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小沢一郎は負けたのか 野田翼賛政権の終わりの始まり
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2012/7/4 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
悪政 自公頼み
〈展望なき50人「離党」〉と1面デカデカと報じたのは毎日新聞。読売新聞は〈小沢新党 三つの壁 支持率・連携・資金〉と打った。もう慣れっこになったとはいえ、新聞各紙の「小沢憎し」はキョーレツだ。見出しを見ているだけで、小沢一郎と離党組は「はぐれガラス」の「敗残兵」なのか、と思ってしまう。
消費税法案の衆院採決で、民主党の国会議員は57人が反対票を投じた。小沢グループは衆院40人、参院12人の離党届を束ねて、執行部に突きつけた。
権力側にいる与党がこれだけ割れるのは異常なことだ。よっぽどの覚悟がなければできっこない。ところが、大マスコミにかかると、衆院で当初の40人が38人になり、37人になったことがクローズアップされ、はたまた離党者がこれだけいても衆院で野田政権を過半数割れに追い込めなかったことで、「展望なし」と書かれるのだ。
小沢大っ嫌いの大マスコミは、小沢新党に期待するが2割前後であることから「国民そっぽ」と書き、いまや1割強の民主党の支持率とどっこいどっこいであることは報じない。石原慎太郎都知事が「(小沢氏の離党は)自滅への道だ」と言ったことを大きく取り上げ、「小沢新党は民自両党と第三極の間で埋没しかねない」(読売)と書く。
だったら、「野田よ、よくやった」と書くのかと思うと、こちらも「自公頼み」「政権に打撃」と書く。つくづく、無責任で身勝手だ。要するに、小沢を徹底的に叩きたい。最初から色眼鏡なのである。
だとすると、この政局の実相は大メディアの報道からは絶対に分からない。一つ一つ、検証が必要になってくるのである。
◆小沢は追い詰められて離党したのか、小沢派は分裂したのか
もともと小沢勉強会には100人以上の国会議員が集まっていた。だから、今回の離党の人数、衆院37人、参院12人は少なすぎる。土壇場で2人が離党届を撤回したのもみっともない。小沢の求心力も落ちたものだ、という解説がある。49人を束ねたことよりも2、3人の“こぼれ”を強調するのだから、ひどいものだ。
「小沢氏は『勝手に書かせとけ』と言っているようです。大マスコミは小沢氏が政治的打算で動くと勘違いしている。野田執行部がそうだからでしょう。だから、数がこぼれたことを、さも大事件のように書く。しかし、そこからして違うのです。小沢氏の行動は政治的理念に基づいている。打算ではない。今回で言えば、せっかく政権交代をなし得たのに民主党が自民党と一体化してしまった。これでは議会制民主主義が成り立たない。だから、野田首相に何度も原点に戻るように説得した。しかし、野田首相は自公との連携に舵切りをした。だから、見切りをつけて離党し、新たな選択肢を提示すべく、新党を立ち上げるのです。
こういう理念だから、人数なんか関係ない。そりゃ、人数が多いに越したことはないし、10人ぐらいじゃみっともないが、これだけいれば、核になる。小沢氏周辺は『ちょうどいい数字』と言っていました。大マスコミの見方は見当違いだし、タメにする報道です」(政治評論家・野上忠興氏)
追い詰められての離党でもないし、離党でモメて分裂したわけでもない。しいて言えば、理念に基づく「純化路線」だ。それで49人も集まった。衆院では第3勢力、参院では第4勢力。委員会の理事ポストも取れ、党首討論もできる。社民などと組めば、不信任案も出せる。
