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2012.05.31 橋下個人を論じるのでなく、“橋下現象”を考えるシンポジウムが広がりつつある、(ハシズムの分析、その22)
〜関西から(65)〜
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
『市政改革プラン(素案)』をめぐって、大阪市民の怒りが次第にパワーアップしている。「パブコメ」にとどまらず、『市政改革プラン』そのものの撤回を求める直接的な市民運動が全市的に広がりつつあるのである。とりわけ、「市民のひろば」である男女共同参画センター(クレオ大阪)全5館を廃止するという暴挙は、大阪の女性たちをいたく怒らせている。「大阪のオンナ」のエネルギーがどれほど凄まじいものか、彼女たちを本気で怒らせたらどれほどのしっぺ返しを喰うか、橋下市長や大阪維新の会は遠からず思い知るにちがいない。
研究者の間でも『市政改革プラン(素案)』反対の動きが強まっている。私の専門の分野でも、その拠点の「大阪市立住まいのミュージアム」(大阪くらしの今昔館)が閉鎖されるとあって、関係者の間で怒りのメールが飛び交っている。大阪市大を中心にした都市史・建築史の研究者たちが、長年にわたり市のスタッフと共同して心血を注いで育ててきたミュージアムだ。これを「文化白痴」ともいうべき野蛮な連中に潰されてたまるかというわけだ。
そうでなくても、大阪の都市文化資源は枯渇している。戦後復興期、高度成長期の乱暴な都市開発を通して、貴重な自然資源、歴史資源、文化資源が数多く破壊されてきたからだ。そのうえ、もはや「お笑いとソロバン」だけでは都市が生きていけない時代に、「道頓堀にプール」「埋立地にカジノ」といった荒唐無稽のプロジェクトを吹聴する一方、他方では「市政改革」と称して伝統芸術、音楽・児童文化、歴史ミュージアムなどに対する支援を容赦なくカットしようというのである。
こんな「都市の自殺行為」ともいうべき暴挙の原因を、橋下市長のキャラクターや個人資質(の欠陥)に求めることはたやすい。しかしその一方、かくなる橋下氏をマスメディアが依然として持ち上げるのはなぜか。過半数もの大阪市民がなお橋下氏を支持している理由はなにか。国民世論が橋下新党の国政進出に肯定的な反応を示すのはなぜかなど、一連の“橋下現象”を解明することなしには、ハシズム打倒の道筋を描くことは難しい。
そんなこともあって、最近、大阪や京都では “橋下現象”を多角的に分析しようとする研究シンポジウムの輪が広がってきている。「ハシズムを解剖する―決められる民主主義の正体」(5月19日、科学者会議大阪支部)、「維新の会が目指す国家像と日本国憲法―ナチス登場の教訓から学ぶ」(5月26日、京都憲法会議)、「地方自治の歴史的危機と課題〜大阪・関西・そして日本〜」(6月1日、市民ウォッチャー・京都)、「市民と一緒に大阪から民主主義のあり方を考える〜「自治体ポピュリズム」を超え、より良い民主主義を求めて〜」(7月1日、民主主義科学者協会法律部会)などだ。これらの報告や感想についてはいずれ私なりに整理したいと思っているが、今回は取りあえず5月19日の大阪シンポに参加して感じたことを記したい。
大阪シンポは、「維新の会を支持する若者の現状」、「ヴァイマル体制はなぜヒトラーの進出を許したか」、「ハシズムの出てくる背景」の3本立てだった。興味深かったのは、タイトルもさることながら報告者の年齢と専門分野によって「ハシズム」を解剖する視点が大きく異なっていたことだ。
第1報告の若手経済学者(社会保障論)は、講義の中で下手に橋下批判をすると学生から猛烈なブーイングに曝される雰囲気や状況をまず紹介して、参加者一同を驚かせた。とにかく若者たちの間での“橋下人気”は圧倒的なもので、西成区の愛隣地区などの生活保護受給者に関するテレビ番組を見て、「俺たちの年金が無くなる(盗られる)」と感じ、「統治構造を変えなければならない!」という橋下語録に意気投合するのだという。それほど若者世代を取り巻く社会状況は抑圧的であり閉塞感に満ち溢れているのであって、彼らに憲法の生存権・生活権を説くのは容易でないというのである。
だから「ハシズムの今後」に関しても「長く付き合う覚悟をしなければならない」というもので、それが決して一過性の現象でもなければ、早晩に消え去る現象でもないことを強調するものだった。そして相対的に恵まれた「安全地帯」にいる知識人が陥りやすい見解として、橋下氏を「あんなロクでなし」と軽視する風潮があることを戒め、橋下個人を見るのではなく、橋下支持者や共感者の持つ心情や境遇を客観的に分析することの重要性を喚起した。まるで私自身の思考様式を図星にされたようで、聞く耳が痛かった。
第2報告は、ドイツ文学者(ダダイズム研究者)による詳細なナチス党の歴史の(大学院レベルの)高度な講義だった。印象的だったのは、当時のポスター、チラシ、写真などが並行して紹介され、その扇動的な情景が生々しく伝わってきたことだ。そしてナチス党が政権掌握した要因が以下のように指摘された。
(1)大資本勢力の右傾化と大恐慌による経済的混乱、大量の失業者の発生
(2)政治的混乱=「中道」政治の行き詰まり
(3)労働運動の弱体化
(4)軍部の支持
(5)ヒトラー崇拝(国民の救世主)、「民族共同体」の幻想
(6)ナチス党を支持した社会基盤
@農村部では農本主義的スローガンを掲げる
A都市部中間層に対しては大企業・大規模経営に反対のポーズ
B政治的無関心層を大衆団体を活用して惹きつける(制服での行進、
集会、キャンプ、団体活動など)
学ぶべき教訓として上げられたのは、次の3点だった。
(1)民主主義(議会制)を利用して民主主義を否定・破壊する人物を政治家に選んではならない。
(2)歴史的な反省を議論の出発点にすること。
(3)固定的な政治組織では無党派層・新しい支持層を取り込むことが困難。目に見える形での展望(敵・味方を単純化し、不満のはけ口を明確に示す)を持つ政策の方が効果的である。
ナチス党が登場した当時の時代背景を現代日本の情景と重ね合わせてみるとき、そこには無視できない多くの共通点が見出される。だからこそこのようなナチス党の歴史が語られ、それを阻止できなった(あるいは同調した)ヴァイマル体制の歴史的体質が解説されたのであろう。したがって、問題は「ハシズムはファッシズムに通じるか」という大命題に発展する。
この点を解明しようとしたのが、ヘーゲル哲学者による第3報告「ハシズムの出てくる背景」だ。「本報告はハシズムの「正体」ではなく「背景」を論じようとするものです」との語り口を明確にした上で、「橋下「維新の会」はファッシズムであるか」と問いかける報告は刺激に満ちたものだった。(その主旨と総合討論の内容は次回に紹介します)。
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