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東電OL事件には、こだわる。
この事件は、原発事故後から振り返れば、およそ見え方が違う。
桐野夏生「グロテスク」は切り口が全く見当はずれだった可能性がある。そのことを桐野氏本人も嘆いているようにも思われる。
ネットで広く流通している、この事件が、どこかの「ムラ」と関係しているという見方を否定する材料が見当たらないからだ。
「ムラ」退治の手がかりを、この事件が残していてもおかしくない気が益々強くなってきている。
以下、本文である。
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何に対して、怒りを向ければいいのか。
検察(警察を含む)なのか、政府なのか、メディアなのか、東電なのか、さらに大きな誰かなのか、それともこの社会の、あるいはこの世界の構造なのか。
今の僕には、「東電OL殺害事件」と呼ばれてきたこの事件に、一体誰が、このような力を加えているのか、不明だ。
それを“マフィア”と呼ぶのは容易だろうが、その実体が何なのか、とにかく、僕には、わからない。
そしてひたすら恐ろしい。
大飯原発の敷地内には、活断層があることが明らかになった。
その大飯原発について、一国の総理が「安全だ」と断言して、再稼働を表明した。
あの誠実な印象の強い嘉田由紀子滋賀県知事まで、再稼働(一時稼働)に同意させられたのは、僕には、信じられないできごとだった。
何か途方もない力が、そうさせている。
東電OL事件を、どこまでも歪ませようとする力は、この力の周辺から発されている。
朝日新聞が、6月8日から10日まで3回に分けて、『15年の叫び 東電社員殺害』と題する検証記事を掲載した。
ゴビンダさんの友人や、2審無期懲役判決の根拠とされた供述をしたとされる、現場アパートの大家にも取材したすぐれた記事だ。
だが、この記事は、この事件に触れれば触れるほど、あからさまになる決定的な矛盾について、寸前まで接近しながら、敢えて避けている。
被害者の体内に残された精液が誰の物かが、まともに問題とされてこなかった経緯について、第3回に当たる6月10日の記事には、このような記載がある。
“別の捜査関係者は「(体内精液の)鑑定をそれほど重要視しない警察の姿勢もあった」と認める。「事件当日の夕方に被害女性と性交し、事件発生時刻にはアリバイがあった男性と同じO型だったことから、証拠として重要視されてこなかった」”
体内精液は、この「アリバイのある男性」(以下、Aという)が、コンドームを使用せずに、性交に及んで残した物になっていた。ポイントは、Aが「コンドームを装着せずに性交した」と供述していなければ、そのようなストーリーにはならないことだ。
Aは、被害者と約束の上、ホテルで、買春に適切なだけの対価を払った(むろんホテル代は客持ちである)。正規のなじみ客だ。
被害者が、将来を嘱望される俊才であったことは公知(社会に広く知られた事実)であり、Aは、被害者の知性に惹かれた客だと想像される。肉体の関係を伴う売春にあっても、人気のある女性は、何かしら人間的な魅力があるという。被害者の場合、固定客にとっての魅力は、何よりも、売春にはふさわしくないほどの、すぐれた知性だったろう。
そうした被害者のなじみ客であったAが、ゴビンダさんとは、ほど遠い裕福な階層の日本人男性であったことは容易に推測可能だ。
そのAが、コンドームを使用せずに性交したと供述しない限り、朝日新聞のこの記載は成り立たない。
Aの供述は、それ自体として極めて不自然だ。
一定の社会的地位があれば、性病の感染がどれほどのダメージになるか、容易に想像できる。
まして被害者は、風俗嬢の中でも最底辺を蠢く街娼をしており、性病検査を定期的に受けていた形跡も窺えない(性病罹患を恐れるから、旧日本軍は、日本兵にコンドームを支給していたのだ)。
コンドームを使用せずに性交した(そして、被害者体内に精液を残した)という供述自体が極めて不自然なのだ。
そして、ゴビンダさんの再審開始の決め手となった鑑定によれば、被害者の体内精液はAのものではない。
むろん、Aの精液が別に検出された訳ではない。第三者の精液だけが被害者の体内にあったのだ。
すなわち、Aが、コンドームを装着せずに、性交して、射精した事実は、ない。
Aは、意図的に、虚偽を供述している。
ゴビンダさんを犯人とした捜査・判決は、全てAの虚偽供述を大前提としている。
あまりにも明らかなのは、Aが虚偽の供述をして、検察の捜査を誤らせ(?・合作の可能性も?)、無実のゴビンダさんの15年にわたる取り返しの付かない人生を奪ったことだ。
ところが、記事は、このあまりにも当然の疑問に封印してしまう。
一連の検証記事では、関係者に取材し、公判の模様も取材しながら、この当たり前の疑問をスルーしてしまうのだ。
この検証記事によれば、
“弁護団の一人も「B型の元被告に不利な証拠ではなく、鑑定の必要は感じなかった」と語る。”
とするに止まっている。
はるか遠方から、この事件を見ているだけでも、Aは、捜査関係者と、2審の裁判官、そして有罪判決を確定させた最高裁を除けば、今回の冤罪事件の最大の責任者である。このことは、普通に考えれば、誰にも明らかだ。
ゴビンダさんの代理人弁護士であれば、国家賠償とともに当然にAに対する損害賠償を考えるだろう。
しかし、Aの虚偽供述については、ゴビンダさんの無実を晴らすために、献身的に弁護に当たった勇敢な弁護団ですら、触れることができない。Aの責任に触れることは許されないのだ。
さらに付け加えれば、僕が、この事件に関心を持った傑出した著作の著者である佐野眞一氏すら、この疑問に対して何らの示唆も示さない。
「アリバイのある」Aは誰なのか、Aはなぜ虚偽供述をしたのか、この疑問が解かれるまで、そして、真犯人が明らかにされるまで、この事件は終わらない。
この事件の真犯人を明らかにすることは、その社会的地位からはおよそ考えられない街娼という心身を賭した奇矯な行為に及んでまで何かを訴えたかったと思われる、被害者があの世から望んでるいるような気がしてならない。
これからも、恐怖に怯えながら、この事件には拘りそうだ。
いつまで拘るつもりかと言われれば、地球の表面から消除されるまで、と答えれば超格好いいし、お守りになるかもしれないので、そうしておこう。
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