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小川前法相の指揮権発動に関する情報+退任会見
http://mewrun7.exblog.jp/18157419/
2012年 06月 11日 日本がアブナイ!
この記事では、小沢一郎氏&秘書の公判に関する記事を。
まず、「司法改革を実現する国民会議」の八木啓代氏のブログ(コチラ)に小川敏夫前法務大臣の退任会見の抄録が載っていたので、資料キープの目的も込みで後半部分ににアップしておきたい。(more部分にキープしようと思ったら、字数オーバーで蹴られてしまったです。^^;>
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尚、小川法務大臣は、8日に通信社の取材に応じ、指揮権発動に関して、このように語っていたといたという。
『陸山会事件をめぐる虚偽捜査報告書問題で検事総長への指揮権発動を野田佳彦首相に相談し、了承されなかったことを明らかにした小川敏夫前法相が8日、共同通信のインタビューに応じ「首相にもう一度会い、止められても発動するつもりだった」と話した。
今月5日に首相と面会する予定だったが、4日の内閣改造で再任されなかったため実現しなかった。
小川氏によると、初めて首相に相談したのは5月11日。首相は驚いた様子で「時期尚早」との趣旨の発言をした。小川氏は「やるなら早くやらないといけないと思った」と振り返った。(共同通信6月8日)』
『小川敏夫前法相は8日、小沢民主党元代表の政治資金規正法違反事件めぐる捜査報告書の虚偽記載問題について、4日の内閣改造で留任していたら笠間検事総長を6日に呼んで指揮権を発動する方針だったと明らかにした。(時事通信6月8日)』
他のインタビューなども総合して考えると、小川氏は5月11日に首相に指揮権発動の相談をしたものの、首相に時期尚早だと言われたため、この時は発動を控えたのだが。
5月下旬に、やはり指揮権発動をすべきだと考え、6月5日に野田首相と会い、仮に反対されても、6日に笠間検事総長を呼んで指揮権発動をするつもりだったのに、野田首相と会う前日に法務大臣を解任されたということになる。^^;
* * * * * *
八木氏のブログの6月6日の記事には、このようなことが書かれていた。
小川氏が5月下旬に指揮権発動を決めたのは、検察が5月28日に小川大臣(当時)に上げた捜査報告を見たことがあるのではないかというのだ。
『なぜ、小川法相は「捜査途上」なのに、そう思ったか。
ここでバラしてしまいましょう。
検察は、5月28日に、小川大臣に報告を上げています。
はい。なんで八木がそれを知っているのかは、情報源秘匿のために言えませんが、確かです。いずれ、明らかになるでしょう。
だから、その報告を見て、トンデモねえと思った小川大臣が、指揮を考えたんじゃないですかね。
朝日は、小川大臣が官邸に行ったのは、5月11日だと退任会見で語ったかのように書いていますが、昨日のエントリで収録したとおり、小川元大臣が言ったのは「5月下旬」。
この5月11日っては、首相動静から検索したんでしょうが、5月11日が「5月下旬」でないことは、子供でもわかりますからね。
まあ、もちろん、ゴールデンウィーク中に流出した、あの報告書を見て、検察官・裁判官・弁護士の法曹三者のすべてを経験している大臣として、
「客観的資料を見れば分かることだが、捜査報告書の中身、捜査状況の録音を詳細に見てみれば、記憶違いではないと、誰しもが思うんじゃないかと思う。」
と判断し、すみやかに官邸に相談された可能性もあると思うのですが、しかし、その場合、たとえ野田首相が、その時点で時期尚早と留めたとしても、5月28日に検察から上がってきた報告を見て、そんな小川大臣がどうするか。
さらに、29日に「どう具体的に対処するのか文書で回答して頂きたい」と書かれた国民会議のアピールを突きつけられて、しかも、口答で「あえてなにもしないなら、『なにもしない』と文書で回答されるがよろしい。将来、小学校の社会の教科書に名前が残るほどの汚点を残しますよ」とまで言われ、小川大臣がどうするか。
.......見えてきましたね。
だからこその口封じ内閣改造だったのかも、と。』
では、ここからは、小川敏夫前法相の退任記者会見(抄録)を
<かなり長いです。>
小川敏夫前法相 退任記者会見(6月4日)
(前略)
一番は検察の信頼回復というのが強いと思う。村木さんの事件と虚偽捜査報告書の事件がたて続いて起きて、検察に対する国民の信頼が大きく傷ついている。検察が身内に甘い、適当な形で幕引きをしてしまえば、国民の信頼回復は得られないのではないか、と非常に心配した。そうした中で、私自身は指揮権の発動と言うことも決意したのでありますが、総理の了承を得られないということで、大変残念に思っております。
−指揮権発動を考えて総理に相談したということか。
はい、そうです。
−いつごろ、どのように。
具体的詳細は内部のやりとりなので。5月の下旬だ。
−捜査について指揮権を発動したいということか。
捜査ではない部分については、人事上には法務大臣の権限。指揮権はあくまでも捜査に関してだ。
