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小沢裁判と原発再稼働報道に通底するメディアの危機  田原総一朗 
http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/872.html
投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 6 月 05 日 06:43:48: igsppGRN/E9PQ
 

小沢裁判と原発再稼働報道に通底するメディアの危機
http://www.taharasoichiro.com/cms/?p=825
2012年6月4日 田原総一朗 公式ブログ


野田佳彦首相は5月30日昼、小沢一郎さんと党本部で会談した。
野田首相が消費税増税関連法案への協力を求めたが、小沢さんは拒否、
物別れに終わった。
さらに6月3日にも党本部で約1時間話し合い、野田首相は国会の会期内の
衆院採決に理解を求めた。

小沢さんは当然、消費増税法案には反対だ。
反対しなければ、マニフェストを堅持し、行財政改革の優先を主張してきた
自らの政治生命が断たれてしまうからだ。
なによりも、9月におこなわれる民主党代表選への布石もある。
小沢さんは党代表選に出馬できない。「傀儡」を立てるしかない。
なぜなら、地裁での無罪判決を控訴されたからだ。

小沢さんを政治資金規正法違反罪で強制起訴した検察官役の指定弁護士は、
東京地裁の無罪判決を不服として、5月上旬に控訴した。
「一審判決には看過し難い事実誤認があり、修正可能と判断した」
という理由だ。
なぜ、3人の指定弁護士は控訴したか。どういう意図があるのか。
もう一度、ちゃんと考えてみたい。

結論から言うと、小沢さんの控訴は、世論に押されたからだと僕は思う。
推測だが、たぶん3人の弁護士のところに「控訴しろ!」という手紙や
電話など、さまざまなプレッシャーがきたのだろう。
控訴しないと身の危険を感じるほどだった。だから控訴したのだ。

最初、小沢さんの公設秘書だった大久保隆規さんが逮捕されたのは
2009年3月のことだった。
まだ野党だった民主党の当時の代表が小沢さんである。
ちょうど政権交代が確実視された選挙を目前にした時期のことだ。
大久保さんの逮捕の理由は、ゼネコン準大手の西松建設からの
企業献金疑惑である。
政治団体をダミーにしてトンネル献金をしていたとみられたのだ。

僕は、自分が司会をしていたテレビ番組、「サンデープロジェクト」に
元検事を呼んでこのことを聞いた。
元検事のひとりは東京高検の検事として活躍した郷原信郎さん。
もうひとりは、東京地検特捜部長だった宗像紀夫さんである。
僕がこの逮捕はいったい何か、と聞いたところ、
「こんなことで秘書が逮捕されることはありえない」
「恐らくこれは入口で、検察はここから小沢さんの収賄までもっていく
のだろう」
とふたりは答えた。
ところが結局、何も出てこなかった。何も出ないから検察は意地になった。
西松建設とまったく関係のない世田谷の土地取得の話をもってきた。
小沢さんの資金管理団体である陸山会が世田谷に土地を買った。
そのときの代金4億円について、報告書と違っている。
しかも、小沢さんの許可を得てやっているから虚偽記載の共謀だと。
東京地検特捜部が調べに調べた。やはり起訴できなかった。

ところが、検察審査会が出てきた。
検察審査会は、検察官の不起訴判断に不服があるとき、検察に代わって
その判断の妥当性を審査する。
いわば国民の代表だが、その検察審査会が2度にわたって不起訴は
おかしいと、強制起訴したのだ。

東京地検特捜部というプロ中のプロが不起訴にした。
これを国民の代表という検察審査会が起訴したが、それでも無罪になった。
ところが、無罪判決が出た後、メディアは、あたかも判決は間違いだと
いわんばかりの報道を繰り返した。
新聞は、無罪というけれど本当は無罪ではない、道義的責任、政治的責任が
あると書いた。 なかには、「6割は有罪だ」と報じた新聞もあった。
そしてメディアが「判決はおかしい」と繰り返すうちに、世論もおかしいと
思い始めた。やはり小沢さんは悪いことをしたんだ、と思い始めたのだ。
だから「控訴すべきだ!」という3人の弁護士への圧力となり、
控訴に踏み切らせたのだろう。

日本は法治国家だ。
それなのに、小沢さんの裁判に対して、日本の新聞は、無罪はおかしいと
一方的に断じている。
無罪でも道義的責任はある、政治的責任もあると非難する。
とにかく、小沢というのは悪い奴だから、無罪になるのはおかしい、と
新聞でもテレビでも報じているのだ。

僕は、メディアの姿勢として間違っていると思う。
本当に小沢さんが悪いのなら、そこをしっかり調べて書けばいい。
小沢さんに道義的、政治的に責められるところがあるのなら、
ジャーナリズムとしてちゃんと報道すべきなのだ。
小沢さんの問題は、原発の問題と同じだ。
たとえば、いま原発を再稼働すべきだと言うのは、とても危険なことである。
そんなことを言うと、すぐに袋叩きにされてしまう。
だから、マスコミはみな原発反対としか言わない。
原発反対と言っていれば無難なのだ。

小沢さんの問題も、小沢さんを叩いてさえいれば、それで問題は起きない。
小沢さんが無罪だと言うことは、危険なことなのだ。
しかし、メディアがみんな同じ意見しか言わなくなることのほうが
もっと危険だと僕は思っている。
ジャーナリズムとは、誰も目を向けないところに目を向けて真実を
掘り起こすことだ。

僕が小沢さんの問題を取り上げると反論や非難がたくさんくる。
それでも、僕は世論とは違うところを掘り起こしていきたい。
僕は小沢さんの報道にジャーナリズムの危機を見る。


 

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コメント
 
01. 2012年6月05日 06:59:52 : q68eO53Cxc
電波芸者のお前が、真っ先に小沢批判を先導したくせに。
フリップを出して85%の国民が小沢不信だと宣伝して居たお前。
恥を知れ。
郷原さんを出したのを免罪符にするな。
官房機密費を幾ら食ったか自白しろ。
興奮でこれ以上書けない。

02. 2012年6月05日 07:00:03 : pphEUA8yso
今更、自己懺悔でもあるまいし。

03. 2012年6月05日 07:04:15 : h5fBTvQR4U
>僕は小沢さんの報道にジャーナリズムの危機を見る。

あんたにも、ジャーナリズム腐敗の責任があるんじゃない。

この文章もどっか変だよ。

指定弁護士は、世論に押されたって? 違うだろ。

マスコミと指定弁護士はグルと考える方がすっきりするだろ。


04. 2012年6月05日 07:15:48 : Op2sM8LHZQ
>結論から言うと、小沢さんの控訴は、世論に押されたからだと僕は思う。

 何処を見て「サンデープロジェクト」の司会をしているのか?
善人ブルな!
こんな物、初めからスケジュールされているのは明白だ。
もし、小沢氏が無罪の場合は「9月の民主党代表選に小沢を出させないように控訴」だと謀略・カレンダーに記されているのだ。


05. 2012年6月05日 07:28:50 : txfDxGOXwI
周回遅れでも言わないより言った方がよいが、この方の発信力はもう殆ど無い。もっともこういうことを言い出した背景は、発信力のない方には情報も入らないし、機密費も渡らないという事か?
過去小澤排除の言動を繰り返した田原にはまずは自らの不明を恥じ自己批判をして欲しいが、小澤叩きの構造を単純にジャーナリズムの劣化に矮小化せず、誰が指揮、協力し行われてきたのかを明らかにする事こそが田原に求められることだ。それにしても田原が他人事のようにジャーナリズムの危機を発することに非常な違和感を感じる。

06. 2012年6月05日 07:30:55 : pvof4Q27Fo
3人の指定弁護士あてに、控訴しろってはがきが1通きて差出人はタワラって書いてあったそうだ。 くだらない。 N.T

07. 2012年6月05日 07:35:05 : X56nS2VlLQ
話をごっちゃにして原発を再稼働すべきだと言っている。

姿勢はコウモリ、実態は既得権益層の宣伝員。


08. 2012年6月05日 08:44:42 : 8CYIP2OzWI
早稲田第2文学部から第1文学部卒、三宅さんが田原さんを嫌う理由はセコイから、出世に貪欲だったから。純粋先輩を潜り後輩が一目置かないから?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

田原 総一朗(たはら そういちろう、1934年4月15日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。元東京12チャンネル(現・テレビ東京)ディレクター、元映画監督。血液型はB型[1]。
目次 [非表示] 1 経歴・人物1.1 東京12チャンネルディレクター時代
1.2 映画監督として1.3 「のんすとっぷ24時間」1.4 「原子力戦争」1.5 フリージャーナリストとしての活動1.5.1 メディア出演2 発言・思想2.1 侵略戦争否定発言
2.1.1 転向前2.1.2 2011年5月6日以降2.2 その他2.3 検察に対する批判2.4 拉致被害者「生きていない」発言3 エピソード4 著書5 訳書6 TVドキュメンタリー7 脚注
8 関連項目9 外部リンク経歴・人物 [編集]