「しかも、今回、離党しなかった面々に理由を聞くと、タイミングの問題という議員が多かった。9月の代表選での野田降ろしにかける。あるいは参院の消費税法案の審議を見極める。こういう理由で離党を見送った議員が大勢いる。となると、今後、小沢新党は確実に増えますよ。野田執行部が青ざめる展開になると思います」(民主党関係者)
グループ分裂なんて、全然、違うわけである。
◆新党は小沢の最後の悪あがきか
来週にも、小沢自身が党首となる新党が発足する。大マスコミは「壊し屋再び」「数もカネもない」とコキ下ろしている。「最後の悪あがき」と言わんばかりでコテンパンだ。
彼らの言い分はこうだ。小沢に追随した離党者は衆院で37人。与党を過半数割れに追い込める「54人」には足らず、新党きづななど連携を見込める議員を合わせても内閣不信任決議案を提出する「51人」には満たない。年途中の新党なので政党交付金を受け取ることができず、新党の運営も選挙資金も厳しい。だからジリ貧――と断じるのだが、今度の小沢新党は、「政権交代可能な2大政党」の再構築が目的だ。そこが前回と違うのである。
政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏がこう言う。
「小沢さんは過去に大技で政治権力を取ってきた。新生党を立ち上げ連立8会派の政権をつくった時もそうだし、自由党党首として自自公連立に参加した時も見事、政権入りを果たしました。うまく数を合わせたのですが、民主党の今が雄弁に物語っているように、しょせん、数合わせではうまくいかなかった。だからその反省で、今回は『理念』や『政策』で参加者を募り、新党を立ち上げ、再び政界再編を目指しているのです。小沢さんはもう70歳。残された時間を、もう一度、政権交代可能な2大政党をつくり直すという『最後の大仕事』にあてようとしている。デーンと構えているし、悪あがきなんてとんでもありません」
前出の野上忠興氏もこう言っている。
「数なんて、今あって、どうするんですか。衆参ともに選挙が近い。問題は選挙後です。その選挙で勝つためには理念だ。だから、小沢氏はそれにこだわっている。そこさえブレなければ、正義は自分の方にある。そう信じているから強いのです」
悪あがきと言うなら、前後見境なく自公にスリ寄る野田こそがそうだ。カン違いされては困る。
◆それでは野田首相に正義があるのか
大手メディアは、そろいもそろって小沢一郎の行動をぶっ叩いているが、だったら野田首相のやっていることが正しいというのか。国民を裏切り、平気で嘘をつく首相のどこに正義があるのか。
大阪の橋下市長は「統治の王道は国民を騙さないことだ」と切り捨てた。たまには橋下もいいことを言う。
野田は09年衆院選の街頭演説で、〈マニフェストには、ルールがあるのです。書いてないことはやらない。これがルールです。書いてないことを平気でやる。これって、おかしいと思いませんか〉と絶叫していた。このシーンは、ユーチューブで繰り返し流され、いまや国民の頭にスリ込まれている。
しかも、「社会保障と税の一体改革」などと言いながら、マニフェストで約束した「月額7万円の最低保障年金」も、「後期高齢者医療制度の廃止」も、すべて棚上げ。
これじゃ小沢一郎が、「もはや政権交代をした時の民主党ではない」と、離党するのも当然だ。誰が見たって、正義は野田ではなく、小沢にあるのだ。政治評論家の本澤二郎氏が言う。
「野田首相を許しがたいのは、なんのためらいもなく自民党と手を組んだことです。自民党政治を批判して政権に就いたのに、こんな裏切りはありませんよ。原発再稼働も、消費税アップも、やっていることは、すべて自民党の政策です。どこに民主党らしさがあるのか。しかも、“脱官僚支配”を訴えて政権を取ったのに、財務官僚の言いなりになっている。首相は二重、三重に国民を裏切っている。小沢グループ50人に離党届を突きつけられた首相は、閣僚懇談会で『民主党を立て直す気持ちで取り組んでいきたい。引き続き緊張感を持って取り組んでほしい』とエラソーに訓示したそうですが、なにを言っているのか。野田首相には、これっぽっちも正当性はありません」
