東京大学先端科学技術研究センター教授
2003年(平成19年)4月 放送大学客員教授(- 2012年3月)
2010年(平成22年)
5月20日 東京大学より博士 (学術)の学位を取得(博士論文「明治国家をつくる -- 地方経営と首都計画 -- 」)
7月 内閣府公文書管理委員会委員長(現職)
2011年(平成23年)4月 東日本大震災復興構想会議議長代理(- 2012年2月)
2012年(平成24年)
2月 復興庁復興推進委員会委員長代理(現職)
3月 東京大学を辞職[7]
4月 放送大学教養学部教授(現職)
4月 東京大学先端科学技術研究センター客員教授(現職、非常勤)
4月 国際日本文化研究センター客員教授(現職、非常勤)
[編集] 著書[編集] 単著『明治国家形成と地方経営――1881-1890年』(東京大学出版会、1980年)
『首都計画の政治――形成期明治国家の実像』(山川出版社、1984年)
『政策の総合と権力――日本政治の戦前と戦後』(東京大学出版会、1996年)
『東京――首都は国家を超えるか』(読売新聞社、1996年)
『馬場恒吾の面目――危機の時代のリベラリスト』(中央公論社、1997年)
『本に映る時代』(読売新聞社、1997年)
『明治国家の完成 1890-1905』(中央公論新社、2001年)
『オーラル・ヒストリー――現代史のための口述記録』(中央公論新社[中公新書]、2002年)
『「保守」の終わり』(毎日新聞社、2004年)
『ニヒリズムの宰相―小泉純一郎論』(PHP研究所[PHP新書]、2006年)
『天皇と政治――近代日本のダイナミズム』(藤原書店、2006年)
『明治国家をつくる――地方経営と首都計画』(藤原書店、2007年)
『表象の戦後人物誌』(千倉書房、2008年)
『政治の終わり、政治の始まり―ポスト小泉から政権交代まで』(藤原書店、2009年)
『後藤田正晴と矢口洪一の統率力』(朝日新聞出版、2010年3月)
『権力の館を歩く』(毎日新聞社、2010年7月)
『知と情―宮澤喜一と竹下登の政治観』(朝日新聞出版、2011年3月)
『「質問力」の教科書 』(講談社、2011年3月)
[編集] 共著(小塩和人)『忘れられた日米関係――ヘレン・ミアーズの問い』(筑摩書房[ちくま新書]、1996年)
(天川晃)『日本政治史――20世紀の日本政治』(放送大学教育振興会、2003年)
(天川晃・牧原出)『日本政治外交史――転換期の政治指導』(放送大学教育振興会、2007年)
(半藤一利・原武史)『卜部日記・富田メモで読む人間・昭和天皇』(朝日新聞社、2008年)
[編集] 編著『シリーズ東京を考える (1) 都政の50年』(都市出版、1994年)
『シリーズ東京を考える (3) 都庁のしくみ』(都市出版、1995年)
『歴代首相物語』(新書館、2003年)
『時代の先覚者・後藤新平 1857-1929』(藤原書店、2004年)
『正伝・後藤新平別巻 後藤新平大全――後藤新平の全仕事』(藤原書店、2007年)
『宰相たちのデッサン――幻の伝記で読む日本のリ−ダー』(ゆまに書房、2007年)
『オーラル・ヒストリー入門』(岩波書店、2007年)
『東大先端研物語−東京大学先端科学技術研究センター20年のあゆみ』(中央公論事業出版、2008年)
『変貌する日本政治――90年代以後「変革の時代」を読みとく』(勁草書房、 2009年)
『近現代日本を史料で読む』 (中公新書、2011年4月)、「大久保利通日記」から「富田メモ」まで四十余りの史料紹介
[編集] 共編著(北岡伸一・猪木武徳)『20世紀の日本 (全12巻)』(読売新聞社、1995年-1997年)
(青木保・山折哲雄・川本三郎・筒井清忠)『近代日本文化論 (全11巻)』(岩波書店、1999年-2000年)
(北岡伸一)『戦争・復興・発展―昭和政治史における権力と構想』(東京大学出版会、2000年)
(中内潤)『中内功―生涯を流通革命に献げた男』(千倉書房、2009年)
[編集] 共同での聞き書き※オーラル・ヒストリーでの回想

