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http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2012-06-17
6月17日(日) 橋下大阪市長の「ハシズム」で日本を沈めないためには
昨日の朝、『毎日新聞』を開いて驚きました。大きく、「民自公修正合意へ 『決める政治』を評価する」と書かれた社説の見だしが目に入ってきたからです。
この社説には、次のように書かれていました。
2大政党の党首が主導し、政治は崖っぷちで踏みとどまった。税と社会保障の一体改革関連法案の修正協議で民主、自民、公明3党が合意した。焦点の社会保障分野は民主党が公約した最低保障年金制度創設などの棚上げで歩み寄った。
民主党政権の発足以来、初めてとすら言える「決める政治」の一歩であり、歴史に恥じぬ合意として率直に評価したい。……
野田佳彦首相は党内のかたくなな反対勢力と決別し、ひるまず衆院での採決にのぞむべきだ。より広範な国民理解を実現するため、参院での審議などを通じ与野党は制度設計の議論を続けねばならない。
昨日の午後、この社説を書いた責任者の方の話を聞く機会がありました。日本ジャーナリスト会議(JCJ)が主催するシンポジウム「『ハシズム』で日本は沈む!?――橋下政治の正体、メディアは究明を」に出席するために明治大学のリバティタワーに出かけたからです。
100人ほどの方が出席したこのシンポジウムの基調講演は元朝日新聞大阪本社編集局長の新妻義輔さんで、パネル討論には新妻さんの他、毎日新聞論説委員長の倉重篤郎さん、OurPlanetーTV代表の白石草さんが登壇され、司会は岩波書店編集部長の岡本厚さんでした。パネリストの一人だった倉重さんが、この日の『毎日新聞』の社説を書かれた責任者です。
その倉重さんが橋下大阪市長についてどのように発言されるか、大いに注目しました。この日の参加者の多くもそうだったでしょう。
倉重さんは、発言の冒頭、「私は橋下さんをある程度評価する者です」と、ご自分の立場を明確にされました。「やっぱり」という感じです。
そのような方が、このようなシンポジウムのパネラーを引き受けられたわけです。その勇気には感心もし、敬意を表したいと思いますが、この後の発言の多くには賛成できませんでした。この日の参加者の間では、かなり評判を落としたように思います。
とはいえ、私にとっては大いに勉強になりました。毎日新聞の論説委員長がどのような人かが良く分かりましたし、今日のマスコミの状況、とりわけ新聞が置かれている位置などについての理解も進みましたから……。
倉重さんの発言に対する異論は数々ありますが、さしあたり以下の点についてコメントしておきましょう。
第1に、「震災直後にあれだけ『頑張ろう日本』『頑張ろう東北』『絆』と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています」という橋下発言に対して、倉重さんが「私の心にも響くものがある」と理解を示されたことです。憲法9条があるために、公共性や公的なもの、平和に対して無関心になり、関与しようとしなくなったのではないかと仰るのです。
しかし、瓦礫処理に対する忌避感情と憲法9条を結びつけるのは、明らかな牽強付会です。このようなアクロバチックな論理に、毎日新聞の論説委員長ともあろう者がコロッといかれてしまう。
何とも情けない限りですが、これが現在のマスコミの現実なのでしょう。これでは、「橋下政治の正体」をメディアが「究明」できるはずがありません。
第2に、橋下政治の「決める政治」は既成政党にも好ましい影響を与えているとして、決められない政治から抜け出しつつある点を挙げたことです。これが、この日の毎日新聞の社説と同じ立場からの発言であることは明らかです。
社説もそうですが、倉重さんにも、決めたことへの評価ばかりが先立ち、その決め方や決められた内容についての問題意識が全くないのは、誠に驚くべきことです。消費増税への3党合意は、野党や世論の反対を押し切って国民に大きな負担を押しつける暴走政治そのものではありませんか。
これがどうして「決められる政治」などとして評価されるのでしょうか。国会での審議を無視し、議会制民主主義を破壊する密室での談合政治を……。
第3に、大阪での橋下教育改革について、内容的な問題点を指摘しつつも、中央ではなく地方で、自治体の足もとから教育を変えようとしている全く新しいやり方だと評価していました。しかし、自治体レベルでの君が代・日の丸の強制や教育への政治介入という点では、すでに東京都の石原都知事が先鞭を付けていますから、決して新しいというわけではありません。
橋下さんの「教育は2万%強制です」という教育観は古くさく、「新たな改革」として打ち出されている学校選択制やバウチャー制度なども、これまで試みられて失敗した「改革」の焼き直しに過ぎません。このような橋下教育改革については、私も『教育』2012年7月号に「大阪条例問題と現代社会の貧困」という論攷を書いています。
もし、橋下さんの教育改革のやり方などに新しさがあるとすれば、それはあまりにも乱暴なものだからです。思想調査まがいのアンケートや君が代強制のための「口パク検査」などは常軌を逸した人権破壊であり、普通の人なら思いつくこともなく、誰もやらなかったのは当たり前でしょう。
倉重さんは、今日の行き詰まった政治を変える人材の一人として橋本市長を評価したいとも言っていました。この発言を聞いて、「なるほど、ヒトラーなどが期待を集めたときもそうだったんだろうな」と、妙に納得してしまいました。
そのような期待感の背後には、閉塞した現状を何とか打開し、突破してもらいたいという強い願望があるのでしょう。現状を良しとせず、そこからの打開をめざすべきだという方向性は正しいと思いますが、何をめざして、どのように、それを行うかが問題です。
ファシズムは、不幸や不安、怒りなどを温床に、希望を食い物にし、人々の期待を担って成長してくるものです。「ハシズム」も、そうかもしれません。
騙されないためには、「橋下政治の正体」を見極めることが重要でしょう。その究明に向けてメディアには大きな役割を担っていただきたいと思いますが、現在のメディアはその期待に応えることができるのでしょうか。
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