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野中広務と沖縄:野中広務の「インチキ」「自己欺瞞性」を見抜いている沖縄県民某氏(山崎行太郎)
http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/562.html
投稿者 判官びいき 日時 2012 年 5 月 27 日 08:47:03: wiJQFJOyM8OJo
 

政治家たちが口から出任せに語る「政策論」や立派な余所行きの「政治哲学」なるものを、僕はまったく信用しない。僕が信用するのは、それが実行に移され、具体的な政治状況や権力闘争の場面で、成功するか失敗するかは別として、現実のもになる場合だけである。

政治家の本質は実践・実行にある。ご立派な政治理念や政治哲学、そして政策を、美しい声で、声高に「語る」ことは、第二義的な問題でしかない。言い換えれば、実践・実行の政治家はいつでも責任をとって「死ぬ」気構えが出来た「葉隠」武士のような存在である。

たとえば、政策論や政治的信念、政治哲学などを、一言も語らずとも、それを実行して見せてくれたら、僕はその政治家の政策論や政治的信念、政治哲学を全面的に、信用する。理論より実践である。実践あっての理論である。政治家の本質は、実践にある。マックス・ウェーバーの「責任倫理」「結果責任」の論理である。

僕が政治家・小沢一郎にこだわるのは、小沢一郎が政治理念や政治哲学はともかくとして、実践、実行の政治家だからだ。実践・実行の政治家は、すぐ結果が出るから失敗すれば責任を問われ、場合によっては政治生命も危うくなる。小沢一郎は黙々と実践・実行するが、いっさい、言い訳や弁明をしない。そういう実存的政治家が僕は好きだ。

ところで、小沢一郎を批判することを生きがいとしている野中広務は、先ごろ、沖縄復帰40年の式典会場で、登壇し、その前に登壇して「米軍基地県外・国外移転論」を再度主張し、首相時代の「米軍基地移設」の失敗を謝罪したのに対して、なにをとち狂ったか、「沖縄県民 に泥を塗ったような人が壇上に上がっていることは、腸(はらわた)が煮えくり返る思いだ」(5月16日付琉球新報)と、例によって意地汚い口調で、激しく批判・罵倒したそうである。

野中広務には、自分の言葉が何を意味しているかが分かっていない。自分は正論を吐いたつもりらしいが、勘違いも甚だしい。野中広務は、沖縄県民に同情するふりをして、利権狙いの日米安保マフィアの「沖縄米軍基地存続論」を主張しているにすぎないのである。そんなことも分からない政治家がまともな政治家であるわけがない。野中広務の「インチキ」「自己欺瞞性」を見抜いている沖縄県民の某氏から、東京新聞に、こんな投書があつたらしい。


・『最低でも県外』とした公約が反故にされたことに対して、私たちは心底怒ったし今も変わりません。しかし、私たちは鳩山氏 から泥を塗られたと思っているわけではありません。むしろ1%足らず の県土に、74%の基地が集中している異常性が誰の目にも見えるよう に明示されたことは、鳩山氏のおかげだと思っています。残念なのは、 立派な信念を実現するだけの政治的力量が鳩山氏に欠けていたことです。 野中氏が鳩山氏に腸が煮えくり返るのは自由ですが、沖縄県民を引き 合いに出して、さも自身は沖縄の味方面をしているのはやめて欲しい。 県民の怒りは、長年沖縄差別を続け・・普天間基地の沖縄県内移設を、今なお進めようという政治エリートや官僚たちへの怒りなのです。 野中氏も当然その一人ではないですか。(「天木直人ブログ」より引用)

その通りだ。野中広務のようなインチキ政治家が、さっさと政治家を廃業してよかった、と言わなければならない。野中広務の最大の業績は「引退宣言」であった。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20120526/1337979649
 

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コメント
 
01. 日高見連邦共和国 2012年5月27日 08:56:13 : ZtjAE5Qu8buIw : np1eC180Aw
日本の底辺を支える俺達岩手の“民草”は、沖縄のみなさんの味方です!最後の最後まで!!