(渡辺昭夫)『首相官邸の決断―内閣官房副長官石原信雄の2600日』(中央公論社、1997年/中公文庫、2002年)
(伊藤隆)『情と理―後藤田正晴回顧録(上・下)』(講談社、1998年/講談社+α文庫、2006年)
(伊藤隆)『政治とは何か―竹下登回顧録』(講談社、2001年)
(中村隆英)『聞き書 宮沢喜一回顧録』(岩波書店、2005年)
(伊藤隆)『渡邉恒雄回顧録』(中央公論新社、2000年/中公文庫、2007年)
(伊藤隆)『表舞台 裏舞台─福本邦雄回顧録』(講談社、2007年)
(飯尾潤)『地方自治に生きる−宮澤弘回顧録』(第一法規、2007年)
(牧原出)『聞き書  武村正義回顧録』 (岩波書店、2011年2月)
[編集] 編纂資料『歴代総理大臣伝記叢書(全32巻・別巻)』(監修、ゆまに書房、2005年-2007年)
(岩井克己)『卜部亮吾侍従日記――昭和天皇最後の側近(全5巻)』(朝日新聞社、2007年)
[編集] 主なテレビ出演時事放談(2007年4月〜)
爆笑問題のニッポンの教養(2010年2月9日)
課外授業 ようこそ先輩(2010年10月31日)
歌うコンシェルジュ(2011年6月8日)

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1951年4月生まれ、駿台予備校、  東大文1、法学部1975年3月卒業。助手採用、立派!!な経歴!!もっとまともにやってくれ!!
1951年9月生まれ、早稲田政治経由、東大文1、法学部1975年3月卒業。企業就職
 

 

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コメント
 
01. アサマタロー 2012年7月20日 08:13:36 : UiY46YlCu.Moc : opuSlfFAh2
武村 正義(たけむら まさよし、1934年(昭和9年)8月26日 - )は、日本の自治官僚、政治家。

八日市市市長、滋賀県知事(3期)、衆議院議員(4期)、新党さきがけ代表、内閣官房長官、大蔵大臣を歴任。政治引退後を主に、龍谷大学客員教授、徳島文理大学大学院教授。

目次 [非表示] 1 経歴および人物1.1 生い立ち1.2 環境政治家1.3 「バルカン政治家」1.4 政界引退とその後2 政策2.1 国家像「きらりと光る国」3 著書4 関連項目
5 脚注6 外部リンク
経歴および人物 [編集] 生い立ち [編集]滋賀県蒲生郡玉緒村(八日市市、現東近江市)の農家に生まれた。滋賀県立八日市高等学校を経て、名古屋大学工学部に入学し、その後、再受験して、東京大学に入学。教育学部を卒業後、東京大学新聞研究所を経て経済学部に学士入学、経済学部を卒業。
===27歳!!??===大平正芳以上の学歴遍歴====
1962年、自治省に入省。西ドイツ留学で西ドイツ連邦、州政府の成り立ちなどを見聞。さらに帰国後、愛知県、埼玉県に出向。埼玉県総務部文書課長として、自治体行政を経験することで、政治への関心を募らせていった。田中角栄のお抱え官僚の一人であったとされ日本列島改造論の代筆も担当したという。

昭和50年代、滋賀県知事のかたわら龍谷大学に客員教授として教鞭をとる。その縁で龍谷大学理工学部を滋賀県へ誘致、滋賀県大津市の「びわこ文化公園都市」に理工学部と社会学部の第3のキャンパスを開く。