−野田首相はどのように
了承してもらえなかった
−現行の田代検事に対する捜査について、大臣として不満だったと
不満ではなく、再三述べているように、国民の理解が得られる対応をしなければ、国民からの信頼は得られないだろうと考えた。理解を得られる対応をするようにとの観点だ。
−総理にはどのような言葉で伝えたのか。
具体的詳細は内部のやり取りなので差し控えさせてください。
−再任されなかった理由にそのことが関係している可能性はあるか。
私自身は、再任されなかった理由については知らない。任命権者の考えなので、そのまま受け入れたということだ。
−もしかしたら指揮権発動が引き金になったのでは
なんの具体的根拠はない。想像や推測で物事を言ってもはじまらないし、そうだという具体的なことは何もない。
−捜査報告書問題には「重大な関心を持っている」とのことだった。指揮権発動はどういう問題意識からか
きちんとした形で対応しなければ、国民の信頼は回復できない。いいかげんな形で幕引きすることがある、そのように国民から受け止められれば、国民からの信頼回復は遠のいてしまう。検察の信頼回復を、なんとしてでも実現したいという思いだった。
−どういう指揮をするつもりだったのか
具体的にしないで終わったことだから。それ以上の詳細説明は控える
−相談した時点では、既に報道各紙で不起訴方針が出ていた。
報道関係は随分早かった。5月の始めくらいからいろいろ出ていた。
−報道内容を受けてそのような気持ちになったのか。
報道そのものが、具体的事実関係を反映しているのか、というのはあるので、一つの資料として、報道内容について、ちゃんと担当部署に直接・間接に確認するようなことはあった。
−それを踏まえてそういう判断に至った
はい。
−指揮権について考えるまでの捜査経過を踏まえて、不十分だったという考えか
捜査の内容そのものは、法務大臣は中身には入らないので、捜査内容全部を把握しているわけではない。
−指揮権についての思いは滝法相に伝えるのか
指揮権は別にして、捜査報告書について国民の信頼が得られる対応が必要という総論部分は、政務三役会議などで認識は共有していた。
―滝法相も認識していたのか。
指揮権は法務大臣の専権なので。政務三役会で相談して協議して決定したわけではない。
−具体的にどう指揮をするつもりだったのか
指揮しなかったのだから、退任した今は具体的にどうとは差し控える。
−不起訴という報道。どういう考えだったのか。
客観的資料を見れば分かることだが、捜査報告書の中身、捜査状況の録音を詳細に見てみれば、記憶違いではないと、誰しもが思うんじゃないかと思う。逆に、捜査報告書と録音をインターネットで流出しているようだから、それを見れば判断できると思う。
捜査資料は捜査に干渉するので入手しなかったが、流出した資料を基に比較対照すれば、そういう結論になる。
−それを見て指揮権発動を考えたのか。
それも含めて。総合的な判断
−報道が出たことについて、直接・間接に確認したと・・
検察庁に確認したことはないので。直接は消して。間接だね。
−省内で
省内。捜査の具体的情報そのものを、検察庁から話を直接聞いたことはない。
−首相の言葉は
中のやり取りなので、具体的なやりとりは差し控える。了承いただけなかったのが、結論だ。
―5月のいつか。
今はわからない。戻ればわかるけれど。官邸に行った日は5月に1回しかない。
−政治介入ということで慎重に扱われてきたが、在り方についての考え方は。
50年前に指揮権発動が国民の不評をかう指揮権が発動されて以来、かなり抑制的だったように思うが、私自身は、今回のように検察部内の件で検察が消極的である場合、指揮権を発動する、一般論として典型的なケースではないかと思う。
―典型的なケースとは。
つまり、消極的な場合、積極的ならしめるということについては、国民から選ばれた法務大臣の本来の姿ではないかと思う。そういう意味で指揮権の発動に似合った、ふさわしいケースだったと思う。
−5月初め段階で不起訴方針だった。起訴すべき案件と思ったと言うことか。
起訴するかどうかは、捜査を行ってからの判断。十分徹底した厳正な捜査を行って、なおかつ公判請求できなければ仕方がないでしょうね。
−不十分だと感じたと
まだ終わったわけではない。終わったところで、その報告を受けて、ではないので。継続中の状況において、それをさらにということだ。
−総理とは完全に密室?2人だけでしたのか。
内部の話しは容赦下さい。私と総理がいたことは間違いないけれど、ほかに誰がいたかというのは容赦下さい。
−官邸に大臣が行ったと
そういうこと。
−省内で指揮権発動について相談したことは
相談という言葉がふさわしいのかどうか。まったく、それに関する情報交換なり意見交換がないところで、私が抜き打ちでということではない。
−総理に駄目だと言われて、それで大臣としてはあきらめたと。
別にあきらめていない。状況によって再度説明に上がることも考えていた。』
以上
THANKS
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