野田民主党は、なぜ刑事被告人の小沢に引っかき回され、かくも自分たちが追い込まれているのかを考えた方がいい。答えはひとつ。野田民主党には一片の正義もないからだ。
◆どうせ自公に乗っ取られる野田首相の運命
大幅延長した国会で、野田政権は悲願の消費増税法案成立だけでなく、赤字国債発行法案や選挙制度改革法案まで成立させるつもりだ。しかし、増税法案さえ通せば、自公がこれ以上付き合う理由はない。当然、「解散しろ」と迫ってくる。とはいえ、解散すれば民主党は一巻の終わりだ。だから野田は逃げ回るしかない。この時、野田には交渉の武器がない。ただただ自公にひれ伏して、法案成立を懇願するしかない。哀れなものだ。法案が通るとすれば、自公の言いなりで、身ぐるみはがされてしまうことになる。相手はチンピラ同然の自公である。無理難題のイチャモンをつけてくる。野田はそれを丸のみするしかないのである。これでは何のための総理大臣なのか。自公のカイライではないか。
政治評論家の森田実氏は、「もはや民主党には存在意義がない」と憤る。
「消費増税はそもそも自民党が先に訴えていた政策です。民主党は09年総選挙で『4年の任期中は消費増税をやりません』と言った。その方針を転換し、自民党の政策を、『一緒にやらせて下さい』と頭を下げてお願いした。これでは何のために民主党の看板をかけているのか。とっとと下野すべきです。それなのに野田首相は政権を維持し、自公と事実上の大連立を組もうとしている。これでは政党政治は崩壊し、議会制民主主義は成り立ちません」
自民党もメチャクチャだ。「小沢を切れば協力する」と言っていたくせに、いざ小沢グループが集団離党すると、「分裂を引き起こしたということで、政権交代の国民の信はもはやなくなった」(石原幹事長)と攻撃した。マッチポンプもいいところ。まるでヤクザの言いがかりだ。ヤクザに借りをつくったら最後。麻薬患者のように骨の髄までしゃぶられることになる。
民主党は今秋に、景気対策を盛り込んだ補正予算案を編成する方針も表明。増税法案の修正で自公の要求をのんだ「景気浮揚」とやらを実現させるつもりらしい。片手で増税、片手でバラマキということだ。こんなことを国民が許すと思っているのか。
野田政権がやっていることは、国民のための政治ではなく、自公のための政治だ。時間が経てば経つほど、民・自・公の大義なき談合が浮き彫りになり、国民から見捨てられることになる。
◆民・自・公の翼賛体制も消えていく
衆院の議席の8割を占める民・自・公が、談合政治でやりたい放題を始めれば、何でもできる。連中はシメシメと思っているのか知らないが、それを国民が容認すると思ったら大間違いだ。
どうせ1年後には任期満了で選挙になる。それまで談合政治でやりたい放題をしておいて、選挙は別々なんて通用すると思っているのか。民・自・公は間違いなく次の選挙で、鉄槌を下されることになる。
「今度の選挙で最も不利になるのは、『民主党の看板』です。政権交代を掲げ、自民党とは違う政治をすると約束して一票をもらったのに、いまはまったく逆のことをやっている。『小沢グループの1回生は選挙が厳しい』などと言われますが、増税法案に賛成し、民主党に残った1回生の方がもっとキツイ。『民主党に残った方が連合の組織票が見込める』という解説もありますが、小沢新党には組織票を超える無党派の票が来る。09年選挙で民主党は無党派の後押しを受けて政権交代を果たしたのに、すっかり忘れてしまった。これでは勝ち目はありません」(鈴木哲夫氏=前出)
民主と戦う自民は「自分たちが第1党」とハシャいでいるが、増税談合を実現させた後に、自民が民主を批判しても有権者は「何言ってんの!?」だ。