環境政治家 [編集]自治省を退職して、1971年に郷里の八日市市市長選に立候補し当選。30歳代の若い市長として、自転車で市役所まで通勤するなど、当時から環境を意識した行動をしていた。1974年、滋賀県知事選に立候補し、当選を果たす。滋賀県知事時代は県民との対話を重視し、住民運動を先取りした県政との高い評価を受けた。実績としては、琵琶湖の水質汚染を防ぐために、日本初の合成洗剤追放条例(正式名称「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」、1979年10月17日制定、1980年1月1日施行、参照, 通称:琵琶湖条例)や、風景条例(正式名称「ふるさと滋賀の風景を守り育てる条例」、1984年7月19日制定、1985年7月1日施行、参照)など、全国的に注目を集めた環境保全条例の制定が挙げられる。また、1984年8月28日〜8月31日には滋賀県主催の国際会議「国際湖沼環境会議」を大津市で開催。ちなみに、この会議にはのちの滋賀県知事、嘉田由紀子が琵琶湖研究所の研究員として参加し、滋賀県立琵琶湖博物館を提唱していた。

県知事には1978年に無投票で再選。1982年に三選を果たした。

「バルカン政治家」 [編集]1986年7月6日の第38回衆議院議員総選挙(衆参同日選挙)に滋賀県全県区で保守系無所属で立候補し(選挙期間中に自民党公認となり)当選、国政へ進出(同区で自身が最初に知事選出馬した際の支援者たる民社党新人川端達夫も当選)。自民党では、福田派−安倍派−三塚派に所属する(本当は最大派閥田中派から出馬を希望していたが同派現職山下元利が居た為、同派内の創政会会長竹下登が自身の盟友安倍晋太郎に武村を紹介した。即ち隠れ竹下派)。田中秀征、鳩山由紀夫、簗瀬進ら、三塚派の若手を中心に政策集団「ユートピア政治研究会」を結成し、金のかかる政治に対する改革を訴えた。なお、このユートピア政治研究会がのちの「新党さきがけ」の母体となった。

1993年6月18日、宮澤喜一を首班とする宮沢内閣不信任案可決に伴う衆議院の解散(いわゆる「嘘つき解散」。ただし、武村自身は不信任案に対して反対票を投じており、決議の時点では造反していなかった)を機に、同年6月21日、10人の自民党議員とともに自民党を離党、「新党さきがけ」を結党し、党代表に就任。同年7月18日の第40回衆議院議員総選挙では「新党ブーム」に乗って13議席を獲得し躍進。衆院選翌日の7月19日には、知事時代から親しい関係にあった細川護煕の日本新党と、院内統一会派「さきがけ日本新党」を結成し、細川とともに共同代表となる。衆院選後の政局で日本新党と共にキャスティング・ボートを握り、後藤田正晴を中心とする自民党内政治改革推進派と提携しようとするが、同年8月9日、新生党の小沢一郎代表幹事の工作によって、細川を首班とする非自民連立政権、細川内閣が誕生。武村は内閣官房長官に就任した。小沢最側近平野貞夫によると、官房長官就任したその日から(党籍離脱、無所属を余儀なくされたとはいえ)最大野党・自民党の最高実力者の竹下登と反小沢で内通し倒閣を企てていたとの事。

連立政権の中では、細川の女房役として、連立政権のキーパーソンに一躍浮上した武村は、対国民的には「ムーミンパパ」の愛称を認知させることでソフトなイメージを出すことに成功。政治改革やコメ自由化などで細川政権を閣内から支える一方で、閣外の意思決定機関「与党代表者会議」を主宰する小沢と対立することで自分を際だたせることに成功するなどしたたかな政略を見せたため、欧州の火薬庫と呼ばれたバルカン半島になぞらえ、三木武夫以来の「バルカン政治家」とも称された。ただし、自分の意見が通らないと、マスコミに対し細川との不和を漏らすなど、結果的に細川政権の不安定要因を作り出していたことも事実で、細川は当初、連立内閣を小沢と武村のバランスに立って運営していたが、次第に小沢に傾斜する。官邸主導の政治を目論む内閣官房長官の武村は、与党代表者会議を牛耳る小沢や公明党書記長の市川雄一、所謂一一ラインと激しく対立した。また細川が消費税を廃止し、新たに税率7%の福祉目的税を創設する「国民福祉税」構想を唐突に発表した際、武村が「過ちを改めるにしくはなし」と発言し、細川との間は急速に冷却化していった。岩上安身[1]や小池百合子[2]は、両者の亀裂が生じたのは、アメリカ合衆国(クリントン政権)が武村を、北朝鮮と親しい政治家であると見て、細川に更迭するよう圧力を掛けた結果であるとしている。1994年4月8日、細川政権の崩壊直後、「さきがけ日本新党」は解消され、日本新党と新党さきがけの合流は構想倒れに終わった。

