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20年も昔の「遺恨」を引きずり罵詈雑言 悔しかったら国会議員50人を集めてみろヨ
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2012/7/5 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
「自滅への道ではないか。あんな人間が日本の政治を差配するのはおかしい」
東京都の石原慎太郎知事(79)が小沢グループの集団離党について吐き捨てたコメントだ。世論調査で小沢新党への期待が低かったことにも、「国民の良識。結局カネカネカネで、国民はうんざりしている」とののしっていた。
よくもまあ、ここまで悪しザマに批判できるものだが、石原の「小沢憎し」のルーツを知れば、この男のみみっちい根性がよく分かる。
今から23年前――。1989年7月、自民党の参院選惨敗と女性スキャンダルの責任を取り、当時の宇野宗佑首相が退陣を表明。石原は若手議員に推され、翌月の自民党総裁選に名乗りを上げた。対立候補の海部俊樹には出身派閥の河本派に加え、党内最大派閥の竹下派、安倍派、旧中曽根派が相乗り。もうひとりの林義郎は、宮沢派と二階堂グループが支えた。
石原は「アンシャンレジーム(旧体制派)対ルネサンス(革新派)の対決」と息巻いたものの、投票結果は海部279、林120、石原48……大惨敗に終わった。
「古い自民党では『総裁候補』のメンツを守るため、最大派閥がある程度の票を回して、“泡沫”の印象を払拭させたものです。ところが、この時の石原氏は一切ゲタをはかせてもらえず、恥をかかされた。当時、竹下派の事務総長として総裁選の舞台回しを務めたのが、小沢氏。海部内閣発足後には47歳の若さで幹事長に抜擢された。逆に石原氏は入閣も果たせず、党の亜流を歩むきっかけとなった。この時の屈辱というか、逆恨みが小沢憎しの原点とみて間違いありません」(自民党古参秘書)
石原は20年以上も昔の「怨念」から、小沢に罵詈雑言を浴びせているのだ。
新党構想の浮上から、はや半年。いまだ石原は「同士」を集めきれず、新党は絵に描いた餅のまま。そんなに小沢が憎ければ、「あんな人間」のように50人に迫る国会議員を集めるだけの政治力を見せつけたら、どうなのか。
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