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政治家が総理になって実行した正統秘策が『鳶に油揚げ』『井戸掘り人が抹殺され、地主が自分で掘った?』政界雀は非常識!
http://www.asyura2.com/12/senkyo132/msg/274.html
投稿者 アサマタロー 日時 2012 年 6 月 29 日 12:08:35: UiY46YlCu.Moc
 

政局は一切知らない我々庶民が、小沢冤罪事件から『どうもおかしい?』と気付きだして3〜4年立った。

我々一般人でも分かり出した【醜いアメリカ】と【従米官僚国家構造】!
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角栄さんは中国大陸で傷病兵になり無事帰還出来たが、多くの勇敢な戦友を見殺しにしたと良心が痛み、戦友と生死を彷徨った自分がやらなければ誰がやる!と強い意志で日中国交回復を誓ったと思う。平民宰相田中と貧農苦学大平外相の功績だ。

それを反対し、アメリカに売ったのがエリートだった福田赳夫だ!
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最近、朝ズバで、その福田を『日中国交回復の調印したのは福田さんだ!』と言った与良豚?!さすが表面的な見方の文学部出だ。井戸掘り人をクビにして労賃も払わず、自分で掘り当てたとでも政界永田町では言われているのか?永田町住民は教えて欲しい!与良馬鹿豚が正しいか?

それとも与良馬鹿豚が安直現代政治史を覚え間違えたのか??教えて下さい!!
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だから、小沢さんも指導したくても怖くて出来ないのだ!!良いアイディアである程、角栄さんの様に横取りされるからだ。こう思っているのは私だけか?
与良が普通か?

政界や経済界は特に『鳶に油揚だ!』アメリカに御注進して上院でコーチャンピーナッツになり、排除され、CIA代理人岸の後継者:福田が美味しい所を持って行っただけだ。

角栄さんが総理になり推進した国民総意の正統秘策でさえ、排斥され上前を跳ねる既得権益特権階級だ。それを馬鹿豚:与良が真逆をテレビで言って驚いた。表面しか見ない薄い男だと思った。
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今日2012.6.29朝ズバでも与良は『小沢新党24%を見てどう思うか?』と東議員に聞く。小宮山さんに聞いて欲しいが、加藤一郎総長に似ている東議員が良く言った!『野田民主党が20%割っているのに比べ小沢さんの方がまだ多いでしょ!どう見るかの見方です!』は大変良し!座布団3枚だ!!聞いていて胸がスク!みのもギャフンだ!毒饅頭がもっと欲しそうな顔つきだった!

与良豚顔が悔しそうだった!!拍手大喝采だった!セコイ小者がまだ出る毎日の人材払底が良く解った。沖縄密約事件で徹底的に潰され人材が来なかったと本当に良く解った!  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 日高見連邦共和国 2012年6月29日 12:24:01 : ZtjAE5Qu8buIw : C7Wqvb1wZA

今日2012.6.29朝ズバでも与良は『小沢新党24%を見てどう思うか?』と東議員に聞く。小宮山さんに聞いて欲しいが、加藤一郎総長に似ている東議員が良く言った!『野田民主党が20%割っているのに比べ小沢さんの方がまだ多いでしょ!どう見るかの見方です!』は大変良し!座布団3枚だ!!聞いていて胸がスク!みのもギャフンだ!毒饅頭がもっと欲しそうな顔つきだった!

それマジ!?見たかった〜!!


02. アサマタロー 2012年6月29日 12:26:29 : UiY46YlCu.Moc : opuSlfFAh2
与良様  よく読んで下さい!文学部だから日本語は分かりますね?!