1994年4月28日発足の羽田孜を首班とする羽田内閣の成立に当たっては、閣外協力に転じ、院内会派「改新」には参加しなかった。この間、水面下で自民党と、連立から離脱した社会党と交渉を重ね、同年6月24日に自社両党と連立を組み、翌日6月25日、羽田内閣は総辞職。6月30日、村山富市を首班とする自社さ連立内閣(村山富市内閣)を成立させる。武村は大蔵大臣に就任し、1995年の村山内閣改造内閣でも留任する。同年11月において、大蔵大臣として「日本財政危機発言」を行う[3]。このとき日本の国債発行残高は458兆円(IMF数値)であった。

政界再編のキーマンであった武村が連立政権で蔵相に就任したことは違和感なく受け入れられたものの、バブル崩壊の後始末を巡って深刻化する金融情勢に、必ずしも財政や金融政策に精通しているわけではなかった武村は実効性のある対策を打てなかった。

1995年9月、蔵相在任中ながらフランスの核実験再開及び核実験実施に対するタヒチでの抗議デモに参加した。

新党さきがけの党運営については、やがて、新党さきがけの代表幹事だった鳩山由紀夫との間で、社会党との新党、「社さ新党」構想をめぐり対立が表面化。1996年8月28日、代表を辞任。同年9月28日には鳩山、菅直人、簗瀬らが新党さきがけを離党し、民主党を結成。民主党の結成に際しては新党さきがけ全体での合流を希望したが、鳩山らは「排除の論理」でこれを拒否した。8月28日の代表辞任後、井出正一が後任の代表となるが、新党さきがけは閣外協力の形で自民党政権を支えたものの、党勢の退潮に歯止めが効かず埋没。1998年5月31日、代表に復帰。同年6月、自民党との連立を解消し、環境政党としての再出発を表明、同年10月、党名を「さきがけ」に改称し事実上解党する。

政界引退とその後 [編集]2000年、腹部大動脈瘤破裂で倒れたが、一命を取りとめた。同年6月25日の第42回衆議院議員総選挙に無所属で立候補し、武村の健康問題を批判した小西哲(自民)の前に落選。2001年3月10日、さきがけを離党し民主党に入党した。7月23日に今度は小西が死去し、それに伴う10月の衆議院補欠選挙では立候補に意欲を見せるも、病気の悪化などがあり立候補を断念。事実上の政界引退となった。2007年2月23日、長男夫婦と長女が大麻所持容疑で逮捕された。

2004年、旭日大綬章を受章。現在は病気を克服して、かつて非常勤講師を勤めていた龍谷大学にて客員教授として再び教壇に立つ傍ら、地球環境問題にも取り組んでいる。また、2009年の民主党政権誕生以降は、かつて非自民政権の中枢にいた立場から、新政権についてコメントする機会も多い。2011年には岩波書店からオーラルヒストリーによる回顧録を出版した。

政策 [編集] 国家像「きらりと光る国」 [編集]武村は「小国主義」(小日本主義)を主張した石橋湛山にならい、日本のあるべき姿を「小さくともキラリと光る国」と表現。新党さきがけも党のスローガンに「質実国家」「足るを知る経済」を掲げた。新党さきがけには後に『石橋湛山と小国主義』(岩波ブックレット)を著した作家井出孫六の甥井出正一や、2004年に石橋湛山に関する著書を発表した田中秀征も参加している。新党さきがけ参加議員には石橋湛山の主張が意識されており、新党の離合集散が繰り返される中で埋もれがちであったとはいえ「小国主義」は新党さきがけが強く打ち出していた国家像であった。この主張は中村敦夫のみどりの会議に引き継がれた。

