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郷原信郎が斬る
投稿日: 2012年6月5日
小川前法相の指揮権発言について考える
小川敏夫前法務大臣が、6月4日の退任会見で、虚偽報告書作成問題に関して、「指揮権の発動を決意したが、野田佳彦首相の了承を得られなかった」ことを明らかにした(朝日)。
多くの記事では「指揮権発動相談」と表現しているが、小川氏は「相談」などという言葉は使っていないし、検事総長に対する指揮権は法相の固有の権限であり、権限行使に関して総理大臣に「相談」すべきことではない。「了承」が得られなかったという朝日新聞の表現が正しい。
とは言え、小川氏が指揮権の「発動」という言葉を使い、それについて野田総理に「了承」を求めたことは事実である。虚偽報告書作成問題について検察の判断だけに委ねておいて良いのか、という問題提起としては評価できるが、この「発動」と「了承」に関しては、法相指揮権の本来の在り方にも関連する大きな問題がある。
検察庁法14条は「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。」と規定している。
同条本文は、検察官も、4条、6条で定められた検察官の事務、すなわち、検察官としての権限行使に関して、一般的に法務大臣の指揮監督に服することを規定している。つまり、事件処理の一般的な方針、法令解釈等については法務大臣が個々の検察官に対して直接指揮監督を行うことができる。しかし、但し書で、個々の事件の取調又は処分、つまり「検察官としての権限行使」については、法務大臣が行う指揮の対象を検事総長に限定していることから、法務大臣が個々の検察官を直接指揮監督することはできず、検事総長に対して指揮を行い、検事総長に部下の検察官に対する指揮を行わせることによってのみ、法務大臣の指揮を個々の検察官の権限行使に反映させることができる。
この但し書は「検察組織としての独立性」と、内閣の一員として主権者たる国民に責任を負う法務大臣の権限とを調整する規定である。
刑事事件の捜査・処分については、基本的には、「検察の独立性」を尊重し、検察の判断に委ね法務大臣は介入しない、しかし、例外的に、「検察の独立性」の枠組みに委ねておくことが適切ではない事件については、法務大臣が検事総長に対する指揮を行うべきというのがこの規定の趣旨であるが、問題は、その例外をどのように考えるかである。
造船疑獄における犬養法務大臣の「指揮権発動」が、検察の捜査・処分に対して政治的介入を行ったとして厳しい社会的批判を受けたこともあって、それ以降、政治家である法務大臣による指揮権は事実上「封印」されてきた。
しかし、その原因となった造船疑獄事件をめぐる「指揮権発動」についても重大な誤解があり、 行き詰った捜査から「名誉ある撤退」をするために、当時の検察幹部の策略によって、指揮権発動が行われた可能性が強いことが、最近になって、当時の関係者の証言等から明らかになっている(詳しくは、3年前の日経ビジネスオンライン拙稿『「法務大臣の指揮権」を巡る思考停止からの脱却を』http://bit.ly/a1tzQ9)
もっとも、この造船疑獄事件における「指揮権発動」の問題はともかく、政治家に対する捜査に、政治家たる法務大臣による政治的意図に基づく介入については、微妙な問題があることは否定できない。
しかし、今回の事件はそれとは性格が異なる。検察組織に関わる検察官の職務上の犯罪の問題である。 検察官の職務に関して犯罪が行われた場合、他の検察官、上司が共犯者となることもあり、また、背景・原因に組織自体の問題が存在することも考えられる。このような事件を「検察の組織としての独立性」の枠組みで適切に処理することは、もともと困難である。そのような問題が発生した場合に、組織上の問題を明らかにし、再発防止を図ることについての行政上の責任を負うのは、検察を含む行政組織のトップの法務大臣であり、法務大臣が積極的に関与し、法務大臣として指揮権の行使を検討するのは当然である。
問題は、その場合、法務大臣が具体的事件についてどのような「指揮」を行うのかである。 検察が立件し、処分前の事件について、その起訴・不起訴等の処分の内容を、具体的に指示するのであれば、刑事事件の処分の判断なのであるから、事実と証拠に基づいて行われなければならないのは当然であり、法務大臣として、まず、検察当局から報告を受ける必要がある。
小川前法相は、「指揮権発動を決意した」と言いながら、その具体的内容は明らかにしていないが、「発動」という大仰な言葉を使っていることから、処分内容を明示して「指揮」することを考えたようにも思える。証拠や事実関係の報告書を受ける前に、特定の被疑者の起訴を具体的に指示しようとしたのであれば、適切ではないと言わざるを得ない。
しかし、ここでいう「具体的事件について指揮」に当たっては、必ずしも、処分内容を明示する必要はない。 捜査・処分における厳正な対応という方向性を示す抽象的な指示を行うことも可能であり、それでも法務大臣の「指揮」であれば検察としても重く受けざるを得ない。
特に、東京地検特捜部の捜査の過程における重大な不祥事である今回の虚偽捜査報告書作成問題に対して、世の中の見方は極めて厳しいのであるから、そのような世間の常識を背景に、「『記憶の混同』などという弁解は世の中に通用しない。厳正な対処を」というだけで、検察は、報道されているような不起訴処分を行うことは困難になるであろう。
もう一つの問題は、小川前法相は、指揮権の問題について、なぜ野田総理大臣の了承を求めたのかである。
造船疑獄における「指揮権発動」のような政治的意図に基づく捜査・処分に対する介入であれば、その責任は内閣が負うことになるので、内閣の長の判断を仰ぐ必要があるが、今回の問題のように検察組織に関わる問題であるが故に、「検察の独立」に委ねることが適切ではない、というのであれば、検察を含む法務省という行政組織のトップである法務大臣の固有の権限行使の問題でありあるから、総理大臣の了承を得る必要はなかったはずだ。
了承を得ておく理由としては、この事件について「記憶の混同」の弁解を排斥して田代検事を起訴した場合、12月の小沢公判での田代証言が偽証ということになり、そのような証言をすることについて東京地検や上級庁の幹部が関わっていた可能性があるので、田代検事の起訴は、検察の幹部人事にも影響があると判断して、総理大臣の意向を確認しようとしたということも考えられなくもない。
いずれにしても、小川前法相の指揮権に関する発言は、今回の検察不祥事に対して積極的に指揮権を行使しようとしたとすれば、それは当然であり、評価できるが、その経過や内容に不明な点が多い。今後の虚偽報告書作成事件の処分のみならず、法務大臣と検察との関係にも影響を与え得る問題であるだけに、決意した指揮権行使の具体的内容、その理由、野田総理の対応などについて、十分な説明を行う必要があるのではなかろうか。
http://nobuogohara.wordpress.com/2012/06/05/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E5%89%8D%E6%B3%95%E7%9B%B8%E3%81%AE%E6%8C%87%E6%8F%AE%E6%A8%A9%E7%99%BA%E8%A8%80%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B/
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