滋賀県彦根市出身。近江商人の末裔。戦時中は人並みに軍国少年で、海軍兵学校進学を夢見ていたため、敗戦で前途を断たれた気分になったという。彦根市立城東小学校の小学生時代は担任の先生の発言の動機を尋ねる事に熱心であったという。彦根市立東中学校、滋賀県立彦根東高等学校へ進学。18歳の時、新制高校に入学した際、戦時下とは180度異なった「正義」を語る教師たちに不信感を抱く。「何事も自分の目で見て、自分の耳で聞いて納得しなければ、この世は生きていけない」という人生訓を得た。
卒業後上京。日本交通公社(現JTB)に入社し、東京駅丸の内口で乗客案内をしていた。この時に当時はまだ日蓮正宗の信徒団体であった創価学会の学会員が大挙して東京駅から、日蓮正宗総本山のある大石寺に向かうのを見て、創価学会や池田大作に興味を持ったと言う。1年後に早稲田大学第二文学部に入学。昼間に仕事し、夜授業を受け、仕事と学業を両立させるも1955年同大学中退後、早稲田大学第一文学部史学科に再入学、1960年卒業。大学時代は小説家志望であったが、同世代の石原慎太郎、大江健三郎の出現にショックを受けて断念。卒論では大隈重信を手がけた。
1960年に岩波映画製作所入社。カメラマン助手をつとめる。
幼少期より相撲が大好きで、非常に強かった。
東京12チャンネルディレクター時代 [編集]
1964年、東京12チャンネル(現:テレビ東京)開局とともに入社。ディレクターとして、『ドキュメンタリー青春』(東京ガス1社提供の番組で、田原を含め3人が交代で演出していた)、『ドキュメンタリーナウ!』などの番組を手がける。一般教養部、報道部、制作局を経験。田原がTVドキュメンタリーを撮っていた時代は、NHKの吉田直哉らの『日本の素顔』、日本テレビの牛山純一の『ノンフィクション劇場』、村木良彦、宝宮正章らのTBSのドキュメンタリー番組などが主流で、当時開局したばかりの「東京12チャンネル」は、インディーズ的存在であった。田原はそれを逆手にとって「過激な題材」を元に、「やらせ的な演出をして、その結果としておきる、スタッフ、出演者、関係者に生じる葛藤までを、全て撮影する」手法をとり、話題を読んだ[2]。当時、田原が親交があった清水邦夫や内田栄一に「筋書き」を書いてもらい、出演者にそのとおり「行動」してもらう場合もあった。この田原の「確信犯的」な手法は映画監督の原一男に影響を与えている。
ジャズピアニスト・山下洋輔が「ピアノを弾きながら死ねるといい」といったため、田原はバリケード封鎖されていた大隈講堂からピアノを持ち出して山下に弾かせることを考えた[3]。中核派から分裂した組織「反戦連合」のメンバーたちが運びだし、そのピアノを山下が演奏した。後の作家、高橋三千綱や中上健次、北方謙三、山岳ベース事件で殺された山崎順もピアノを運んだという。また、このイベントは立松和平のデビュー作『今も時だ』という短編小説も産み出している[4]。
著書『私たちの愛』によると、以下のような過激なドキュメンタリーを撮影していた。
ニュージャージーのマフィアが経営する店で「この玉突き台の上でうちの売春婦とやったら取材を受ける」と言われ、30人に囲まれて黒人娼婦相手に本番ショーを行った。
役者・高橋英二[5]のガン治療手術から死去にいたるまでの撮影では、病室である国立がんセンターに取材拒否されたため、内緒で撮影。さらに右腕の切断手術が必要になり、手術の場面を撮影[6]。手術直後、高橋は、自分の女性マネージャーが好きなのでセックスしたいと言い出し、車に連れ込んだが、女性が抵抗して果たせなかった。そのシーンも、そのまま撮影。また、本人の望むまま、国会議事堂に散弾銃を発砲するシーンも撮影。高橋はスターになるが、死去[7]。遺体を棺桶に入れ、霊柩車で運ばれるまで撮影した。
全共闘くずれのヒッピーたちが、全員全裸で結婚式をやることになった。余興として花嫁が列席者全員とセックスをする。スタッフも全裸で撮影していたが、花嫁がスタッフともセックスしたいと言い出したため、田原はみずから彼女とセックスし、そのシーンを撮影させた。この「日本の花嫁」は、ゴールデンタイムで放映された[8]。レポーター役の武田美由紀(当時・原一男の同棲相手)と原一男と、二人の間に生まれた子ども(当時、生後3ヶ月)の3人が、全国各地の若者のカップルを訪ね歩く番組であった。
「『わたしたちは……』〜カルメン・マキの体験学入門」という番組で、カルメン・マキが日記(小説的日記)で、「わたしたちは三畳の部屋に住んでいた」と書いていた。だが実際は、彼女は母親と一緒に住んでいた。そのため、カルメン・マキと同じく「天井桟敷」にいた支那虎という男と、アパートを借りて同棲させた。そして、日記の記述のとおり、「二人で裸でパンを食べさせ」、日記の結末にあるとおり「二人で海に行かせた」。当時天井桟敷のスターだったカルメン・マキに変な男がついたということで、寺山***司が怒り、寺山と支那虎は口論して支那虎は退団したが、そのシーンまで撮影した。なお、支那虎は、その後、田原の作品の助監督をつとめた[9]。
「出発(その1)〜少年院をでたMの場合」、少年院で撮影してくれる少年を探したがなかなかみつからず、ようやく見つけた少年を、スタッフの安田哲男が保証人になって退院させた[10]。
映画監督として [編集]
1971年には、ATG映画にて、『あらかじめ失われた恋人たちよ』(桃井かおり・加納典明主演・彼らのデビュー作)の制作・監督を務める(劇作家の清水邦夫との共同監督)[11]。この映画は、最初は羽仁五郎『都市の論理』を原作にしたドキュメンタリー映画として企画されていた。加納典明が演じた役は、当初、日大全共闘議長の秋田明大が候補だったが断られたため、スティール担当だった加納を、苦肉の策で起用。桃井かおりが演じた役は、清水邦夫が「ニンフ的な少女がいい」ということで、当初は、結城アンナ(岩城滉一夫人)や、仁科亜季子が候補であったが、いずれにも断られ、チーフ助監督の尾中洋一が探してきた桃井かおりを候補にしたところ、彼女の母方の祖母が「有名な声楽家」で企画担当の葛井欣士郎が尊敬していた人物だったことから、決定。
助監督だった尾中洋一(のち脚本家)によれば、劇映画初体験の田原は、「アップ撮り」「カット割り」「右目線、左目線」も分からなかった。「よーいスタート」も田原がかけられないので、尾中が担当した。そのまま、田原を無視して「2日目から実質、尾中が監督」で撮影を続けたところ、ある夜、田原が遠くに行き、闇で「ばかにするな−」と叫んだ。だが、そのまま田原を無視して撮影は続いた。「羽咋の駅前で、売春婦と出会って抗議集会」というシーン撮影では警察の撮影許可も取らず、出演しているのは大半は単なる通行人。これは「田原的ドキュメンタリー手法も少しは取り入れないと」と、尾中が気を遣ったという。なお、石橋蓮司や緑魔子は、「無能な監督・田原」に怒っていたという。共同監督の清水邦夫は、ほとんど現場にこず、東京の舞台で行われたリハーサルを演出しただけだった。当時のATG映画は、監督が資金を出して製作する方式であり、田原と清水はスポンサーであった[12]。
「のんすとっぷ24時間」 [編集]
1975年、矢崎泰久らと日本ジャーナリストクラブ(JIC)を立ち上げる。その資金集めのため、新宿コマ劇場にて「のんすとっぷ24時間」という討論会(司会:中山千夏)を行い、撮影して、自分が勤務している東京12チャンネルに「番組」として売却した。このイベントが「朝まで生テレビ」の原型となったという[13]。
テーマは「戦後30年・酷暑・おしゃべりと、うたと、けんかと」と題され、8月13日10時から14日の10時まで24時間にわたり公演された。
出演者には青地晨、赤塚不二夫、阿佐田哲也、飛鳥田一雄、生島治郎、石垣純二、一柳慧、伊丹十三、井上ひさし、宇井純、上田哲、内田裕也、宇都宮徳馬、榎美沙子、小沢昭一、小沢遼子、太田薫、太田竜、大西信行、岡本愛彦、岡本太郎、加藤武、木の実ナナ、紀平てい子、木村武雄、久野収、栗原玲児、黒澤明、黒田征太郎、児玉誉士夫、小中陽太郎、佐々木更三、佐藤允彦、佐藤信、新谷のり子、菅原文太、鈴木志郎康、鈴木武樹、鈴木均、袖井林二郎、田中真理、高橋晄生、竹中労、立花隆、龍村仁、田英夫、中村とうよう、中村敦夫、野坂昭如、ばばこういち、花柳幻舟、原田奈翁雄、深作欣二、藤本義一、真継伸彦、前田武彦、松岡洋子、松田政男、三上寛、美輪明宏、八木正生、矢崎泰久、山藤章二、若松孝二、愛川欽也、渥美清、青島幸男、五木寛之、伊藤一葉、井上清、植草甚一、加藤登紀子、加納典明、梶芽衣子、篠山紀信、土本典昭、内藤国夫、羽仁五郎、不破哲三、深沢七郎、丸山真男、美濃部亮吉らがいた。
「原子力戦争」 [編集]
1976年には、原子力船むつ問題を扱った映画「原子力戦争」 をATG製作で映画化・公開した。映画は原田芳雄扮するヤクザが原子力発電所をめぐる利権争いに巻き込まれるという原作を曲げたものであった。問題作ということで事実上封印作品になっている。また田原は発表時脅迫されたという。著書「原子力戦争」では、底辺の人々(反対運動、賛成運動の人々、原子力潜水艦の技術者など)に取材した。だが、実際にものごとを決めているのは、「社会の上部の政治家や官僚だ」と気がつき、その後、政治家や官僚について取材していく「契機」となったという[14]。『原子力戦争』の内容は、国会でも話題となり、大手広告会社の逆鱗にふれ、田原は東京12チャンネルを辞職したといわれる。なお現在の田原の原子力発電 に対する姿勢は東日本大震災後においても「あと二十年は原発を維持すべきだ。」と主張する等原発存続派に 転向しており、自己のツイッターの中でも「日本の原子力発電所の技術は世界有数。」と発言している。
フリージャーナリストとしての活動 [編集]
1977年1月に東京12チャンネルを退社して、フリーとなり、ジャーナリストの道へ進む。東京12チャンネル時代の後輩には小倉智昭がいた。『文藝春秋』での田中角栄インタビュー(1974年に同誌に掲載された立花隆の『田中角栄・金脈と人脈』に対する反論)や『トゥナイト』の三浦インタビューなどで徐々に知名度を上げる。
政治、ビジネス、科学技術と幅広い執筆活動を続けるが、次第に政治関係に執筆活動のスタンスを移し、テレビでは1987年より「朝まで生テレビ!」、1989年4月より「サンデープロジェクト」(2010年3月終了)討論コーナーの司会・出演を務める。また、ラジオでは2007年10月から「田原総一朗 オフレコ!」(2011年3月以降は週1回放送から月1回放送の「田原総一朗 オフレコ!スペシャル」)のパーソナリティを務めている。「サンデープロジェクト」終了後は、2010年4月から始まったBS朝日の「激論!クロスファイア」に出演。青春出版社の月刊誌「BIG TOMORROW」で連載を持つ。また、1989年からテレビ朝日系の選挙特別番組「選挙ステーション」第2部(討論コーナー)で司会を務めている。
2002年4月より早稲田大学大隈塾塾頭、2003年6月よりドリームインキュベータの社外取締役を務めている。
2009年1月、「フォーラム神保町」主催による「田原総一朗ノンフィクション賞」の創設が発表された。また「田原総一朗のタブーに挑戦![15]」というポッドキャストの番組を持つ。
テレビ朝日系の番組に出演することが多いが、所属事務所は日本テレビ系のニチエンプロダクションである。
メディア出演 [編集]
「朝まで生テレビ!」(1987年〜、テレビ朝日)
「サンデープロジェクト」(1989年〜2010年、テレビ朝日)
「選挙ステーション」(1989年より、テレビ朝日)
「爆笑問題のニッポンの教養」早稲田大学スペシャル(2008年11月25日、NHK)
「ビートたけしの新春ガチバトル」(2010年1月2日、毎日放送)コメンテーター
「田原総一朗どうなるニッポン!?日本を元気にする方法SP」(2010年9月29日、テレビ東京)
BSジャパン10周年記念番組「田原総一朗の遺言〜タブーに挑んだ50年!未来への対話〜」(2010年10月23日〜、BSジャパン)
「青山ワンセグ開発 実写アニメ さきいか君(4・5)HERO(前編・後編)」(NHKワンセグ2)討論コーナー司会
「田原総一朗 談論爆発」(2011年5月-、ニコニコ生放送)
「東北Z」直撃インタビュー 被災地の目線で(2011年6月10日、NHK)
「心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU」(2011年6月18日、日本テレビ)ゲスト
「開運!なんでも鑑定団」(2011年6月21日、テレビ東京)ゲスト
「小林麻耶の本に会いたい」(2011年8月12日、テレビ東京)ゲスト
「地球アゴラ」命を守る現場から(2011年12月11日、NHK BS1)ゲスト
「ホンネ日和」(2012年1月16日、TBS)小倉優子との対談。
「なかよしテレビ〜新春!日中韓言いたい放題SP〜」(2012年1月5日、フジテレビ)
「田原総一朗の仰天政治塾〜ニッポンリーダー列伝〜」(2012年2月19日〜、BSジャパン)
 他、多数のテレビ・ラジオの番組に出演。
発言・思想 [編集]

