10. 2012年7月18日 21:02:08
: opuSlfFAh2
【私が嵌められた宮沢喜一議員秘書:呉三津田高校10年後輩の隠れ自民:民主党議員を昨夜TVで見た!】 http://www.asyura2.com/12/senkyo131/msg/800.html 投稿者 アサマタロー 日時 2012 年 6 月 23 日 10:50:16: UiY46YlCu.Moc 私には民主党議員で許せない奴がいる。面識はないが、呉三津田高校の10年後輩らしい。宮沢喜一の秘書だった奴がいつの間にか民主党議員になって、昨日TVで偶然見てしまい、その名前を思い出した。そいつは増税賛成派として中間派の議員の事務所を訪問していた。一度、ネットブログで経歴を見ただけだったが、動画は初めてだった。そいつが消費増税賛成派工作員だと分かり、昔の怒りが蘇って来た。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 【許せない経緯】 1993年初め、宮沢喜一総理と加藤官房長官が『国民の皆さん、日本経済の為に、家を買って下さい!』と、NHKテレビで演説した。郷土の英雄:池田勇人が引き立てた経済通の宮沢総理が国民に頼むんだからと、背中を押された気分で、『東京社宅で軽井沢週末ハウス』を実施していたが、次期関東地震予想対策で代々木4丁目から大宮以北の家探しを開始、12月に建売購入。直ぐに騙されたと思った。バブルは景気の谷1990.12以降3年では破裂も終息もしていなかったのだ。そして購入後15年以上の地価下落だった。政府が統計を3〜4年先延ばしして居た。 それで、自民党・マスコミ等に個人住宅含み損対策で米国並み『住宅ローン金利の所得控除創設』を要望FAXし、宮沢さんが高橋是清並みに大蔵大臣再登板したので、年末の税制改正に入れて頂くべく、自宅から夜間FAXする余裕も無く、事務所に電話して男性の『にたに?』さんに了解を得て、勤務先のFAXを利用し本文3〜4枚3分10円相当分電話料を私用し流したら、途中で切れ(先方切り??)再送になり、倍(6分20円)以上掛った。業務では一切切れないFAXが途中切れてしまった。胸騒ぎがし、違和感が残った。 それから1〜2週間して、人事に呼ばれた。やはり、だった。MOF担当が宮沢事務所の秘書から大蔵省経由『何十枚も来て、これは正に紙の暴力だ!』と言われたが、何枚送ったのかと聞かれ、『表紙込全部で5〜6枚で通信が中断し、再送ボタンを押したから、実際は分からない。受け手が途中で切れば、送信未済になり自動再送信?になったかも?』と返答した。 【山崎実:尾道生呉育、本通小、和庄中、呉三津田S45卒、早稲田政治経由、東大法S50卒銀行勤務】の表題部を見られ、途中で切られたのだろうか?と思った。宮沢は国民の意見も無視するのかと自民が嫌いになった。当然人事制裁も受けた様だが本人には分からない、いい加減な恣意的な人事組織だった。 私は『私用でゴルフ予約FAXする人も居るので、天下国家の政策で自民党がその週末に来年度税制大綱を決める時だから時間が惜しく、電話代10〜20円はサービス残業1〜2万時間もしており問題ないと思った』と返答。人事の癇に障った様だ。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 それから、安住選挙対策委員長名の国会議員公募で書類審査合格後の面接で樋高?議員が出馬選挙区の希望は?1呉、2埼玉、3長野のメモを見ながら、『全部我が党の現職が居る所ですね。こちらの指示する所に行って貰えればいいんですが、どうですか?』で、『縁もゆかりも無い所ではーー』で止めた。その後、彼が『呉の三谷議員は中学・高校の丁度10年後輩ですね。後輩を宜しく。政策論文や世襲禁止は使わせて頂きますので。』だった。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜それで、 宮沢事務所の紙の暴力の【にたに】が【三谷=みたに】だと分かった。呉三津田10年後輩?!それで家でネット検索した。自民党大蔵大臣秘書が民主党?議員の印象だった。だから、あのFAXはワザと切られたのか?途中で切られたから自動再送信になっていたのかと分かった。