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橋下徹の半生を追い続けた作家「彼は田中角栄以来の逸材」
アメーバニュ−ス
6月12日16時12分
http://news.ameba.jp/20120612-602/
『橋下市長の亡くなった実父は暴力団員だった』。上原善広氏が昨年11月、月刊誌『新潮45』に執筆したルポは反響を読んだ。週刊誌なども後を追い、その後の橋下氏と週刊誌とのバトルのきっかけとなった。しかし上原氏に橋下氏から直接の抗議や反論はなかったという。
「精神科医でもある野田正彰氏が、同じ雑誌に書いた精神分析には過剰に反応していましたけどね。医学という権威を持つ学者の言ったことは気になるタイプなんでしょう。ポピュリズムに徹しているので、社会的影響力のある週刊誌には噛みついたんです」
橋下氏のケンカの売り方には特徴があると上原氏は話す。
「府の教職員が国歌を斉唱しているか口元をチェックしたり、市職員の入れ墨にこだわったりと、とても細かいことを持ち出して論理を進めていく傾向があります。大衆やマスメディアがどういうところに食いついてくるのかを肌で知っている。そういう意味では天性のアジテーターですね。テレビタレント時代、いつもノートを取って話術を学んでいたと聞いています。最初から政治家になろうと思っていたんでしょう」
上原氏は、ルポの中で橋下氏の複雑な生い立ちやねじれに満ちた青春時代をたどった。だが、その出自は現在の橋下氏自身の生きざまにほとんど影響を与えていないと上原氏は断言した上で、政治家としての資質をこう評する。
「彼の出自と現在の彼自身のあり方は関係がない。さわやかな風貌や人を惹きつける弁舌からは、暗く厳しかった家庭環境をまったく感じさせませんよね。そういったものを超越してしまっているんです。大阪弁をしゃべらない人が府と市のトップになった。彼がいかに突き抜けたスターであるかという証です。その弁舌といい、叩き上げ度といい、田中角栄以来、50年に一度の政治家じゃないでしょうか」
==引用おわり===
橋下問題は、先進国における戦後民主主義のひとつの到達点を表象している、というのが投稿者の問題意識である。つまり戦後のアメリカ型民主主義は金融資本主義として展開・発展してきたが、自国内の実態経済を顧みず、中小零細企業の衰退と雇用の縮小を放置し、野放図な資本投資と借金の回転・拡散による莫大な消費社会を誘導してきたのが新自由主義、すなわち戦後民主主義の正統な末裔であった。米国における社会保障制度の不成立、あるいは日本における縮小は、同じ文脈上の出来事である。
その結果としてのリーマン・ショックは、米国の本質的な衰退、帝国自身の衰退が表面化した歴史的な出来事だった。今後、なんらかの歴史フェーズへの転換がないかぎり、金融資本主義の枠内で米国は、いかなる逃走経路も見いだせないのではないか。また欧州危機として騒がれる金融危機も米国発の金融危機と地続きであり、しかも恐ろしいことに世界不況の入り口、いわばグローバル不況の入り口にすぎない。
深化する世界不況のなかで、先進各国の政府は独自に、または協調して、その克服に最大の政治課題を集中させるのは当然だが、ここで注目するのは、それぞれに特徴的な社会傾向である。ミャンマー、インドネシア、アフリカなどの開発途上国へ進出、あるいは資本移動し、石油、レアメタル、土地、労働力など、古代から眠ってきた豊かな国富を財産目録に付け替える一般的な企業行動とともに、旧来の社会主義政党の台頭や独裁傾向を持つ勢力への期待など、国内的にはさまざまな社会傾向が表れている。いうまでもなく橋下問題は、そうした先進諸国における特徴的な社会傾向のひとつである。
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