侵略戦争否定発言 [編集]
転向前 [編集]
2011年までの田原は次のような見解を表明していた。 歴史認識においては、「日清・日露戦争は自衛戦争だが、満州事変、日中戦争は侵略戦争」という認識を再三示している。これに異を唱える者には激しく反発する。たとえば、みずからの番組内で満州事変以降の戦争を「全体としては自存自衛、セキュリティ(安全保障)のための戦争だった」と述べた高市早苗(衆議院議員)に対し激昂し、「僕はね、靖国神社はあっていい、参るのもいいと思うけど、こういう下品なの、憎たらしい顔したのが集まってるから可哀想だよ」と罵倒した。同番組内で「侵略ではない」と主張する勝谷誠彦に対しても同様に罵倒した。ただ、2009年4月「朝まで生テレビ」において「僕はね、極東国際軍事裁判は正しくないと思ってる。なぜなら戦勝国が戦敗国を裁くんだから。こんなものは集団リンチだよ。…ソ連は日ソ中立条約を破ってきたんだぞ。あんなものは明らかに戦犯だぞ」と極東国際軍事裁判については不正との認識を示した。
2011年5月6日以降 [編集]
2011年5月6日、田原は日本の戦争は侵略戦争ではなかったとする見解を表明した[16]。 これまで自身の考えを表明しなかったことについて、「言えなかった、恐かった、世の中に言うとやられるんじゃないかと思った。」と説明した[16]。日本の戦争については負けると分かっていて戦った戦争であったとして「なんでこれが侵略戦争なんだ」、「アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、スペインの戦争は全部侵略戦争だ」、「日本はアジアを解放する意気込みがあった」と説明した[16]。
その他 [編集]

この節には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
信頼性について検証が求められています。確認のための情報源が必要です。 2010年7月にタグ付け
雑多な内容を羅列した節があります。 2010年7月にタグ付け
番組の取り仕切り方に関しては批判的な意見が多くある。『朝まで生テレビ』にパネラーとして出演したある海外メディアの特派員は週刊誌のインタビューで「司会者というよりも支配者として(番組を)仕切っている」と批判する。政治家の加藤紘一は、「この番組は政治家にとって非常に出るのが怖い番組なんですよ」と番組内で発言。しばしばパネラーが田原の気に入らない発言をすると遮り「違うって!はい、コマーシャル」と番組を中断し、コマーシャル終了後には話題を転じる手法を取る。
『朝まで生テレビ!』では、「初めから司会をしようなんて思っていない。僕は討論をぶっ潰すつもりでやっている」と主張。また、タブーに切り込むという方針で天皇制や原発、被差別部落問題をいち早く取り上げた。同番組内で「メディアは権力だ」との批判に対し、メディアは権力と言うより、むしろ大衆に迎合している側面が強いと言った主旨の発言をしている(大学時代の後輩である筑紫哲也も岡留安則と雑誌で対談した際に同様の発言をして田原を擁護している)。
人の話を遮ることがよくあり、自分の主張を押し通す言動が目立つため、しばしば批判の対象になっている。
女性・女系天皇を可能にする皇室典範改正を支持している。これに反対する四宮正貴に対して「聖徳太子、知ってる?」などと発言、四宮が「聖徳太子を知らないのかとは何事だ。君はイエス・キリストを知っているのか」と激怒した。
『サンデープロジェクト』では菅直人の年金未納問題に絡む代表辞任騒動の討論で、自身の過失ではなく、行政の過失(後に武蔵野市が菅に謝罪の書面を送付していたことが明らかになる。ただし、当時の年金行政の最高責任者の厚生大臣は菅自身であったため、社会保険庁の過失という事実が判明後もほとんど報道されなかった)から年金未納期間が生じた菅を激しく非難。民主党代表辞任を決定的とした。しかし、田原自身に年金未納期間(1977年2月〜9月)があったことが発覚。翌週、番組において謝罪。
日本共産党が公表した宮澤内閣時代の内閣官房報償費(所謂官房機密費)の会計記録で田原が香典代として5万円を受け取っていたことが明らかになり田原も番組内でこれを認めた(当時の官房長官は加藤紘一)。またこれ以前に写真週刊誌フォーカス(現在は休刊)で100万円単位で内閣官房報償費を受け取っていた疑惑を報道された。田原はこれを否定しているが、真相は未だ不明。ただし2010年野中広務元官房長官が内閣官房報償費の使用用途について複数のメディアに明かした際、複数の政治評論家たちに対し「盆暮れ500万円ずつ届ける」など報償費を配付したが「返してきたのはジャーナリストの田原総一朗氏だけだった」と証言している。
筑紫哲也の著書『ニュースキャスター』によると田原は「(番組を)引退をしようにも後を継げる人がいないから(番組を)続けるしかない」と発言をしている。また岡留安則との対談では「倒れるまで番組を続ける」趣旨の発言をしている。
小泉首相と拉致被害者家族会とのやり取りをテレビで見ながら『2ちゃんねる』の反応を見て「これで世論が変わる」「マスコミのミスリードにいら立っていた人々が、『2ちゃんねる』と同様の反応をしたのだと、わたしは捉えている」と雑誌で発言した。
政治改革関連法案の可否をめぐり自民党が紛糾していた1993年「総理と語る」にて総理の宮澤喜一に対し執拗な挑発を行い、「やります、やるんです」との言質を取ったが、政治家改革関連法案が廃案にされると、そのインタビューの模様が何度も放映され、宮澤が退陣に追い込まれるきっかけを作った。
2000年に小渕恵三首相が番組にブッチホンして総理の単独会見は認められないと記者クラブから抗議された(その一方で同じく小渕首相が電話出演した日本テレビはお咎めなしだった)。
北京五輪に際して中国のラサにて人権弾圧をされているチベット人が抗議活動を行った。その抗議に中国政府は武力弾圧をしたことが報道され、世界の報道機関や日本のマスコミもチベット人死者数について中国政府側主張とチベット側主張の両方を取り上げていたが、田原は自身のコラム[17]にて、「日本のマスコミは死者数を140人と報じているが、これはチベットの反政府運動側の発表であり、中国側は20人と言っている。日本のマスコミは多い方を書く等、これは偏向報道だ」「中国では世間で言われているより開放が進んでいる」と発言している一方、日中ジャーナリスト交流会で「中国は外国人ジャーナリストを受け入れるべき」と中国側に発言し、別の記事で「中国には中華思想なるものが未だ根強く残っている」「中国は間違いを認めたがらない」と中国を批判する発言をしている。
映画靖国 YASUKUNIを公開前から支持しており、映画に関しての論争が起こったが、「日本の政治家の圧力により、出演者が拒否しはじめたのではないか」「日本の政治家の圧力により、上映中止の映画館が増えたのではないか」と主張[18]。
2007年参議院選の民主党マニフェストに対して、「岡田さん、前原さんのときは消費税3パーセント増税だったから良かった」、「財源が示されてない」、「インチキだ」と批判した。2008年ガソリン税暫定税率、日銀総裁人事問題などに関して、小沢一郎民主党代表を指して、「民主党に約1名変なのがいる」、「政局にしようとしている」、「いつのまにか民主党は、北朝鮮のような党になっていたのだ。いつから民主党は、そんな情けない政党になってしまったのだろうか。これに比べれば自民党は、よほどマシである。」[19]などと述べている。しかし後述のように一貫した検察の批判者でもあり、小沢一郎を巡る政治資金問題では、検察の捜査手法を強く批判している。
元厚生事務次官宅連続襲撃事件についての議論でコメンテーターが「政治家でなく官僚が狙われたことが問題」と発言した際、これに対して「政治家を狙え」と発言した。
2009年 自身がキャスタ−を務めるテレビ朝日サンデ-プロジェクトの番組で民主党の小沢一郎が東京地検特捜部の捜査を受けると検察ファツショでテレビ朝日局を挙げて検察と戦うと発言。
2009年 衆議院議員総選挙の前、自身がキャスタ−を務めるテレビ朝日サンデ-プロジェクトの番組で当時の政治状況を明治維新に見立て、鳩山由紀夫が大久保利通、小沢一郎が西郷隆盛だと断言する。
メディアの公共性のあり方が問われている中で、田原は「いかに視聴率を上げるかが自分の役割だ。『いい番組なら視聴率が悪くてもいい』というのは、絶対に通用しない」とあえて視聴率至上主義を公言している。
「噂の眞相」に連載を持っていたが、後に両者の意見の相違が生じ、同誌の批判の俎上に田原が上がることも珍しくなくなった。田原への批判としてよく使われる「電波芸者」と言う言葉も、同誌が最初につけたと言われている。だが田原と岡留の対談は同誌発行中も休刊後も行われている。
総理との対談番組において、宮沢喜一首相が政治改革を断行すると言質を取ったり、橋本龍太郎首相が恒久減税に関する言質を取ったことが、後の解散総選挙敗北や参院選敗北によって総理退陣をするきっかけに繋がった。
『2ちゃんねる』管理人西村博之と雑誌「サイゾー」で対談をしたことがある。その対談の中で田原は『2ちゃんねる』に対し礼賛に近い発言をしている。この為、2ちゃんねるの暴走を奨励していたとして、批判派から徹底批判されている。
『爆笑問題のニッポンの教養』90分拡大スペシャル版(NHK)公開収録で太田光に向かって「そういう馬鹿なこといってテレビ出るなんて、とんでもないよ!」「ふざけるな!」と一喝。続けて田中角栄の金権政治を賛美「田中角栄は、革命だ!!」「金権政治の何が悪い」「冷戦の方がよかった」などと放言、また司会者の爆笑問題を差し置いて番組を仕切りだした。早稲田大学の学生500人が見守る中、看板教授陣も含め3時間半にも及ぶ論戦を繰り広げた。
芸能人による薬物事件に関し、BS朝日『激論!クロスファイア』スタート会見(2010年3月10日)で「僕も外国で大麻をやったことがある」と告白。しかしいいとは全く思わなかったそうで、酒井法子については「いったいクスリの何がいいのか聞いてみたい」とコメントした。
検察に対する批判 [編集]
著書『戦後最大の宰相 田中角栄〈上〉ロッキード裁判は無罪だった』にてロッキード事件は陰謀で田中角栄は無罪との陰謀論を展開。しかし、その内容が誤解や伝聞や憶測だけで構成されていること、田原が指摘している内容の殆どがすでに反論されていること、事件の当事者にちゃんと取材していなかったこと等により、徳本栄一郎らから内容の破綻を批判されている。
田原は、ロッキード事件の5億円の受け渡し場所は、当時、前尾繁三郎のパーティが開かれており不自然だと主張し(詳しくは、ロッキード事件#不自然な金銭の受け渡し場所を参照)、現在でも、ロッキード事件は冤罪であると主張している[20]。
2007年6月、リクルート事件についてのノンフィクション『正義の罠 リクルート事件と自民党-20年目の真実』を出版した。田原は、現在、リクルート事件は冤罪と主張している[20]。
2007年12月、検察の実態について、元検事田中森一との対談、『検察を支配する「悪魔」』を出版した。
2009年3月15日、フォーラム神保町主催の緊急シンポジウム「青年将校化する東京地検特捜部〜小沢第一秘書逮捕にみる検察の暴走〜」に魚住昭、郷原信郎、佐藤優、鈴木宗男、平野貞夫、二木啓孝、宮崎学らとともに参加した[21]。
拉致被害者「生きていない」発言 [編集]
2009年4月25日放送の「朝まで生テレビ」において、北朝鮮による日本人拉致問題の被害者の有本恵子、横田めぐみの安否をめぐり、「外務省も生きていないことは分かっている」 と発言。5月11日、北朝鮮による拉致被害者の家族会と支援団体救う会から、テレビ番組で根拠のない発言をしたとして、テレビ朝日の君和田正夫社長と田原に抗議文書が送付された。田原はこれに対して、「家族のお気持ちは分かる。しかし、私は事実を言ったまでだ。情報源は言えないが情報を得ている」とし、両名が既に死亡しているとの見解を崩さなかった[22]。
5月19日、外相・中曽根弘文は、一連の田原の発言に対して、「大変遺憾で非常に誤解を与える発言だ」「外務省は安否不明の拉致被害者はすべて生存しているとの立場、前提に立っている。田原氏の発言はまったくの誤りで残念に思う。一日も早い拉致被害者の帰国に努力している人たちに失礼な話だ」と発言した[23]。同日、田原は「人の生死に関する問題を、具体的な情報源を示すことなく発言したことは深く反省している。横田さんたちが生きていることを心から望んでいる。言葉が足りず、大変申し訳ない」と謝罪した[24]が、情報源については公表しなかった。
7月16日、有本の両親が田原を相手取り、精神的苦痛を受けたとして、1000万円の慰謝料を求める訴えを神戸地裁に起こした。これに対し田原は「表現は乱暴だったが、外務省高官への取材に基づく発言であり、今後、法廷で主張していく」とコメントした[25]。
2010年3月10日、BPO(放送倫理・番組向上機構の放送人権委員会)はこの発言について、根拠を示すことなく断定した点は不適切な発言であるとし、同時にテレビ朝日がおこなった一ヶ月後の謝罪放送についても「謝罪の意思が的確に伝わるものではなかった」として放送倫理上の問題があったとした[26]。
10月18日、神戸地裁は田原に対し、外務省幹部に取材した録音テープの提出を命令した[27][28][29]。田原はこれを不服として、大阪高裁へ即時抗告をおこなった[30]。
エピソード [編集]


