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リベラル21(http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-2031.html)から転載。
2012.07.01 「足して二で割る」ような橋下市政の評価は止めよう、大阪市長就任半年の特集記事をめぐって、(ハシズムの分析、その25)
〜関西から(68)〜
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
6月19日は橋下大阪市長の就任半年目の日だった。驚いたことに各紙(大阪本社版)は挙って「橋下・大阪市長半年」の特集を組み、担当記者たちが総出で思い思いの紙面をつくった。1地方自治体の首長がマスメディアの焦点になることさえ稀有のことなのに、まして就任わずか半年目でこのような特集が組まれることなど異例中の異例の出来事だと言ってよい。いったい何がこれほどマスメディアの関心を引き付けるのか。
橋下市政に対する各紙の検証方法は様々だ。毎日新聞は、市民の注目を集めている「市政改革プラン」のなかの主な政策を中心に、それらが市民生活に及ぼす影響をイラスト入りで解説した。「維新一家」の生活を題材に、市政改革で生活がどう変わるかを「おじいさんの場合」「お母さんの場合」「お姉さんの場合」などについて具体的に例示した。分かりやすい特集記事だが、家計負担についても踏み込んでほしかった。
読売新聞は、橋下市政の際立った特徴である「競争原理の導入」「外部ブレーンの大量登用」「厳しい規律遵守」という3つの側面を取り出し、橋下氏の人物像も含めて「橋下流」の分析に重点を置いた。3つのサブテーマが背景説明も含めて手際よくまとめられ、具体的事例を通して読者の理解を誘う巧みな内容に仕上っていた。すぐれた特集記事だが、問題は3つの側面の構造的関係の分析がなかったことだろう。外部ブレーンを大量に登用し、職員に厳しい規律を課してまで、公教育や行政に競争原理を強制的に導入する目的はなにか、という“締め”がほしかった。
朝日新聞は、4人の中堅担当記者に「国政」「原発」「組織」「教育」の4大テーマについてそれぞれ語らせることで、個性ある多彩な紙面になった。読売新聞と違うところは橋下市政の切り口を担当記者に任せた点にあるが、「橋下流」に対する個々の記者の持味(視点)が出ていて面白かった。これが最近の特集記事の新しいつくり方なのだろうが、しかしその一方、「デスクはいったいどこへ行ってしまったのか」という不満も残った。
たとえば、京谷奈帆子記者の「原発、理想と現実、2つの顔」という記事についてである。記者は、大飯原発再稼働に関する橋下発言がこの2か月間で豹変したことを取り上げ、橋下氏という政治家の本質が、脱原発依存を主張した「理念政治家」という側面と、風向きをとらえては落とし所を探り、最後は再稼働を容認する「リアリスト」という側面の“二面性”にあるとの独自見解を披露した。そしてこの二面性について、「理想と現実を使い分け、勝負どころで実を取るしたたかさを感じる」との大甘の評価を下すのである。
だが橋下氏の生態を知る者はだれも、彼の辞書には「理念」「理想」といった語句がどこを探してもないことをよく知っている。橋下氏という政治家の際立った本質は、「目的のためには手段を選ばない」という“一面性”にこそあるのであって、通常この種の政治家は「マキャヴェリスト」であるとか、最近では「ポピュリスト」とか呼ばれている。「政治は結果責任」という視点から見れば、「理念政治家」としての橋下氏の言動は、勝負どころで実を取るための「前宣伝マン」であることに気付くだろう。
大飯原発再稼働問題に関して言えば、全国の原発が停止状態に陥り、「原発ゼロ」が必ずしも不可能でないことを多くの国民が生活実感として理解しつつあるなかで、危機感を抱いた電力会社・財界・政府が再稼働のために総力を挙げ、橋下氏をはじめ関西広域連合の首長たちを籠絡(恫喝)したのである。その意味で、橋下氏は日本の原発再稼働の引き金を引いた張本人(の一人)なのであり、自らの野望実現のために財界と政府に「大きな貸し」をつくった極めつきの「リアリスト」なのだ。
もうこれ以上言わないが、日々「小さな物語」を書くことに忙殺されている現場の担当記者たちに「大きな物語」を求めるのはいささか酷というものだろう。橋下流政治の評価や論評で一番大切なことは、橋下市長の目先の動きに幻惑されてコマネズミのように走り回るよりも、彼の行動の軌跡を客観的に俯瞰したうえで、「マキャヴェリスト」「ポピュリスト」としての本質を呵責なく描くことだ。
その点で、本来なら「大きな物語」を書かなければならない論説委員や解説委員の劣化が目立つのは悲しい。大政翼賛会の時代でさえ、体制に加担する記事を断固拒否した気骨あるジャーナリストは珍しくなかった。それが、このところの社説や論説の見る影もない凋落ぶりはどうだろう。誰が書いても同じような論調が並ぶ社説など読むに堪えないし、「足して二で割る」ような橋下特集記事は本質を見失う。担当記者にはもっとパンチの利いた記事を書いてほしい。
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