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週間文春『小沢夫人の手紙』をニセ手紙と考える理由
http://yamame30.blog103.fc2.com/blog-entry-300.html
2012/06/15(金) 13:54:10 【稗史(はいし)倭人伝】
小沢夫人が出てきて話せば解決することについて、真贋の判断を下すことは危険極まりないことである。
しかし、どう考えてもこれは偽物だろう。
松田と週間文春がこのニセ手紙を載せるという行動に出た裏には、多分バレないという確信があったのだろう。
なぜバレないのか?
多分、現在小沢夫人への接触ができない状態にあるのではないか?
入院、隔離、監禁、認知症、ノイローゼ等々。
以下、小沢一郎 週刊文春 松田賢弥記者 妻からの「離縁状」6月21日号 文字起こし を参照させてもらった。
http://portirland.blogspot.jp/2012/06/621-1.html
ニセ手紙と考える理由
その1 離婚の理由が多すぎる。
隠し子、愛人の存在が理由ならば、それだけで十分である。
政治活動や放射能怖いは余計である。
つまり、離婚理由や説明が多すぎるのである。
その2 手紙が長すぎる
便箋11枚!
こんな長い手紙を複数人に手書きで出す、などということは普通では考えられない。
もし本人が実際に書いたとしたら、すでに精神に障害をきたしている。
この執念は異常としか言えない。
その3 宛先人が多すぎる
後援者に出すのなら、後援会の責任者あるいは代表者一人に出せば済むことである。
10人近くに出したというのは異常である。
>その後も取材を重ね、和子の手紙は去年の十一月頃、十名近くの支援者に送られていたことがわかった。ただ、彼らは取材に応じてくれたとはいえ、手紙の提供は拒み続けた。
協力を守るために詳細は伏せるが、私は手を尽くして手紙のコピーをようやく二通入手することができた。そのうちの一通が全文公開したものだ。もう一通も筆跡は同じで、冒頭と末尾に、その支援者や家族を気遣う文言などが書かれている以外は、内容もほぼ同一といっていい。念のため元秘書らに筆跡を確認してもらったが、間違いなく和子のものである。
その4 手紙の内容が時系列を追いすぎている。
まるでドキュメンタリー・タッチである。
>ところが三月十一日、大震災の後、小沢の行動を見て……
そんな中、三月十六日の朝、北上出……
三月十五日国会議員六人が県庁に行き……
三月二十一日、「東京の……
離婚のお知らせにしては、念が入りすぎている。
その5 手紙の内容が松田賢弥の知識とほぼ完全に重なっている。
その割に、長年の夫婦の歴史や機微が全く感じられない。
その6 信憑性を強めようとしてか説明が多すぎる。
離婚の報告とお詫びであれば事実だけですむことである。
たとえば
>隠し子がわかって以来、別棟を建てて別居しています。S.Pさんや秘書の手前、料理や洗濯は変わらずやっていました。用事の時は、小沢は私に直接言わず、秘書が出入りしていました。
別居しているにもかかわらずそれが公にならなかった理由をわざわざ説明している。
S.Pさん云々は信憑性の補強、つじつま合わせに過ぎない。
下手な小説家の常套手法である。
その7 夫小沢一郎への憎しみよりも、政治家小沢一郎への憎しみの方が強すぎる。
>このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げ出しました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げ出した小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました。
離婚の理由としてこんな事を第一番に挙げるのはおかしいだろう。
その8 書いている人間がいかがわし過ぎる。
本当は、これを第一に挙げるべきかもしれない。
「週刊現代」元編集長という元木昌彦という松田のお仲間が書いている。
小沢一郎ついに「男としても政治家としても終焉」妻から容赦ない三行半 2012/6/14
http://www.j-cast.com/tv/2012/06/14135645.html
>これは「週刊文春」に掲載された「小沢一郎 妻からの『離縁状』全文公開」(ジャーナリスト松田賢弥+本誌取材班)からの引用である。
これを読みながら涙が出て止まらなかった。この欄で何度も書いているが、私と松田記者が小沢一郎をやろうと思いたったのは、小沢が自民党最年少の幹事長になった頃だった。ふてぶてしい面構えで、田中角栄の庇護を受けて伸びてきた若き実力者に注目し、小沢を中心に据えて永田町を見ていこうというものだった。
私が「週刊現代」編集長時代には、毎週のように松田記者の手による小沢批判が誌面に載った。金脈研究はもちろんのこと、紀尾井町の料亭「満ん賀ん」の女将とのラブロマンスから「隠し子」のことまで書いた。
小沢が自民党最年少の幹事長になった頃といえば、1989年、平成元年である。
それ以来この松田という男は執念深く小沢の追っかけを続けてきたらしい。
ざっと思いつくままに、この手紙がガセであると考える理由を挙げてみた。
小沢夫人が話せばすべて明らかになることではあるが、松田や文春はそれができないことを知っているのではないか。
さて手紙の真贋については、、三つのケースのいずれかということになる。
1 全くのニセ手紙である。
2 手紙は本人が外からの力によって書かされたものである。
3 本当に本人がその意志によって書いたものである。
私の結論
手紙は、小沢夫人が証言できない状況にあることを知った松田賢弥渾身の創作である。
もし、小沢夫人が出てきて、正常に本人の口から真実が証言されれば、それにこしたことはない。
そして、わたしの推論が間違っていればその時は謝ります。
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