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東京12チャンネル時代には『噂の真相』でコラムを連載していた。当時編集長だった岡留安則によると原稿を取りに行っても田原本人が不在だったことが多く、代わりに当時同局で深夜番組を担当していたアナウンサーの小倉智昭が対応に当たっていたという。
上記のエピソードをもとに、水道橋博士は著書『本業』において、田原を「日本で初めてのAV男優である」(浅草キッドと田原の対談「濃厚民族」に詳しい)と、面白おかしく評した。ビートたけしはその事実を知り、「田原って、あの政治の田原?うそつけ」と驚いた。なお、同書『本業』には、田原の言葉として「原一男は俺の作品の助監督だったんだよ」と記載されている。だが、当時の原一男は、田原の影響を受けてその周辺にはいたが、正式な「助監督」だったことはない。
また田原は創価学会名誉会長池田大作に複数回に渡って単独インタビューを行った。当時はオウム事件の影響で池田自身に証人喚問の要求が出ていた時期である。そして学会系メディア以外で池田はあまり登場しなかったので、インタビューは各方面で注目を集めた。
田原が東京12チャンネルを退職した直後に出した著書『翔べ田原総一朗』(創世社 1977年)の帯には、以下のような推薦文が書かれていた。当時の田原が、いかに高く評価されていたかが、わかる。
野坂昭如「田原総一朗氏の文章に触れるたび、わが眼力衰えたるかなと、妙な繰り言をつぶやきたくなる。そして田原の存在をささえとして、衰えたなりに目をつぶることを、やめようと自らに言いきかせるのだ。」
井上ひさし「誠実さと途方もない視野の広さを、田原総一朗はあわせ持っている。彼ほどまともな、堂々たる論客は、この国にはとても少ないのだ。これからも彼の「正論」にわれわれは、多くのことを教えられるだろう。」
当時の田原のノンフィクションの興味は、企業や政治以外に、最先端科学も対象であった。近年の著書では科学関係のものは少なくなっているが、2006年に、『RNAルネッサンス 遺伝子新革命」という本を出していることからもわかるように、いまだに科学に興味を持ち続けているようだ。ただし、科学そのものには素人であり、その技術のもつ意義などは他人の論評の受け売りの場合が多く、科学技術を題材にしたルポなども技術ではなく、技術者や科学者の「生き様」に偏りがちになる。
モスクワ留学中に、監視員が絶えずつくことや、生産目標を達成するために机などの製品がとてつもなく重く造られていることなどから社会主義にやや疑問を感じるようになった。
かつては作家中山千夏らの左派政党革新自由連合に関っていたこともある。また、中山らとの関わりで永六輔とも親しかったが、石原慎太郎を「文学者として尊敬する人物」と公言した事がきっかけで、石原を嫌う永から絶縁され、以来現在にいたるまで不仲。
娘:田原敦子は、『世界の車窓から』、『徹子の部屋』のプロデューサー。
妻は2人居た。最初の妻は3歳年上のいとこで、2人目の妻は元日本テレビアナウンサーでウーマンリブ運動家でもあった田原節子(旧姓村上節子)である。愛妻家として知られ、後妻の節子がガンと宣告された時・亡くした時と二度自殺を考えたという。現在でも遺骨を墓地に埋葬せず、自宅に保管している。葬儀は築地本願寺で執り行われ、葬儀委員長は電通の成田豊。
著書『私たちの愛』にて、「妻(節子)とはダブル不倫の末に結婚。」とあるが、実際は田原の前妻が乳ガンで死去した後、節子が当時の夫と離婚して田原との結婚に至った。奇しくも田原の妻は2人とも同じ乳ガンで亡くなった。
ムハハnoたかじんで入れ歯であることを告白し、放送中に入れ歯を外した。
よど号事件実行犯である田中義三の友人葬で「田中さんは華々しく闘い『戦死』したと私は思っている」と述べた。
中央公論2007年2月号に「私の仕事場」で紹介。部屋にはテレビだけでPCは無い。原稿執筆の際は今でも手書きにこだわっている。書き方はかなの部分だけ書き、漢字は書きたい言葉をかなで振った後で最後にまとめて書くという珍しいスタイルをとっている。当初は妻が漢字を書いていたのだが、亡くなった後は自らが書いている。このようなスタイルになったのは「漢字を書くと書きたいと思ったことを忘れて書けなくなる」ため。
2007年9月23日放送の『クイズ$ミリオネア』に出演。クイズ番組への登場はこれが初めて。同じく初めて出演したおすぎとともに、番組側からの5年に及ぶ交渉の末の出演だった。応援には古くからの友人である田中康夫が駆けつけた。
『クメピポ! 絶対あいたい1001人』の中で極度の偏食家であることを明かしている。特に青い魚(青魚)と肉が苦手とも明かしている。そのため朝ご飯は決まったものしか食べていない。またこの番組内で生まれて初めてコーヒーを飲んでいる(いわく、「僕みたいな田舎者の飲む飲み物じゃない」)。
自身出演番組である「激論!クロスファイア」(テレビ朝日系列)制作発表会見で過去に海外の合法地帯での大麻使用を告白。番組ゲストの候補に当時、覚せい剤取締法違反で執行猶予付き有罪判決を受けた酒井法子の名を挙げ、「大麻が良いとは思わなかったので、何が良かったのか聞いてみたい」と発言した[31]。
著書 [編集]