結局、選挙が近づき、不利が分かれば、民主から次々と離党者が出る。野田は窮地に追い込まれる。自民でも大連立推進の長老支配に嫌気をさした中堅・若手が反乱を起こし、党内はグチャグチャになっていく。談合3党は壊滅的打撃を受ける。フタを開けてガク然とする野田が見えるようだ。
“選挙の神様”の小沢は、世論の空気に敏感だ。こうなることを見越して、既に選挙準備に着手している。
野田翼賛体制は終わりの始まりなのである。
◆小沢を中心に真の改革がスタートする
国民だってバカじゃない。時間がたてばたつほど、大メディアが報じていることのおかしさに気づくはずだ。そうなれば、いやが上にも小沢新党への期待は高まっていく。当然、選挙では小沢新党は躍進する。小沢が何らかの形で政権に参加すれば、ようやく、「真の改革」がスタートする。
多くの国民は「そんなこと言ったって財源がないじゃないか」と思っているかもしれないが、これは大マスコミに感化された見方だ。財源うんぬんの話ではなく、国民主導か官僚主導か。ここが改革のポイントだ。官僚主導では、いつまでたっても予算が足りず、際限のない増税が繰り返されることになる。かつての自民党政治がこれだ。そして、いまの野田民主党も同じワナにはまっている。そうではなくて、選挙を通じ、国民が選んだ政治家によって、国民主導を奪還できるかどうか。ここが肝心なのである。法大教授の五十嵐仁氏(政治学)はこう言った。
「私はマニフェストを絶対に変えてはいけないとは思っていません。しかし、その理念を変えてはいけない。マニフェストを見直すにしても、やり方がある。財源がないとしても、庶民の懐に手を突っ込み、民・自・公の密室談合の3党協議で決めていいのか。それよりなにより政権交代の意義とは、国民に政治の選択肢を示すことではなかったか。真の議会制民主主義を根付かせることだったのに、談合政治が許されるのか。そういう意味で小沢さんの主張は正しいのです。野田民主党は小沢氏を排除したつもりが、正義の旗を渡してしまった。それを国民は見ています」
小沢新党という選択肢ができれば、選挙でも分かりやすい。小沢が勝てば、国民主導の政治が始まる。統治機構が変わる。それをポピュリズムと断じるのは、民意の否定だ。そんな政治を許してはいけない。
◆どこに正義があるかを伝えないメディアの無責任
それにしても、小沢離党をめぐる大新聞テレビの論調はハチャメチャだ。誰がどう見たって小沢の方に正義があるのに、小沢が嫌いだからそう書かない。その揚げ句、あろうことか選挙で戦った自公と“談合”して消費税増税法案を押し通した野田寄りの報道になり、与党分裂という事態を冷静に分析、論評できずにいる。メディアが政党政治を否定し、談合翼賛会を煽(あお)っているのだからムチャクチャだ。
元毎日新聞記者で政治評論家の板垣英憲氏はこう言う。
「大メディアは財源をひねり出せなかった以上、マニフェストを見直すのは当然と書いている。小沢氏のマニフェスト至上主義も見直せと言っていますが、3年前の総選挙の際、マニフェスト選挙を散々、煽ったのはメディアです。それを反(ほ)故(ご)にしても構わないという論調は、明らかに矛盾しているが、それも小沢憎しからでしょう。政権公約を“守らなくていい”と認める無責任なメディアに今後、一体どんな選挙報道ができるのか。候補者の公約をいくら報じたところで、国民は『守られない公約をメディアはなぜ報道するのか』と不信に思うだけです。政党政治だけでなく、マスコミも瀕死の瀬戸際です」
朝日新聞は、3年前の総選挙前の社説で〈有権者に具体的な政策の実現を約束し、政権選択を問う。それがマニフェスト選挙の1丁目1番地だ〉と書いた。毎日新聞は、政権交代直後の社説で〈マニフェスト実現が大原則 国民との約束は重い〉と主張した。だとすれば、野田と小沢のどちらに大義があるのか。この一点を見ただけで小沢新党を巡る大マスコミ報道の怪しさが透けて見えてくるというものだ。
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