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現在の日本政府の存在理由(レゾンデートル)は日米安保体制を守り、運営することだ。
現在の消費税増税の本質は官僚による日本代行支配であって
議会制民主主義は体裁だけであることを露呈した形である。
このことを「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」の中に
はっきりとのべている。
小沢一郎の「国民の生活が第一」とは単純に2大政党制を確立するとかの表面的な
ことではなく、議会制民主主義の確立と地方分権の確立と推察する。
このことは今まさに日本民族が他国の保護国として3等国民に甘んじるか、
真の独立国を目指すかの分水嶺に立っていると考えらる。
反消費税増税、反原発、地方分権の確立すなわち
日本に連邦制を確立することが
いまの日本の政治経済状況を打破する最良の道である。
以下「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」:書籍情報社
から転載する。
占領はまだ続いている
キャンプ・フォスターの東側にある小高い丘の上に、「コスタビスタ沖縄」
というホテルがたっています。1973年のオープン時は「沖縄ヒルトン
ホテル」、その後「沖縄シェラトンホテル」といった時期もあったそうです。
このホテルに泊まって屋上にのぼると、前ページのような素晴らしい景色
を見ることができます。このあたりは島のヨコ幅が3kmほどしかありませ
んので、東側の中なかぐすくわん城湾も、普天間基地から嘉手納基地につづく西側の海岸も
よく見えます(泊まらない人でも、1階のカフェから西側はよく見えます)。
1945年4月1日、米軍はこの中部西海岸(北ちやたん谷・嘉かでな手納・読よみたん谷)から沖縄
本島への上陸作戦を開始しました。まず10万発ともいわれる艦砲射撃によ
って地上の建物をすべて吹き飛ばし、そのあと午前8時30分、上陸を開始
したのです。日本軍が、米軍の上陸地点で待つ水際作戦をとらず、嘉かかず数高地
など(☞p.82)に陣地を築いて待ち構える持久戦を選択したため、米軍はひ
とりの戦死者も負傷者も出さず、「足もぬらさず」上陸し、その日のうちに
現在の嘉手納飛行場と旧読谷飛行場一帯を占領したといいます。そして2日
目には東岸の中城湾に達し、沖縄本島を南北に分断することに成功しました。
その後の戦闘については、とてもこの本で紹介することはできませんが、
重要なのはこのとき艦砲射撃をされて更地となり、上陸後占拠された民間人
の土地が、現在の米軍基地だということです(なかには戦後になってから新し
い基地をつくるため、住民から強奪した土地もあります)。ですからこの地域に
ある普天間基地、キャンプ・フォスター、キャンプ・レスター、嘉手納基地
は、いずれも民間人の所有する土地がその90%以上を占めているのです。
住民の多くは収用所に送られ、戦後帰ってきたときには、家や畑のあった
場所が鉄条網で囲まれ、米軍の基地になっていました。住民は基地の周りの
斜面(p.94-95写真の手前部分)などに家を建て、土地が返還されるのを待つ
しかありませんでした。そうした状態がすでに66年つづいているのです。
これはあきらかに「私有財産は没収してはならない」としたハーグ陸戦条
約に違反した行為です。沖縄に来てこうした景色を見ると、「まだ占領が終
わっていない」という言葉の意味がよくわかります。東京で頭だけで考えて
いると、そういった言葉が実体のないレトリックのように感じられるのです
が、この風景を見ると、逆に「独立」や「返還」といった言葉のほうがレト
リックなのではないかと思えてきます。140万人もの国民が住む国土を占領
(または租借)されている国は、もちろん独立国とはいえないからです。
こうした日本の現状を「保護国」と定義し、その歴史的構造をあきらかに
したのは、1992年に『さらば吉田茂―虚構なき戦後政治史』(のちに『日本永
久占領』と改題:資料@)を書いたスタンフォード大学フーバー研究所研究員
の片岡鉄哉氏でした(この本と下記の『軍隊なき占領』(資料A)については、「属
国・日本論」で有名な作家の副島隆彦氏が、すぐれた解説を行なっています(資料B))。
片岡氏は、戦後日本の政治体制の大枠は占領中につくられたとしたうえで、
その本質は「アメリカが日本を支え、国家機能の代行をしていた」ところに
あったとのべています。だがそれは「冷戦の間だけだった」。だから冷戦後、
日本は国家機能を喪失し、長きにわたって衰退をつづけているのだと。
一方、自民党という政党の一番の機能、存在理由とは、「日米安保体制を
守り、運営することだった」とのべています。たしかに2011年現在、51年
前に結ばれた日米安保条約は一言一句変わっていません。憲法改正をいう首
相はいても、安保改正にふれる首相はひとりもいなかったからです。2009
年に政権交代が起きても、状況は変わりませんでした。片岡氏は2007年に
亡くなってますが、もしいま生きていたら、日米安保体制を守ることは自民
党の存在理由(レゾンデートル)ではなく、
日本政府の存在理由(レゾンデートル)だと訂正されることでしょう
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