2006年11月20日、後援者・有志により滋賀県大津市の長等山園城寺(三井寺)北院法明院庭園に、武村の政治活動を記念しその業績を称える記念碑が建立された。碑表面には「きらり」「武村正義物語記念碑」(『毎日新聞』滋賀版に84回にわたって連載された自叙伝の表題を記念)と刻まれ、裏面には武村の経歴が記されている。碑の文字は地元の書家・太田佐亨によるものである。「きらり」は武村の日本の将来像を示す象徴的表現であった。

著書 [編集]『水と人間』(1980年12月、第一法規出版)、ISBN 4474011880
『「草の根政治」私の方法』(1986年7月、講談社)、ISBN 4062028565
『琵琶湖から、神戸から』(高見裕一との共著、1993年7月、ほんの木)、ISBN 4938568411
『小さくともキラリと光る国・日本』(1994年1月、光文社)、ISBN 4334970850
『さきがけの志』(田中秀征との共著、1995年5月、東洋経済新報社)、ISBN 4492210725
『私はニッポンを洗濯したかった』(2006年1月、毎日新聞社)、ISBN 4620317500
 毎日新聞「滋賀版」に連載した自叙伝「きらり武村正義物語」を単行本化。
『聞き書 武村正義回顧録』(御厨貴・牧原出編、2011年2月、岩波書店)−オーラル・ヒストリーでの回想。
関連項目 [編集]伊藤忠彦(新党さきがけ時代、1994年から1997年までの秘書)
宇佐美登(自民党時代の秘書。結成直後の衆議院選挙に立候補し最年少で当選。)
脚注 [編集]1.^ 「小沢一郎は、アメリカにとっては危険な政治家です」〜1月14日孫崎享元外務省国際情報局長インタビュー4 * No. 221 * 2010-02-11 19:27
2.^ 小池百合子『正論』2002年7月号 細川首相退陣の引き金は「北朝鮮有事」だった
3.^ 三橋貴明のもう経済記事にはだまされない 『検証されない日本財政破綻論』
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権力亡者!?そのものの経歴!驚いた!


02. 2012年7月20日 08:22:28 : wEIw8cw1Uo
仙石に武村か・・類は友を呼ぶというか腐った連中だ!

03. 2012年7月20日 08:25:42 : opuSlfFAh2
仙谷 由人(せんごく よしと、1946年(昭和21年)1月15日 - )は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(6期)、民主党政策調査会長代行、凌雲会顧問。

旧民主党政策調査会会長、凌雲会会長(初代)、民主党政策調査会会長(第7代)、有限責任中間法人公共政策プラットフォーム代表理事、衆議院決算行政監視委員長、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)、内閣府特命担当大臣(「新しい公共」担当)、内閣官房長官(第78代)、法務大臣(第86代)、拉致問題担当大臣、民主党代表代行などを歴任した。

目次 [非表示] 1 経歴1.1 生い立ち1.2 学生時代1.3 弁護士時代1.4 政界入り
1.5 旧民主党1.6 民主党1.7 鳩山政権1.8 菅政権1.9 野田政権2 政策・主張
2.1 政局2.2 経済・財政2.3 公務員政策2.4 消費者行政2.5 中韓外交
2.6 靖国神社参拝問題2.7 スポーツ政策2.8 韓国との戦後処理について(韓国人への個人補償について)2.9 竹島問題について2.10 尖閣諸島中国漁船衝突事件について2.11 歴史観3 発言3.1 テロリズムへの皮肉3.2 「文化大革命」3.3 学生時代の「窃盗」3.4 「貧乏人は麦を食え」3.5 「上司として言っておきますが、こういう場に呼び出すのは彼の将来を傷つける。優秀な人だけに大変残念だ」
3.6 「健忘症」発言3.7 「天皇はリベラル」3.8 「盗撮」発言
3.9 「(尖閣ビデオ流出問題で)政治職と執行職のトップの責任のあり方は違う」発言3.10 「暴力装置でもある自衛隊」発言3.11 「民間人も表現の自由制限」発言
3.12 「男性中心社会の固定観念は病気」3.13 「勃起」セクハラ報道4 エピソード
5 家系6 著書7 関連項目8 脚注9 参考文献10 外部リンク

