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(回答先: 日米両体験者・黒川国会事故調委員長の批判に馬耳東風の既得権益者(新ベンチャー革命) 投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 7 月 11 日 12:30:21)
震災後の「メイド・イン・ジャパン」レッテルにご注意
http://news.goo.ne.jp/article/ft/politics/ft-20120710-01.html
2012年7月10日(火)10:00
(フィナンシャル・タイムズ 2012年7月5日初出 翻訳gooニュース)
ミュア・ディッキー東京支局長
津波で打撃を受けた福島第一原発の事故について大々的に調べた事故調査委員会の黒川清委員長は、根本的な事故原因は日本文化の欠落に根ざしていると考えている。これは本当だろうか?
本当かどうかは、世界的に重要な意味を持つ。昨年3月に福島で起きた原子炉のメルトダウンは過去四半世紀で世界最悪の原子力危機だった。福島第一がなぜあれだけ脆弱だったのかを理解するのは、世界中あちこちにある原発の事故を予防するために、不可欠なことかもしれないのだ。
黒川氏は医学博士で、日本学術会議の会長も務めた。そしてこの事故は「メイド・イン・ジャパン(日本製)」のものだったと主張するため、かなりの材料を揃えている。
黒川氏率いる国会事故調の最終報告は、規制当局と業界が一緒になって安全基準を緩くし、地震や津波リスクの警告をまともに受け止めなかったと厳しく非難している。「日本株式会社」における大企業と官僚組織の協力・協調関係は有名で、これは高い生産性につながることもあるが、その裏腹で、こうしたべったりした癒着関係を生み出したのだと。
黒川氏はさらに、事故の要因となった「日本文化の慣習に根ざす」もののひとつとして、「権威をなかなか問い質そうとしない姿勢」を挙げている。日本人読者や視聴者の多くは、確かに日本の主要メディアにはそういう問題点があると賛成するだろう。
原発規制当局や東電幹部が、効果的な危機対策をとれていなかったこと、そしていざ危機が発生するや保安院も東電もまともな対応がとんでもないほど出来なかったことについて、黒川氏が指摘するほかの文化的な欠点(「反射的な従順さ」、「集団主義」、「閉鎖的な島国根性」も)の症状を見いだすのも簡単なことだ。
国会の幹部たちが事故調査委員会の委員長に黒川氏ほど独立した人物を任命したのは、評価されるべきだ。黒川氏はアメリカ在住15年で、1980年代に帰国してからというもの、日本の企業文化や教育文化を鋭く批判してきた。
今回の報告書で黒川氏はかつてないほど自分の国を批判した。しかしそれは報告書の英語版のみでのことだった。日本語版に書いた前書きはもっと抑制的で、日本文化そのものというより年功序列や終身雇用といった現象によって作られたマインドセット(思い込み)が事故につながったと批判している。
日本語版と英語版のこの違いを批判された黒川氏は6日、違う読者層に向けて報告書のメッセージに手を入れるのは特に問題ないと反論した。けれども黒川氏はかねてから「外圧」が日本の変化を後押ししてくれると信じており、自分がこうした判断を下すことで外国にいっそう厳しく注視してもらおうと願っているのは明らかだ。
日本外国特派員協会で会見した黒川氏は、たとえば原子力災害対策本部で議事録をとっていなかったなど、政府の無責任に対して日本の国民やマスコミの間で、奇妙なほど怒りの感情が欠如していたと語った。
「世界が怒り出せば、日本人ももう少し怒るようになるかもしれない」と黒川氏は話した。
しかし、福島第一原発の事故を文化的な文脈で説明しようとするのは、本当に危険だ。国民文化(国民性)を説明したり定義すること自体、そもそも難しいことなのだし。
それに日本文化がどうであれ、多くの日本人は原子力に反対した。そして日本企業や規制当局は何も、複雑な技術システムを安全に運営する能力を本質的に欠いているわけではない。たとえば新幹線は1964年以来一度も、死者を出す衝突事故や脱線事故を起こしていない。
日本文化に注目しすぎると、あの事故につながる決定を具体的に下した組織や個人の責任がよそにずれていってしまうことにもなりかねない。
特に外国人は「メイド・イン・ジャパン」のレッテルに気をつけるべきだ。
黒川氏の委員会が取り上げた問題の多く、たとえば最悪のシナリオに向けて準備できない組織的な欠陥や、業界と規制当局の癒着、独立したマスコミ監督機関の不在などは、世界中あちこちで見受けられる。
こうした問題はむしろ途上国で顕著で、新設中の原子炉61基のほとんどは途上国に立地するのだ。たとえば汚職が横行しマスコミは中国共産党の検閲にさらされている中国では、原子炉数十基の新設を予定している。
中国やインドやその他の国の政策決定者が、福島第一のような事故は日本でしか起こりえないなどという教訓を得たりしたら、こんなに危いことはない。
日本の政策決定者やエンジニアたちが1986年のチェルノブイリ事故から導き出してしまったのは、まさにそういう結論だった。悲劇的なことだ。福島第一以前の世界最大の原発事故は、ソ連の設計・運営上の問題のせいで起きたのだと、そういうことにする方が、日本の原発の安全性を心底問いただすよりは楽だったのだ。
ほかの国々は同じ間違いを繰り返してはならない。思い込みを絶えず点検し、組織を改良していかなくてはならない。福島第一の事故は私たちにそれを思い出させてくれたのだと、そう受け止めることが、未来の原発事故を防ぐためには、何より効果的だ。
この事故は日本で作られたものかもしれない。しかし次の事故はおそらく別の場所で作られるのだ。
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訳注。原文の「describing or defining a national culture is a hard task」を、「国民文化(国民性)を説明したり定義すること自体、そもそも難しい」と訳したことについて補足します。「national culture」はこの場合「国民性」という意味に近いが、一方で民族的・人種的な意味ではないと筆者のディッキー氏から説明を受けたことと、そもそもの事故調報告の「Japanese culture」は「日本文化」と訳した方が適切と思われるため、このようにしました。
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(翻訳・加藤祐子)
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