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毎日新聞 2012年06月18日 東京朝刊
「週刊文春」6月21日号に興味深い記事が載っている。「小沢一郎/妻からの離縁状/便箋11枚、全文公開」である。編集部に聞いた逸話が面白い。
発売は14日。翌日夕方までに完売した(公表部数70万)。同誌としては、09年夏の「酒井法子逮捕」の内幕もの以来、3年ぶりの記録だそうだ。文春の公式ウェブサイトを見ると、17日夕方までに1・5万回以上ツイートされ、フェイスブック上では「いいね!」ボタンが4万回以上押されている。
それほどの反響があった記事なのに、いつもは食いつきのいいテレビの情報番組がウンともスンとも言わない。
じつは、文春編集部は、発売寸前、東京のほぼすべての民放テレビの取材に応じていた。ところが、オンエアされない。調べてみると、小沢系の国会議員からプレッシャーがかかったらしいことが分かった。「取り上げるなら、もうオタクの番組には出ませんよ」と。
政治家のテレビ出演が日常化した時代、週刊誌のスクープとテレビの取り上げ方、小沢系の思惑が互いに絡み合う消費税政局の一断面である。
問題の手紙は、小沢一郎元民主党代表(70)の夫人(67)が選挙区(岩手県奥州市)の支援者に送った私信だ。時期は昨年11月の初め。大震災以来の不義理をわび、既に元代表と離婚した経緯を伝え、決断に至った胸中を明かしている。
長年仕えた夫人しか知り得ない元代表の素顔が、折り目正しい書簡文に生き生きと記されている。中でも印象深いのが放射能をめぐる逸話だ。
元代表は原発事故直後から放射能に神経をとがらせた。東京脱出の機会を探り、一時、西日本へ逃げた。たぶん京都だろうと夫人は見ている。
この間、書生に塩の買い占めを指示し、調理にはミネラルウオーターを使えと言い、東北には見向きもせず、長野の別荘地に土地を求めて自分の避難場所の設計図を描いた。
手紙の核心は夫人の以下の断定である。「大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為(ため)になるどころか害になることがはっきりわかりました」
文春の記事は、基本的にはプライバシーの暴露である。新聞を含む他の大半のマスコミが追随に慎重な理由の一端もそこにある。だが、暴かれた私信の内容は単に「私事」で片づけられるものではない。日本で最も有名な政治家が震災直後に何を考え、どう動いたかという公的な情報が詰まっている。
93年6月18日、宮沢喜一首相が衆院を解散した。政変の主役は小沢だった。政治改革に消極的な自民党を飛び出して新党を結成、権謀術数を駆使して非自民・細川政権を作った。「小沢神話」の絶頂期だ。
それから19年。小沢は今なお国会の会期末攻防のキーパーソンだが、離党のエネルギーを秘め、改革を鼓吹して攻めまくった当時とは立場が180度異なる。財政再建に「待った」をかける守りの態勢だ。
手紙の写しを入手したフリーランス記者は時間をかけ、岩手県を丹念に歩いて発掘した。夫人の告白の動機と意志の明確さ、逸話の細部描写の具体性、入手の事情から見て、思惑がらみの捏造(ねつぞう)とは思えない。
この暴露は確実に元代表の求心力をそぐだろう。同時に、過去四半世紀、日本政界の台風の目であり続けた政治家の評価を見直す上でも重要な文書になるのではないか。(敬称略)(毎週月曜日掲載)
http://mainichi.jp/opinion/news/20120618ddm002070050000c.html
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