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【日中国交正常化】(にっちゅうこっこうせいじょうか)とは、日本と中国共産党率いる中華人民共和国とが国交を結ぶこととなった出来事である。1972年9月29日、中華人民共和国の北京で行われた「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)の調印式において、田中角栄、周恩来両首相が署名したことにより成立した。なお、日中共同声明に基づき、日本はそれまで国交のあった中華民国に断交を通告した。
目次 [非表示] 1 解説2 経緯2.1 民間貿易協定2.2 LT貿易とMT貿易
2.3 日中国交正常化3 参考文献4 その他5 関連項目6 注釈解説 [編集]

日中国交回復とも言われる。1972年以前に中華人民共和国という国家と日本の間に外交関係はなかったので、「国交回復」という表現は不正確であるとする見解もある。清や中華民国と日本の間に国交が存在した時期もあるが、中華人民共和国はこれらの国家の継承国家では無い(中華民国は台湾で存続)ため、個々の政体ではなく中国に存する主たる政体という枠組みで捉えるなら「国交回復」という意見もある。
中国に対する支配権を失った中華民国を中国を代表する国家として国交を結び、中国本土を支配する中華人民共和国との間に国交がないという状況は正常とは言えないとし、より実態に即した外交関係に構築しなおすということで「正常化」という言い方は日本において広く受け入れられた。
経緯 [編集]