現代青春の映像―しなやかな独歩行 時事通信社 1967
愛よよみがえれ(清水邦夫との共著)栄光出版社 1967
青春 この狂気するもの 三一書房, 1969.
テレビ公害うらおもて(編) 文化出版局, 1970.
宣言 戦無派100人の思想と行動(編) 社会思想社, 1972
テレビディレクター 合同出版 1973
青春-あらかじめ失われた時代 竹内書店, 1972
おさまり遅れ中年気質 筑摩書房, 1975
大統領を知らない人たち アメリカで見たしたたかな生き方 実業之日本社, 1975
原子力戦争 筑摩書房, 1976
異常愛 ケーススタディ ドキュメント完全採録(編著、取材協力:原一男) エフプロ出版, 1976
現代青春の映像 しなやかな独歩行 時事通信社 1976.6
第三の性 ドキュメント エフプロ出版, 1977.4
翔べ田原総一朗 テレビ全力投球 創世記, 1977.4. -嗚呼!花の十二年(年表):収録
通貨マフィア戦争 文藝春秋, 1978.1
穀物マフィア戦争 実業之日本社, 1978.2
鉄神話の崩壊 潮出版社, 1978.6
アラブからみたニッポン ちはら書房 1979.3
激烈なる漂流者 翔んだ男達の軌跡 ヒュ−マン・ドキュメント PHP研究所 1979.7
クールな宰相候補 ゲ−ムズマンとしての宮沢喜一 学陽書房, 1978.9.
憂鬱なる密閉軍団 潮出版社, 1978.10
8人の超権力者 その力の源泉をさぐる 学陽書房, 1979.6
激烈なる漂流者―翔んだ男達の軌跡 ヒューマン・ドキュメント PHP研究所 1979.7
辣腕 切れて出来てしたたかな10人(編著) 学陽書房, 1979.9
エネルギーマフィア 日刊工業新聞社, 1979.11.
日本の官僚1980 文藝春秋, 1979.12
日本のパワー・エリート この人びとが、あなたの運命を変える 光文社, 1980.3.
“異色"創業者の発想 勝ち抜くための12カ条 PHP研究所, 1980.11
遺伝子産業革命 文藝春秋, 1981.6
日本式支配者たち 中央公論社, 1981.7
生存への契約 誰がエネルギーを制するか 文藝春秋, 1981.1
電通 朝日新聞社, 1981.9
マイコン・ウォーズ 文藝春秋, 1981.12
人を率いる トップリ−ダ−の研究 学陽書房 1982.4
情報嗅覚入門 日本の、何を予知するか ベストセラ−ズ 1982.5
時代を読むための取材ノート 話の特集, 1982.5
先端技術時代の選択 あなたの会社は生き残れるか 二見書房, 1982.6.
首領に迫る サンマーク出版, 1982.6
人を率いる トップリーダーの研究 学陽書房, 1982.4
ビジネス・エリートの情報嗅覚入門 日本の、何を予知するか ベストセラーズ, 1982.5.
「業際」の時代 プレジデント社, 1983.3
電子戦争・メディア戦争 文藝春秋, 1983.3
独創人間ここにあり 先端技術のトップランナ− 新潮社 1983.7
新メディアウォーズ. 一般産業編 文藝春秋, 1983.7
高度情報社会と企業・生活へのインパクトを探る 誤りなく生き抜くために 東京商工会議所, 1984.3
生命探検 脳と老化 文藝春秋 1984.4
新・内務官僚の時代 講談社, 1984.4
日本をデザインするキーパーソン 潮出版社, 1984.7
21世紀あなたはどうなる 講談社, 1984.8
独創の狩人 先端技術の“最先端"に挑戦する! 旺文社, 1984.10
テクノコンフィデンシャル 企業挑戦・極秘情報 小学館, 1984.10.
飽食時代の性 セックス・ウォ−ズ 文藝春秋 1984.11
ぼくだけの取材ノート 中央公論社, 1985.1
外側発想新「学芸の時代」に向けて(小川明との共著)TBSブリタニカ 1985.2
業態革命 新潮社, 1985.4
平和 5時間闘論 なにを、いかにして守るのか 未來社 1985.4
ザ・ファーストランナー 筑摩書房, 1985.7.
細胞に刻まれた未来社会(岡田節人との共著) 朝日出版社, 1985.10.
世界企業(エクセレントカンパニー)・日本攻略司令官 ビジネス・アスキー 1985.12
日本大改造 新・日本の官僚 文藝春秋, 1986.3
ソニーが叩き潰されない理由 松下・日立にジャンボトロンはつくれなかった ネスコ, 1986.1.
世界企業・日本攻略司令官 ビジネス・アスキー, 1986.1.
安倍・竹下にすんなり政権がいかない理由 日本のリーダーの条件 光文社, 1986.5.
生きぬく銀行泣く銀行 講談社, 1986.5.
戦後財界戦国史 総理を操った男たち 講談社 1986.7
ドキュメント東京電力企画室 文藝春秋 1986.9
混迷日本の先を読む サバイバル・ウォーズに向けて プレジデント社, 1987.6
逆境脱出のシナリオ 創意ある企業の現場から 新潮社, 1987.6
時代を歩く 取材ノート'84〜'87 文藝春秋, 1987.8
円を撃て マネー・ウォーズ最前線 講談社, 1987.9
新・日本改造論 日本、そして企業はいま、何をなすべきか 世界文化社, 1987.11
田原総一朗のパソコンウォーズ 90年代のパソコンをプロデュースする男たち 日本ソフトバンク出版事業部, 1988.12.
こうして円高に勝った 中央公論社, 1988.5
巨大企業・復活への挑戦 生き残り革命の現場から PHP研究所, 1988.2
産業大転回のシナリオ “脱成熟"時代の経営を求めて 日刊工業新聞社, 1988.10
日本の創業超資産家たち なぜ彼らはビッグになったのか 徳間書店, 1988.5
日米インテリジェンス戦争 アメリカが仕掛けたソフトの罠 文藝春秋, 1989.1
柔らかな企業への変革 カリスマ経営からの脱皮 PHP研究所 1989.2
知の旗手 潮出版社 1989.7
闘論二千年の埋葬 日本人になにが起こっているか(栗本慎一郎との共著) ネスコ, 1989.7
時代を仕掛ける 田原総一朗と10人の男たち(編) フジテレビ出版, 1989.9
田原総一朗の新パソコンウォーズ あなたの知らなかった'90年代パソコンの現実(富田倫生との共著)日本ソフトバンク出版事業部, 1990.5.
テレビ仕掛人たちの興亡 講談社, 1990.3
平成・日本の官僚 文藝春秋, 1990.3
田原総一朗の発想現場 文藝春秋, 1990.9
世代交代の嵐 トップ交代の現場 講談社 1990.11
企業維新 90年代企業の生き残り戦略 PHP研究所, 1990.11
第三の経営 “日本型"の壁を破る 世界文化社, 1991.1
「円」を操った男たち―政財官マネー人脈の暗闘 講談社 1991.3
脱・日本の知恵 時代の風はどこに吹くか 田原総一朗の風の現代史1991〜1992 徳間書店, 1991.7
田原総一朗的発想! The fighting column 毎日新聞社, 1992.2
メディア王国の野望 文藝春秋, 1992.1
決断 日本の防衛と対米戦略(田岡俊次との共著) リブロポート, 1992.3
静脈思考 人類が共生するための知恵 文藝春秋, 1992.4
トップ経営者の新企業戦略 時事通信社 1992.7
日本コンピュータの黎明 富士通・池田敏雄の生と死 文藝春秋, 1992.9.
福沢諭吉の名文句 組織の崩壊をどう生き抜くか 光文社, 1992.10.
日本大改造案 いま、平成維新のときだ 激論(大前研一との共著) 徳間書店, 1992.11
格闘宣言! 田原総一朗的発想2 毎日新聞社 1993.3
日本が変わる、会社が変わる プレジデント社, 1993.12
30代を生き抜く人生哲学 いま考えることは何か、やるべきことは何か(編著) PHP研究所, 1993.10
無器用を武器にしよう 自分を面白くする知恵 青春出版社, 1994.2
うろたえるな、日本―アジアから見た日米関係(大前研一、ビル・トッテンとの共著)徳間書店 1994.10
変革の時代を切り取る発想 文藝春秋 1995.1
いま、民主リベラル(久保亘との共著)社会民主党 1995.1
田原総一朗の逆転勝ちの発想 先の見えない時代の15の自己戦略 青春出版社, 1995.7
変革の時代を切り取る発想 文藝春秋, 1995.1
日本の針路 真の「国益」を求めて 徳間書店, 1996.8
「戦後五十年の生き証人」が語る 中央公論社, 1996.4
田原総一朗の闘うテレビ論 文藝春秋, 1997.3
ウン(運)・ドン(鈍)・コン(根)がぼくの生き方 弱さを強さにするヒント 青春出版社 1997.6
頭のない鯨 政治劇の真実 朝日新聞社, 1997.10
日本再敗北(山田厚史との共著) 文藝春秋, 1998.4
巨大な落日 大蔵官僚、敗走の八百五十日 文藝春秋, 1998.8
田原総一朗の科学の巨人たち 人間圏はどんなユニットで21世紀を迎えるべきか KSS出版, 1998.8
戦争論争戦 小林よしのりvs.田原総一朗(小林よしのりとの共著) ぶんか社, 1999.2
金融・経済日本再生! 『自由競争』万能は間違いだ!!(榊原英資との共著) 扶桑社, 1999.3
〈激論〉日本経済の「謎」を徹底解剖する(カレル・ヴァン・ウォルフレンとの共著)ビジネス社 1999.5
この国はどこへ行くのか―田原総一朗対談集 中央公論新社, 1999.5
異端児になれる人出来損ないで終わる人 青春出版社, 1999.6
結局、どうすりゃ売れるんですか。 ヒットメーカーに聞く、成功の秘訣 ぶんか社, 1999.7
2000年からの大転換 回復の10年が始まる(長谷川慶太郎との共著) PHP研究所, 2000.2
生き残りの戦略 学習研究社, 2000.9.
ジャパン・モデル 日本が米国を再び追い抜く日 PHP研究所, 2000.10
IT革命のカラクリ 東大で月尾教授に聞く!(月尾嘉男との共著) アスキー, 2000.11
日本の戦争 小学館, 2000.11
面白い奴ほど仕事人間 自分で「自分」を生きよう 青春出版社, 2000.12
勝つ日本(石原慎太郎との共著) 文藝春秋, 2000.12
日本はなぜ負ける戦争をしたのか。朝まで生テレビ!(責任編集) アスキー, 2001.8
「勝ち組」の構想力 21世紀、われわれはいかに富を創出するか (大前研一との共著) PHP研究所, 2001.7
日本のカラクリ 朝日新聞社, 2001.5
脱「ダメ日本」宣言(田中康夫との共著) アスキー, 2001.12
それでも、小泉純一郎を支持します Discover Japan 1955-2002 幻冬舎 2002.3
勝つ経済(宮内義彦との共著) PHP研究所, 2002.8
退場宣告 居直り続ける経営者たちへ(木村剛との共著)光文社 2002.9
日本の政治 田中角栄・角栄以後 講談社, 2002.9
日本のカラクリ21 小泉、真紀子政治と金テロから有事へ 朝日新聞社, 2002.8
大逆転 新しい日本モデルの挑戦(御手洗冨士夫、金子勝との共著) 東洋経済新報社, 2002.7
日本よ!日本人よ!(編) 小学館, 2002.12
私たちの愛(妻の田原節子との共著) 講談社, 2003.1
「茹で蛙」国家日本の末路 日本が元気になる最後の一手(大前研一との共著) ビジネス社, 2003.6
愛国心(西部邁、姜尚中との共著) 講談社, 2003.6
経営の極意 達人・田原総一朗が引き出す 幻冬舎 2003.8
田原総一朗の早大講義録 政治・経済のカラクリ アスコム 2003.9
日本の戦後 上 私たちは間違っていたか 講談社, 2003.9
生きのびよ、日本!!(岡本行夫との共著) 朝日新聞社, 2003.12
朝まで生テレビ!「愛国心」「国益」とはなにか。(責任編集) アスコム 2004.1
田原総一朗の早大講義録2 アスコム 2004.3
徹底討論!皇室は必要か 朝まで生テレビ!(責任編集) PHP研究所, 2004.9
連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ 集英社, 2004.9
もっと知りたい! 田原節子がん対論 知りたがり患者の命を延ばしたがんの新常識(妻の田原節子の編著)エビデンス社, 2004.11
僕はこうやってきた(矢崎泰久構成) 中経出版, 2004.11
戦後最大の宰相田中角栄. 上・下 講談社, 2004.12.
最新・日本のカラクリ アスコム, 2004.4.
田原総一朗の聞き出す力 仮説を立てられる奴が生き残る! カナリア書房, 2004.1
日本の生き方 “定年”を迎えた戦後民主主義 PHP研究所 2004.12
「小泉の日本」を読む 朝日新聞社, 2005.2
国家と外交(田中均との共著) 講談社, 2005.11
日本の力(石原慎太郎と共著) 文藝春秋, 2005.3
田原総一朗の早大「大隈塾」講義録. 2005 激論!日本経済編(早稲田大学21世紀日本構想研究所との共著)ダイヤモンド社, 2005.5
日本の戦後 下 定年を迎えた戦後民主主義 講談社, 2005.7
経済神話のカラクリ アスコム 2005.7
政治と権力のカラクリ アスコム 2005.7
メディアと権力のカラクリ アスコム 2005.9
田原総一朗激論!日本の外交と経済(早稲田大学21世紀日本構想研究所との共著) ダイヤモンド社, 2005.9.
オフレコ! Vol.1(責任編集) アスコム, 2005.8.
オフレコ! Vol.2(責任編集) アスコム, 2006.2
大日本帝国の民主主義 嘘ばかり教えられてきた!(坂野潤治との共著)小学館 2006.4
テレビと権力 講談社, 2006.4
田原総一朗激論!日本の憲法と経済(早稲田大学21世紀日本構想研究所との共著) ダイヤモンド社, 2006.4.
RNAルネッサンス 遺伝子新革命(中村義一との共著) 医薬経済社, 2006.6
オフレコ Vol.3(責任編集) アスコム, 2006.8
日本の戦争 封印された言葉 アスコム 2006.8
憂国論 朝日新聞社, 2006.9
市場浄化 講談社 2006.10
田原総一朗誇りの持てる国誇りの持てる生き方(早稲田大学21世紀日本構想研究所との共著) ダイヤモンド社, 2006.10.
オフレコ!別冊[永久保存版]昭和史のカラクリ「戦争」「天皇」「靖国」を徹底検証!(責任編集) アスコム 2006.12
オフレコ!別冊[最高権力の研究] 小泉官邸の真実 飯島勲前秘書官が語る!(責任編集) アスコム 2007.1
田原総一朗誇りの持てる働き方誇りの持てる生き方(早稲田大学21世紀日本構想研究所との共著) ダイヤモンド社, 2007.4.
オフレコ! Vol.4(責任編集)アスコム 2007.5
正義の罠 リクルート事件と自民党-20年目の真実 小学館, 2007.6
BC級戰犯60年目の遺書 日本の戰争(監*** 田中日淳編)アスコム 2007.8
日本、変革 ニッポンが見えてくる世界一エキサイティングな授業 ダイヤモンド社, 2007.11.
オフレコ!Vol.5(責任編集)アスコム 2007.11
日本の大逆襲 「改革」「格差」を超えて、新しい成長が始まる(長谷川慶太郎との共著)PHP研究所 2007.12
検察を支配する「悪魔」(田中森一との共著) 講談社, 2007.12
再生日本  講談社, 2008.11
再生力(野村克也との共著) イースト・プレス, 2009.3
田原の眼力 扶桑社, 2010.1
田原式つい本音を言わせてしまう技術 幻冬舎, 2010.2
知らないではすまないニッポンの政党 アスキー・メディアワークス, 2010.7
今だから言える日本政治の「タブー」 扶桑社, 2010.7
緊急提言! デジタル教育は日本を滅ぼす ポプラ社, 2010.8
Twitterの神々 新聞・テレビの時代は終わった 講談社, 2010.12
他に、2005年から『田原総一朗自選集』の刊行が始まっている。
訳書 [編集]

