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「週刊朝日やAERAがぶっ飛ばしているのに、朝日新聞の腰抜けぶり、トチ狂いぶりには呆れてものが言えない」
http://sun.ap.teacup.com/souun/7702.html
2012/6/7 晴耕雨読
市川寛弁護士のツイートより。
https://twitter.com/#!/TriggerJones42
社説 http://t.co/0faKatTP この検事への処分の当否は、法務・検察当局の調査結果の公表をまって考えたい。
←朝日新聞は、いまだに検察の御用聞きだという宣言。
特捜部は当分動かない(どころかなくなるかもしれない)のに、あくまで媚びを売ってネタもらいたいのか。
起訴権限は検察のためにある道具ではない。
←意味不明。
起訴権限は検察官が独占している(現在は起訴議決制度という例外があるが)。
「道具」という高尚かつ文学的な表現で何を言いたいのか。
検察に媚びを売る一方で検察官を愚弄してはいないか。
不起訴処分がおかしいかどうかは、国民から選ばれた検察審査会の場で、やはり証拠に基づいてチェックされる。
←その「国民から選ばれた」検審を、検察が組織的に、証拠を捏造して騙したことをどう評価するのかね、朝日新聞さん。
人々が検察に向ける不信感に乗じる形で、政治があれこれ口を出し、それを当たり前と受けとめる空気が醸し出されることを、私たちは恐れる。
←では、人々が検察に向ける不信感を、検察が騙してコントロールできる検審でチェックできるというのか?
政治と検察が緊張感をもって適切な均衡を保たなければ、民主主義を支える土台はむしばまれていく。
国民は、そんな事態を望んではいない。
←検察が「適切な均衡」をろくに証拠もなく破って、一政治家を組織的に抹殺することこそ、市民は望まない。
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> 木下秀明 小沢問題というのは、朝日にとっては思考停止になる鬼門のようだ。
ここにも朝日らしい詭弁が盛りだくさんなのを感じる。
ひとことで言えばご都合主義と言うことだ。
同じような論理をあらゆる所に適用しなければならないのに一部だけに当てはめている。
朝日は、「この検事への処分の当否は、法務・検察当局の調査結果の公表をまって考えたい」と書いているが、小沢さんに対しては疑いの段階で説明責任を追及しあたかも犯罪者であるかのような報道をした。
この検事が捏造報告書を書いたのは明らかであるのに公表されななければそれはないことにするのか。
指揮権発動は「検察の独善をおさえて民主的なコントロールの下におくとともに、政治の都合で捜査が左右されるのを防ぐために設けられた規定だ」と朝日は解説する。
それなのに発動を批判すると言うことは、朝日は検察の独善性を全く認識していないと言うことなのだろう。
その疑いを解明するためなのに。
「起訴権限は検察のためにある道具ではない。起訴、不起訴はあくまでも証拠に基づいて判断されなければならない」と朝日は認識しているのに、デタラメな証拠で起訴されている小沢裁判に対する批判が出来ないので、この正論を小沢裁判にだけは適用できない。
ここに朝日的ご都合主義の論理の極みがある。
「不起訴処分がおかしいかどうかは、国民から選ばれた検察審査会の場で、やはり証拠に基づいてチェックされる」というのも検察審査会そのものがデタラメであればむなしい主張だ。
検察審査会に対しても朝日はそれを批判することが出来ない。
批判すれば小沢裁判のデタラメさに触れなければならないからだ「「身内に甘い幕引き」があれば、こうした仕組みのなかでただすのが筋で、法相の思惑による介入は厳に慎むべきだ」という言い方も語るに落ちる言い方だろう。
身内に甘いからこの仕組みでは正すことが出来ないのだ。
それを批判せず、「法相の思惑」にしてしまいたいという詭弁がここで主張されている。
「人々が検察に向ける不信感に乗じる形で、政治があれこれ口を出し、それを当たり前と受けとめる空気が醸し出されることを、私たちは恐れる」なら朝日が正しく検察批判をしなければならなかったのだ。
それをせずに、真っ当な批判を詭弁で否定するような社説を書くところに朝日の奢りがある。
詭弁のあとに「政治と検察が緊張感をもって適切な均衡を保たなければ、民主主義を支える土台はむしばまれていく」と朝日に言われたくはない。
民主主義を壊しているのは、朝日的詭弁が蔓延するような社会の空気なのだと言うことを我々は知らなければならない。
始めに結論ありきという詭弁を拒否すべきだ
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週刊朝日やAERAがぶっ飛ばしているのに、朝日新聞の腰抜けぶり、トチ狂いぶりには呆れてものが言えない。
別の会社なんだな。
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> Shoko Egawa今日の朝日、毎日、日経、東京の各紙が、程度の差こそあれ、小川前法相の「指揮権発動を検討」を批判している。
とりわけ酷いのが朝日と毎日だが、この両紙は今まで自分たちが報じてきた検察の方針ー検事は全員不起訴、法務省内部の調査によって訓告とか戒告とかの処分ーを指示しているのだろうか。
陸山会事件捜査で明らかになってきたことは、大阪のFD改ざんとその後の隠蔽に負けず劣らず重要な話。
にもかかわらず、検察はできるだけ小さく収めようとしている。
これでは検察への信頼回復はままならない。
そう判断した法相が、きちんと捜査しろと検事総長に指示することを検討した。
どこが問題?
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社説:指揮権発動発言 あまりにも軽すぎる−(毎日新聞) http://t.co/nOFshi1L
「不起訴の方針」といった報道が先行したのは確かだが、証拠の内容も精査せずに捜査が不十分だとは決めつけられまい。
←不起訴方針は検察幹部のリークぢゃないか。
法相は心配するよ。
国家の安全に関わる重大事件ならばともかく、検事の捜査報告書虚偽記載という事案が、指揮権を発動するのに妥当なのか
←検事が偽証拠を作ることが罷り通ったら、それこそ国家を支える国民の安全に関わるが。
検察審査会には、強制起訴の権限が加わった。
証拠があるのに身内に甘い処分をすれば、審査会が厳しく検察をチェックする。
←その検審を検察が捏造した証拠で騙したんだよ。
チェックをくぐり抜けたんだよ。
東京新聞:指揮権発言 軽視せずに公正捜査を http://t.co/4t59ejHy
検察は常に公正でないと、政治からの介入の口実を与えてしまう。
←まともな方だが、先に政治に、しかも違法に介入したのは検察だということを忘れないでもらいたい。
「処分が身内に甘い」と国民が受け止めれば、検察審査会で厳しい判定が下されるシステムにもなっている。
←新聞記者は、東京特捜部事件の何たるかがわかっていないのか。
検審を起訴の道具にした事件ですよ。
「指揮権発動」と聞いただけで、おそらくその社説を書いた記者が洟垂れ小僧だった頃の出来事を持ち出して難癖をつける。
だったら「指揮権発動制度をなくせ」くらいの勇ましい意見の一つも述べたらどうだ?
次に、検審を騙した検察を検審がチェックできるという思考の仕組みを詳しく教えてもらいたい。
最高検は「関西検察」をその名のみに基づいて断罪し、全国に2000人足らずの検事たちを無意味に分断した。
さらに東京特捜部事件の処分を躊躇することで、日夜一般刑事事件の適正な処分のために奮闘している多くの検事たちの仕事を妨害している。
足軽検事だって検事だ。
人を大切にしてもらいたい。
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