経歴 [編集] 生い立ち [編集]徳島県徳島市出身。父は裁判所の職員、母は徳島高等女学校の教師[1]。なお母は熱心な組合活動家でもあったという[2]。

学生時代 [編集]学生運動

徳島県立城南高等学校卒業。1964年に東大文Tに合格し、上京する[2]。東大時代は全共闘の新左翼系学生運動家であり、日本共産党を脱党した安東仁兵衛らが指導した構造改革派のフロントというセクトのシンパだった[3]。

東大安田講堂事件の際は講堂の中にはおらず、救援対策や弁当の差し入れなどを行い、学生活動家仲間からは「弁当運び」と呼ばれていた[脚注 1]。

5年次在学中の1968年に司法試験に合格し、中退[脚注 2]して司法研修所に入所した。

弁護士時代 [編集]司法修習23期(同期に漆原良夫)を経て弁護士登録。 1971年から弁護士活動を開始。弁護士時代は労組事件や日本教職員組合関連の案件を扱った。麹町中学校内申書事件の弁護人も務めている。また、ピース缶爆弾事件では弁護人として無罪を勝ち取った。所属していた弁護士事務所の部下に福島瑞穂らがいる。

総会屋・小川薫の弁護士を務め、暴力団幹部十数名と2週間のヨーロッパ旅行に行くなど、暴力団関係者と深く交わる。1976年のヨーロッパ旅行について、小川薫は著書『実録総会屋』(ぴいぷる社)234ページで、「たしかに、このツアーは私が費用を全部持って、週刊新潮が言うヤクザ組織の最高幹部が同行していたのは事実だ。美能組の組長夫妻、浅野組の組長夫妻、共政会の組長夫妻、共政会の三代目夫妻も参加していた。しかし、別にヤクザだけを連れて行ったわけではなくて、お世話になっている弁護士の先生も一緒だった。現在、民主党の有力代議士の仙谷由人先生も一緒だった。仙谷先生には、私や小池隆一君の弁護をお願いしていたのだ。この仙谷先生とは旅程の間、ずっと同室だった」と記している。


04. 河内のおっさん 2012年7月20日 08:33:03 : Yyy5HM2hjbLWg : GxeVxyP706
仙石は徳島の恥
セクハラ大臣
卑しい過去。
社民党崩れの
裏切りモノ。
偉そうに言うが
形成が悪くなると
引っ込む。
どぶ亀・・・臭い臭い。
竹村など滋賀の鼻くそ。
老害は消えてなくなれ。
世の為人のため・・・


05. 2012年7月20日 08:48:25 : POscEtbz5M
自己顕示欲と虚栄心の塊で、執着性の強固な妬みが本性のお二人。
大の男が、電波を使い人の悪口で終始する。真に、自尊心を捨て去った憐れな人たち。
彼らが人生を振り返った時、実績は何も無かったことに気付くだろう。
傍から見る者には衆知だが、知らぬは、本人ばかりなりの典型。

06. 2012年7月20日 08:51:56 : opuSlfFAh2
TBSのビデオを紹介ください!!全部見たいです!!

07. 2012年7月20日 08:55:07 : QmyrjoZuIs
竹村正義は滋賀県知事時代に、ジャーナリストの渡邊乾介が取材に行った際インタビューが終わったあとで竹村から雄琴のソープに誘われたて驚いたと渡邊乾介が本に書いている。
初対面の人にまた自分が滋賀県知事でありながら何と品のない、節操も無い人だとあきれたと著書にある。
竹村正義とはこの程度の人だと云うことを、多くの人に知ってもらいたい。

