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小沢一郎元代表は7月2日、輿石東幹事長に民主党離党(50人=衆院議員38人、参院議員12人)を提出した。直ちに新党結党の作業に入る。「小沢一郎 最後の戦い」だ。1993年6月23日、自民党を離党(44人=衆院議員39人、参院議員5人)してから、19年にして、最後の戦いに挑む。民主党、自民党、公明党の既成政党に対する国民不信、「みんなの党」「大阪維新の会」など改革勢力が国民有権者から注目、期待されているなかで、「第3勢力」を結集する戦略を展開する。小沢一郎元代表がすべてを賭けて戦う最後の勝負は、「オールイン」となる。
小沢一郎元代表が、離党・新党結党の動きは、以下のような特徴がある。
@「国民との約束」を守る政治〜旗印は「反消費税」「反原発」「反TPP」
A小沢一郎元代表は、世界支配者の交代に促されて決断した。すなわち、小沢一郎元代表を敵視し、配下の米CIAに「暗殺命令」を発していた米国最大財閥のディビッド・ロックフェラーが失脚し、小沢一郎元代表と親密なジェイコブ・ロスチャイルドが世界支配者となったことに勇気づけられ、離党・新党結党に踏み出した。
B新党結党の盟約者と脱盟者を鮮明にする。
C「第3勢力・オリーブの木」政界再編の幹となる。
D官僚支配127年の歴史を覆す。
E「国民生活第一」の政治を実現する。
F国連中心主義の世界政府に貢献する。
G米中ロとの平和友好関係を築く。
小沢一郎元代表の今回の離党・新党結党の動きでも、一旦、盟約を交わした者のなかから、やはり脱盟者(脱落者)が出てきた。約310年前の「忠臣蔵」と同じである。大石内蔵助は、お家再興の努力を重ねていたにもかかわらず、望みが叶わないと判明したとき、「江戸の急進派」である堀部安兵衛らも京都・円山に招き、会議した。
ここで、吉良邸討ち入りを決定したうえで、大高源五と貝駕弥左衛門に同志のところを回らせて、神文血判の誓紙を返却させた。盟約者は120人に膨れ上がっていたが、仇討ちする気のない者が大半を占め、結局、誓紙の返却を拒否する者が50人残った。討ち入りを目前に控えた元禄15年(1702)12月2日、大石内蔵助は、集まった50人から新たに神文血判(いわゆる3回目のテスト)を得て、綿密な「討ち入りの心得覚書」を示した。これが本物の「血盟的同志」となったのである。
ところが、このなかからも脱盟者が出た。酒色に溺れた田中貞四郎、討ち入り直前に逐電した瀬尾孫左衛門、討ち入り3日前に口上書を残して姿をくらました毛利小平太の3人である。結局、討ち入りを決行したのは、47人となった。この「忠臣蔵」でもわかるように、決意や覚悟を守り続けるのは、極めて難しい。
小沢一郎元代表の離党・新党結党の場合も、同様であった。6月26日、衆院本会議で消費税増税法案採決で反対票を入れた57人のうち、小沢派45人が小沢一郎元代表に離党届を預けていた。ところが、山岡賢次元国家公安委員長が7月2日、輿石東幹事長に渡した離党届は、40人分だった。脱盟者、5人を出していたが、その直後、辻恵衆院議員(大阪17区)と階猛衆院議員(岩手1区)の2人が、離党届の撤回を申し込んで認められた。脱落者は計7人となった。
亀井静香元建設相が「政界再編のゴングが鳴った」と述べているように、討ち入りギリギリのときの脱落であった。脱落者たちは、官房機密費から1人当たり「600万円をもらった」と言われており、カネのために「盟約」を破り、転んだと見られている。現代の大石内蔵助である小沢一郎元代表は、離党・新党結党の盟約からの脱落者を見極め、血盟的同志を厳選し、討ち入りを敢行する。高杉晋作は「実があるなら今月今夜一夜明ければ、だれも来る」と詠んでいる。
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