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<原発対応を自著で撃破した村上誠一郎>
自民党の三木派・河本派に所属した村上誠一郎は、今では永田町きっての勉強家として一目置かれている。ことほど国民の代表の多くが不勉強なのだ。ひどいのは、日本国憲法さえ学んでいない国会議員もいる。近現代史についても同様である。政治家の劣化が、3・11対応を、より深刻化させている。そんな村上が、6月14日の「日本よ、浮上せよ!」(東信堂)の出版会(東京プリンスホテル)と本の冒頭で、菅・野田内閣の原発対応の悪辣さを鋭く批判している。
<明らかな人災>
筆者は本の中身全てに賛同してはいない。歴史認識や近隣外交など異論も多いのだが、少なくとも菅・野田の3・11対応に対する村上の指摘には、全面的に賛同できる。原発に対する彼の研究・情報収集に敬意を表したい。彼が原発担当の要職に就いていなかったことが悔やまれる。
3・11直後の菅が、官邸に届かない正確な情報にいらついて、自ら被曝を恐れずに現場に踏み込んだ勇気と、現場離脱を通告してきた東電に激怒、それを阻止したことは評価できる。もしも、作業員全てを撤退させていたら、放射能被曝者は、べら棒な数に上っていたであろう。そのため作業員どころか住民の多くが命を落としたであろう。それにしても、作業員の死を、政府・東電は、現在に至ってもなぜ隠し続けるのか。
また菅は映像ではなく、現場を見たために脱原発派に変身した。野田はまだ現場を見ていない。国会議員のほとんどが、未だに現場を見聞していない。そうして原発再稼働派に、原子力ムラに塩を送っている。国民の代表は全員現地に立て、といいたい。職務である。
1年以上も経つのに国会は真正面から東電追及を全くしていないというのも、この国の異常さを伝えている。村上によれば「政治家の誰もが声を発しようとしない」「誰も本当のことを言わなくなった」と、異様な永田町の1年を総括している。
彼はその上で、東電福島事件を「明らかな人災」と断じた。正論である。皆がそう思っているが、誰も口にしない。東電労組委員長の「次の選挙で落としてやる」との恫喝を恐れているのだろうか。こんな輩は市民が叩き落とすであろう。
史上空前の大惨事は人災である。刑事事件なのだ。業務上重過失事件が成立している。これの捜査を止めて、証拠隠滅に貢献している菅・野田内閣の責任は重大であろう。真相を闇に葬ろうと言うのだから。
<収束宣言は嘘>
3・11から軽く1年以上経過している。それでいて、はっきりしていることは「何も本質的な解決に至っていない」のである。その通りなのだ。
「大震災と原発事故(事件)は、未だ継続中」なのだ。野田の収束宣言は、世界のモノ笑いになっている。野田の罪は重い。「皮肉にも政権が脆弱な時に限って国難が襲う」ものである。しかも、民に足場を持たない特異な財閥・官閥傀儡政権ときている。東電救済・原発官僚救済が先行するため、政府の対応には遅れが目立った。スピード感が無い。全て場当たり的だった、と決めつける。
村上は「どうして安全保障会議を開催しなかったのか」と指摘して歯ぎしりする。このため自衛隊との連携を欠いてしまった。いまも瓦礫の山だ。筆者はどうして20万、25万人体制で臨まなかったのか。今でも悔しくてたまらない。そのための自衛隊ではないか。実際は10万人を動員したというが、果たしてこの数字も怪しい。
「スリーマイル島事故の放射能外部放出は16時間、チェルノブイリ事故は10日で収まっている。福島は冷温停止さえもままならない。高濃度汚染水は処理しきれていない。したがって復興への目途はほど遠い」
さんざんな有り様である。フランスの経済学者のコメントを紹介している。「ミスにミスを重ねる事故処理。国際的な援助や協力の拒否。真実を明らかにしない秘密主義。放射能の大量放出にもたつく日本政府に、世界は行動すべきだろう」と。