小沢一郎嫌いで細川政権を潰した張本人なのだ。


08. 2012年7月20日 10:45:25 : oYekd03kNs
武村は、細川内閣で北朝鮮のエージェントである政治家である、と
アメリカ・クリントン大統領から指摘された。細川内閣の足を引っ張ったのは武村そのものであった。細川曰く;内閣発足から足を引っ張っていたは、武村であった。と政界退陣後述べている。
総理大臣になりたかったらしい。
まあ政治家なら総理大臣になりたい野望はあるのは当たり前だが、何の実績もない
滋賀県の知事では、ちっと考えます。皆がついてきません。

売国奴政治家であった。
日本を呪縛した8人の政治家 平野貞夫著 より。

武村の話など聞く耳持たない。
野中も、胡散臭い解放同盟のボス。人権、人権と言い、福利厚生費を収奪してる張本人。いい加減にせい。引退したのは、もっともだが、ちょこちょこ出てくるな!
小沢氏を誹謗するには、わが身を顧みて発言されたら、、、と思う。
小沢氏は、良きに悪しきにつけ、人物を攻撃しない政治家であるから、
安心して相手は攻撃してくる。
反撃したら、今の政治家の半数は、しびれまくって沈黙するに違いない。
あの藤井のアル中くそ増税ジジイも、丸秘があるらしい。裏切り者ョ。

日本の政治のあるべき姿をめざし改革の身を費やしているまともな政治家;小沢を
国民は理解すべきである。人間であるからいろいろあるが、国民生活を軸に考え行動してる政治家である。
”国民の生活が一番”を応援しようではないか?
自民公明民主は、国民いじめの政策を打ち出してくる。
消費税増税、原発再開、アメリカ軍への過度な便宜、アメリカへの資金支援、
TPP推進、、党、国民いじめ、弱肉強食政策ばかりになるぞ!
国民が要望した、年金問題、後期高齢者保険制度廃止、消費税増税しなくての経費削減(、国会議員定数▲80人、歳費削減、無駄の削減、、、、コンクリートから人へ、、、)一体どうなった?野ブタ政権は。全く逆のことを行っている。

出来ない出来ない、と岡田は言っている。
やりもしないのに、出来ないだと!、国民を侮辱するな!
日本には、上杉鷹山の立派な財政改革の言葉がある。

”なせば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは、人の為さぬなりけり”

岡田フランケンシュタインよ、これぐらいは知っているだろう。
実行してみよ!
やらない前に、出来ない出来ないは、許さん!
やっている姿を見せろ!汗流している姿を見せろ!
官僚の言うままでないか。
今の野田民主党には愛想がつきた。
自民党に丸投げしている。こいつらが、民主党の政治゚家なのか?
民主党マニフェストはどうなった。こら野ブタ!
こんな政治家はいないほうが、国家財政にも良い、辞めろ!。

離党騒動は、当然の成り行きと思う。
離党する政治家が、まともな政治家である。

出来る人に交代さすしかない。
”国民の生活が一番”に政権交代だ。
これが、国民の声と思う。


09. 2012年7月20日 11:49:36 : 0huCCn4zOU
このことを小沢のせいにして話してるんだろ仙谷は。
仙谷はどうしようもないクズだからな。


国民の生活が第一と偏ったマスコミ論評
http://www.olivenews.net/news_30/newsdisp.php?n=129641
>政治記者は、後に藤井財務相が語ったように、
>鳩山内閣の予算編成が行き詰まったのを見かね、ガソリン暫定税率の廃止の一時見送りを、
>予算編成に全く関与しなかった小沢幹事長が泥を被って、公開の場で申し入れたのを忘れたのだろうか。


10. 2012年7月20日 13:05:43 : gA92dCAfVo
仙谷はもはやいくら小沢の悪口を並べてもムダ。もはや増税の目的・意義さえも全く異なる者同士に
よる3党合意自体が既に無効だ。今更「ダマされた」と言ったところで誰も納得しない。
よって誰が責任を取って党から出て行くのかも自ずと明らかだ。

<ご参考>
竹村正義がカネと女に目のないクズであることは、岩上安身氏のUstream
インタビューでも渡辺乾介氏ははっきり言っている。


11. 2012年7月20日 13:20:10 : BI7dpUFKtc
仙谷のセクハラが騒がれないのは、いかにもセクハラしていそうで
何も意外性がないから、つまらんからだ。家族が言っていた。
なるほど確かにそうかもしれない。
騒がれないのは人望があるからではない。もともとないからだ。