『テクノクラシー』ブルース・ナスバーム 講談社, 1984.10.
『コンピュータ国家』デービッド・バーナム ティビーエス・ブリタニカ, 1984.1
『ザ・ジャパニーズ・パワーゲーム』ウイリアム・J・ホルスタイン JICC出版局, 1991.11(監訳)
『ブルックリンの先はどこもトウキョウ』ラリー・キング 白水社, 1994.10
TVドキュメンタリー [編集]

田原の著書『翔べ田原総一朗』(創世社)巻末のリストより
1965年
ガンに挑む
海氷二つの顔
救命ボート人影なし
高所恐怖症
どぶねずみ
ルポルタージュ血
1966年
東京の休日
異国の青春
ある学生運動家のゆくえ
植村美智代20才
ストリッパー
1967年
異国の中の青春

フリーセックス時代〜青春ごっこ〜
被害者の妻と加害者の妻と〜ある引き逃げ〜
フーテン作戦〜若者たちに何ができるか〜
半日本人だった18年〜丁貞美の帰国
モノ・セックスの時代〜ミセスジェントと奇妙な男友だち〜
学生右翼?〜11・12私は羽田にいた〜
1968年
若者たちの船〜わたしの沖縄
ジャンピング8
ドキュメンタリー青春「さらば沈黙の日〜音のない恋人たち」
ドキュメンタリー青春「新宿ラリパッパ〜このハレンチな魂の軌跡〜」
ドキュメンタリー青春「私は密輸団のルポ」
ドキュメンタリー青春「オレはどん百姓ボクサーだ」
ドキュメンタリー青春「出発(その1)〜少年院をでたMの場合」
ドキュメンタリー青春「出発(その2)」
1969年
ドキュメンタリー青春「『わたしたちは……』〜カルメン・マキの体験学入門」
ドキュメンタリー青春「ガン番号53372〜片腕の俳優高橋英二〜」
ドキュメンタリー青春「連続射殺魔と13人の若者たち〜オレたちが生きた東京の四年間〜」-永山則夫
ドキュメンタリー青春「狂気する若者たち〜”紅毛美少女怨霊歌”由来〜」
ドキュメンタリー青春「バリケードの中のジャズ〜ゲバ学生対猛烈ピアニスト〜」 -山下洋輔
ドキュメンタリー青春「天皇と死と〜ある右翼青年の心情とその生〜」
ドキュメンタリー青春「暴発する19才」
1970年
ドキュメンタリー青春「ちびっこ家族アフリカ大縦断」
ドキュメンタリー青春「ニャロメに何ができるか?」
ドキュメンタリー青春「オレはガンじゃない〜片腕俳優高橋英二の一年半〜」
ドキュメンタリー青春「卒業〜ある女子大生の体験的告白〜」
ドキュメンタリー青春「広場+死〜メーデーその50年の青春」
ドキュメンタリー青春「私は現在を歌う〜藤圭子 6月の風景」
ドキュメンタリー青春「あるピンク女優作家の肉体による共同幻想論」-鈴木いづみ(? 未確認)
ドキュメンタリー青春「あるコンビナートの夏の出来事」
ドキュメンタリー青春「ドギつく生きよう宣言〜もう一人の永山則夫・三上寛〜」
1971年
ドキュメンタリー青春「拝啓 藤純子様〜やくざ映画と人はいうけれど〜」
ドキュメンタリー青春「ある告白〜カルメン・マキの二年間〜」
金曜スペシャル「日本の花嫁」
1972年
ドキュメンタリーナウ!「総括! 知る権利〜連合赤軍から機密漏えい事件まで〜」
ドキュメンタリーナウ!「蒸発の父親27年目の帰郷」
ドキュメンタリーナウ!「生き続けるゲリラ共同体〜若者はなぜ筑豊をめざす?〜」
ドキュメンタリーナウ!「赤色エレジー〜だめなだめな若者たちの夏〜」
ドキュメンタリーナウ!「英雄待望の時代〜戦争しか知らない若者たち〜」
ドキュメンタリーナウ!「宣言ポルノ女優白川和子」
ドキュメンタリーナウ!「早稲田解放戦線・虚と実」
1973年
ドキュメンタリーナウ!「錬金術師阿久悠の大実績」
ドキュメンタリーナウ!「永田洋子その愛その革命その…」
田中美津との往復書簡。
ドキュメンタリーナウ!「原子怪獣積丹半島を襲う〜ある開発の波紋〜」
ドキュメンタリーナウ!「もうひとつの死民〜阿賀野川レポート〜」
ドキュメンタリーナウ!「僕たちの戦争〜戦車をとめた若者は〜」
ドキュメンタリーナウ!「空飛ぶ円盤がやってくる」
1974年
シリーズ・特集「ニューヨーク番外地〜心やさしきマフィアたち〜」
金曜スペシャル「実録マリリン・モンロー」
シリーズ・特集「ウィンターソルジャー〜アメリカの戦後〜」
シリーズ・特集「ウィンターソルジャー〜黒人編〜」
シリーズ・特集「直撃・大企業のミドルは何を考える」
シリーズ・特集「法は誰のもの〜刑法改正是非〜」
シリーズ・特集「されどわれたが夏」
シリーズ・特集「新若者考〜シラケの季節をぶっとばせ〜」
シリーズ・特集「直撃 中核VS核マル」
シリーズ・特集「あるテレビディレクターの投げた波紋」(未発表)
1977年
シリーズ・特集「アパルトヘイトの実態〜南アフリカの夜と霧〜」
脚注 [編集]

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^ ガキの使いやあらへんで!! 「クイズ 田原総一郎の100のコト」 より
^ 著書『青春この狂気するもの』に、この「確信犯的」な手法が書かれており、その本を読んで衝撃をうけた、原一男に手法が引き継がれた。
^ 『僕はこうやってきた』p.147〜p.148
^ 山下洋輔『風雲ジャズ帖』所収のエッセイ「真相『今も時だ』
^ 『七人の刑事』に何度か出演し、三島由紀夫の『黒蜥蜴』でもいい役をもらった、若手有望俳優だった
^ 原一男によれば腕の切断手術シーンは田原は撮りたかったが、取材拒否されて撮影できなかった。
^ 高橋は「余命半年」と言われたが、実際は1年半生きた。
^ 当時の東京12チャンネルには「金曜スペシャル」のような過激な番組がゴールデンタイムに放送されていた。
^ 原一男との対談からのエピソード
^ 原一男との対談からのエピソード
^ 同映画のADが、後に『ゆきゆきて、神軍』の監督となる原一男であったと、よく誤解されるが、実際は原は助監督を熱望したが、かなえられなかった。
^ 原一男による尾中洋一インタビュー1993年
^ 『僕はこうやってきた』P.125〜127
^ 原一男との対談
^ 田原総一朗のタブーに挑戦!ポッドキャストサイト
^ a b c 田原総一朗 (2011年5月6日). “2011.05.06放送 「なぜ日本は大東亜戦争を戦ったのか」”. 田原総一朗のタブーに挑戦!. JAPAN FM NETWORK. 2011年6月30日閲覧。
^ 『田原総一朗の政財界「ここだけの話」』
^ 2008年4月6日の「サンデープロジェクト」や映画の記者会見等
^ 前原誠司の勇気に応えよ Voice 2008年8月号
^ a b 田原総一朗「検察とメディアが生む「小沢冤罪」の危険性」、『週刊朝日』第115巻第4号、朝日新聞出版、東京都中央区築地5-3-2、2010年1月、 37頁、2010年1月27日閲覧。
^ フォーラム神保町=「青年将校化する東京地検特捜部」〜3.15緊急シンポジウム開催〜=
^ 拉致被害者:家族会などが田原総一朗氏とテレ朝に抗議毎日jp 2009年5月11日
^ 中曽根外相、田原総一朗氏の拉致被害者めぐる発言は「まったくの誤りだ」5月19日 産経新聞
^ 拉致家族に「申し訳ない」 田原氏の発言でテレビ朝日 朝日新聞 2009年5月19日
^ 「有本さんら生きてない」田原総一朗さんを提訴読売新聞 2009年7月16日
^ 2010年3月10日 NHK
^ “田原総一朗氏に取材テープ提出命令 拉致被害者巡る発言”. 朝日新聞. (2010年10月24日) 2010年10月28日閲覧。
^ “田原氏に取材テープ提出命じる 有本さん訴訟で神戸地裁”. 47NEWS (共同通信社). (2010年10月24日) 2010年10月28日閲覧。
^ “北朝鮮・拉致問題:有本さん生存否定発言 神戸地裁、田原氏に取材録音の提出命令”. 毎日新聞. (2010年10月25日) 2010年10月28日閲覧。
^ “田原総一朗氏、取材テープ提出命令に即時抗告”. 読売新聞. (2010年10月26日) 2010年10月28日閲覧。
^ 田原総一朗
関連項目 [編集]