一緒に日本を・・・時代を変えようゼ!!!


02. 2012年5月27日 09:41:15 : DcxDg6lzRM
野中なあ…佐高信が汚れた鳩(権謀をめぐらすが思想的には戦争忌避派)といって持ち上げてたが今や口舌の徒でしかないわなあ。

野中は弱者を知るけど同時に弱者が強くなるためには利権を掴まなきゃならないこともよく知ってる。
部落は弱いけれど弱さゆえに弱いところに鉢が回ってくる行政の脆弱な部分を、弱者が補完して機能してきた。それが武器になることを利用した、それが世に非難される同和ビジネスということだが野中はその庇護者でもある。
強いは弱い、弱いは強い、いかにも日本らしい曖昧さだ。
生保不正受給叩きといい野中といい何処か似ている。


03. 五月晴郎 2012年5月27日 10:07:23 : ulZUCBWYQe7Lk : t3OuS3nAYI
>言い換えれば、実践・実行の政治家はいつでも責任をとって「死ぬ」気構えが出来た「葉隠」武士のような存在である。

山崎さんは文学畑の人で、その畑で政治事象を何と書こうと勝手だ。
だが、ご本人は政治的な言及をしているつもりのようなので言わせていただくと、この葉隠発言も「山崎行太郎氏の評論家批評家としての論考は政治への言及とは別な次元での仕事と考え」なきゃ安っぽい悪い冗談にしかならない。

  『山崎行太郎氏の評論家批評家としての小沢氏への論考は、政治への言及とは別な次元での仕事と考える』
  http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/407.html
  投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 5 月 22 日 12:03:41: ulZUCBWYQe7Lk

山崎さんのHPの言葉、文藝や哲学を知らずして政治や経済を語るなかれ!!!、に失笑された向きもいると思うが

葉隠を政治や経済の視点で語るなら、実践実行の立場で語るなら以下のようなもののはず。
***
葉隠とは

さて、現今と違い戦国時代の日本の総人口は千万いるかいないかで、プロの連中は
相身互いに生命を大切にしあい、それが「士道」だったのだが、やがて世の中が平和になり元禄頃になると、もはや前程はあまり死ななくなって人口が倍加してしまった。
これは生活問題である。
 それに慶長元和から殿様の領地も決まってしまい、家来が子供をうみ分家させるといっても、「そうか」と前みたいに気前よく扶持は出してやれない。だから百姓は、「間引き」と称し生まれてきたのを眼のみえぬうちに処分したが、武士の場合は、「大人を間引き」という事になった。端的にいうならば、浪人させて追い払うか、そうでなければ、「武士道とは死ぬこととみつけたり」と、かつては生き抜いてゆくための「士道」が、平和になるとこれがあべこべに扱われるようにもなってきた。

(略)

つまり、これも士道で、持参金つきか良い家柄の女を嫁にするまでは辛抱していた
もののようである。この士道は明治大正昭和になっても続行された。この結果が、兵隊はアマだから別だが、プロの尉官以上には適用、嫁とりの時は、「結婚願い」を上司に出し身上調査を憲兵にされて、相手の女性が花柳界出身などと判ると不許可になった。
 端的に水商売がいけないというのではなく、
(良い所から嫁さんを貰っておかぬと、戦死でもされたら上官や同期生ら周囲が後で泣きつかれて困る)
という武士道が残っていたのである。

                (略)