12. 2012年7月20日 13:54:56 : vs9vwoxg2Q
意地悪爺共の井戸端会議ほど馬鹿馬鹿しいものはない。

三宝会の悪盗共の面見る度に虫ずが走る。いい年こいた爺〜婆〜が相変わらず、
ひとりの政治家を誹謗中傷するアホどもの姿を、一度子供達に見てもらえ!!
妖怪ゾンビ共地獄に堕ちろ!!!!

人の悪口ばかり言っているから、面がどんどん酷くなる!!!脳無し共よ恥を、知れ!!


13. 2012年7月20日 14:37:39 : wtxwouutFW
エロ爺二人で悪口三昧か・・・本当に恥知らずの老害共だ。

14. 2012年7月20日 14:37:43 : EcgfcrPxBs
日曜の朝から他人の悪口か爺いの愚痴か自慢話だけなので見ない事に決めた番組。且つ、基本的に老い先短い爺いの戯言なので日本の未来には何の役にも立たない。

御厨が話しを聞くことが出来る相手かTBSが用意できる人物しか出演しない。

お題は時事ネタだから毎回違うが、メンバーは代わり映えしないので結論はいつも同じようなもの。

どういう人物が日本をダメにしてきたのかを確認したい人には一見の価値はあるかも?


15. 2012年7月20日 15:03:47 : 5LNMPE7j9I
竹村正義のご子息はアル中です
オヤジに問題があると子供(特に男の子)がアルコール依存症になる事が多い

16. 乃依 2012年7月20日 17:00:08 : YTmYN2QYOSlOI : t3s46K0dRY
偏差値の統計学的な算出法をご存知か。
標準偏差に10をかけて、50を足す。
文1,2と文3の差は、数学の出来の如何かと思う。3の人は、文章の読み方が、
丁寧という長所は有ると思う。

17. 2012年7月20日 19:09:19 : d07iybJkXA
新党さきがけ瓦解の種がムーミンパパこと武村正義。
有名な話。そんな程度のオジサン。

18. 2012年7月20日 20:58:04 : ItTg0PBpH6

武村 正義は、自治官僚でしょう。

政治力、根回しヘタで公明党の市川さんを不快にさせ、
細川内閣の足をひっぱった人物で、
うまくゆかなかったのを「小沢のせいに責任転嫁している」。

これが私の推認。


19. 2012年7月20日 23:57:21 : SuHVWfSgk2
武村は当方を恐れている。これ本当。

以前、JRの滋賀県内の駅でバッタリ。すぐ目をそらしていた。

何を言われるか分からないから、怖がっているのだろ。

当方、フランスの友人だから南太平洋での核実験反対デモに武村が参加したとき、それならお前、中共には何も言わないのかと抗議してやったからな。

武村が中共、北朝鮮と裏で繋がっていることは、当時から知る人ぞ知る事実であった。滋賀県高教組の某人物を通じてな。もう死んでいるが、黙って秘密を地獄へ持っていったんだろ。武村は、これでも命拾いしたほうだ。

当時の公立高校が、洗脳教育の拠点になっていた。このため、自衛隊の募集に相当な妨害を食らっていた。今でも、高校生が卒業して自衛隊に入るということは、ありえないほど。滋賀県はいじめ自殺で明るみになったが、左翼思想教育工作活動が今なお続いている証拠だ。

滋賀県の教育をゆがめるのに、武村は大いに貢献した。防衛省も、滋賀県の公立高校の教師の自衛隊員募集妨害工作に対し、損害賠償を求める行動に出るべきだろう。


20. 2012年7月21日 19:36:51 : bfiHqt1iFQ
こんな番組関西では誰も見ません。小沢専門番組です。勿論悪口三昧です。さらに出てくるのが終わった奴ばかり。一度偶然見たが藤井や野中が出ていた。すぐに変えた。

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