http://www.asyura2.com/12/senkyo132/msg/226.html
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http://amesei.exblog.jp/16162343/
(略)
民主党の反小沢派議員が消費増税法案で反対票を投じた57人の民主党議員への厳正処分を求めて一年生議員らと一緒に首相官邸を訪問したという。
その一年生議員らを率いていたのが岸本周平衆議院議員。少し前のブログでカーティスの弟子として紹介した元大蔵官僚の議員である。
岸本は元大蔵官僚でもあり、米留学組でカーティスの弟子でもある。アメリカにとっては財務省の勝栄二郎らと連携し、消費増税をやらせるには実に最適な人選だったわけだ。
では、その岸本周平とは何者か。
1980年東京大学法学部卒業
1980年大蔵省入省
1985年名古屋国税局 関税務署長
1986年内閣総理大臣秘書官付
1990年大蔵省 主計局主査
1995年プリンストン大学 国際問題研究所 客員研究員
1996年プリンストン大学 東洋学部 客員講師
1998年大蔵省 国際局 アジア通貨室長
2000年通商産業省 情報処理システム開発課長
2001年経済産業省 文化情報関連産業課長
2002年財務省 理財局 国庫課長
2004年4月、財務省退官、トヨタ自動車(株)入社 10月、内閣府政策参与兼務
2005年8月、トヨタ自動車(株)、内閣府退職
以上が岸本のウェブサイトにある経歴である。米留学が95年である。
だが、岸本は自分のブログで「ある事件」について語っている。それは98年に大蔵省接待汚職事件で話題になったノーパンしゃぶしゃぶ事件についてである。岸本もまたエリート官僚としてその接待を受けたという告白である。(岸本の名前がない顧客リストは、http://www.rondan.co.jp/html/news/roran/)
以下は岸本のブログから。
(引用開始)
ノーパンしゃぶしゃぶの店に行きマスコミに騒がれた件は事実です。あれは、マスコミに書かれるよりもかなり前の今から20年くらい前のことです。まだ30代でした。先輩に連れられて、2回行きました。問題は、これが接待であったことです。自分でお金を払っていれば、趣味が悪いということですむでしょうが……。
当時は、バブルの時代でもあり、高級な料亭でも接待をされることがありました。誰もがそのような風潮に慣れていましたが、それは言い訳にもなりません。
そのことで、私は人生が変わるほどの制裁を受けました。
友人だと思っていた人、仲間だと持っていた同僚も離れていきました。その他にも、それは本当に言葉では言えないくらいの辛い思いを経験しました。
しかし正直、そういうことがあったおかげで、私は深く自分の過ちを反省することができました。
自分の在り方について、行動についていつも深く考え、自問するようになりました。それは後の私の人生の方向を変えるきっかけとなった気がします。
その後、私は、米国プリンストン大学の客員講師などを経て、財務省、経済産業省の課長を務めました。そしてトヨタ自動車に移籍しました。そこでは、奥田経団連会長の政策スタッフを務めながら、内閣府の政策参与も兼務させていただきました。(略)
ただ、人生は一度きりです。私は、官庁や財界で働き、米国の大学で教えるなど多くの経験を通じて、自分には日本の政治を、そして和歌山の未来を良く変えることができる知識と能力経験があるという自信がつきました。
なぜなのか、自分にも説明ができないのですが、世の中を良くして行く為に、動かなくてはいけないという、突き上げる何かが私の奥底にあるのです。
http://blog.goo.ne.jp/shu0712/e/03c51d15b50fb9d1d53fee9a67ebc732
(引用終わり)
不思議なのは岸本が米留学したのが95年であり、問題のノーパンしゃぶしゃぶ事件が発覚したのは98年のことであるという点だ。96年にはプリンストンの客員講師になっているが、それでも98年には日本に戻っている。
つまり、岸本が米滞在から帰国して出世を歩みはじめたころに、問題の事件が報道されている。そして、岸本がその種の店に行ったのは「バブルの頃」と書いている。これも時期として合わない。