<政府・東電も原子炉の素人>
「対応が後手後手に回り、失敗を繰り返している。初動の遅れ、判断ミス、情報の隠ぺい」が収束を遅らせている、とも。「失敗の大きな原因を一言で言うと、素人であるということ。素人は事態を甘く見る。政治の素人は、東電任せ。その東電も原子炉の素人なのだ」と切り捨てる。
おわかりだろうか。せめて東電は原子炉の専門家、政府の原子力・保安院は原発のプロと思いたいのだが、いずれも素人集団なのだ。こう分析する議会人は、村上ただ一人だろう。事実なのである。
「東電は原子炉を購入し、それを動かしているだけの、いわば単なるユーザーである。その原子炉が暴走を始め、危険ゾーンに突入した。原子炉を作ったのはGE(米ゼネラル・エレクトリック社)、日立・東芝である」
原子炉に無知な東電首脳部、原子炉は安全と信じて疑わなかった政府首脳部、安全神話を垂れ流してきた原子炉メーカーという組み合わせだった。これで適切な収束作業を推進できるだろうか。政府・東電の周囲は、安全神話垂れ流しに貢献してきた御用学者ばかりだ。彼らがNHKなどマスコミ報道を独占した。
スリーマイルやチェルノブイリに劣る体制で臨んだのである。その延長線上に野田の「収束宣言」という嘘、原発再稼働の強行が続いたのだ。甘すぎる原子力規制庁の発足なのだ。腐敗しきった自公民体制のなれの果て、なのだ。
「素人は原因の究明ができない。そのため処方箋も間違える。これは砂上の楼閣である」とも断罪する村上である。
<参考文献に三木・河本無し>
彼は著書で、崩壊している教育論、選挙制度論、財政再建論、社会保障論を展開している。頷ける研究成果がにじみ出ている。ただし、保守政治論では、彼が師事した三木武夫や河本敏夫のリベラル派の真髄が登場していない。
なぜか原発推進派の中曽根康弘の天皇制国家主義、極右の学者の論文を参考文献にしている。ここは解せない。東アジア共同体による平和と安定論が姿を見せない。彼のブレーンの偏りを象徴しているのが残念である。
<遠方より友来る>
この日朝、たまたま北京から東京特派員になったばかりのテレビ放送記者が、訪日のあいさつ電話をしてきた。数年前、北京の大学で講義をした時の学生である。友よ、遠方より来る、である。
筆者とて現在は政治家の集金パーティーに出かけるのは、年に1度か2度である。彼の勉強になるはずなので、さっそく誘ってみた。筆者などは北京市内の散策にひと苦労する。しかし、彼らはパソコンで場所を容易に探し出せる。案の定、時間通りに港区芝公園の東京プリンスホテルに現れた。
彼の先輩も知らない日本政治の裏側の一部を見聞させることが出来た。会場には日中議連幹部の小坂憲次が姿を見せていた。今後の取材に役立つだろうと思い、紹介した。小坂に「40周年の計画」を尋ねると、なんと「選挙のことで頭がいっぱい」という返事が返ってきた。
トレーニング・ジムで汗を流した後なので、久しぶりに彼と会場に用意された寿司などに舌鼓を打った。そのさい、中国人記者は日本のスイカの値段を話題にした。それこそべら棒な値段に腰を抜かした、と訪日当初の印象を語った。
村上とは3人仲良く記念写真に収まった。「東京タワーの夜景を写真に収めたい」という彼と午後8時前に別れた。
<山手線に飛び込み事故>
徒歩でJR浜松町駅に飛び込んだのはよかったが、山手線と京浜東北線の電車が止まったままだ。しばらくして原因が判明した。品川駅での人身事故だった。突然、暗い気分になった。
どんな事情があったのか。むろん、こうした自殺は日常茶飯事である。病んでしまった日本の実情の一断面だ。
2012年6月16日7時10分記
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