民間貿易協定 [編集]
1949年10月1日に中華人民共和国は成立した。当時、日本は台湾島の中華民国政権を『中国を代表する政府』として承認。中華人民共和国とは細々と民間交流が行われるに過ぎなかった。
翌1950年10月1日には日中友好協会が設立したものの、同年勃発した朝鮮戦争の影響もあり日本政府は反社会主義の色彩を強くし、12月6日には対中輸出を全面禁止するなど、中華人民共和国を敵視する政策が執られていった。
そんな中、1952年4月、日中貿易促進会議を設立していた高良とみ、帆足計、宮腰喜助の各国会議員が、政府方針に反してソ連から直接北京を訪問。第一次日中民間貿易協定に調印し、国内に大きな議論を巻き起こした。
さらに1953年7月に朝鮮戦争が休戦すると、衆参両院で、「日中貿易促進に関する決議」が採択。池田正之輔を団長とする日中貿易促進議員連盟代表団が訪中し第二次日中民間貿易協定を結び、民間貿易が活発化した。
さらに1955年4月のバンドン会議で高碕達之助と対談した周恩来総理が、中国は平和共存五原則の基礎の上に日本との国交正常化推進を希望と表明。同年11月に片山哲元総理が訪中するなど、あいかわらず反対論は根強いものの交渉が進みかけたに見えた。
********しかし、1957年2月に総理大臣に就任した岸信介は中華人民共和国政府を敵視し日中民間貿易協定を無視したので、****中国サイドは態度を硬化。周恩来が「政治三原則」(中国人民を敵視しない、2つの中国を作らない、両国の関係正常化を妨害しない)を表明し、事態の収拾を図ろうとしたものの、1958年5月2日に長崎国旗事件(長崎で暴徒が中国国旗を引きずり降ろした事件)が起こると日本政府の対応を強く批判。日中貿易が全面中断され、中国歌舞団日本公演も中止となった。
LT貿易とMT貿易 [編集]
その後日本社会党の訪中や石橋湛山元総理による「政経不可分の原則」の確認、松村謙三、古井喜実、高碕達之助、等の貿易再開への努力ののち、中国から「貿易三原則」を引き出すことに成功すると、1962年10月28日に高碕達之助通産大臣が岡崎嘉平太(全日空社長)などの企業トップとともに訪中し「日中総合貿易に関する覚書」を調印。経済交流が再開された(LT貿易。中国側代表廖承志、日本側代表高碕達之助の頭文字からそのように呼ばれた)。
さらに1964年4月19日、当時LT貿易を扱っていた高碕達之助事務所と廖承志事務所が日中双方の新聞記者交換と、貿易連絡所の相互設置に関する事項を取り決めた(代表者は、松村謙三と廖承志)。同年9月29日、7人の中国人記者が東京に、9人の日本人記者が北京にそれぞれ派遣され、日中両国の常駐記者の交換が始まった(日中記者交換協定)。
******しかし、1965年総理大臣に就任した佐藤栄作は中国を「アジアの脅威」と批判。中国側は態度を硬化し、再び交流に齟齬をきたした。
1966年3月には日本共産党の宮本顕治が訪中したが、毛沢東と路線対立し帰国(日中共産党の関係を参照)。この直後、中国では文化大革命が始まる。文化大革命の当初はその正確な状況が日本に伝えられておらず、官僚制を打破する若者達の運動として好意的な論調を展開するメディアも多数存在したが(文革末期になると日本のメディアはほとんど興味を失っていた)、政府間の関係は冷え切ったままであった。そのような中でも1968年3月に古井喜実が訪中し、覚書貿易会談コミュニケを調印。覚書貿易(MT貿易)が開始された。彼は以後毎年訪中し、その継続に努めた。
日中国交正常化 [編集]
1971年7月に突如としてヘンリー・キッシンジャーアメリカ合衆国国務長官が北京を極秘訪問し、米中政府間協議を行った。続いて1971年7月15日には、ニクソン大統領自身が中華人民共和国を訪問することを予告する宣言を発表し、世界を驚かせた(ニクソン訪中宣言、政治面におけるニクソン・ショックとも呼ばれる)。実際に1972年2月にニクソン大統領の中国訪問が為される。
アメリカにとっては中国をパートナーとした新しい東アジア秩序の形成を模索するものであったが、キッシンジャーがその東アジア新秩序構想において日本抜きで事を運ぼうとしていることを*****察知した日本政府及び田中角栄は、アメリカの先手を取ってでき得る限り早く日中国交正常化を果たすことを決断する。*****そしてニクソン訪中宣言からわずか1年2ヶ月という異例の早さで日中共同声明(1972年9月29日)に持ち込んだ。
なお、当時の自民党内では中華民国(台湾)を支持する勢力が圧倒的であり(石原慎太郎や浜田幸一なども親台湾派であった)、様々な権益が絡んでいたこともあり、国交正常化交渉にあたった外務官僚も省内ですら隠密行動を余儀なくされていた。また当然のことながら、中華人民共和国、中華民国の両政府はともに、他国による中国の二重承認を認めないため、日中国交正常化交渉を進めることは中華民国と断交することも意味していた。
時間的な制約があり、かつ国際政治状況から見ても差し迫った政策課題であったため、交渉にはあらゆる手が尽くされた。例えば、佐藤派から福田派に移った保利茂は、田中の意を受けて密かに訪中する日本社会党委員長、成田知巳に田中の親書を毛沢東に渡す様に託し、田中の日中国交回復を真剣に目指している事を中国側に伝えた。
******1972年7月7日に内閣総理大臣に就任した田中角栄は、同年9月に自ら中華人民共和国を訪問した。
そして9月29日、日本国外務大臣:大平正芳と中華人民共和国外交部部長:姫鵬飛が「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)に署名。国交正常化が成立した。このとき日本はニクソン訪中宣言の後に対中アクションを起こしたにもかかわらず、アメリカよりも先に中国を承認するという、信じがたいフットワークのよさでことを進めた。政策判断の当否はともかく、アメリカの鼻先でアメリカの外交戦略の先手を取ったというのは日本の戦後政治史において例外的なことである。**************
なお、当時はまだ戦後30年も経過しておらず、交渉には日中戦争の傷が影を落としていたが、周恩来は「日本人民と中国人民はともに日本の軍国主義の被害者である」として、「日本軍国主義」と「日本人民」を分断するロジックによって「未来志向」のポリティクスを提唱し、共同声明の成立に邁進した。この論理によれば、抗日民族統一戦線の戦いをどれほど賛美し、日本の軍国主義の侵略をどれほど非難しても、それは日本との外交関係にいささかもネガティヴな影響を及ぼすものではないとされる。この「未来志向」の政治的合意は現在にも引き継がれている[1]。
*************************************それから4年後の1978年8月、福田赳夫政権の下で日中平和友好条約が調印された。
*************************************参考文献 [編集]

倪志敏「田中内閣における日中国交正常化と大平正芳(その1・その2・その3・その4)」『龍谷大学経済学論集』第45巻第5号/第46巻第5号/第47巻第3号/第48巻第3・4号(2006年3月・2007年3月・2007年12月・2009年3月)
近年公開された日中双方の外交記録及びその他の第一次資料(『森田一秘書官訪中日記』等)を援用すると同時に、日中双方の当事者及び関係者への貴重なインタビュー資料も多数利用している[2]。日中国交正常化のプロセスを跡づけ、北京交渉の過程に考察を加えている。
鹿雪瑩 『古井喜実と中国 日中国交正常化への道』(思文閣出版、2011年)ISBN9784784215904
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与良馬鹿豚さん!でも分かったでしょ!毎日の論説委員をさせて下さい!もっとまともで購読者を獲得出来そうですよ!!者の方針かレベル低下か?


