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普天間問題、オスプレイ配備など、沖縄をめぐる問題は複雑化しつつある。本土の人間がなすべきことは、沖縄がたどった歴史を振り返り、沖縄の声に耳を傾けることである。
一部の保守派は沖縄に対する批判を繰り返しているが、そんなことをしても何の解決にもならない。沖縄の心はますます本土から離れ、中国に近づいていくだけである。
沖縄を日本の一部と思っている保守派こそ、沖縄を抱擁する力を持たねばなるまい。鳩山総理、小沢幹事長が目指したものもそこにあったのではないだろうか。
『月刊日本』編集部ブログより
http://ameblo.jp/gekkannippon/
6月23日は沖縄「慰霊の日」です。この日に沖縄戦における旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされています。それゆえ、沖縄の人々はこの日を重視しています。
しかし、本土の人達にはこの感覚があまり理解できていないように思います。そもそも、終戦は8月15日ではなかったのか。
佐藤卓己(著)『八月十五日の神話 』を読めば、「終戦記念日=8月15日」という、我々が疑問を持たずに受け入れている定義が、無条件に正しいとは言い切れないことがわかります。
8月15日が終戦記念日であると法的に定められたのは、1963年に第二次池田勇人内閣で閣議決定された「全国戦没者追悼式実施要項」によってです。このように、終戦記念日の歴史はそれほど古いものではありません。
歴史的事実という側面から見ても、この定義には疑問が残ります。昭和天皇が終戦の詔書に署名されたのは14日であり、この日に最高戦争指導会議と閣議の連合会議が招集され、ポツダム宣言受諾が確定されました。それゆえ、石橋湛山は14日を「永遠に記念すべき新日本門出の日」としています。
また、帝国大本営が麾下の全軍隊に対して休戦命令を出したのは16日であり、江藤淳はこの重要性を強調しています。
海外に目を向けると、連合国の多くが、日本がミズーリ号で降伏文書に調印した9月2日を対日戦勝記念日としています。
もっとも、このグローバルスタンダードを受け入れる必要性はどこにもありません。いい加減、グローバルスタンダードを善とする発想は捨てるべきでしょう。国の歴史は暦にまで及びます。それゆえ、我々は元号と西暦とを共に使用し続けているのです。
それでは、多くの日本人が8月15日を終戦記念日として受けいれているのはなぜでしょうか。それは、その日に玉音放送がなされたからです。昭和天皇より直接国民全体に語りかけられた日だからです。これは強く心に留めておくべきでしょう。
しかし、「終戦記念日=8月15日」からは、抜け落ちてしまう視点があることも忘れてはなりません。その一つが沖縄なのです。「慰霊の日」だけでなく、本土の人間は沖縄の人々が重視する日に関心を持っているとは言い難い。それはすなわち沖縄戦の歴史を知らない、ということでもあります。
米軍が沖縄作戦の終了を宣言したのは7月2日であり、残存した日本軍が公式に降伏文書に調印したのは9月7日です。この日は沖縄では「市民平和の日」と定められています。
また、米軍による沖縄占領は1972年5月15日まで続いたので、この「復帰記念日」を終戦記念日とする立場も有力です。いや、米軍基地を抱えている現状を見れば、沖縄にとって戦争はまだ終わってないとも言えるでしょう。
沖縄だけではありません。これは北方領土にも言えることです。ソビエト軍は8月末から北方領土に対して攻撃を開始し、歯舞群島は9月5日に完全占領されました。北方領土の島民にとっても、「終戦記念日=8月15日」は受け入れがたいはずです。
沖縄と北方領土をめぐる問題は、現在に至るまで解決をみていません。「終戦記念日=8月15日」を無条件に受け入れる人々が増えれば増えるほど、問題解決が遠のいてしまう気がしてなりません。
我々は沖縄に対してどう臨むべきか。この「慰霊の日」に、本土の人間一人ひとりが沖縄について考えてみるべきではないでしょうか。
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