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(回答先: 内田樹「鳩山さんの最大の誤算はアメリカの日本に対する影響力の強さを見誤ったことでしょう。」 投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 7 月 14 日 15:48:47)
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/11224
から下記を転載投稿します。
=転載開始=
(略)
3.11事故とは何か?
律令体制の社会が、原発を推進すると、どうなるか、ということの具体的帰結である、と言えるでしょう。
推進派は、原発を推進することの意味を、常に一般市民に対して、隠し続けねばならない。そしてウソをつき続けねばならない。
ウソ=原発・安全神話。
隠す=核兵器用燃料の生成。そこに至らないまでも、確固たる意図を持つこと。
そして、事故が起きれば、放射能の被爆者たちは見捨てられて、放置。
一方で、原発事故が大災害を呼ぶことが周知されても、原発を再稼動。
なぜこんなことになるのか?
ここを逆に考えてみましょう。
自然理性の社会だったら、どうだったか、と。
与件は同じです。
自然科学の知識と技術はガリレオの時代から進歩し、今や、人類は「神の火=核分裂エネルギー」を手に入れるまでになった。これを社会の福祉のために使わない手はない。それと、国防に。
これはフランスでもアメリカでもイギリスでもロシアでも中国でも同じです。
で、どの国も同じように抱えているのが、「神の火」は、必然的に「地獄の使(死)者」でもあることです。放射能。
核分裂に成功したものの、そこから生み出る生成物の放射能を無毒化する知識・技術を、いまだ人類は手にしていない。
律令社会がこれらの与件にどのように対処したか、しているか、私たちは目下、毎日これを目撃しています。毎週金曜に恒例となった官邸デモも、この対処の一つです。
律令政府は、その体制的本質から、国民を無視して政策を遂行します。この体制は、一般国民を人間と認知していません。このことを現在、痛感しているのが福島県の避難者たちです。双葉町井戸川町長=「私たちは日本の国民ですか?」
与件は同じです。
では、自然理性の社会だったら、どう対処するか?
私の考えでは、政府は国民に同じ情報を共有させることでしょう。
原発を推進するには、これだけのリスクがある。放射能。
核兵器がないと、これだけのリスクがある。主権国家の独立性を保障するための担保。=国家理性。(戦後の日本は、ここを日米安保でまかなっている。)
そして発電装置としての原発の効用性。水力、火力、風力などと対比して、地震列島で原発発電をすることのコストの意義には、これこれのものがある、と。(大飯原発3号機が稼動した今、関電は火力発電の数機を止めました。そして言うには、電力は余っていた!!)
以上を整理すると、律令理性社会でも、自然理性社会でも、与件は同じです。
違いは、原発推進の動機・意図・リスクを国民に隠しながら(ウソをつきながら)進めるか、情報を公開しつつ、その都度、対処を決めていくか、です。
たとえば、3.11以後の原発推進をどうするかは、自然理性の社会では国民世論が大きく作用するでしょう。律令理性の社会では、現に起きているようになっています。
=転載終了=
(参考)転載元筆者による用語「律令理性」「自然理性」の解説
「律令理性 」
自分を主体に置くことが出来ない理性。律令システム下に生きる日本人は、すべてこの理性の状態にある。
日本国内で生きている分には、特別、問題は起きないが、対外的には、大問題となる。戦後の日本は「対米従属」の時代として規定できるが、この「従属」状態を招来しているのが、自分を主体にできない律令理性である。
自分を主体にできない結果、戦後の律令理性・日本人は、アメリカをご主人さまにしている。
冷戦時代は別として、以後は、アメリカが日本を対米従属に強要しているわけではない。
日本人の律令理性が呼び寄せているのである。
もちろん、戦前も日本人は律令理性人だったから、その場合は、天皇がご主人だった。
これが戦前の「国体」の正体であり、それもまた日本人の律令理性が招来したのだった。
幕末時代の日本人がいかに律令理性人だったか。これを丸山真男が1949年の東大法学部での講義で述べているので、紹介しておきたい。
「このように、国民の圧倒的多数をなす庶民が政治的主体として能動的・自発的な関心を有していなかったということこそ、明治変革前後の実情であった。」『講義録2』東京大学出版会P.100
戦後の日本も同じこと。
2009年8月に民主党が「脱官僚」をスローガンにして勝利した時、それまで戦後の日本社会を官僚主導にしてきたものは何か、といえば、律令理性だったということになる。普通の有権者が、憲法上は「主権者」となっているのに、悲しいかな、律令理性人であるがゆえに自分を主体にできないので、それならば、とばかりに、霞が関官僚が主人になっていたまでのことである。
これを称して、元防衛庁官僚の太田述正氏が言うには、「脱官僚だって!?政治家が主導しないだけのことじゃんか」
しかり、日本人の思想史上、永久に残る名言である。 2010.9.7
「自然理性」
律令理性の反対に、自分を主体とする理性。普通の言い方では、近代西洋哲学が開拓した理性である 2010.9.7
http://www.asyura2.com/10/senkyo97/msg/361.html#c1
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