03. 2012年6月29日 12:34:48 : opuSlfFAh2
02の最後の【者】は【社】でした。

04. 2012年6月29日 12:53:33 : opuSlfFAh2
馬鹿を引用し悲しいが福田ヨイショが解った。安倍派の番記者だ!
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引用するほどの大物では無いですよ!福田ヨイショが分かるように!今の地位が福田・安倍・小泉の御蔭を証明してしまった!!!!!
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【与良 正男】(よら まさお、1957年- )は、毎日新聞社論説副委員長。現在、早稲田大学政治経済学術院公共経営研究科客員教授[1]。
目次 [非表示]
1 経歴2 主張・論説2.1 読売新聞への批判3 政局報道3.1 自民党政権
3.2 政権交代3.3 民主党政権3.4 鳩山由紀夫内閣3.5 菅内閣3.6 野田内閣
4 報道倫理についての姿勢4.1 日本国に対する姿勢4.2 過去の論説5 人物6 出演
7 脚注・出典経歴 [編集]

名古屋大学【文学部卒】業後、1981年毎日新聞社入社。1989年東京政治部配属となり、安倍晋太郎をはじめ【安倍派】・三塚派を長く担当した。【森喜朗内閣発足時の2000年春から1年間、官邸取材のキャップを務めた[2]。】自由民主党から民主党への政権交代をテレビ・新聞を通じて国民に訴え続けた[3][4]。
主張・論説 [編集]

新聞の役割を高く評価しており、「マスコミが高い志を持って政治報道をしなければ、日本の政治がみすぼらしくなってしまう」****与良が出て来て酷くなった*****「『(社会の)仕組みを変えよう』と提起するのが私たちの仕事だ」[5]「テレビは本当に怖いメディア。こんな時代こそ新聞。物事をどう見るかという部分で頼りにされている」***だから平気で嘘が言える人種が危険だ*****などの発言をしている[6]。
「与野党双方の批判は公平・中立であるように見えるが「政治なんてだれがやってもダメ」という政治不信を助長するばかりである」として[7]、民主党への賛同と自民党への批判を新聞やテレビで展開している。****自民からも馬鹿だと思われダメ出しされていた!!!!******

読売新聞への批判 [編集]
2007年の大連立騒動の際、仲介者とされる読売新聞主筆・渡邉恒雄について「マスコミと政治家は距離を置くべき」と批判したが、与良自身は度々政治家と食事をしたとテレビで語っていた。******嘘つきだ!!******
2009年、政党職員が「最近のメディアは、げすの勘ぐりみたいなものを前面に出すことが、建前を排して真相を突くことだと勘違いしているようです。本来の理念に立ったうえで批判すべきは批判し、改革すべきはその方向を示す、といった書生っぽさが必要では」と与良に苦言を呈すと、与良はこのメディアを読売新聞と解釈し、読売新聞に報道姿勢を見直すべきではないかと毎日新聞のコラム掲載した[8]。
2009年、衆参の両院協議会で民主党が定額給付金への反対を理由に審議の引き伸ばしを行うと「両院協を予算案修正の場とみなし、給付金の削除や削減を求めるという今回の野党の対応は、ねじれ克服の一つの方法だ」と評価し、「両院協を審議引き延ばしに使うな」と民主党を社説で批判した読売新聞などを「議論の中身や評価は二の次で、与野党の思惑だの駆け引きだのをしたり顔で解説するだけだった」と毎日新聞のコラムで揶揄した。?????????
政局報道 [編集]

