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社説 集団的自衛権 解釈変更は認められぬ
(東京新聞) http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012071402000126.html
2012年7月14日
政府の憲法解釈で違憲とされている「集団的自衛権の行使」。
野田佳彦首相は行使容認に前向きだが、平和国家・日本の「国のかたち」を安易に変えていいのか。解釈変更を認めるべきではない。
集団的自衛権は密接な関係にある外国への武力攻撃を、自らは直接攻撃されていないにもかかわらず、実力で阻止する権利を指す。
政府の憲法解釈は、日本は国際法上、集団的自衛権を有するが、行使は憲法九条で認められていないとしている。
野田氏は首相就任前、自著に「原則としては、やはり認めるべきだと思います」と記すなど、行使を容認する立場だったが、就任後は「現時点でこの解釈を変えるということはございません」と持論を封印していた。
集団的自衛権の行使容認論が再び浮上したのは、政府の国家戦略会議フロンティア分科会が六日、「旧来の制度慣行の見直し等を通じて、安全保障協力手段の拡充を図るべきである」とする報告書を首相に提出したのがきっかけだ。
首相は「提言を踏まえ、政府内の議論も詰めたい」と応じた。現行解釈では自衛隊に「公海における米艦の防護」「米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃」ができず、日米同盟を損なうとの問題意識が首相にあるのだろう。
しかし、政府が憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認めてしまえば、拡大解釈され歯止めが利かなくなる恐れがある。
ブッシュ米政権が誤って始めたイラク戦争に日本が深くのめり込まずに済んだのも、集団的自衛権の行使を禁じた政府解釈が歯止めとなったことに留意すべきだ。
政府解釈の定着は、現行憲法には行使を認める余地がないことを意味する。行使が必要なら憲法改正が筋で、解釈変更で行使を認めるのはあまりに乱暴すぎる。
米艦防護やミサイル迎撃が本当に必要なら集団的自衛権に基づかずに可能かをまず模索すべきだ。
集団的自衛権の行使を可能にすることで初めて日米同盟は双務的になるとの議論があるが、基地提供という重い義務を負う日本はすでに双務性を果たしていると考えるのが妥当だろう。
首相には、消費税増税で手を結び、同じく行使容認に前向きな自民党の歓心を買おうという下心が見え隠れする。
選挙で国民の審判を受けず、政権基盤も脆弱(ぜいじゃく)な野田内閣に、定着した憲法解釈を変える資格はそもそもないと自覚すべきである。
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