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株式日記と経済展望
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「組織のリーダーである経営者の生き方そのものが、組織の機能や活動を規定する」
ということだろう。経営者が手を抜いたりすると、社員全体がそれに敏感に反応する
2012年6月5日 火曜日
◆日本に“理想のリーダー”はなぜ現れないのか?原発事故調査委での菅元首相に見る「失敗の本質」 6月5日 真壁昭夫 [信州大学教授]
http://diamond.jp/articles/-/19525
事故調査委で自分の責任を明言せず
菅元首相に問う「リーダーとしての自覚」
先週、東京電力福島第1原発事故を検証する国会事故調査委員会が、菅直人前首相を参考人招致した。参考人としての菅氏は、事故の責任は国にあると陳謝したものの、「全ての責任は、リーダーだった自分にある」とは決して言わなかった。
むしろ、3時間近くに及んだ質疑では、自身の判断の正当性を強調することに終始した。つまり、同氏は“国”という組織が悪いのであって、リーダーである自分の判断は正しかったと言っているようなものだ。
今回の調査委員会の質疑応答を見て、多くの国民は、「予想通り、典型的な日本型リーダーの失敗作だ」と思ったことだろう。残念だが、我々の眼に映った参考人が、当時のわが国のリーダーの偽らざる姿なのだ。
リーダーたる人材が、そのような姿勢を示していたのでは、不測の事態が起きたとき、国という組織が迅速に、有効な対応策を実行できるだろうか。極めて疑問だ。
リーダーとはいったい、どういう機能を果たすべき人物なのだろう。欧米のビジネススクールなどでは、「管理者と経営者=組織のリーダーとは大きく異なる」とよく言われる。一般的な定義として、特定部門の管理者とは、当該部署の部下を、組織のルールに従って業務の遂行に当たらせることが主な役割期待だ。
一方、組織の経営者は、まず組織の目的を明確化する必要がある。それに基づいて組織全体が進むべき方向をわかり易く示し、組織内でコンセンサスをつくることが必要だ。
さらに、全体の目的を部署ごとの目標に細分化し、それぞれの部署が目的を達成できるように環境整備をしなければならない。また、組織が長期的に上手く活動できるように、人材の育成も行なわなければならない。リーダーとは大変な仕事なのである。
昔、中小企業の経営者と酒宴の席で気さくに話をしていたとき、彼は「太陽に背を向けて立つと影ができる。その影そのものが組織なんだ」とつぶやいた。
彼が言わんとするところは、「組織のリーダーである経営者の生き方そのものが、組織の機能や活動を規定する」ということだろう。経営者が手を抜いたりすると、社員全体がそれに敏感に反応して、企業が持っている活力を十分に発揮できなくなるということだ。
目的意識を共有することができるか?
経営者の生き方自体が組織を規定
それに似た話は、色々なところで聞く。元プロ野球選手がどこかのコラムの中で、「監督が焦っていると、その焦りが実際にプレイをする選手に伝染して、作戦が上手く行かないことが多い」と書いていた。だから、監督たるもの、選手1人1人の気持ちを考えながら、常に冷静沈着であることが求められるというのである。
大企業でも中小企業でも、野球でもサッカーでも、人間が組織で何かをやろうとする場合、おそらく、同じようなことが言えるのではないだろうか。つまり、人間が組織として機能するためには、1人1人が同じ目的意識を共有することが必要だ。
そのためには、組織の中心であるリーダーがしっかりした意思決定を行ない、それを組織の構成員全員と共有することが必要不可欠であろう。それができれば、1人1人の構成員が、それぞれの役割期待を実践できるようにする環境をつくればよい。
リーダーにとってもう1つ重要なことは、それぞれの構成員の成果を公正に評価することだ。公正な評価に基づいて、組織の再編成や人員の育成を常に行なう。そうした努力を積み重ねることによって、組織はさらに強度を増すことができる。責任転嫁ばかりを考えているリーダーでは、そうしたリーダーとしての役割期待を果たすことは難しい。
わが国のリーダー像については、昔から様々な議論がなされてきた。多くの議論は、「昔のリーダーは偉かった」、あるいは、「あの人は、リーダーとしての資質が欠けている」という類のものが多い。
特に、「わが国のリーダーは、危険の及ばない後方にいて口先で指図をするばかり」という指摘を耳にする。
部下に責任転嫁した旧日本軍幹部
日本のリーダー像は“歯がゆさ”の表れ?