自民党政権 [編集]
毎日新聞の官邸キャップとして森内閣を取材したが、官邸キャップとして「政策の記事をほとんど書いた記憶がない。毎日、失言ばかりを追いかけていた」と回想している[9]。なお、森喜朗自身は退陣後に「あるテレビ局のキャップが首相官邸で、「森政権なんか、三ヵ月で潰してやる」と豪語していたと後で聞かされました」と証言している[10]。その後、TBSのニュース番組でコメンテーターも務めることになるが、政策重視で組閣された安倍内閣を「お友だち内閣」と喧伝し、安倍晋三が病気のため内閣総理大臣を辞任すると「安倍政権は“お友だち内閣”なんて呼ばれていたけど、結局お友だちは誰もいなかったんでしょう」と揶揄するなど、自由民主党に対する報道姿勢は変わらなかった。
政権交代 [編集]
麻生内閣が成立すると、麻生太郎総理大臣を「『何となく』『基本的には』『いわゆる』が口癖で、具体的に政策について聞かれるとおどおどした表情を見せることさえある」「今の与党にはもう政権担当能力がないのではと思う」[11]などの自論を毎日新聞に寄稿し、TBSのニュース番組でも「毎日しつこくて申し訳ありませんが、解散総選挙して有権者に判断を仰ぐのが政治の王道だと思います」[12]「すぐ解散したら初めて褒めてあげる」[13]と視聴者に訴えて、麻生内閣の退陣と解散総選挙による政権交代の実現を主張した。また「政権交代が実現した場合、民主党には政権担当能力があると思うか」という質問に対しては「民主党の政策についても解説や分析をすることができないため結局は、やってみないことには分からない」と回答した。与良はこの回答を「一番誠実な答え方」と自賛している[14]。
民主党政権 [編集]
鳩山由紀夫内閣の政策が迷走を始めると「政権交代による混乱はむしろ当り前なのだ。多くの国民はある程度覚悟したうえで、1票を投じたのではないだろうか」[15]「国民は自民党よりは民主党のほうが、まだましと感じている」[16]などの記事を寄稿し、民主党政権を擁護している。
鳩山由紀夫内閣 [編集]
鳩山由紀夫内閣の内閣支持率が急低下すると「各社が回数を競い合うように年中、調査を実施し、内閣支持率が下がれば大事件が起きたかのように報じる。それが世の中の失望感をさらに増幅させ、政治家もまた右往左往する。」「20年以上前の自民党政権のように権力が強大だったころと比べて、今の政治は本当にひ弱だ。だからメディアも日々、政治にいちゃもんさえつけていればいいという発想を変えるべき」と述べ、マスコミに対して、ネガティブな報道を控えるように主張した。また、国民に対しては「国民が辛抱強くリーダーを育てていく時代」であるとして、鳩山由紀夫総理大臣を支えるように訴えた[17]。
鳩山由紀夫内閣が失政や不正献金問題で批判を受けるようになると「いきなり、不安や懸念ばかりを書き立てることが、今度の衆院選で『チェンジ』を求め、政権交代を選んだ多くの有権者の期待に応える報道だろうか」「性急に結論を求めるのではなく、ここは一つでも二つでも改革が進むよう政権の背中を押すのがマスメディアの仕事ではないか」と擁護したため、立花隆に要するにいまの鳩山政権は相当にひどい状態で、不安と懸念がいっぱいなのだが、それには目をつぶって、現政権の後押しをするのが、メディアの役割といっているのだ」と非難された[18]。
鳩山由紀夫総理大臣の「普天間基地代替施設移設問題を2010年5月末までに決着させる」という発言について、与良は「(鳩山は)けっこう粘り強い人」とコメントして、その実現を疑問視する声に反論した[19]。
菅内閣 [編集]
延坪島砲撃事件で菅内閣の危機管理意識に対する批判が高まると、「自民党をはじめ野党は批判しているだけでいいのか」と野党を非難し、「『私たちも弱い内閣を手助けする』と言った方が信頼は高まるのではないか。」と野党に対して菅内閣を支えるように求めた[20]。
東日本大震災で菅内閣の復興支援政策や二次被害防止対策が不十分だったことに批判が高まると「(菅総理が)もし辞めるとしたら誰が首相になって、どんな体制を作ったら、今の状況を乗り切れるだろうか」と反論した[21]。
2011年6月に菅直人内閣総理大臣への退陣要求が与野党で強くなると、与良は「私たちメディアが「脱政局」報道に転じて状況を変えていくしかない」と意気込みを語った[22]。
野田内閣 [編集]
野田内閣が消費税の増税を推進すると「野田首相の言っていることは間違っていない。嫌われ者になるだろうなあと私も承知で負担増の話を書いている」と賛同し[23]、政権交代となった第45回衆議院議員総選挙で、民主党が消費税の増税を行わないことを公約し、自民党が消費税を将来的に増税することを公約したことについて、自由民主党の谷垣禎一総裁が「増税は必要ないとの公約で政権取った。けじめつけないと」と民主党に解散総選挙を求めると、「マニフェストを見直せ」と民主党に迫った自民党が公約を翻して消費税増税に転じたことを批判するのは「ご都合主義である」と批判し[24]、自民党は消費税の増税を提案していたのだから、「大人」になって政府に協力するべきだと主張した[25][26]。
報道倫理についての姿勢 [編集]

