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7月17日(火) 17万人が集まった「さようなら原発10万人集会」に参加した
17万人が集まったそうです。昨日、市民団体や労働組合などでつくる「さようなら原発1000万人署名市民の会」が主催し、作家の大江健三郎さんや音楽家の坂本龍一さんらが呼びかけ人となって代々木公園で開かれた「さようなら原発10万人集会」です。
私も、カミさんと一緒に参加してきました。昨日は全国的に猛暑だったようですが、公園内には適度な風も吹いていて、それほど暑さは感じませんでした。
集会の挨拶で、坂本龍一さんが「私は42年前、ここにいました。18歳で、安保改定反対集会に参加したからです。今また、これだけ多くの人が立ち上がり、感無量です」と発言されました。この感慨は、私自身のものでもあります。
42年前の1970年6月23日、この代々木公園で開かれた「安保条約破棄宣言中央集会」には、当時19歳で都立大学A類目黒学生自治会の委員長だった私も参加していたからです。
この時の参加者は約22万人とされています。17万人が集まった昨日の集会は反原発集会としては最大規模でしたが、42年前の反安保集会の規模を上回ることができなかったのは残念です。
私たちは渋谷駅から代々木公園に向かいましたが、すでに人の波が延々と続いていました。会場には12時半頃に到着しましたが、途中で「法政大学卒業生9条の会」の旗を見つけ、皆さんに挨拶しました。
会場をぐるっと回ってみましたが、沢山の旗が並んでいました。全国から来ていたようで、福島、長野、新潟、福井、奈良、京都、兵庫、沖縄などの地名を目にしました。中には、「熟年者ユニオン」「芦屋9条の会」の旗などもあり、日の丸の旗までありました。
「京建労」の旗も目にしました。8月の末に私が講演する予定になっている組合です。
集会が始まる頃、演壇に向かって右側の袖のところまで近づきました。お陰で、挨拶された皆さんの姿を間近に見ることができました。
集会への挨拶で、最も力強くアピールしていたように思えたのは落合恵子さんです。90歳だという瀬戸内寂聴さんも、張りのある声でしっかりとした挨拶をされました。
しかし、デモの後に久しぶりに合って話した息子は落合さんの名前を知りませんでした。新聞をとっていないということで、この日の集会についても知らなかったようです。
集会後の「パレード」では、原宿コースに加わって市民団体と一緒に表参道を歩きました。前にある旗を見上げたら、「金光教 非戦・平和ネット」と書いてあります。
訴え方も変わりましたね。私が学生の頃は「シュプレヒコール」と言って唱和する形でしたが、今は「原発いらない」「再稼働反対」と、太鼓のリズムに合わせて歌っているようです。
それに、思い思いのパネルや大きなカードにアピール文を書くなど、表現の仕方も多彩です。市民団体のグループだったので、なおさらそう感じたのかもしれません。
42年前、安保条約の改定ではなく破棄を求めたとき、安保の害悪は将来の可能性にすぎませんでした。しかし、それから42年後の今日、イラク戦争への荷担、沖縄などの在日米軍基地の現状や「未亡人製造器」とも呼ばれる危険な「オスプレイ」の配備など、安保の害悪は現実のものとなっています。
原発の害悪も、今の時点では将来の可能性かもしれません。しかし、高濃度の放射性廃棄物は確実に蓄積され、地震などによる再度の過酷事故の危険性は否定できません。
安保条約を破棄していたなら、「オスプレイの配備には反対できない」などと言わずに済んだはずです。将来、「あのときの運動がもっと強く、大きくなっていたなら」と、反省を込めて過去を振り返るようなことは、もう2度と繰り返されてはなりません。
今度こそ、政治を変える力にしたい。原発ゼロへの契機となるような大きな運動を作り出すことで、「あのとき歴史は変わったのだ」と過去を振り返ることができるようにしたいとの思いを新たにした一日でした。
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