あれ以来、ワザとだったと思っていた。誰がそれで損したか?自明だ! ===================================== そんな奴が国民選挙公約【=消費増税反対4年間はやらず、やるなら事前に選挙で問う!】を破り、その上、反対派や中間派を切り崩し工作する。自民そのもの=隠れ自民=自民で出れなかったから民主に来た羊頭狗肉派だった。それに松下塾・野田派!ふざけるな!!酷い男だったとVTRを見ながら昔の怒りが込み上げて来た。絶対消費増税阻止!こいつの再選阻止!に私の余生を捧げたい!!と誓った。090-6509-1020 ===============引用==================== 三谷 光男(みたに みつお、1959年6月16日 - )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(2期)。 目次 [非表示] 1 来歴2 人物3 所属団体・議員連盟4 外部リンク 来歴 [編集] 広島県呉市生まれ。広島県立呉三津田高等学校、大阪大学経済学部卒業。大学卒業後、松下幸之助が設立した松下政経塾に入塾する(第4期生)。 松下政経塾を卒業後、広島県選出の宮澤喜一衆議院議員の秘書を務める。宮澤が小渕内閣で大蔵大臣に起用された際は大臣秘書官に就任した。宮澤の引退後は、地盤を引き継いだ宮澤洋一(宮澤喜一の甥)の政策担当秘書を務めた。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙に広島県第5区から無所属で出馬したが、自由民主党の池田行彦に敗れた。落選後、民主党に入党。翌2004年、池田の死去に伴う補欠選挙に民主党公認で出馬したが、池田の女婿である寺田稔に敗れ、再び落選した。 2005年の第44回衆議院議員総選挙では広島5区で再び寺田に敗れたが、重複立候補していた比例中国ブロックで復活し、初当選を果たした。2009年の第45回衆議院議員総選挙では初めて広島5区で寺田を破り、再選(寺田は比例復活もならず落選)。 人物 [編集] 民主党内では保守派に分類され、野田佳彦が会長を務める花斉会に所属しているほか、永住外国人への地方選挙権付与に反対もしくは慎重な議員で構成される永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会や、慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会にも参加している。 2010年の2度の民主党代表選挙では菅直人を、2011年民主党代表選挙では野田佳彦を支持した。 ==================引用終わり・引用=========== 宮沢の略歴 1993年(平成5年) 4月:訪米時、内閣総理大臣として初めて日本国政府専用機を使用。 8月:内閣不信任案可決により衆議院を解散(嘘つき解散)するも総選挙に敗れ内閣総辞職 1998年(平成10年) 7月:小渕内閣で大蔵大臣[2]======================== この頃、デフレ対策と米国並み住宅ローン金利所得控除創設運動開始し、大蔵は税額控除を120万円から5百万円に急増させ、新築・買替に限定対抗した。そして土地借入金利控除が永遠に潰され誰も借金して土地を買わなくなり、ダイエーは潰され、西武は乗っ取られ、新興企業は金利負担に耐えられず、明治企業が買収した。そして、デフレが日本経済に内製化された。 『週間エコノミスト1999.5.24号山崎実投稿本文3Pご参照』 ===================================== 12月:宏池会会長の座を加藤紘一に譲って名誉会長に就任。 2000年(平成12年)4月:森内閣で大蔵大臣(留任) 2001年(平成13年)1月:省庁再編により最後の大蔵大臣から初代財務大臣に就任(〜4月) 2003年(平成15年)11月:政界引退。 ==============引用終わり================== 今の民主党は隠れ自民が一杯だ!消費増税賛成 VS 反対 は 天の配剤:素晴らしいリトマス試験紙だ!国民の、国民による、国民の為の政治の試金石だ!!
|