2008年10月3日放送のTBS『みのもんたの朝ズバッ!』で、東京都議の海外調査報告書における学術論文無断盗用問題について「毎日新聞で盗作や盗用をしたら懲戒免職」と発言した。毎日デイリーニューズWaiWai問題については、新聞社、出版社計32社の記事を無断で利用、翻訳していたことを明らかにしたうえで、謝罪記事を掲載し関係者を処分したが、WaiWaiで使用された記事は掲載時に出典がすべて明記されており、厳密にいえば「盗作」「盗用」ではない。
2009年3月10日、朝日新聞記者が政治家のオフレコ発言を破ったことについて、与良は「政敵のスキャンダルがよほどうれしかったのか、実名が出ない安心感から、つい本音(希望?)が出たのが実相ではなかろうか」とし、今の政権の危うさを再確認させ、国民の知る権利に答えた報道姿勢であると、新聞記者が情報源の秘匿を守らなかったことを評価している[27]。
日本国に対する姿勢 [編集]
2008年5月放送のTBS『みのもんたの朝ズバッ!』において、日本固有の領土である竹島について、「竹島表記するなら独島(竹島の朝鮮名)も教えるべき」と主張した。
内閣総理大臣の靖国神社参拝に強く反対しているが、若い世代が賛同してくれないことに衝撃を受けている[28]。
2009年9月放送のTBS『みのもんたの朝ズバッ!』において、民主党議員に「靖国神社に変わる国立追悼施設の建設を検討してほしい」「民主党は靖国問題はクリアーしている」と主張した。
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05. 2012年6月29日 12:59:25 : Jb26LcokIQ
アサマタローとやら。文章が長すぎるぞ。要点だけ書け。それとパラノイアみたいに、経歴を書く必要はないぞ。お前はどう見ても、学歴、経歴コンプレックスだな。

06. 2012年6月29日 13:15:54 : I7mKb7Z2GE
>>05
アサマタロー氏はコンプレックスから書いているのではありません。
氏はおそらく東大出身です。

アサマタロー氏へ。
(この下の文章を書き上げて、投稿前にもう一度画面を更新して05さんの投稿を知ったため、上の文を付け加えました。違っていたらお許しください。)

氏の熱意あるご議論の数々はおおむね賛成ですが、事あるごとに大学や学部を持ち出すのは、どうでしょうか。

ある大学なり学部なりに進んだものが皆一定の色合いや資質に染め上げられるものでないことは、言うまでもないことです。

人間は誰であれ、旧来の、それなりに社会に対して意義や問題をはらんでいた教育システムから育ち、あるいはそれを食い破って、成長するしかありません。
世のための善行であれ、社会的変革や改革であれ、また犯罪であってさえも、担い手たる人間は、すべて、そうです。

力を持つ特定の大学や学部が、事実として出身階層が限られていたり、一定の色合いをもって卒業する者が多くなりがちであるという弊害は大きいと私も思います。しかし、それは社会的存在としての大学や学部といった文脈で語ることであり、一般化したそれを個々人への論評に毎回のようにかぶせるのでは、思考停止になりかねません。

また、一方をけなすことは言外に他方を持ち上げることにも繋がりかねず、どの大学、学部にも存するはずの固有の社会的問題という視点が疎かになる危険性を感じます。


07. 2012年6月29日 13:24:44 : opuSlfFAh2
医者ではないので分かりませんが、これは与良さんみたいですが?