(武士はもっと違ったもので、「彼奴はサムライだ」と今も使われるような存在だった筈である。というのはこの「葉隠」を残したと伝わる山本神右衛門が生粋の武家の出でなかった事に起因しているのではあるまいか)
 なにしろ、生まれたとき口べらしの為に、塩売りの下人にやられようとまでした山本神右衛門は、小僧奉公ののち小姓、御書物手伝いになったとき、これでようやく一人前の扶持とり、つまり土地を貰える士分に取立てられるものと思っていたら、意外や「御切米仰せつけ」になった。これは何石とりという身分ではなく、「何人扶持」という軽輩の中でも最低の身分である。そこで山本は、(俺ほどの男を‥‥)と悲憤慷慨したので、「奉公の至極の忠節は主に諌言し国家を治むる事にあり、つまり下の方の身分などでは役に立たぬ。とはいえ家老職は奉公人の最上層ゆえ若くてはなれまい。よって五十歳になってからでも一度は御家老になってみようと覚悟をきめ、四六時中その工夫修行に骨を折り、紅涙は男だから出さなかったが、黄涙などの出で申し候程に、勤めに勤め努力したものである」
と、その聞書第二の末尾に自分で山本神右衛門は書いている程である。だからこそ彼は、「若年の時分より一向(心)に、殿さまの家来はわれ一人だけと骨髄に徹し想い込み、ただ殿さま大切に存じ、何事にあれ死狂いは、われ一人と内心に覚悟したるまでに候」とか、「武士道とは本気にては大業(家老職)になれず、気違いになり死狂いするまでの努力なり」「奉公人の禁物は、大酒、自慢、奢なるべしと思う‥‥武士はまず身命を主人に奉るが根元なればなり」といった具合に、今でいえば山本は、「猛烈社員ぶりを発揮して、重役の椅子を狙ったこと」になる。

              (略)

彼が五十二歳のとき、世に望みを棄て佐賀郡金立村黒土原に庵をかまえ隠棲したの
も、「鍋島家では百姓は奴隷として他国への逃散を許さなかったが、扶持をかつて与えた者も、やはり浪人させても在郷軍人として他国へ移動を禁ずる」
 国法に縛られていたからである。そして、後世は、この書をもって唯一の武士道の聖典のごとく扱うが、これは山本にとっては、「怒りの書」でしかない。つまり、悲憤の血涙の文字であり、(自分は、かくかく努力して励んだ。なのに酬いられなかった)というものである。
 それが大東亜戦争時のマスコミによって一躍脚光をあび、  (略)

江戸中期の山本神右衛門は不遇のまま田舎へひっこみ、木の葉隠れに埋る意味でつけたらしいが、戦国時代の用語では違うようである。
 そうでなければ、「葉隠」というのは、「葉隠する者に与えるの書」でなくては、筋が通らない。
 つまり、士道というのは、戦国時代と江戸時代では違うごとく、現代でもそれは単純に「愛国精神」といったものに置き換えるべきではなく、国民として国を愛する気概はそんな「まやかし」でなく、もっと正しいものを納得できるよう歴史家は調べ出すよう努力すべきである。

  『丹波福知山に明智光秀を祀った「御霊社」とよぶ古い神社がある。ここの神殿のみすの陰の茶箱には・・・(論考・八切史観)』
  http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/637.html
  投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 5 月 14 日 14:55:55: ulZUCBWYQe7Lk


04. 2012年5月27日 10:56:48 : lRYfivAqeo
人を誹謗中傷するこの爺の、面見ると鳥肌が立つ。

意地悪爺の、馬鹿さ加減が証明された様なものだ!!!

「はらわた煮えくり返る」は、こちらのセリフだ!!!!

沖縄県民を何処まで苦しめる気だ!!自滅党が推し進めた事が無理だったんだよ!

辺野古云々は、日本側既得権益利権集団ゾンビ共が、決めた事だろう???
野中違うか???


05. 2012年5月27日 14:09:15 : jylWuhXUI2

防衛利権は小沢のもの。外交は鳩ちゃんが仕切る。
野中の出番はもうないし、野中のような陰険な男とは手を組めても仲間にはなれん。

それは野中の人徳のなさゆえだ。
残念だったなw



06. 2012年5月27日 21:43:46 : UPdFbAR04Q
野中の話などするな。もう死んだ奴。不細工な亡霊は要らない。

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