http://www.asyura2.com/12/senkyo131/msg/135.html
Tweet |
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120606-00000000-sundaym-pol
◇岩見隆夫(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)
日本人は変わった。前々からうっすらと感じていたことだ。以前、日本人のなかにあったものが、いまはなくなっている。あるいは希薄になった。
学生時代、奨学金をいただいていた。高校の時は県から月額千八百円だったと思う。大学では国から月額三千円。アルバイトをせっせとして質屋にも通ったが、奨学金がなければ学生生活を全うできたかどうか。とにかくありがたいことだった。
卒業し、就職してから、月賦で返済した。借りたのだから当然である。完済の通知が届いた時はうれしかった。半世紀も昔のことである。
あのころを振り返ってみると、国や県から借金することを別に恥とは思わなかった。親の仕送りで十分足りている裕福な学友たちをうらやましいと思ったこともない。ただ、借りないほうがいいと決まっているのに、借りざるをえないのは情けないという感情は確実にあった。自立心の問題である。社会に出る前から、自立心に傷がついたような痛みだったのだろう。
私が就職したのは敗戦の十三年後だが、その後もしばらく日本人の心情には強烈な自立心が脈打っていたと思う。一九六四年の東京オリンピックごろまでは、いささかも衰えない。しかし、いつのころからか、変質していく。
ところで、石原慎太郎東京都知事は日本人論が好きである。五月二十五日の定例記者会見でも、二〇年夏季五輪招致に対する日本の国内支持率が、国際オリンピック委員会(IOC)の調査で四七%と低かったことに触れた。IOC調査では、東京と争う他の立候補地の支持率は、マドリード(スペイン)が七八%、イスタンブール(トルコ)が七三%で、大きく引き離されているのが腹立たしくて仕方ない。
「一体、日本人は何を望んで、何を実現したら胸がときめくのか。ちまちました自分の我欲の充実で、非常にやせた民族になった」
と石原さんは毒づいた。〈我欲〉は最近の石原さんの常用語で、エゴイズムに近い。日本人は自分の欲得ばかりに目を奪われて、日本国の興隆、民族の高揚につながるオリンピックなどには関心が薄い、と怒っているのだ。
我欲を一枚めくると自立心にぶつかる。自立というのは、経済的に独り歩きできるというだけでなく、心の問題である。一人の人間として、あるいは一日本人としてどう自己を確立するか。青春時代それで悩み、社会に出てからさらに悩む。自立心を養うのは、精神的なトレーニングだった。いまはどうなのか。
◇受給者は政令市二つ分 国の衰亡を連想させる
石原さんが怒ったのと同じ二十五日、人気お笑いコンビ〈次長課長〉の河本準一さんも吉本興業東京本部で記者会見した。母親が最近まで生活保護を受給していたのがばれ、謝罪するためだ。詳細は新聞、テレビが繰り返し報道しているので、ご承知だろう。
一連の騒ぎで、私がいちばんひっかかったのは、河本問題で、
「不正受給の疑いがある」
と厚生労働省に調査を求めた自民党の片山さつき参院議員が、ある民放テレビに出演し、
「河本さんは、周囲に『もらえるものなら、もらっておけばいいじゃないか』と言っていたそうです。悲しいことですね」
と語ったことだった。河本さんが会見で、
「むちゃくちゃ甘い考えでした」
などと涙ながらに反省の弁を述べたのは、ばれたあとの自己保身的な後知恵でしかなく、核心は片山発言にある。
河本さんはまるで自立心がない。片山さんによると、
「河本さんの著書は三十万部売れて、印税収入が四千万円ある。それだけで受給中止の理由になる」
とも言っていたが、高額所得者になってからも、「もらえるものなら……」と税金をかすめ取ることに痛痒を感じていない。日本の社会に生きる一人の人間として、恐るべき精神的未発達であり、自立とはおよそ無縁である。
河本さんのケースが法的に不正かどうかは微妙らしいが、この事件をきっかけに、不正受給やすれすれの事案などが報じられている。受給者が二百万人の大台を突破し、今年度の予算見通しが三兆七千億円(税収の約一割)という巨大な数字に暗然とする。増加分の何割かは、
「もらえるものなら、もらっておけば……」
という、石原さんが言う貧相な〈やせた日本人〉で占められているに違いない。
二百万人といえば、百万政令都市二つ分、たとえば仙台市と広島市の全住民が生活保護で暮らしていることになる。この情景は恐怖というほかなく、国の衰亡を連想させるのだ。
生活保護法の理念はよく理解できる。資産がなく、働くこともできない人に最低限度の生活を国として保障し自立を助ける制度はなければならない。しかし、働くことができるかできないかの判別はむずかしい。若年受給者が増えていることから類推すると、働くことができるのに、働けないように装って受給するケースが多いのではなかろうか。
つまり、なまけ者が大量生産されつつある。働いても薄給しかもらえないなら、働かずに生活保護費をもらったほうが楽に暮らせるという考え方が広がっているようなのだ。せっかくの保護制度が怠惰な社会を誘発しているのだとしたら、制度自体を見直すしかない。
一昨年、死んだ親を生きていることにして子供が年金を詐取していた事件が発覚し、世間に衝撃を与えたことがあった。河本騒動はそれにつぐ二度目のショックである。年金、生活保護費の不正受給は、公のカネをだまし取る点では同じで、かつての日本人はそんな反社会的な行為は恥とした。自立心がそれに勝っていたからでもある。
しかし、昨今は恥の意識も自立心も鈍ってきたようだ。若者の間では、生活保護のことを、
「ナマポ」
と呼んでいるという。ナマポを狙え、と言っているみたいで、寒々とする。
<今週のひと言>
身内のNO会談、騒ぎすぎ。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK131掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。