今まで知らなかった昼間の多くの豚顔がテレビに多く出て来て、クダラナイ嘘を平気で言うので我慢ならず、本人達に間接的でも伝わる様に書いている。三宅久之さんも批判していたが、最近、TVタックル、たかじんで見なくなり、淋しいくらいです。マスコミや芸能人は人材不足ですね!

【真相の道様ですか?!】余り見ていないので以後、注意して見ておきます。

学歴にはコンプレックスは無いですが、経歴は有ると思います。人生不完全燃焼です。だから与良豚顔が大きな口聞くのが我慢出来ないのでしょうか!私も週刊エコノミストで投稿した1999.5.24で副編集長から誘われましたが、椅子がボロで止めました。日本が民主国家になってくれると思っていましたが、もう少し生き様と思い直しました。
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【偏執病】(へんしゅうびょう、偏執症、パラノイア、英: paranoia)は、精神病の一種で、体系だった妄想を抱くものを指す。
目次 [非表示]
1 概要2 症状3 症例4 関連項目概要 [編集]

自らを特殊な人間であると信じたり、隣人に攻撃を受けている、などといった異常な妄想に囚われるが、強い妄想を抱いている、という点以外では人格や職業能力面において常人と変わらない点が特徴。
これが日常生活や仕事の遂行に支障をきたすレベルにまで達したものが、妄想性パーソナリティ障害(paranoid personality disorder)とされる。
症状 [編集]

被害妄想
挫折・侮辱・拒絶などへの過剰反応、他人への根強い猜疑心(さいぎしん)。自分は特別で何者かに監視、要注意人物と見られていると思う。
誇大妄想
超人、超越者、絶対者という存在へと発展する。
激しい攻撃性
誹謗中傷など。弱肉強食というような考えで弱者に対して攻撃的である。
自己中心的性格
自分が世界の中心ではという妄想で絶対者ではないかという妄想。
異常な独占欲
独占欲は多数から100%に向かう。独裁者的な妄想を持つ。
悪魔主義
悪魔的なものに美しさを見る。
症例 [編集]

偏執病的なキャラクターは、小説や漫画にはしばしば悪役として登場している。ただし、見方を変えれば主人公にもこのような(自己中心的・支配的・独善的な)キャラクターは多く見受けられる。
関連項目 [編集]

依存症
アンドルー・グローヴ - 「シリコンバレーではパラノイアだけが生き残れる」という名言で知られる。
カルト
妄執
妄想
統合失調症
妄想性人格障害
妄想性障害
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08. 2012年6月29日 17:16:46 : opuSlfFAh2
24%かどうかも覚えていない。聞いていて、変だと思って顔を上げたから、何%か?

日刊ゲンダイの15%だったかも?新聞見なくなってTVの声を聞いているから、不正確かもしれないが、野田政権より小沢新党の方が多かったのは確かだ!

如何に、与良が分析能力も無い文学部出かという事だ。小説も書けないのだろう!!

恨みもないが馬鹿豚顔で好き勝手いうのも遠慮せんか!!TBSは毎日以外に契約社は無いのか???

経歴で森内閣を潰したらしいが、森さんは馬鹿でもあの劣化した自民だったが閣僚・人を見る目は有った。亀井静香を起用したのも彼だ。人を働かせるのは上手かった。それを潰して?小泉が出て来て3つの過剰=不良債権・人材・設備がリストラされ、人材が韓国・中国に流失し、貧乏暇なしインチキ成長になった。

これも馬鹿豚:与良の仕業?そんな大物?信じれない。


09. 2012年7月21日 11:27:02 : opuSlfFAh2
日本戦後政治をダメにしたのは、アメリカの逆コース政策と文学部出の政治部記者です。

与良豚や三宅久之や読売暴君の文学部出の政治記者上がりを見ていると、酷いのばかりだと思う。批判能力がない。太鼓持ちで立身出世の糸口を有力政治家に求めるコネ=縁故資本主義者ばかり。

彼らが前面に出てきた20〜30年日本は良くなったか!!!!
それが全ての証明だ!!バカが前面に出る異常社会だ!!


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