朝まで生テレビ!
サンデープロジェクト
第40回衆議院議員総選挙
原一男
東京12チャンネル
プロパガンダ
ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!の企画
上田哲・・元衆・参議院議員(日本社会党)所属は田原が高校在学中英語の非常勤講師として勤務をしていた。田原のクラスは受け持ってはいないが
面識ができる。上田の追悼本に立川談志・鈴木邦男・木村三浩・十勝花子などと寄稿をしている。
外部リンク [編集]

田原総一朗 公式サイト
田原総一朗 公式ブログ
田原総一朗 (namatahara) - Twitter
田原総一朗講演活動
田原監督と私 ドキュメンタリー作家時代の田原についての、原一男のインタビュー。
カテゴリ:滋賀県出身の人物日本のジャーナリスト日本の評論家日本のプロパガンダ日本の反共主義者日本の陰謀論者テレビ東京の人物1934年生存命人物
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

見て聞いてびっくりの経歴!!!背が低いのに軍国青年??近江商人の末裔??根拠は何??田原屋が有った??嘘吐き系か??石原にコンプレックスは良く解かる。


09. 2012年6月05日 08:51:45 : a7CDidpYxs
鳥越氏のようにリスクがあっても主張すべき時には
主張するというのがジャーナリストじゃないのか。自分は安全圏にいたくせに
後出しジャンケンで正論を言われてもね。

10. 2012年6月05日 09:02:19 : VBBYgF81p2
小泉や枝野や阿部を持ち上げた時点で田原はアウト。

11. 2012年6月05日 09:06:32 : JjSQKQLkmo
田原ごときに多くの紙面を割くな!! 長すぎると読まない!

12. 2012年6月05日 09:26:58 : Je0fkH61Ug
機密費塗れの田原は、、、
「小沢さんは党代表選に出馬できない。「傀儡」を立てるしかない。なぜなら、地裁での無罪判決を控訴されたからだ。」

この書き込みは代表選出馬阻止が目的だ!

小沢は何も考慮せず代表選に出馬するよ!!!


13. 2012年6月05日 09:33:31 : xiDl6ZrNYg
04さんに同意。

>結論から言うと、小沢さんの控訴は、世論に押されたからだと僕は思う。

世間に押されたのではなく、野田や仙谷、岡田、前原らの反小沢執行部に押されたのである。
小沢から9月の代表選への出馬を封じるためであることは明々白々である。


14. 2012年6月05日 09:33:45 : MuB5BjQNGU

「大マスコミを支配したものが 本当の権力者になれる」と思ってる人がいて
それを実行してる人たちがいるのかもしれない。
田原総一朗さんの 仰る通りなのだが… 
それくらい 知識の豊富と思われる大マスコミは勿論わかっているはず…。

偏見 偏向報道・スルー放送・魔女狩り・反対意見者を出さない一人裁判放送
ツルンダ都合の良いコメンテーターや司会で騙す・…など世論操作が
単純化し酷くなっているのは その支配者が裏で権力を
強めているからではないだろうか。

田原総一朗さんが テレビで浜田幸一さんを利用して(失礼)売り出した頃とは
まったく違っている…。

記者クラブは絶対に解体すべきである。

 



15. 2012年6月05日 09:40:00 : hvY8dJB7pA
田原総一郎は、たしか昨年「小沢一郎は議員辞職して東北のために働け」という論説を出してたよね。

それが、ニコ生で直接会えるとなると、手のひらを返して「小沢さんが総理になって引っ張るべき」と持ち上げた。

先月の朝生では、自分の番組への出演依頼を上杉氏に託し、最近の取材依頼に小沢が応じていなことが分かった。

そこでまた、小沢おろしに舵を切るということなのだろう。


「地上波においてタブーに少し切り込む」というのがこの人の芸風だったが、タブーの全く存在しないネットの台頭で、完全に過去の人になったと思う。


16. 2012年6月05日 09:42:07 : tLSXU4T7b7
>自らの政治生命が断たれてしまうからだ。
マニフェスト堅持は、政権交代の約束だからだ。
自己保身のためではない。

>「傀儡」を立てるしかない。
傀儡ではない。
同じ目標を持った同志なら、小沢さんは支持するということだけだ。
菅にしろ、野田にしろ仙谷の傀儡、官僚の傀儡ではないか。
小沢さんの場合だけ、どうして傀儡というのだ。

腐れ田原のように権威に阿る下劣な人間と一緒にするな。
それにしても、小泉と仲がいいんだな。
同じ穴の狢だ。
一応は格好つけながら、その実、金の為なら何でも言うし、するという情けない人間の典型。
自分で言っているジャーナリズムから、最も遠い位置に居るのだから、自らもジャーナリストを名乗るのを止めたら如何か。


17. 2012年6月05日 10:20:12 : ypkQRxzTZg
 どうもビミョー〜な内容の文章だな。
 して、そのココロは。
・小沢氏は党代表選に出ないでほしい。
・小沢氏が控訴されたことは3人の指定弁護士だけがやったことだ。
・原発は再稼働したほうがいい。

 こんなんで、この見出しは羊頭狗肉ではあーりませんか。


18. 2012年6月05日 10:30:13 : WRcvzABPLo
「小沢さんは党代表選に出馬できない」
「小沢さんの控訴は、世論に押されたからだ」
「控訴しないと身の危険を感じるほどだった」
「道義的責任はある、政治的責任もある」
「僕は世論と違うところを掘り起こしていきたい」

アンタは何を言いたいの、バカにするなよ!

脚を引っ張る事ばかりではないか!

出馬できないとか、世論に押されたとかお前の考えだろ、寝惚けるな!!

身の危険を感じると、本人に聞いたのか??

道義的責任とか政治的責任と、しつこく書くな!

お前が掘り起こすのは、権力に擦り寄り、金が埋まっていそうな
場所をだけだろ。

寝返り田原さん、もう寝たきり老人していろ!!


19. 2012年6月05日 11:35:49 : 52vR2j5s7g
人間性の問題に尽きる。こんな人がマスコミにることが許せない。あっちへふらふらこっちへふらふらの言動は???ばかり。マスコミの世界からいち早く消えてほしい人物。害ばかりでこの人を持ち上げる人の気がしれない。この文章も何だか変。読めたものではない。

20. 2012年6月05日 11:53:21 : wvwqgu776Y

田原の真意は、仙谷擁護です。

控訴させたのは、仙谷。

田原は知っていて、マスコミの論調の責任にしている。


卑怯者の老いぼれ糞野郎=テリー田原


21. 2012年6月05日 12:09:21 : 4iCmrqWa6Y
田原ははやはりくそったれ、こんな文章書いて恥ずかしくないのか。

22. 2012年6月05日 12:36:43 : nNPddbW4SY

増すゴミ達は「民主党代表選に小沢が出馬できない」というのを世論にしようとしているらしいな。根拠も明らかにせず。



23. 2012年6月05日 12:38:25 : n8usGiH2gg
 <結論から言うと、小沢さんの控訴は、世論に押されたからだと僕は思う> 

田原氏は、検察審査会を誘導した虚偽捜査報告書のことにまったく触れていない。
あたかも控訴が自然であったかのニュアンスで書いている。意図的に触れていないのだと思う。

無罪判決を出させたのは、唯一、石川議員が隠し撮りした録音のおかげである。これが無ければ小沢氏の政治生命は確実に絶たれた。
陸山会裁判の本質は、検察の謀略であったことだ。こんな民主主義の危機的状況を
生んだ問題の本質をスルーする田原氏に、ジャーナリストの危機を見る。


24. 2012年6月05日 12:38:32 : VoHQXX9kmw
田原は今すぐに筆を折って引退しろ。

25. 2012年6月05日 13:32:48 : SV0bXd9WQ6
 最終的にいろいろな問題の責任は「世論」=国民にして自分たちマスコミの問題を有耶無耶にしたいんだろう。

 「朝生」開始当初は、それなりに存在意義があったと思うが隠居する時期を間違えたね。


26. どらみ 2012年6月05日 13:55:32 : TaxpTeHRktbIQ : 384mLCJ0q2
耄碌すると自分を客観視できなくなる。ここ数年の田原は、その症状が進んでいる。

自分が言ったことやしたことを忘れて、その時々の感情や立場で自由に人の批判ができるほど、ジャーナリストは特別な人間ではない。

この文章は、半分はあたっているが、「控訴は世論に押されたから」とか、また耄碌老人特有の独断的な思い込みを書いたりもしている。

控訴前の世論調査では、小沢裁判はもう終わりにしようというのが、多数派ではなかったか。そもそも、裁判は大衆の感情といったものに左右されるべきものではなく、「世論に押された」のだと思うのであれば、その時点で指定弁護士の批判をしておくべきであった。

原発再稼動問題を、世論と関連付けているのも、笑止千万。そもそも、これほどの大事故が起こって、その収拾の目処さえ実際には立っていないのに、それでもまだ、原発を指示する国民が何パーセントかいるのが不思議なくらい。

少なくとも、昨年の時点で、徹底した原因追及と関係者の責任追及をやっておくべきだった。その上で、公平な第三者機関による新しい安全基準を定め、原発の運営を関しする新しい公平な組織でも立ち上げていたら、問題はここまでこじれていなかっただろう。

それなのに、国民が一方的に感情的になっているといった見方をするのは、ジャーナリストとしての田原の目が、曇ってきていることの証である。


27. 2012年6月05日 14:01:37 : z9zEJFTsFc
開いた口がふさがらないとはこの田原のことだね。
メディアを攻撃、責任転嫁するのもいいが、その前に自分が今まで小沢さんにしてきたことへの反省が全くない。
身の程知らずとはまさにこの人のこと、顔も見たくないし声も聞きたくない、ましては一方的に文章を読まされるこっちはまさに迷惑そのものです。
おとなしく家に引っ込んでろと言いたい。

28. 2012年6月05日 15:05:50 : maxkpWHZCo
こいつほんとうざいじいさんだよ
権力にすがるゴキブリそのもの
スーパージェットで始末したいよ

