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<治安が悪化する放射能列島>
中曽根バブル経済の崩壊後の日本は、人々に不安と不信を植えつけてしまったままである。続く借金地獄に追い込んだ霞が関の官僚政治に、アメリカ・ウォール街の金融崩壊が直撃した。経済危機は欧州にも拡大、2011年3月11日直後の東電福島原発爆破事件によって、息の根を止められてしまった。戦後の奇跡の復興も、60余年で沈没を余儀なくさせられている。日本人の資質に問題があった。
それでいて政財官全ての為政者が責任を回避している。異様な日本に変質してしまった。経済危機は極度の社会不安をもたらすことになる。政治も引きずられて漂流したままだ。それでもまだ、ワシントンにこびへつらう屈米派の官僚政治が生き延びている。これがいつまで続くのであろうか。治安が悪化する日本列島である。
第一、放射能列島になっても、黒い利権の巣窟である原子力ムラが消滅しない。原発再稼働の野田内閣を、読売・日テレ、産経・フジ、日経など右翼メディアが支援して、市民を惑わせている。ジャーナリズムの劣化が、この国の再生の歯止めになっている。戦前の反省が不十分だったのだ。嘆かわしい。
幸いなことに「新聞を読まない」「テレビを見ない」層がぐんぐん増えている。筆者が期待する議会内の対米自立派の台頭だ。消費税に与党内から反対する小沢と鳩山、原発再稼働反対の鳩山らは、屈米派に対抗して民意を反映している。危機を好機にしようとする「東京の春」は、消滅することはない。
<梅泥棒>
我が家も治安悪化の被害者である。梅雨の季節にはいった。わが埴生の宿にも、その恩恵が訪れる時だ。例年であれば、間違いなくやってくるのだが、今年は小さな夢が破れてしまった。
梅雨は梅もぎの季節でもある。悲しい思い出も残っている。ひもじい生活をしていた子供が、梅雨に入る前の梅を食べて、お腹を壊して死んだという記憶である。敗戦直後のことである。「梅雨に入るまで待つ」という不文律を小さいころ学んだ。
数日前、田舎で「梅もぎ」に精を出そうと張り切って乗り込んだものの、肝心の梅がない。ほとんど人為的に落とされていて、梅がなかった。盗難だ。梅泥棒という言葉があるはずもないが、それが現実のものとなってしまった。
さすがに肩を落としてしまった。しかし、日本社会はここまで落ち込んでしまっているのである。せちがらい世の中となってしまった。過去にエアガンで窓ガラス2枚を破損されたことがある。車のタイヤの3本に穴が開けられたことも。確実に、この国の病状は悪化している。
放射能と関係があるのかどうか、今年は柿や柚子の花が咲かない。休息の年かもしれないが、放射能への抵抗力は植物や小鳥たちが少ない。人間は被曝後3年から4年後に発症してくる。チエルノブイリで判明している。
<留守交番よりパトロール重視>
たかが梅ではないか、というなかれ、である。自分で植えた梅の木は、30年以上にもなる。毎年・毎日一緒に生きてきた。むろん、無農薬である。仲間・家族である。彼らは1年に一度、家族に貢献してくれてきた。それが治安悪化によって、人々の生命財産が脅かされてきているのである。東北だけではない。
警察庁長官は警察官のいない交番をなくしたい、と叫んでいる。それもそうだが、地域をパトロールすることに力を入れた方がいいだろう。自転車やバイクを使ってのパトロールである。
福島県では留守宅がいっぱいある。そこでは盗難が頻繁に起きている。同じように、日本各地でも留守住宅が目立って増えている。ここを活用しての介護施設は好ましいものだが、そうした活用法は一部でしかない。
追い詰められた者たちは、留守宅を調べて窃盗を働く。泥棒事件の多発が、最近の傾向でもある。そうだとすると、交番待機では対応出来ないだろう。周辺地域を警察官がパトロール、そこでの住民との交流が大事だ。戦後の交番巡査はそうして犯罪捜査に万全を期してきた。
オウム事件にもいえることだが、日頃から警察官は市民との交流を心がけると、いざという事件捜査において威力を発揮できるだろう。戦前の「オイ、コラ警察」から卒業した今日のあるべき姿は、パトロール重視の市民警察ではないだろうか。
<福島の子供たち>
昨夜、ネット掲示板で「ラジオニュース・たね蒔きジャーナル」を聞いた。登場したのは小児科医の山田さんという医師だ。時々、福島県を訪れて同県内の子供の健康相談をしている善良な医師のようだ。
彼の発言に衝撃を受けてしまった。国だけではない。福島県もまた、口裏を合わせて「放射能被害はない。大丈夫だ。心配はいらない」という世論操作を先導していたのだ。野田内閣に屈してしまっている、というのである。真実を訴えるべき被害自治体が、逆の対応をしているというのだ。
人々は口ごもって本心をさらけ出せない雰囲気に置かれている、という。これも仰天するような報告である。
「まるで戒厳令下のようだ」との指摘には、聞いていて耳を疑った。こうした深刻な状況を新聞テレビは全く伝えていない。国民・市民に奉仕するマスコミから、国や自治体に貢献するマスコミに変質してしまっている。言論の自由もまた死滅してしまっているのだ。
「もう避難する住民はほとんどいない。避難できる県民は皆避難してしまっている。したくても出来ない住民ばかり」というありさまなのだ。筆者の妻の遠い親類のおばあさんは、3・11直後に娘のいる首都圏に移転したが、いまは再び故郷の放射能と同居する道を選択した。年寄りだから出来ることだが、子供の家庭ではそうはいかない。
放射能は河川に集中する。生きるための水を破壊している。放射性物質は泥土に付着する。除染は厳しい。たとえ除染をしても、高濃度の除染泥土をどう保管するのか。核のゴミを処理する科学は、この地球に存在しない。
日本人は安全神話を吹聴した原子力ムラによって、依然として愚民・奴隷のような環境に置かれているのだろうか。
<国も県も安全神話>
豚やタヌキが「収束宣言」をして、どれくらいの時間が経つのであろうか。その政治的効果は「もう心配はいらない」という大本営発表へと続く。それにNHKから民放・新聞が従っている。
真実を報道しないマスコミになってしまっている。脱原発封じ戦略を、何人の日本人が気付いているだろうか。10%消費税に怒る市民の何人が、原発封じの野田内閣の悪政に気付いているのだろうか。
その一方で、ベトナムや中国に狙いを定めて原子炉・核エネルギーを拡散させる政策が、官民一体で推進されている。原発再稼働が「国民を守るため」と本末転倒論を強要して止まない野田のあくどさは、正に天に唾するものだが、こうした不条理の連鎖はいつまで続くのか。
2012年6月11日9時10分記
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