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“ヒゲの怪人”東祥三幹事長「小沢一郎が第一」のワケ
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1587
週刊文春 2012年7月26日号
政党支持率はわずか1%(読売新聞)、党名は長すぎて分からない――。酷評ふんぷんの小沢一郎氏が立ち上げた新党「国民の生活が第一」。一連の離党劇で、妻からの“離縁状”で露出が難しかった小沢氏に代わってメディアに登場し、全国的知名度を得たのが、“ヒゲの怪人”東祥三、“美熟女”岡本英子の両衆院議員だ。中でも東氏は幹事長に就任し、党運営の先頭に立つことになった。
東氏は創価大学一期生で、国連関係の職員を経て、1990年の総選挙に、公明党から将来を嘱望されて初当選した。外交・安全保障の論客で、市川雄一書記長の後を担うホープとみられていた。だが、人一倍政策にうるさい市川氏は、同じ外交・安保分野の東氏にはとりわけ厳しかった。当時を知る公明党関係者は「議員全員が出席する会議で延々と吊し上げたりして、だんだん東氏はノイローゼ気味になっていった」と振り返る。
公明党内で存在感のなくなった東氏が復活したのは、新進党に合流して小沢氏に近づいてから。当時、小沢氏は盟友関係にあった市川氏とは決別した状態。東氏は小沢党首実現に尽力し、自由党から民主党に至るまで一貫して小沢氏と行動を共にした。
しかし2003、05年と2回の総選挙で連続して落選。創価大、公明党出身だけに、古巣の創価学会とパイプがあると見られがちだが、実は支援はゼロ。東氏とは距離を置いていた公明党の同僚が「我々の中で、学会の助けがまったくなしで選挙をやっているのはアイツだけだ。えらい」と妙な感心をするほどだった。
小沢氏の方も、新進党を解党したのは「公明・学会が協力しなかったから」との恨みがある中で、学会から離れて自分についてきた東氏はかわいい存在。3年前の総選挙で6年ぶりに東氏が返り咲いてから、小沢氏は創価学会の秋谷栄之助前会長と極秘会談した際に東氏を同席させるなど、配慮も示してきた。
新党のキーマンとなった東氏だが、ここまでの要職に就いたのは初めて。「緒戦」として臨んだ国会の控室争奪戦では民主党に完敗し、小沢新党の部屋は旧自由党時代に使った3階にあえなく押し込められた。「政治手腕は未知数」とささやかれる不安が早くも的中した格好。次期総選挙では自民党、みんなの党、民主党の「刺客」を向こうに回して戦わなくてはならない。ヒゲの幹事長の前途は多難だ。
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