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税金で養われている
2012-06-06 22:49:15
テーマ:橋下徹批判
橋下徹の奇矯で品のない言動には飽きあきしている人も多かろう。世間の耳目を集める爆弾発言を繰り返す橋下であるが、長い間ウォッチしていると、案外パターンが決まっていることに気付くはずだ。
橋下の言論テクニックについては、すでに北海道大学の中島岳志准教授が分析しているし、ネット上でも「Afternoon Café」というサイトの運営者が、先日の橋下とMBSの女性記者のやり取りを克明に分析し、その詭弁テクニックを暴露している。
爺庵は今回、橋下が頻りに使うフレーズを採りあげて、その詭弁ぶりを追及してみたいと思うのだ。そのフレーズが見出しの「税金で養われている」である。
このフレーズの同類として「税金で飯を食べさせてもらっている」や「給料に税金が入っている」、「税金で支援されている」といったものも挙げられよう。
このフレーズは橋下の十八番である公務員批判においては、使用率100%といって間違いない。
橋下のツイッターから拾ってみると、最近では京都大学の中野剛志准教授への批判で「中野剛志もしょうもない思い上がり識者だったか。残念だ。だいたい、年下のくせに面識のない俺を呼び捨てにすんじぇねえよ。霞が関の官僚で大学の准教授。最悪のタダ飯ぐらいルートだろ。こういう奴らは税金でふんだんな時間を与えられて、朝から晩まで責任のないことをやっている」とやったのを皮切りに、悪罵を垂れ放題だったのは記憶に新しい。
ちょっと前なら北海道大学の前出中島岳志や山口二郎教授について「道州制の話になるとすぐにメリット・デメリットを説明しろと、北海道大学の中島とかいう税金で養われている役立たずが言うでしょう。未だに大阪都構想について説明が足らんと言い続けている。師匠が山口とかいうこれまた税金で養われている役立たず。この人達は、単に僕のことが嫌いなだけ」と、これも下品な言いようであった。
もっと前には神谷宗幣という吹田市議会議員も「まず神谷君らがやるべきことは吹田を変えることでしょと。神谷君らの報酬は吹田市民の税金です。ところが彼らの活動は吹田市をないがしろにしている」と批判されている。
ちょっと変化球では同志社大学教授の浜矩子。私立大学の教員なのに橋下ときたら「この浜と言うおばはん大学教授は、自分が税金を受けていることも分かっちゃいない。大学教授はこう言う人多いね。国立大学はもちろん、私立大学だって運営交付金で税が投入されている。大学教授も、公務員と同じく税で養われている存在なんだ」と、トンデモ論を展開して挙句に「浜さん、あなたの紫色の髪の毛とその眉毛、そのために国民はあなたに税金を投入しているんじゃないんですよ!」と来たもんだ。
もうひとひねりすると文楽への批判になる。曰く「なぜ人間国宝の公演でも客席が3割程度しか埋まらないのか。文楽の世界は身分保障の公務員の世界となっている。公務員の世界と、観客を集めてなんぼの芸事の世界は対極にあるはずだ。にもかかわらず、文楽という芸事の世界が公務員の世界になっている」。ここでは税金から補助を受けているということはイコール公務員の世界であるということにされており、以下に述べるような批判の対象に絡めとられているのである。
これら一連の発言から確実に読み取れるのは、橋下は「税金から恩恵を受けるいうことは、それ自体が悪である」と考えているということである。橋下にとって税金から給料をもらっている人間は、そのことを負い目として感じなければならず、それゆえ市民から選挙で選ばれた政治家を批判することは許されないのだ、と考えているのだろう。そのことは浜矩子への批判で、私立大学への運営交付金という、浜の給料に果たしてどれほど寄与しているのかも判らぬものを持ち出してまで、「税で養われている」という批判に結びつけた牽強付会ぶりから判断できる。橋下自身も税金で飯を食わせてもらっている立場なのだが、それは選挙で選ばれたことが税金から給料を貰うことへの絶対的正当性になっているという理屈なのだろう。
だが税金から給料を得るということが悪であるなどという理屈があるはずがない。なぜなら公務員は労働力を提供する対価として給料を受けているのであり、その給料の財源が税金であるに過ぎないからである。
例えばここに一人の清掃作業員がいたとしよう。彼の会社は役所の清掃業務を請け負っていて、彼は毎日その役所へ出勤して清掃業務にいそしむ。彼の給料は安いかも知れないが、その財源はまさしく税金から出ているはずだ。さて橋下はこの清掃作業員から批判されたとき、「税金で養われている役立たず」と罵るのだろうか。
役所に採用されている公務員も、この例え話で引き合いに出した清掃作業員も、労働力を役所に対して提供し、その対価として給料を得ている。その財源は税金であることに変わりはない。違うのは公務員は役所から直接給料を受け取り、作業員は自らが雇用されている会社を通じて受け取っていることだけである。
浜矩子への批判に使われた私立大学への運営交付金を引き合いに出すという暴論。これを容認するなら、同じ論旨であらゆる市民に対して橋下への批判は許されないという理屈を組み立てることができることに、我々は気づかなければならない。
例えば学生。大学に運営交付金が入っていることによって、学生は授業料の軽減というメリットを受けているはずであり、それは税金で生活の一部を養ってもらっているわけだから、橋下を批判することは許されない。同時に学生の親も、子供の授業料の軽減によって教育費負担の一部を支援されているから、橋下批判は許されないことになるだろう。
難病患者や障害者などは、公費負担医療制度によって税金で医療費という生活の一部を養ってもらっていることになるから、橋下を批判することは許されない。
介護サービス受給者。介護保険制度は介護費用の半分を公費=税金で負担することになっている。したがって介護サービス受給者は生活の一部を税金で養ってもらっていることになるから、橋下を批判することは許されない。
生活保護受給者に至っては言うまでもない。橋下の論で言うならまさしく「税金で養われている」ことになるが、橋下は生活保護受給者から批判を受けたら「税金で養われている役立たず」と叫ぶのだろうか。人権侵害も甚だしいと爺庵は思うし、そんなことを言ったら暴動が起こるんじゃないかと心配してやるぞ。
例え話で清掃作業員を引き合いに出したが、役所にボールペンやコピー用紙を納入している業者の従業員はどうなんだ。役所が発注した土木工事を請け負う建設業者の従業員はどうなんだ。役所の食堂で働く調理師などはどうなんだ。役人が常連になっている飲み屋のおやじも税金で生活の一部を養ってもらっているのか。
極論すれば、道路を歩くのだって、洪水やがけ崩れの被害にあわずに生活しているのだって、食中毒になることなく三度の飯を食えるのだって、実は税金によってその安全が確保されている。この国で生活していく上で、税金の恩恵を受けない者などどこにもいない。税金の恩恵を受けていることが悪であるなら、この国に橋下を批判できる者は一人もいないことになる。
それを意識して橋下が「税の恩恵を受けることは悪」というロジックを振り回しているのだとしたら、それこそ独裁願望以外のなにものでもない。
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