そうした指摘が、わが国のすべてのリーダーに該当するわけではない。ただ、第二次世界大戦当時のわが国の大本営の例の様に、敵の弾丸の射程に入らないところで作戦を練り、命令を下したケースもあった。
映画やテレビのドラマに出てくる旧日本軍の幹部の姿は頼りなく、何か不都合なことがあると、それを部下のせいにして責任転嫁する様子が多く描かれている。
あるいは、ドラマで描かれる企業経営者についても、どちらかと言えば、責任転嫁型のリーダーが多いように思う。それは、リーダーに対する、国民の一般的な認識に根差したものかもしれない。政治のリーダーシップに対する“歯がゆさ”の感情の表れなのかもしれない。(後略)
(私のコメント)
わが国の組織の人事制度は年功序列制度であり、新卒一括採用が基本になっている。これは車の両輪であり、中途採用した人材を日本型組織に組み込むことは難しい。若いエリート上司が年取った部下を使うことは一般的ではない。日本の会社では万年平社員は珍しく、年功で賃金も上がっていくし地位も上がって行く。しかし管理職は少なくていいから、中高年社員がだぶつくことになる。そこに天下りが出来る元になる。
年功序列も1年生から10年生くらいまでは機能するが、10年以上経つと能力差がでてきて10年目の社員と15年目の社員とではどちらが有能であるか判断は出来なくなる。しかし10年目の社員は主任になり、15年目の社員は係長になる。20年目の社員は課長となるとすると、ポストが足りなくなってくる。課長くらいならポストも作ることが出来ますが、それ以上の部長や支店長は増やすことが出来ない。
だから40代になると天下りや親会社から子会社に出向という形で間引きして行く。一括採用と年功上列制度ではこのようなモデルになりますが、無難にポストをこなせば運がよければ社長になれる。これでは本当にリーダーとして優秀かどうかは考慮されず、2,3年社長をして交代する。倒産の心配の無い公務員や電力会社などはこれでもいいのでしょうが、中小零細企業がこのような年功序列人事で社長を選んでいたら倒産する危険性が高くなる。
中小企業はオーナー社長が多いから、企業を起こした時から社長であり定年も無い。優秀な経営者なら会社は大きくなり無能な経営者なら会社は潰れるだけだ。だから同じ会社でも大企業と中小企業とでは社長の資質が大きく異なる。大企業の社長は一流大学を出て年功序列で社長になり、任期中は大過なく過ごせば誰でも務まるから大企業は停滞しがちになる。
中小企業のオーナー社長は海賊船の船長のようなものであり、無能なら遭難して沈んでしまう。問題なのは日本の大企業であり、公務員や政界のようなところが制度疲労が起きている。年功序列制度では優秀な人材が育たず、政界でも総理や大臣が務まる人材がいない。いたとしても年功序列制度が若手の抜擢を許さない。だから大企業の中では、若い優秀な社員を子会社に出向させて、業績を上げた社員を本社の幹部にするといった会社もあるようだ。
政界でも若手の議員を県知事などを経験させて業績を上げた知事を総理にするようにしたらどうだろうか? アメリカの大統領も州知事出身者がなることが多く、日本の総理も国会議員と県知事の兼職を認めて、石原慎太郎も都知事と国会議員の兼職が認められていれば総理になる可能性が高かった。
日本の総理大臣や各省の大臣が官僚を上手く使いこなせないのは、公務員を使いこなしてきた経験が無いからであり、県知事などを歴任してくれば公務員の使い方の上手い首長を総理や大臣に抜擢すればいい。片山元総務大臣は元鳥取県知事でしたが総務大臣になっても業務に精通していた。役人の悪い癖や使い方を知っていれば野田総理大臣のようなことにはならない。
海軍を例に例えれば、若手の優秀な人材でも駆逐艦や潜水艦などの艦長につけてみなければ適性がなかなか分からない。無能な艦長なら遭難したり事故を起こしたり、有能か無能かすぐに分かる。しかし山本五十六元帥のように艦長経験も無く軍政畑を歩いて連合艦隊司令長官に抜擢されましたが、経歴よりも年功が最優先で、適材適所の登用が出来ない。
結局は過ぎれたリーダーを育てるには修羅場を潜り抜けた能力と幸運の持ち主でなければ優れたリーダーは作られないのだろう。小さな頃から恵まれた家庭で育ってエリート大学を出て大企業や官庁に就職しても、人材が育つわけではない。そういった人材は要領ばかり良くて天下っていい生活をしたいだけで日本の為に尽くそうとは考えない。
「株式日記」では、何度もエリートを育てるには高等教育で古典と歴史を教えるべきだと書いてきましたが、東大では古典も教えないし歴史は選択科目でしかない。これでは哲学も身につかず自分の利益だけを考えるようなシロアリ官僚ばかりになってしまう。福島第一原発災害でも原子力安全保安院は真っ先に全員逃げ出してしまって現場の様子が分からなくなってしまった。
真壁氏の記事でも、「わが国のリーダーは、危険の及ばない後方にいて口先で指図をするばかり」と指摘していますが、結局は福島第一原発でも身を挺して現場に駆けつけて水をかけたのは消防士と自衛隊員だけだった。警視庁の放水車は全く役に立たなかった。このようの東日本大震災で総理のリーダーシップが望まれる時に、消費税増税ばかり言うような首相がリーダーなのだから日本政府は腐りきっている。
大阪の橋下徹市長も悪魔殿のような大阪市に乗り込んだはいいが、大阪市の税収の半分が生活保護費に消えてしまうことに対する事のはっきりした姿勢が見えてこない。吉本興業の芸人の不正受給に対するはっきりした姿勢もみえてこない。刺青を入れた市の職員がいるというような所だから、市長の命も危険かもしれない。ナマポビジネスはヤクザのしのぎだから命を狙われるかもしれない。だから独裁者と言われるくらいの人物でないと切り込めないだろう。
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