ただ、彼の記述からわかるのは、省内や彼の周辺でその種の接待が事件発覚より前に問題になっていたということだ。おそらく省内で内々に人事の移動などもあったのかもしれない。この接待のあと、彼は『中年英語組』を書くきっかけともなる米留学(プリンストン大学客員研究員)を果たしている。
ここから先は私の仮説だが、バブル当時のノーパン接待発覚後、少なからず将来を嘱望されていた官僚たちがアメリカに留学させられたのではないか。だから、98年のリストに載っていた官僚たちは後のほうに発覚した顧客であるということになる。バブル期に接待を受けていた官僚たちはさっさと次々に米留学をしたのではないか、ということだ。これによって、日本国内での嵐から逃れることが出来る。
その事によって米国は日本の統治機構である官僚組織の情報収集を可能にし、来る90年代末から始まる構造改革の準備を行うことが可能になった。
アメリカは、冷戦末期は日本の官僚機構をソ連よりも恐れていた。何としてもこれをアメリカに追従する組織に作り替えたい。これがクリントン政権における日米経済冷戦のテーマだった。
このことが、CIAによる「大蔵省ノーパンしゃぶしゃぶスキャンダル追及」の原動力になっていた。官僚機構をまず徹底的に叩く、そのあとでアメリカのグローバリズム路線に叶う官僚と、そうではない愛国派の官僚をふるいにかけて分類し、前者の勢力が強くなるようにメディアを使って世論形成を行う。だから消費増税をアメリカが歓迎するのも当然である。
財務省は主税、主計、国際局と一見対立構造があるようにみえるが、上からそれをすべて管理しているのがアメリカ財務省だろう。この構造を見ぬかなければならないのである。
その意味で岸本周平という官僚あがりの政治家のキャリアパスを知ることは、「いかにしてアメリカが日本の官僚をコントロールしているか」ということを理解する、絶好のサンプルとなるわけだ。
岸本は民主党、財務省、アメリカをつなぐパイプ役であるわけだ。
それから消費増税に民主党が追い込まれていったことについては、昨日の夕刊フジに驚くべき事実暴露があった。
鳩山政権時、「徹底したムダ削減」を唱えていたことが批判された。結果的には事業仕分けでも十数兆円の予算は捻出できなかったわけで、この点で鳩山政権は失敗した。ところが、「予算・財源などいくらでも捻出できる」と民主党議員に宣伝を行なってきたのが、なんと消費増税派の頭目である元大蔵官僚の藤井裕久財務大臣(当時)であることが判明した(http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120627/plt1206271811009-n1.htm)。
小沢グループの議員の一人は夕刊フジの取材に対し、「2009年、私は藤井さんから『無駄はいくらでもある、財源はひねり出せる』とレクチャーを受けた。思い出して悔しくなりました」と語っている。これはどういうことか。増税派の頭目である藤井が、「財源はひねり出せる」と民主党議員を騙したことになる。
財務省は以下のようなシナリオで民主党を増税に追い込んだのだろう。
(1)まず、藤井裕久財務大臣や財務官僚が「予算の組み替えさえすれば『財源などいくらでもひねり出せます』」という囁き攻撃を鳩山政権や民主党議員に行う
(2)財務省主導、仙谷由人の協力の下「事業仕分け」(=仙谷いわく「政治の文化大革命」)を行わせるが、思ったほど財源の捻出ができないことを明らかにする
(3)ギリシャ危機に漬け込んで、菅直人首相や野田佳彦財務大臣の耳元で「日本をギリシャにしないために消費増税を」と囁く。藤井裕久はこの時点ではボケた振りをする。
(4)大震災につけ込み、こんどは復興増税を実施。増税に対するアレルギーを徐々に取っ払うとともに、野田首相の耳元で「次の世代の子供のために増税が必要だ」と勝栄二郎や真砂靖次期次官が囁く。岸本周平ら元財務官僚の民主党議員たちが仙谷と組んで増税路線を推進する。
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201206/28/98/d0033598_8255556.jpg
というわけである。藤井裕久こそがやはりスパイだった。財務省に頼った時点でアウトだったのだ、民主党政権は。
(参考記事)