29. 2012年6月05日 15:19:29 : Q7f0CGISgc
田原氏の一番いいたいことは「小沢一郎は控訴されたから今度の代表選に出れない」この一点だ。
田原氏のいうように指定弁護士が控訴したのは世論に押されてやむを得ず控訴したのではないかとあるが、それについては甚だ疑問である。
まず世論の後押しがあれば記者会見で言うはずである。
小沢問題は日本の国民にとってそんなに高い関心があるとは思えない。
大新聞やテレビしかみない国民つまりマスコミに洗脳まではいかないまでもマスコミ寄りの考え方の国民でさえ検察のいい加減さが薄々解ってきているのではないだろうか。どんなに小沢事件に関心がない国民でさえ、少なくとも小沢の大疑獄事件ではなかったこと位はわかっているだろう。
国民の小沢事件に無関心をマスコミは逆手にとってすでに小沢は忘れさられようとしていると。

30. 2012年6月05日 15:48:16 : o3kAbXN6ps

29さんもそうなんだと思いますが、

「20.
田原の真意は、仙谷擁護です。
控訴させたのは、仙谷。

田原は知っていて、マスコミの論調の責任にしている。


卑怯者の老いぼれ糞野郎=テリー田原」

20さんのお見立ての通りと思います。

田原葉、仙谷と官僚に媚びているだけだ。


31. 2012年6月05日 15:51:04 : 4puOgZCs9o
小沢一郎は検察審査会の強制起訴公判で『無罪』判決を得た。
代表選出馬はもとより「総理大臣」への門戸は既に開かれている。
西松建設事件は、検察、裁判所総ぐるみの政治的陰謀であったことが明らかになっているにも拘わらず、田原総一郎をはじめとするマスコミ、政治記者等は「刑事被告である小沢一郎は代表選に出馬できない」と“木を見て森を見ず”の主張をしている。
田原総一郎等マスコミ政治記者等は、佐久間達哉、木村国良、大鶴基成、斎藤隆博、吉田正喜、田代政弘、堺徹の事件当時の東京地検、特捜部の幹部7名が市民団体から告発され、最高検察庁がこれを受理したことを論評してみよ。
告発状及び司法記者クラブでの会見は下記で見ることが出来る。

「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」のホームページ

shiminnokai.net/

2012/4/25の
最高検察庁宛告発状
八木啓代インタビューと記者会見映像

大いにこの情報を拡散することを望む。
『無関心』は『無責任』
日本が第二次世界大戦(アメリカ名:太平洋戦争)に突き進んだ国内状況を振り返って見よ。


32. 2012年6月05日 17:50:40 : UPdFbAR04Q
田原も人間として信用されないいい加減な報道ばかりしている。小沢の判決が出る前は「僕は小沢さんは無罪だと思う」と言い続け無罪が出たら残念だ見たいな本心が見え隠れする。人間の屑と思えば腹も立たないが。しかし小沢は凄い男だな。今小沢がいなければ政治話は9割無くなるだろう。田原まがいの政治解説報道は、無くなり彼らは失業だろう。まともな政治解説者や弁護士ははテレビに出ないから、特に最近は、田崎、伊藤、岩見、弁護士は若狭、田中喜代重、大沢の3馬鹿がいつも出ている。野田政権の末期に来て未だ馬鹿をやっているのは機密費中毒から立ち直れないのだろう。死期も近い。

33. 2012年6月05日 18:11:18 : yBU29wQarw
>結論から言うと、小沢さんの控訴は、世論に押されたからだと僕は思う。

言う事に事欠いて“世論”に押されたと?
指定弁護士が身の危険を感じる投書……3月19日の最終論告の際に検察審査会には途中で裁判を止める決めも無く、控訴の決めもないので【裁判所が証拠を総合的に判断し無罪判決を下せば事足りる】と言った様に、善良な市民の味方の警察に訴えたら“事足りる”じゃないかい?
ホントにあの田原が自分のブログにこんな事を書いてるとしたら笑えて来るヨ。

そんな見方しか出来ない奴が、偉らそうにジャーナリストでございって恥ずかしくも無いのだろうか?
世論とは…NHKでありTBSであり朝日TVであり、日テレの事か?
加えて多くの“珍文屋”の事だと言う意味だろうか?


34. 2012年6月05日 20:45:23 : XwYtT3tUPQ
田原はメディアやくざの代表選手である。こんな薄汚い奴の言うことなど阿修羅に載せないでほしい。誰かさんが言っていたが、結局自分は安全なところにいて小沢さんを批判し(みんな騙されてはいけないよ、彼の小沢擁護発言にはいつも裏があることを)仙谷や岡田のような腐り切った下司野郎を擁護しているのがこの男の本性なのです。
朝まで生TVという番組を以前は見ていたが、この番組はゲストには結構話を聞きたいと思わせる人たちがいるのに、キャスターの田原がすべてを台無しにしているから最近はまったく見なくなった。こんな男がメディアで偉そうにしている間は日本のゴミメディアは異臭を放ち続けるだろう。

35. 2012年6月05日 20:47:11 : RsreIIQ23Y
田原をはじめとする政治評論家と称する連中
岩見や五朗など政治記者と称する連中
たぶん、政策中心に国民が目覚めてきていることを
いまだわからない政局じゃなーりすと
別名政界ゴシップ記者である本質だから
いまさら高度な政策を理解できずに
政治家を自分たちの理解できるレベルに落とすため
お仲間のテレビ出たがり軽い国会議員ばかり
やたら、すごい政策通と持ち上げる
前原や石破、渡辺臭など中身は
田中前大臣同様ないとおもうけど
やたらできると持ち上げる
いまだに阿呆な私は
小沢さんの政策は賛成できるが
彼等の政策は理解できない
王様はハダカだ
前原は本当はバカだといったら
おれはおかしい奴なのだろうか


36. 2012年6月05日 20:56:33 : sccEcWFCTo
三宅が田原を云々、
そんなのネットでは「目くそ鼻くそ」の類。
三宅が出てきた段階でコメントはパス。それに長すぎる。

37. 2012年6月05日 21:05:47 : A2oZw4PFIE
こいつ、グダグダとなにいってんだよ。ちっとも要領を得ん。文章がかけないためか、テレビで大声をはりあげ、人の話をさえぎるだけがせいぜいの能無しやろうが。

38. 2012年6月05日 21:16:18 : KZWsL1KpwQ
『まぁ、<阿修羅論客>の皆様は、<タハラ躁一老クン>の正体なんてとっくの昔に見破っています。』

現状の<タハラのオッサン>の身分保障は“創価学会のパシリ”ってこと。だって、オッサンの“言論?”の場が極めて縮小され、「潮出版」を始めとする“創価学会系”に限られつつあることがその全てを実証している。
だから、ゴ本人が喚く割には、社会に対する“影響力”なんてこれっぽっちもないんだよ。単なるゴ本人の錯覚なのであります。
従って、こんな<オッサン>の“タメ口”なんて無視してもいいし、偶には嘲笑ってあげるのも“痴呆老人福祉対策”の一助にはなるんじゃないの?


39. 2012年6月06日 00:00:28 : eEdDplVwaI
これ、本当のたはらそう一朗なのか?

引用「たとえば、いま原発を再稼働すべきだと言うのは、とても危険なことである。」

でたらめ・・・である。

「たとえば、いま原発を稼働すべきで無いと言うのは、とても危険なことである。」である。
「マスごみテレビ、紙くずNEWSPEPA」皆、おおいの再稼働賛成ではないか?

加工貿易・・・反対、松下・民主党は日本から出てイケ。

たはら馬鹿です。

以上


40. 2012年6月06日 00:38:57 : Rll5GkK2Ss
世論に押されて控訴だと、バカも休み休み言え世論を無視してだろ。

仙谷あたりと歩調を合せたテレビ新聞が煽っていたではないか。
安藤優子なんかヒステリーおばさんの様に頑張っていたよ。
あういうテレビ新聞の意向を世論というのか。捏造世論だ。

テレビに出て政治を語るやつはバカが多い体制派の発言ばかり。田原もその一人。


41. 2012年6月06日 02:23:39 : psQGEHvzXA
5月の朝生では上杉さんに、「小沢は・・・?」と話のきっかけを作っておいて、
話し始めると、「小沢は終わった・・・」と大声を張り上げ、結局上杉さん
の話を封じてしまった。 

若い人の手前か、それまでは大人しく振舞っていたのに相変わらずでした。
手を変え科を変え、小沢一郎攻撃が病み付きなってしまったのですね。



42. 2012年6月06日 08:14:40 : FlUg549ygE
今頃正論吐いてどないすんねん?

遅いわ、爺さん。


43. 2012年6月06日 09:56:32 : 2JW2Z0ygjs
08さんへ。このようなコメントはやめてほしい。wikiなど検索すれば、この程度の情報は、興味のある方はご自分で引きだします。いたずらに紙面を使って、このような情報を載せることは、種々のコメントを見ておられる他の方達へ迷惑以外の何者でもありません。それともわざわざ迷惑承知でしているのですか。
管理人さんへもお願いしておきます。以前にもこの方であろうと思われる、同様のコメントを載せてるのをみています。一見、いかにもと思えますが、これは迷惑です。


44. 2012年6月06日 14:41:28 : HH0BG0NF6g
先ず、自分がどうしてそう行動したかをTVで述べて見たらどうだろ?
世論が動く前から延々活動していた様ですが。

45. 2012年6月07日 11:33:04 : Vkk7YVgyeg
>8氏の件については、43氏に同意です。

○評判の悪いモウロクたはらです。要旨は、・・・
・小沢氏は消費増税に反対である(野田くんは困っているよ)。
・9月の代表選には出られない(と言いふらします)。
・控訴には世論が大きく働いた(としておきたい)。
 〜たぶん、電話や手紙が来た、た・ぶ・ん、わからんけど。
・検察審査会は『実在した』と言いたい。嘘だけど。
・メディアは根拠なく小澤バッシングを続けてはいけない。俺は正しい。
 〜俺もさんざんやったけど、知らぬ・存ぜぬでいこう。・・・です。

○たはらの本意はどこにあるのか?
西松建設事件・陸山会問題などはいずれも無理筋・無罪であることが広く知れ渡った。小川元法務大臣の発言もあって偽造調査報告書や検察審査会の疑惑が国民や国会議員にも問題視されつつある。そして市民団体による追求やネット・週刊誌での真相暴露の動きがモウロクたはらにも認識できるようになってきた。このへんで新しい風になびいておかないと非難の的にされる。だから、官房機密費をもらったインチキ政権に義理は尽くすものの、メディアの姿勢を少し批判しておかないと自分の立場がなくなる。あわよくばどこかのTVに起用されるかな?・・・・というところだろう。
もう終わりにしたら?今さらモウロクたはらを迎えようとするメディアはありませんよ。今後は愛妻との思い出にひたるべく、潔く蟄居すべきである。いいものをプレゼントしましょう。かの人物は、「電視台院捏造放言居士(でんしだいいんねつぞうほうげんこじ)」であったと。


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