民主党:亀裂は深まるばかり 処分問題が本格化も
毎日新聞 2012年06月27日 21時45分(最終更新 06月28日 00時10分)
民主党は27日、消費増税法案の衆院採決で造反した72人に対する処分問題の検討を本格化させたが、党の亀裂は深まるばかりだ。法案に賛成した議員らが造反者への厳しい処分を求めて野田佳彦首相に直談判に及ぶ一方、党分裂回避を優先する輿石東幹事長は除籍(除名)処分を見送る意向を改めて強調した。小沢一郎元代表のグループ議員は街頭で「増税は公約違反」と訴えた。事実上の分裂状態に陥った同党で、遠心力が強まっている。
岸本周平氏や江端貴子氏ら法案に賛成した当選1回議員11人は27日、首相官邸に野田首相を訪ね、「重い決断で賛成した。反対者が同じ扱いはおかしい。厳正な処分をお願いしたい」と造反者への厳しい処分を申し入れた。
岸本氏らは衆院一体改革特別委員会の委員。首相は「お疲れさまでした」と語るだけで、処分への言及は避けた。
小沢グループは次期衆院選前の離党・新党を視野に、増税反対をアピールして支持獲得を目指している。賛成派議員はそのあおりで、強い逆風を受けかねない。渡部恒三元衆院副議長は27日の党常任幹事会で「50人も反対して結束と言えるのか。しっかり対応しないと党がなくなる」と警鐘を鳴らした。
http://mainichi.jp/select/news/20120628k0000m010076000c.html
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(投稿者)
投稿記事内容と直接関係のないことで恐縮ですが、外部のブログを転載投稿ルールにもとづいて阿修羅に転載投稿する際に、転載元に迷惑がかかると思われるケースが阿修羅側でも増えてきました。
コメント欄拡充に伴い盛況になった(特に政治板、原発板)反面、質が変容したためでやむを得ないところが思います。
情報共有のための掲示板ですので尚更、意義ある情報を発信する情報元(転載投稿の場合は転載元)への最低限のマナーを守らなくていけません。
阿修羅に転載したらマナーを守れないからやめておこうというケースが増えないよう願っています。
以下は転載をやめるに至ったケースです。
* * *
44. 2012年6月28日 05:17:35 :
日々坦々氏は、天木直人氏や本澤二郎氏をよく引用している。はっきり言うと二人とも二流の言論人である。
天木直人氏について言えば、そのブログ記事にほとんど内容らしきものはなく、しかも時に主張がブレることは、ネットの間でよく知られている事である。
本澤二郎氏も主張内容は一貫しているようであるが、その内容に目新しいものは殆どなく、みなが知っている事の追認であり、つまり通俗なのである。それに五月なる詐欺師がよく引用する人物でもある。
日本の政治経済の現状を分析するのであれば、第一人者は植草一秀氏であろう。植草氏は小沢一郎氏と同じく人物破壊工作の冤罪事件を背負っているが、それが冤罪である事は知る人ぞ知るである。そんなことで氏の仕事の価値がいささかも減じるものではない。しかも最近の日本政治の危機的状況により、氏の存在感はますます増してきている。日々坦々氏は、なぜ植草氏の言動を引用しないのか。
小沢一郎氏について批評するのであれば、そのよき理解者であり、一流の文学者である山崎行太郎氏の言をなぜ引用しないのか。
日々坦々氏のこうした姿勢は、記事の価値を自ら貶める事につながると思うが、この点を氏はどのように考えているのか、聞いてみたいものだ。
名もなき民
http://www.asyura2.com/12/senkyo132/msg/157.html#c44
61. 五月晴郎 2012年6月28日 11:01:06 : ulZUCBWYQe7Lk :
>>44
内容のない悪口を書き連ね「名もなき民」「沖縄県民」等々と末尾に記す例の方ですか。
拡充されたコメント欄に貴方のような人が生息する阿修羅政治板になってしまった以上、本澤二郎氏に迷惑をかけられませんから投稿は今後やめます。
http://www.asyura2.com/12/senkyo132/msg/157.html#c61
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